NPO法人緑の風ヘルスサポートジャパン(通称NPO緑の風)TEL050-1417-5964 は、自らの自然治癒力を大切にする統合医療の考え方の啓発・普及に努めるとともに、メタボリックシンドロームやがんなどの生活習慣病の発症予防・未病改善や再発・転移予防に関する様々な活動(セミナー活動、健康相談、がん体験者会の主宰、サプリメントのモニター調査など)を展開しています。
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がんと総合医療
 
目次
野本篤志代表によるがん統合医療相談(面談・電話相談)のご案内
現在がん治療中の方や治療を終了して経過観察中の方で相談のある方に対して下記のとおり
ご面談をお受け致します。

<面談者> 野本篤志(がん統合医療コーディネーター、薬学博士)

<面談内容>
・自己治癒力のレベルの把握とその説明
・自己治癒力の向上を目的としたセルフケアの指導
生活習慣の見直し、食事の見直し、ストレス気質の把握とその改善方法の指導
 ・各種相談(治療について、生活について、メンタルについてなど)
 ・専門家等の紹介
   3大療法で治療しない場合の受け入れ医療機関、3大療法以外の健康保険の効く治療法、
それ以外の治療手段(がん最先端医療、がん代替医療、がん統合医療、がん心理療法、
漢方薬、メディカルハーブ、アポトーシス食品など)

<面談料> 30分あたり5,000円(税込み)ただし、土日祝祭日は5,000円割り増し

<キャンセル料> 5,000円(税込み)

※ 面談日の3日前までにご連絡いただいた場合にはキャンセル料はかかりません。

<面談会場> 添付Aの地図参照
  くぬぎ野はうす(茨城県土浦市のくぬぎ野はうすの中にあるゲストハウス)

<アクセス>

 電車をご利用の場合
JR常磐線荒川沖駅西口からタクシーで1メーター
  
品川 新橋 東京 上野 荒川沖 くぬぎ野はうす
9:53 9:59 10:03 10:09 11:02 11:15
12:53 12:59 13:03 13:09 14:01 14:15
14:53 14:59 15:03 15:09 16:01 16:15
 
お車をご利用の場合
・カーナビに「茨城県土浦市乙戸803番地」と入力してください。
・常磐自動車道桜土浦インターで下りて、カーナビに従って走行すると、添付Aの地図左上
 オートバックス(superオートバックス)の前の交差点に出ます。
・信号から右横に入り、十字路を右折、300mほど進むと青少年の家のグランドがあります。
・更に200mほど進むと左手にクリニック(永井医院)がありますので、そこを左折します。
  ・約500m進むと下記添付写真の家の前に着きます。
  ・写真のクリーム色の家の道路を挟んだ向かい側を見ると、下記添付写真の景色が広がる。
  ・竹製緑色の垣根の向こうにくぬぎ野ふぁーむのブルーベリー畑が広がり、その奥に2軒  
   家が見える。その右側の家がくぬぎ野はうす。
  ・写真の右に見える砕石を敷いた私道を通り、くぬぎ野はうすの前までお出でください。

<受付手順>
(1)添付Bの面談申込み票に必要事項を記載し、下記のいずれかの方法で送付ください。
   ? メール送信:a-nomoto@kmj.biglobe.ne.jp宛
   ? FAX送信:029−841−4433
(2)こちらからメールまたはお電話で面談日をお伝えします。
   お伝えした面談日でご都合がつかない場合はその旨お返事ください。メールまたはお電話で
再度ご相談させていただきます。
(3)添付の相談調査票Cに記入の上、(1)の?(メール送信)または?(FAX送信)にて
   面談日の2日前までに送付ください。
(4)直近の血液検査や画像診断の検査報告書がありましたら、そのコピーを当日持参ください。

<フォローの対応>
面談後に質問のある場合は、a-nomoto@kmj.biglobe.ne.jpのアドレス宛てにメールで送信
していただければ有料にて回答します。   
   1回のメール(質問は1回あたり3つまで)につき3,000円。回答メールに記載の指定
   銀行口座にお振込みください。


現在がん治療中の方や治療を終了して経過観察中の方で相談のある方に対して下記のとおり
電話での相談をお受け致します。

<応談者> 野本篤志(がん統合医療コーディネーター、薬学博士)

<相談内容>
・自己治癒力のレベルの把握とその説明
・自己治癒力の向上を目的としたセルフケアの指導
生活習慣の見直し、食事の見直し、ストレス気質の把握とその改善方法の指導
 ・各種相談(治療について、生活について、メンタルについてなど)
 ・専門家等の紹介
   3大療法で治療しない場合の受け入れ医療機関、3大療法以外の健康保険の効く治療法、
それ以外の治療手段(がん最先端医療、がん代替医療、がん統合医療、がん心理療法、
漢方薬、メディカルハーブ、アポトーシス食品など)

<相談料> 30分あたり5,000円(税込み) ただし、土日祝祭日は5,000円割り増し

<キャンセル料> 5,000円(税込み)

※相談日の3日前までにご連絡いただいた場合にはキャンセル料はかかりません。

<受付手順>
(1)添付Dの電話相談申込み票に必要事項を記載し、下記のいずれかの方法で送付ください。
   ? メール送信:a-nomoto@kmj.biglobe.ne.jp宛
   ? FAX送信:029−841−4433
(2)こちらからメールまたはお電話で相談日をお伝えします。
   お伝えした相談日でご都合がつかない場合はその旨お返事ください。メールまたはお電話で
再度ご相談させていただきます。

(3)添付の相談調査票Cに記入の上、(1)の?(メール送信)または?(FAX送信)にて
   相談日の2日前までに送付ください。
(4)直近の血液検査や画像診断の検査報告書がありましたら、そのコピーを当日持参ください。

<フォローの対応>
相談後に質問のある場合は、a-nomoto@kmj.biglobe.ne.jpのアドレス宛てにメールで送信
していただければ有料にて回答します。
1回のメール(質問は1回あたり3つまで)につき3,000円。回答メールに記載の指定銀行口座にお振込みください。
大和田信次090-8856-1348さん  2016-05-28 10:39:48
野本篤志様
突然の連絡御許しください。
母の癌の転移の事でご指導いただきたく、連絡させていただきました。
母は胃癌の摘出手術を昨年11月に受け、
今年の5月26日腹部への転移が見つかりました。余命3ヵ月と言われました。年齢が91歳ということもあり、痛み止めをもらい、自宅療養しています。
現在、腹水がたまり、苦しい状態です。
本来であれば、申し込みシートに書き込みメール送信すべきところですが上手くいかず、このような形の連絡になってしまいました。
私の姉は平根敏子といいまして、以前、野本先生のご指導を受け、かなりの年数延命することができました。その姉の娘の永宮美穂からの紹介で連絡させていただきました。
不躾で本当に申し訳ありませんが、28日(土)29日(日)のどちらかに面談を受けたいのですが可能でしょうか?
お忙しい中、本当に申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします。
daikoku.2.3.gensizin@docomo.ne.jp
『腸内フローラ講演会(11/8)』開催のご案内
下記のとおり、腸内細菌の第一人者藤田紘一郎先生をお招きして、
第7回がん統合医療シンポジウム『健康を育み病気を癒す腸内フローラ』
を開催します。

日時:2015年11月8日(日)
   13:30〜16:40(開場13:00)
会場:つくば国際会議場中ホール300)
  (詳細は添付のちらし裏面参照)
定員:250名
参加費:前売り1,600円、当日2,000円
    (前売りチケット販売所は添付のちらし裏面参照)
内容:詳細は添付のちらし参照
問い合わせ:070−5015−3151(電話)
      1nfo@npo-midorinokaze.com(メール)
電話相談のご案内
全国の患者さんから、遠方で直接くぬぎ野はうす(茨城県土浦市)に来ることができないので電話での相談受けたいとの希望を多数いただいておりましたので下記のとおり電話での相談を受けることになりました。

相談者:野本篤志
相談方法:電話相談またはLINEによるテレビ会議相談(通話料はご負担ください)
相談料:30分あたり5000円(ただし土日祝祭日は5000円の割り増しあり)
相談後に指定銀行口座に振り込み。手数料はご負担ください。
資料:資料のある方は個人情報を消して事前に指定の住所に郵送ください(相談後こちらで保管します)
予約受付:本ホームページのトップ画面「お問合せ」よりメールにて申込みください。
相談時間:メールにて相談開始時間を決めさせていただきます。
がん統合医療セカンドオピニオンのご案内
『がんが自然に消えていくセルフケア』をお読みになり、著者の野本篤志代表に個人的に相談したい方は、
予約の上、相談を受け付けています。

相談日:原則として平日の午前10時〜または午後2時〜(開始時応相談)
    ただし、土日祝祭日も相談に応じます
相談場所:くぬぎ野はうす(カーナビ住所は茨城県土浦市乙戸803)

<くぬぎ野はうすの地図> 
 添付の地図参照


<相談内容>
・自己治癒力のレベルの把握とその説明
・自己治癒力の向上を目的としたセルフケアの指導生活習慣の見直し、食事の見直し、
ストレスの把握とその改善方法の指導
・専門家の紹介
   統合医療施設(インド医学、ドイツ医学、漢方)、心理療法カウンセラー、
漢方、メディカルハーブ、アポトーシス食品、丸山ワクチンなど

<相談料> 30分あたり5000円(ただし土日祝祭日は5000円の割り増しあり)

<予約受付>
  (1)メール:本ホームページのトップ画面「お問合せ」より
  (2)電話:070-5015-3151(NPO事務局)

  
小西 亘さん  2015-06-28 07:42:07
突然で申し訳ありませんが、本日(6月28日)お伺いして、総合医療に関するセカンドオピニオンを聞かせていただくことは可能でしょうか?

父親が膵臓癌の摘出手術を受けましたが摘出しきれず、現在は抗癌剤治療を受けています。野本先生の著書を読ませていただき、3大療法に対する不信感がわいてきて、現在の担当医にご説明し、紹介状を書いていただきました。

お忙しいところ申し訳ありませんが、なにとぞよろしくお願いいたします。
がん研有明病院星野惠津夫先生講演会
11月3日(祝)につくば国際会議場で『第6回がん統合医療シンポジウム』を
開催します。今年はがん研有明病院漢方サポート科部長の星野惠津夫先生を
お招きして、「漢方+αで劇的に変わったがん治療」という講演をしていただく
ことになりました。

ご存じのようにがん研有明病院は国立がんセンター中央病院とともに、日本
のがん医療(3大医療)の中心的な役割を果たしています。
その中にあって、星野先生は唯一「自然治癒力」を大切にする漢方治療を
がん患者さんのために続けています。
また、先生は、「漢方によるがん患者の補完医療」の第一人者として様々な

医学雑誌に投稿したり、「がん研有明病院で今起きている漢方によるがん
治療の奇蹟」、「漢方で劇的に変わるがん治療」などの著書を出版して、
医療関係者や患者さんの啓発に努めています。

先生から、県内のがん患者さんに下記のメッセージをいただいています。

がんの患者さんに特有な全身症状の改善や治療に伴う副作用症状の軽減
など、がん治療における漢方の役割に関しましては、一般にはまだまだ
認知度が低い状況にあります。

今回のシンポジウムを通じてがん治療において漢方診療が大変有用である
ことを、是非がんを克服しようとされている患者さんとその家族の方に
知っていただき、治療の一環として漢方を取り入れていただきたいと
思います。たくさんの方の参加をお待ちしています。

みなさんの中で、ご本人、家族やお知り合いが、がん特有の様々な症状や
治療にともなう副作用に悩まれている方がいらっしゃいましたら、
是非先生の講演を聴いて参考にしていただければと思います。

日時:2014年11月3日(祝)13:20〜16:40(13:00開場)
会場:つくば国際会議場中ホール300
定員:300名(先着順)
参加費:1,600円
予約:070-5015-3151 または 
   a-nomoto@kmj.biglobe.ne.jp

第6回がん統合医療会場係のボランティア募集
第6回がん統合医がん療シンポジウムの会場ボランティアを募集します。
このシンポジウムは、がん患者、がん体験者とその家族を対象に毎年秋に
がん統合医療(注)の専門家に来ていただき、がんの克服のための様々な
ヒントをいただいています。

今年は『がん研有明病院漢方サポート科部長 星野惠津夫先生』をお迎え
して『がん治療における漢方の役割』についてご講演をいただきます。
星野先生は、日本におけるがん漢方治療の第一人者です。

毎年200人以上の来場者をお迎えしますので、20人近い方に会場係を
お願いしています。

今年は下記の通り一般の方から会場係のボランティアを募集します。
社会貢献に役立つ仕事ですので、趣旨に賛同される方は積極的に
ご参加ください。

日時 : 平成26年11月3日(祝) 13:00開場。会場係の集合時間は
     12:20です 。解散予定時間は17:30です。
会場 : つくば国際会議場3階中ホール300
仕事 : 受付、駐車券販売、書籍販売、案内、照明、マイク、アンケート
の回収など
特典 : シンポジウムを無料で聴講できます。NPO法人緑の風代表
    野本篤志の著書『がんが自然に消えていくセルフケア
(著者サイン入り)』を1冊贈呈します。
申込み方法:本HPのTOPページ『お問合せ』よりメールにてお申込みください。

(注) 現在病院で行われている通常医療(手術・放射線治療・抗がん
    剤治療)と、自然治癒力を最大限に発揮することを目的とした
    東洋医学などの補完代替医療を組み合わせることによって、
    それぞれの医療のよさを活かし、欠点を補うことによって実現
    する患者さん一人ひとりに合ったより効果的で患者さんに
    やさしいオーダーメイド医療。
NPO活動が『がんの辞典』に紹介されました
NPO法人緑の風ヘルスサポートジャパンの活動が、がん患者のための情報サイトである『がんの辞典』に掲載されました。

掲載ページのURLはこちらから

http://www.gan-jiten.com/family/03/npo_1.html/
無認可でも画期的な最先端がん治療(4)
抗がん剤を充填した「ナノカプセル」はトロイの木馬

 今まで全身に投与するほかなく、激しい副作用が避けられなかった抗がん剤だが、積年の難点がついに解決されそうである。ナノ・レベルのカプセルが抗がん剤を充填し、がん細胞に向けてトロイの木馬よろしくピンポイントで送りこむ方法が正式に認可される日が近そうなのだ。

 もっとも、カプセルと書いたけれど、正しくは「高分子ミセル」という。ミセルとは、数百の分子が集まった粒子のことで、件のミセルの大きさは50ナノメートル程度。ナノは10億分の1を表す単位だから、すなわち0.00005ミリほど。要は、ウイルス並みに小さな球体を、がん細胞を直接狙って送り込むのである。
 「この技術によって患者さんが得る利点は大きいですね。抗がん剤の全身投与でみられるような激しい副作用がなくなるし、がん細胞に抗がん剤への耐性を獲得させずに、繰り返し、それも外来で治療できる。QOL(クオリティ・オブ・ライフ)を維持できます」
 そう絶賛するのはサイエンスライターの西村尚子さんだが、この治療法はすでに海外でも賞賛されている。責任者である東京大学の片岡一則教授は、ドイツの権威あるフンボルト賞を受賞し、3月23日に授賞式があったばかりである。
 ともあれ、その仕組みについて明らかにしなければなるまい。キーワードはDDS(ドラッグ・デリバリー・システム)で、「これは、薬剤や遺伝子などの生理活性物質を、必要な部位に、必要な時だけ、必要な量を届ける技術のことです。それによって副作用が軽減され、薬の効果が増強され、必要以上の投薬が必要なくなる、というメリットが生まれる。我々が研究している高分子ミセルもDDSに含まれます」
 授賞式で訪独中の片岡教授に代わってそう説明するのは、同じチームの西山伸宏准教授である。高分子ミセルの働きについて、さらに具体的に尋ねると、
 「シスプラチンという、昔からあっていらんながんに効く抗がん剤を例に話します。抗がん剤はそのまま体内に取り込むと、正常な細胞までも破壊して副作用が生じます。中でもシスプラチンは副作用が強く、特に腎臓機能障害を起こしやすいので、投与する際は薬を薄め、3日かけて点滴で入れなければなりません。入院も必要で、それでも難聴、嘔吐、下痢などの副作用を抑えられない。でも、高分子ミセルに内包すれば、30分で投薬でき、入院も要らず、副作用もなくなる」
 そうなると、軽減されるのは、患者の肉体的な負担に止まらないという。
 「副作用がなくなれば、副作用対策の薬も要らなくなり、患者の経済的負担はもちろん、国が支払う医療費も抑えられます」(同)
 では、どのようにしてミセルをがん細胞に届けるのか。DDS自体は新しいものではなく、すでに風邪薬などにも使われているが、がんに応用するには、高度な技術が必要だったようだ。
 「高分子ミセルを形成する分子は、新水性のものと疎水性のものを組み合わせています。抗がん剤は水に溶けにくいから
疎水性の高分子に引っ付け、それを100本ほどまとめると、中心部分に抗がん剤のついた疎水性高分子が集まった球体になる。それを静脈注射で体内に入れ、血管の中を循環させるのですが、ミセルの外側が新水性なのでたんぱく質が付きにくく、すると血管内でも異物扱いされにくいのです」
 西山准教授はさらりとそう言うが、これは気が遠くなりなるほどの極小の、ナノの世界の話。で、そのレベルの物質を縦横に操る片岡教授は、今でこそ東大大学院の医学系研究科教授も兼ねるが、元々は大学院工学系研究科に所属する、マテリアル工学の専門家である。


 そして、やはり工学博士の西山准教授が続ける。
 「通常の血管にある隙間は1〜2ナノメートルですが、がん細胞が栄養を吸収するために作る毛細血管の穴は、幅が数百ナノメートルもある。がん細胞はどんどん増殖して栄養を吸収し続けるため、穴が大きくなるのです。高分子ミセルの大きさは数十ナノメートルなので、通常の血管の穴には入らず、がん細胞の血管にだけ集まるわけです」
 このように血管の穴の幅が違うことを発見した一人、国立がん研究センター東病院の村松保広がん治療開発部長が、高分子の権威である片岡教授に声をかけ、共同研究が始まったという。
 その村松部長は、
 「臨床試験はI相で安全性が確かめられ、?〜?相で主に効果が試されます。高分子ミセル内包の抗がん剤は20年以上やってきて、やっと?相が終了したものもある。一般保健薬として広く普及したいという思いがあります」
 と言って、現状について説明する。
 「4種類の抗がん剤内包ミセルについて臨床段階に入っています。
大腸がんやTN乳がん、小細胞肺がんに対するNK012というミセルと、膵臓がんに対するシスプラチン内包ミセルについては、?相の臨床試験中。もう一つはI相。お話しできるのは、?相が終わったタキソール内包ミセルについてです。2004年から国内で臨床試験を行い、ステージIVの末期の胃がんの患者さん56人に投薬したところ、がんの消失が2名、部分消失が1名、増殖しなかった患者が17名、効果がなかった患者が25名。全生存期間中央値(投薬後の生存期間を順に並べ、順位が真ん中の人の値)が、14.4カ月で、通常の治療を行なった場合の3〜10カ月を上回りました。副作用が酷かったのも56人中1人だけで、通常は10%以上の人に副作用が見られるので、だいぶ抑えられたと思います」
 高分子ミセルの実用化を目的として設立されたベンチャー企業、ナノキャリアの中冨一郎社長に少し補ってもらうと、
 「膵臓がんを対象にしたシスプラチン内包ミセルは、06年にI相の臨床試験をイギリスで開始し、その後はアジアやヨーロッパ、アメリカ、日本などを転々としていますが、試験自体は?相まで進んでいます」
 ちなみに、臨床試験が海外で行われることが多いのは、CRO(受託臨床試験機関)のコストが日本は世界一高いからだそうで、結果、日本より先にドイツで権威ある賞を受賞することにつながったようだ。
 さて、高分子ミセルについて、村松部長は、
 「患者の負担を軽くし、QOLを上げるのが目的で、よく勘違いされますが、がん治療の特効薬を作っているわけではありません」
 と念を押すのが、別の意味で、大いなる効果が望める可能性がありそうだ。
 「特許権が消失している薬でも高分子ミセルに内包すれば、新薬として認められて、高い薬価が付けられるもので、製薬会社のモチベーションも下がらない。そして薬価は上がっても、副作用の薬も入院も要らなくなって総医療費は下がる。片岡先生は“フェラーリみたいに金持ちしか受けられない薬や治療じゃだめ。最先端で、高性能で市民にも手が届く、プリウスのようなものを開発しなければならない”と言っています。高分子ミセルは日本の医療制度自体にも、よい効果をもたらす可能性があると思います」(西山准教授)
 中冨社長は、5年後くらいに保険適用の申請をしたいとか。もうすぐそこだ。

[週刊新潮 第57巻第13号『無認可でも画期的な最先端がん治療』より]
無認可でも画期的な最先端がん治療(3)
「鉄キレート剤」が進行中の肝臓がんを劇的に止める

 たとえ早期発見できても再発しやすく、進行すると抗がん剤による治療効果も期待できなくなる肝臓がん。ところが、体内の過剰な鉄分を排出する「鉄キレート剤」を治療に用いることで、進行が劇的に止まるというのである。

 昨年8月、山口大学第一内科の坂井田功教授らによる、抗がん剤を使わない肝臓がんの治療法を掲載したのは、米「ニュー・イングランド・ジャーナル・オブ・メディスン」誌だった。
 「これは世界で1、2を争う権威ある医学誌で、紹介されたこと自体、非常に名誉なことですし、そもそも抗がん剤以外の治療法でがんが縮小したり、進行が止まったりするのは、がん医療に従事する我々にとってひじょうに画期的でした」
 腫瘍内科医である千葉ポートメディカルクリニックの今村貴樹院長がそう言うのも、肝臓がんが厄介だからである。何度も再発して完治しにくく、進行してしまうと有効な治療法がない。
 「がんが進行した場合に用いる抗がん剤で、現在認可されているのは、ネクサバールという分子標的薬だけ。ところが、これは体のだるさや吐き気など激しい副作用を伴うのです」
 というのは医療ジャーナリストの松沢実氏。治療をあきらめる患者も少なくないというのだ。一方、
「山口大学の研究で、肝動脈注射で投与したという鉄キレート剤は、体内に鉄分が過剰に溜まってしまった際、それを尿や便と一緒に排出する機能をもつ古くからある薬品。抗がん剤でないので毒性が少なく、副作用も少ない」(同)
 では、なぜ鉄を排出する薬が、抗がん剤の代わりになりうるのか。
 「肝臓がんは鉄を食べて大きくなるんですね。肝臓がんにとって鉄が栄養であるとは、以前から原理としては知られていましたが、臨床研究で明らかにしたのが山口大学の成果です」(今村院長)
 坂井田教授らは、肝臓がんが進行した10人の患者に鉄キレート剤を投与。2カ月にわたり隔日で、肝動脈に24時間注入し続けた結果、5人は効果が見られなかったが、3人はがんの進行が止まり、2人は縮小した。また縮小すた患者の1人は肺に転移したがんも消えたというのである。

 この研究を受けて、
 「標準治療で効果が得られず、肝臓がんが進行してしまった患者にとっては、大きな可能性を秘めている」
 と感じた今村院長も、独自の研究を始めている。
 「山口大学ではデスフェラールという鉄キレート剤を肝動脈注射で注入するため、肝臓に直接届きますが、肺などに遠隔転移すると効果が望みにくい。入院も必要になります。そこで経口剤のエクジェイドを使ってみてはどうか、というのが私の研究です。経口投与なら入院の必要もなく、遠隔転移にも有効ではないか。昨年からうちの病院でもエクジェイドを用い、5人の患者を治療していますが、3人は腫瘍マーカーが低下し、1人はがんが縮小するという、山口大学とほぼ同じ結果が出ています」
 ちなみに、以前から保険が適用される医薬品である鉄キレート剤だが、厚労省保険局医療課に尋ねると、
 「慢性鉄過剰症の方が、血中の鉄を排出するために利用するなら保険が適用されますが、抗がん剤としては保険が適用されません」
 しかし、安全が確認されれば、肝臓がんへの恐怖もだいぶ和らぐのではないだろうか。

[週刊新潮 第57巻第13号『無認可でも画期的な最先端がん治療』より]
「がん生還者」たちの告白(2)
内海桂子(漫才師) 乳がん

「芸人の意地」で、痛み止めも車椅子も拒否


 内海桂子氏(89歳)は、85歳のときに乳がんが見つかり、摘出手術を受けた。
 「乳がんなんて、老人が罹る病気じゃないから、先生もびっくりしてましたよ」
 最初に違和感を覚えたのは、'07年のことだった。
 「出演していたドラマの撮影が終わったとき、共演した織田裕二くんが『師匠、お疲れ様です』と言って花束をくれたんです。アタシいい男って好きだから、嬉しくって抱きついたの。そしたら右乳房の下にキリッと痛みが走った。それから4ヶ月後、今度は映画の撮影で、田中美里ちゃんにおんぶしてもらったとき、また同じ場所が痛んでどうしようもなかったんです」
 気になって右の乳房を触ると、ゴリゴリとするしこりがあった。そして翌月、腰を痛めて病院へ行った際に一緒に検査をすると、乳がんが発見されたのだった。
 「告知されて、そんなにショックは受けなかったのよ。もしがんじゃなくても、いらないものは取ってもらおうと決めていましたから」
 直径3cmにもなっていたがんは、約2時間の手術で完全に取り除かれた。
 術後、痛み止めを処方されたが、服用を拒否。車椅子に乗ることも勧められたが、それも拒否して、手術から3週間後にはテレビの生放送に出演していた。
 「薬で病気が治るなら飲むけれど、ただ痛みを取るだけだったら、気休めと一緒でしょ。生きてたら痛いのは当たり前なんだから、そんなものは受け入れなくちゃいけない。それに、車椅子に乗っているのを見られたら、『内海桂子は終わりだ』って言われちゃう。一度車椅子に乗ったら、それが、当たり前になって本当に歩けなくなっちゃうし。だから杖を借りて歩いたわよ」
 この気持ちの強さが、がんを克服できた秘訣かもしれない。そこには内海流の哲学があった。
 「これは、芸人の意地ですね。芸人というのは、一度『内海桂子』という看板を出したからには、責任を取らなくちゃいけない。アタシはがんのときも、ケガをしたときも、一度も仕事をやすんだことがないの。それにね、すぐに病院へ行くのが嫌なんですよ。この歳で病院へ行ったら、『無事』には帰してくれませんから。絶対に何らかの病名がつけられてしまう。歳を重ねたら体のどこかに不調があるのは自然なんですよ。医者の力も大切だろうけど、自分の身体は自分が一番わかっているんだから。
 とは言いながら、先生が来いって言うから、仕方なく月に1度は病院へ検査に行っているわよ。行かなくったっていいって思うけど、その先生がなかなかのイケメンでね。ほら、アタシはいい男が好きだから(笑)」

[『週刊現代 第54巻第32号』掲載「「ステージIV」、「再発がん」それでも奇跡は起きた 著名人「がん生還者」たちの告白」より]
「がん生還者」たちの告白(1)
高杢禎彦(元チェッカーズ) 胃がん

妻の一言で、本気でがんに向き合えた


 レントゲンの画像を見て、先生はしばらく黙っていました。ほんの2〜3秒だったと思うんですが、とてつもなく長い時間に感じられた。早く何か話して1と思ったとき、こう告げられたんです。『やっかいな病気にかかりましたね。胃から食道に広がったがんです。決して初期ではありません』と。その瞬間、頭が真っ白になって、その後のことは何も覚えていません。自分だけが水の中に沈んでしまったような感覚で、目の前はぼんやりと見えました。頭の中で、『決して初期ではない』という言葉だけが回っていました」
 高杢禎彦氏(49歳)に進行した胃がんが見つかったのは'02年。チェッカーズの解散から10年が経ち、ソロでの歌手活動や俳優として活動の幅を広げていた40歳でのことだった。
 「痛みもないのに病院へ行くのは嫌だ」と一度も検診を受けたことがなかった。だが、食べ物が喉につかえるような違和感を覚え、初めて受けた検診で発覚。がんは食道を塞ぎ、胃カメラが胃まで入らない状態にまでなっていたという。
 「告知を受けて病院から家に帰る途中、車を運転しながら涙が溢れてきました。助手席の嫁さんがそれに気づいて、『車、止めよう』と声をかけてくれた。車を止めてから、妻に向けてか、自分に言い聞かせるためか、『俺、がんなんだって』と口を衝いて出た。言葉にしたら、ようやく自分ががんであることを、現実のこととして感じ始めたんです。
 時間が経つほど、恐怖感が増す一方。怖くて怖くて、夜は全く眠れなくなりました。がんが増殖して、明日の朝には死んでしまっているのではないか。特別な痛みがないからこそ、余計に怖かったんです。精神安定剤を処方してもらうようになりました」
 当初、手術を受ける気はなかった。絶望感で、がんと戦う気力さえなかったのだ。「このまま自分は、何もしないで死んでいくのだろう」そう思い、自暴自棄になっていたという。
 そんなとき、妻からの言葉が病気との向き合い方を大きく変えた。
 「告知からしばらく経ったある夜、嫁さんから『パパにもしものことがあったら、子ども3人を実家に預けて私も一緒に死ぬから』と言われたんです。『ばかやろう!』と言おうとしたのですが、その言葉を聞いて、家族のことを何も考えてなかった自分に気づいたんです。ショックでした。それまでは、『自分はなんでがんになってしまったんだ』などと、自分のことしか考えていなかった。妻の一言で目が覚めました。
 手術もせずに、自分だけどこかへ行ってしまおうと思っていたことが恥ずかしくなった。同時に、俺には家族がいる、一人じゃないということがわかってほっとしました。そんな当たり前のこともわからないほど、どうかしていたんです。自分は悲劇のヒーローだという思いに浸ってしまっていた。がんと闘おう。手術することを、そこで決意しました。


 1ヶ月後に手術の日程を決め、当時撮影に入っていたドラマの仕事は、事情を話してクランクアップを早めてもらった。
 「情けないですが、手術を決めたからといってがんへの恐怖が消えたわけではありませんでした。『生きて帰れないかもしれない』という不安に襲われることも度々あった。そんな弱い自分に気づいたのもがんになってからです。1分1秒でも家族と一緒にいたい、すべてを記憶にとどめておきたい、そんな思いで手術までの日を過ごしていました。とても長い時間に感じましたね。けれど、家族がいると思うと、『負けちゃいけない、俺は死なないんだ』と前向きになれたんです。
 手術では、がんが広がった胃、脾臓、胆のうを全摘出し、食道の下半分を摘出。取った胃の代わりに、小腸を用いた再建術が行われた。10時間以上の大手術となったが、無事、終了した。
 「転移を調べるために68カ所のリンパ節を調べましたが、がん細胞が見つかったのは1つだけ。術後は定期的に検査をしていましたが、10年が経過したいまは、もうしていません。
 がんを乗り越えてから、度胸がついて、前向きになったんです。健康で生きていることがあたり前じゃないんだとわかって、毎日を大切に生きるようになりました。嫁さんの一言がなかったら、手術も受けていませんでしたし、いまの自分はないと思っています」

[『週刊現代 第54巻第32号』掲載「「ステージIV」、「再発がん」それでも奇跡は起きた 著名人「がん生還者」たちの告白」より]
抗不安薬依存 深刻に(2)
 「主治医は私の顔も見ずに、『変わりありませんか』と聞くだけで、薬を出す。『良くなった』と答えても、『ではもっと良くしましょう』と薬が増えるので、うかつに答えることもできない」
 「心理士のカウンセリングで良くなったのに、新しい主治医は自分の話を聞こうとしない。『僕の出す薬を飲まないとカウンセリングは受けられない。オーダーを出すのは僕だから』と意見を押しつけられた」
 精神科の診察で、医師の態度や診断に、不満や疑問を抱く患者は多い。ベンゾ系薬剤の長期投与など、日本の精神科医療が薬物偏重である背景には、精神科医が、患者の訴えを聞いて診断する力が不足していることがある。ある精神科医は、「もし自分に、患者の訴えを聞く技術があれば、初診から薬を出すケースは相当減るだろう」と、打ち明ける。
 精神科医から暴言を浴びた、という患者も少なくない。婚約者を目の前で起こった事故で亡くし、長くPTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しんだ40歳代の女性は、強まる自殺願望を主治医に明かした時、「死にたいなら勝手に死ねばいい」と言われ、ショックを受けた。
 現在、大学病院の精神科教授の多くは、薬物療法の専門医だ。認知行動療法などの精神療法の技術にたけた教授を増やし、患者の訴えを聞き、受け止めることのできる精神科医を育成する必要がある。それが適切な薬物療法にもつながる。
 宮岡等・北里大精神科教授は、「精神科の診察は密室で行われやすく、透明化することが緊急の課題だ。まずは、診察のやり方を他の精神科医が見て、議論する場をつくり、他の医師から審査を受ける制度を作るなど、改善策を考える必要がある」と話している。

[読売新聞 2012年11月13日号記事]
つらさ言えぬ患者の家族(3)
【患者を支える家族が注意すること】
・がん情報を集める
・自分にどういう援助ができるか考える
・患者の要望をよく聞く
・家族も自分の生活を大切にする
※国立がん研究センターがん情報サービス「家族ががんになったとき」から抜粋         

【家族・遺族向けの情報】
●外来
・埼玉医科大国際医療センター
保険がきくが紹介状がないと別途3150円必要。
(042・984・0475)
・国立がん研究センター中央病院 40分1万500円.
               (03・3547・5130)
●家族の会
・NPO法人がんサポートコミュニティー 毎月第2水曜。
    登録費用が必要。 (03・16809・1825)
●ウェブサイト
・国立がん研究センターがん情報サービス 
もしも、がんが再発したら 患者必携 本人と家族に伝えたいこと
  (http://wwwganjoho.jp/public/qa_links/hikkei/saihatsu.html)
・日本サイコオンコロジー学会 
がん患者さんとご家族のこころのサポートチーム
      (http://support.jpos-society.org)

日本対がん協会から

 学校でがんの授業を実施しませんか。授業を希望する学校を募集します。
 「がんになる最大の原因は?」という問いに、授業の前では正解の「たばこ」と答えた生徒は半分以下で、「遺伝」や「お酒」などの誤答が目立ちました。それが授業後には全員正解に。2時間ほどの授業の前後で生徒のがんに関する知識は大きく変化します。
 2人に1人ががんになり、3人に1人ががんで亡くなる国なのに、日本人はがんについてほとんど知りません。学校で教えられた記憶もないでしょう。そのまま大人になるので、がんの予防や検診についての正しい知識は乏しく、死亡率は上がり続けています。
 日本対がん協会と朝日新聞社は、医師が学校を訪ね、がんについて授業する「ドクタービジット」を実施しています。今年は兵庫・武庫川女子大付属高校、神奈川・横浜平沼高校、佐賀・武雄北、山内中学校、福島・飯舘中学校で行いました。中川恵一・東京大准教授をはじめとする現役医師が、アニメ仕立てのDVDなどを用いてがんについて分かりやすく説明します。この内容は朝日新聞上でも全国に報道されます。
 授業を希望する学校は教職員の方がお申し込みください。問い合わせ、申し込みは、協会まで電話(03・5218・4771)、またはeメール(office@jcancer.jp)へ。

[朝日新聞 2012年11月14日号 記事]
つらさ言えぬ患者の家族(2)
 では、患者の家族はどう過ごせばいいのか。
 がん患者の家族・遺族らでつくるNPO法人愛媛がんサポートオレンジの会は2009年、家族向けの冊子「あなたの大切な人を支えるために」を6千部作った。「できるだけ普段の生活に近い睡眠時間を」「そのときのどを通る食べ物を食べる」「自分のための時間を作る」などをあげている。
 父を胃がんで亡くし、自身も子宮頸がんを経験した松本陽子理事長は「家族の心の支えとなり、ほっとしてもらいたいと作った。周りの人たちは、家族に『しっかりね』といって追い詰めないでほしい」という。現在、第2版の作製を計画中だ。
 米国の研究では、配偶者を亡くした13か月後、その16%がうつ病になった。発症率は配偶者が生きている群の約4倍と高い。家族や遺族向けの外来をする埼玉医科大国際医療センターの大西秀樹教授(精神腫瘍科)は「うつ病であれば治療が必要。早くからの介入(治療や支援)が大事だ」と話す。
 臨床心理士の石田真弓助教が遺族外来を受診した51人を分析すると、「近くにいたのに気づけなかった」「治療法を探しきれなかった」といった後悔を感じて苦悩する人が多い。
 「モルヒネを使ったから早く亡くなった」「看病が不十分だったので、患者が精神的に追い詰められてしまった」などと誤解し、悔いている遺族も少なくない。
 専門家が「違う」と修正することで不要な後悔が消えていく。命日や年末年始など、家族がいないことを実感する時期に、気持ちがひどく落ち込む「記念日反応」も出やすい。
 遺族が回復するには、周囲の協力も欠かせない。
 「大往生でしたね」「まだ悲しんでいるの」といった周囲の何げない言葉によって、良くなりかけていた遺族の気分も落ち込んでしまいがちだ。石田さんは「気遣うというマナーが社会全体に広まってほしい」と話す。

[朝日新聞 2012年11月14日号 記事]
つらさ言えぬ患者の家族(1)
 家族ががんになったら。患者を支える家族の心にも変化が生まれます。辛い思いを抱えながら、家庭内で新たな役割を担ったり、身の回りの世話をする必要が出たり―。「第二の患者」とも言われる家族も、悩みすぎることなく病に向き合う必要があります。周囲の理解や協力も求められます。

仕事も家事も
 
 愛媛県内の男性公務員(45)の妻(47)に2004年、乳がんがわかった。手術に放射線、ホルモン療法と治療が続いた。妻は「なんで私だけが病気になるの?」と嘆いた。小学生だった娘の世話などを男性は担うようになった。
 退職したら行こう。そう言っていた、四国霊場八十八カ所を夫婦で回り、治るよう祈った。
 手術から約2年。肝臓などにがんが転移した。抗がん剤治療が始まり。吐き気や頭痛などの副作用が出た。妻は長い時間伏せるようになった。何もやる気がおきない落ち込みが激しい。うつ病と診断された。
 妻に代わり、朝6時前に起きて洗濯機を回し、衣類を干す毎日が始まった。料理はしたこともなかったが、妻が起きられない日には朝ごはんを作り、娘に食べさせて送り出す。「どうして俺が?」慣れるまでは感じた。
 30代後半。責任ある仕事を任されていた。夜の会議や週末の仕事があっても、家のことが気になって仕方がない。帰宅後には毎日、重くてだるいという妻の足を約30分マッサージする。早退して娘の学校の教諭との面談に出かけたり、帰宅後に娘の塾の送り迎えをしたり。一方で医療費もかかる。収入を減らすわけにもいかない。
 ストレスは車の中で一人、大声で歌を歌って発散する。治療に付き添えないことが多く、妻は「付いてきてくれる旦那さんもいる」「もっと優しい言葉をかけてほしい」という。副作用に苦しむ妻から「抗がん剤の治療をやめたい」と訴えられるのが何よりつらい。「どうしたらいい?この先どうなる?」
 できることはやっているつもりだ。でもまだまだ足りないとも思っている。副作用の少ない薬が開発され、妻のがんが治ること。それを願い、家事にも仕事にも手を抜けない日々を過ごしている。

愛する人失い

愛する人を失ったつらさが、長く続くこともある。
 東京都世田谷区に住む女性(45)の二つ上の夫に07年春、血液のがんがわかった。抗がん剤が効かず、骨髄移植に踏み切った。
 夫を支えたいのに、体がいうことをきかない。「あなたがしっかりしないと」「ご主人の前で泣いちゃだめよ」。見舞いに訪れる知人から言われるたび苦しかった。37.5度の微熱が続き、じんましんが出た。食事がとれない、眠れない。体重は10キロ減った。
 自分の気持ちを落ち着ける方法がないか。本などを探したが、良いものが見つからなかった。
 骨髄移植の合併症で夫の肺機能は低下し、08年に亡くなった。
 「絶対家に帰る。大丈夫」
 医師から、もう回復の見込みがないと告げられた後も、夫は女性を気遣い、弱音をはかなかった。
 「一番つらかった時に受け止められなくて、ごめんなさい」。女性は家で泣いてばかりいた。散歩をすると、夫の不在を実感して涙があふれた。息ができないほどのパニック状態になったこともある。外食に誘われて出かけると「夫に食べさせてあげたい。私だけ食べるなんて」と罪悪感をおぼえた。
 うつ病の診断を受け、薬を飲み始めた。10年から集団カウンセリングに参加し、自分と似たような経験をした人がいると知り、少しずつ、つらさを口に出せるようになった。
 悲しみはずっとなくならないが、楽しいことは楽しいと感じてもいい、と思えるようになった。今は一人で住むマンションの管理組合の理事が来夏から回ってくる。自分には絶対できないと思ってきたが、「やってみるか」と考えている。


[朝日新聞 2012年11月14日号 記事]
無認可でも画期的な最先端がん治療(2)
免疫療法を革命的に変えた「がんペプチドワクチン」

「これが“敵”の目印だ。発見次第、攻撃せよ」。免疫系細胞の指令を受けると、敵=がんの遺伝子に適合するリンパ球だけがみるみる増え、がん細胞を次々と叩き始める―。体内で人工的に免疫力を増強、フル稼働させる様は、まさに『ミクロの決死圏』で繰り広げられた死闘の世界だ。一日千秋の思いで患者が待ち望む中、「がんペプチドワクチン療法」の臨床試験が各地で進んでいる。

 都内の会社員久保敏明さん(仮名)には、生後半年になる、かわいい盛りの赤ん坊がいた。傍らで眠る子どもを笑顔で見つめながらも、彼の耳には医者の声がこびりついて離れなかった。
「1歳の誕生日を祝うのは諦めてください」―。
 進行型の末期の膵臓がん。久保さんを襲った病魔にはもはや抗がん剤も効かず、死の宣告を受けたのだ。慄然とする中、しかし彼は希望を捨てなかった。藁にもすがる思いで、手術、抗がん剤による化学療法、放射線治療といった標準治療に次ぐ、“第4の治療法”に望みを託したのである。
 「それが『がんぺプチドワクチン療法』です」
 とは、この分野で世界の先端を走ってきた東大医科学研究所の中村祐輔教授だ。
 「結果、彼は奥さんと共に子どもが1歳になる日を迎えられた。その子も今は3歳半になりましたが、久保さんは今もご健在です」
 まずは、この治療法を説明しよう。免疫療法の一種だが、旧来のものは、患者から採血し、その中から免疫系のリンパ球を抽出して培養、増強。体内に戻して、免疫力を高めようというものだった。一時は期待されたが、科学的実証がなく、今では懐疑的な意見が多い。しかし今回、ご紹介するのは、がん細胞だけを狙い撃ちにする、全く違うものだ。
 90年代、がんにも特別な抗原があることが分かった。
 「がん細胞の中で、がん特有のタンパク質が細切れに寸断され、HLAという白血球の型と結びつくことがある。すると、それが細胞の表面に突起物として飛び出してくるのです。これが、攻撃目標の抗原となる」(同)
 この発見ががんワクチンの開発に大きく道を開く。さらにはヒトゲノム(全遺伝情報)解析により、03年には人間のDNAの塩基配列が解明された。こうした技術が進化する中、中村教授らは、がん抗原として、9〜10個のアミノ酸が並ぶペプチドワクチン(タンパク質の断面)に着目。そして遺伝子解析で膵臓がんや食道がんなど各種がんに固有のペプチドを人工的に作り、体内に皮下注射で投与する。すると、マクロファージという貪食細胞や樹状細胞がこれを捕食。自らの細胞の表面にそのペプチドの形をがん抗原として情報開示する。その後、マクロファージやヘルパーT細胞などのリンパ球に攻撃を指令。情報を目印に、同じ抗原に合うリンパ球だけが増殖し、猛烈な勢いでがん細胞だけを直接叩くのである。正常細胞は攻撃されないため、副作用もほとんどない。
 中村教授らのチームは06年から大学病院などで作る「キャプティベーション・ネットワーク」を発足させた。全国の58施設で、約1700人の患者を登録。所属する医療機関で情報を共有しながら、臨床研究を重ねてきた。期待できる結果が得られたことから、この実績に基づき、現在、複数の機関で臨床試験が進められている。その具体的な有効例が、前述の、末期がん患者だった久保さんだ。
 「通常、薬が効かないほど進行した膵臓がん患者は、ほぼ6カ月で亡くなってしまします。久保さんは、膵臓を摘出した後、肝臓に転移が見つかり、かなり大きくなっていて絶望的な状況だった。しかし先に述べた通り、ペプチドワクチン療法を始めたところ、まず半年で進行が止まった。そしてがんが次第に小さくなっていき、1年で見えないくらいに縮小したのです。3歳半のお子さんの成長を見守りながら、楽しく暮らしています」(同)
 ちなみに臨床試験(治験)には、フェーズIと呼ばれる第I相から、最終の第?相まで3つの段階がある。第I相は薬品の安全性を見る。第?相は少人数を対象に効果をチェック。第?相は数百人から数千人の大規模で、有効性や生存率を確認するとともに、従来の療法と比べて効果に差があるかどうかを統計学的に比較する。審査するのは厚労省の外郭団体である「PMDA」(医薬品医療機関総合機構)」で、ここのOKが出ないと、Iから?、?から?へと治験を進めることはできない。第?相を終え、厳しいハードルをクリアして治療効果が認められれば、晴れて、薬事法で承認され、3割負担で患者が使える一般保険薬となるのである。(第?相として、さらに市販後のチェックもある)。
 中村教授らが蓄積したデータを参考に、創薬ベンチャー企業の「オンコセラピー・サイエンス」がワクチンを開発。製薬会社と協力しながら、臨床試験を進めている。
 なお、彼らの「がんペプチドワクチン療法」にも、がん細胞を直接攻撃するものと、がん細胞に栄養を送る血管細胞を叩くものの2種類がある。つい最近、後者の第?相臨床試験の結果が公表されたが、残念ながら、有効性は確認されなかった。今後、中村教授やオンコ社は、後者よりさらに高い効果が認められている、がん細胞を直接叩くタイプのワクチンに特化して、治験を進めるという。現在は、食道、膀胱、胆道、膵臓、そしてシンガポールで実施されている胃がんを含め計5つが進行している。
 「間もなく第?相が始まる膵臓がんを筆頭に、食道、胆道、膀胱がんも第?相の解析を待っている段階です。また今年度中に肝臓や大腸がんの第I相治験も始まる」
 というのは、オンコ社の角田卓也社長だ。
 「途中経過のデータは明らかにできませんが、山梨大学医学部の河野浩二准教授(当時)が、中村教授の協力のもとに06年から行った臨床試験でも、素晴らしい成果が報告されています」
 これは、肺や肝臓に転移した末期の食道がん患者10人を対象に、がんペプチドワクチン療法を実施したもの。安全性を確かめる試験だったが、半数でがんの拡大が抑制され、うち2人で劇的な縮小効果が確認されたのである。
 最後に中村教授が語る。「医療は科学ですが、人情も必要です。しかし標準治療で成果が見られなくなった途端、“死ぬ準備をしなさい”と平気で言う医者がいる。毎日1000人の人ががんで亡くなっていきますが、皆、生きる望みを欲しています。膵臓がんで始まる第?相臨床試験は早ければ来年度に終了する。私は科学と情の両方を考え、希望や可能性を患者さんに提供していきたいのです」
 評価が得られれば、再来年度中にも承認を受けられ、保険適用薬として実用化される可能性がある。そうなれば世界初の快挙となる。

[週刊新潮 第57巻第13号『無認可でも画期的な最先端がん治療』より]
がん経験者 講師に派遣
宮崎県小林市の小林商工会議所4月中旬、「働き世代のがん」という講演会が開かれた。保険会社のアクサ生命が主催。講師は東京で働くフリーのコピーライター松井亜矢子さん(45)で、自身や両親のがん体験を、集まった30人に語りかけた。
 情報がどこにあるのかわからず悩んだ日々、手術後も長く続く治療や副作用との闘い、予想以上にかかった医療費―。
 松井さんは「大事なのは情報収集と心のケアと経済力です。正しく構えて自分を守り、がんになっても自分らしく生き抜いてほしい」と締めくくった。
 松井さんを講師に派遣したのは、がん経験者が運営する会社「キャンサー・ソリューションズ」(東京都)だ。講演会は、がんについての啓発とともに、闘病で職を失うなどした患者に講演料収入をもたらし、経済的に支える狙いもある。
 2008年から始め、講師として登録するがん経験者は約30人。年齢や職業、がんの種類は様々だ。自身も乳がん経験者である社長の桜井なおみさん(45)は「患者本人にも、正しい情報を伝えるという使命感をもたらすプラス面がある」と言う。科学的に証明されている情報だけを発信するよう徹底している。
 企業や市民団体からこれまで500件以上の依頼を受けた。会社員向けの研修に加え、営業の一環としても依頼してきたアクサ生命は、「聴衆に訴える力があり、その後の問い合わせも多い」と効果を語る。
 松井さんは00年8月、父親を急性骨髄性白血病で亡くした。どんな病気かわからず、治療の選択も流されるまま。痛みも十分抑えることができず、家族として強い後悔が残った。
 左胸にしこりを感じたのはその3か月後。だが何かにかかったらよいのか迷うなど、乳がんと診断されるまで2年近くかかった。
 「父が残してくれた教訓を何も生かせていない。自分の命なのに」
 手術直前はっと気づいた。情報を必死に集め、納得できる治療を求めて転院した。会社を辞め、治療を終えた07年、医療情報を伝えるための講習も受け、講演活動を始めた。「後に続く患者が悔いを味わうことがないよう、経験から得た教訓や正しい情報を伝えたいと願ったからだ。
 最近は月3〜4回、全国の市民セミナーなどで講演する。「治療で会社も辞め、挫折感を味わいましたが、新しい生きがいを見つけました」と話す。

[読売新聞2012年5月9日号 医療ルネサンスNo.5322]
知りたい放射能/新規制値(3)戸惑う加工食品業界
 「乾燥させた山菜や塩蔵の特産品も多い。検査はどの段階でどう測るのか」。先月から全国7都市で新規制値案の説明会が開かれている。会場では、新たな加工食品の基準に戸惑いの声も聞かれた。
 新規制値では、干しシイタケなど水で戻したり、茶葉など湯水で薄めたりする加工食品は、「食べる状態」の数値で判断されることになった。乾燥食品は、水分を減らす分だけ放射性物質が濃縮されるが、食べる状態では薄まるため、業界や産地が見直しを要望していた。同じ乾燥食品でも、ノリや干しブドウなど、乾燥したものをそのまま食べる食品は今まで通り。
 厚生労働省では、新規制値にあわせた加工食品の検査マニュアルを作成中だ。乾燥食品の濃度の変化をあらかじめ数値で出し、換算するなどの手順を検討している。
 ただ、食べる状態では規制値以下でも、商品の状態で1キログラムあたりに換算すると超える場合があり得る。「問題ないことがどの程度消費者に受け入れてもらえるか」(茶業界関係者)と心配する声がある。
 新規制値には経過措置を設ける案もある。市場に流通する期間が長い米、牛肉、大豆は、一定期間、暫定規制値(1キログラムあたり500ベクレル)が適用できる。
 大豆を例にとると、これまでに17都県で実施された検査では、542点中大半が検出限界未満で、1キログラムあたり100ベクレルを超えたものは15点。今年いっぱいは100ベクレルを超えたものも使えるが、「消費者や流通側の反応が気になる「経過措置があっても、100ベクレルを超えた原料は使わないだろう」(全国納豆協会組合連合)など、食品メーカー側でも様子をうかがっているようだ。
 加工や調理の過程での汚染を防ぐ対策も課題だ。沖縄県で今月初め、沖縄そばから1キログラムあたり258ベクレルの放射性セシウムが検出された。福島県のまきで、汚染濃度が高かったものを燃やした灰を使って製麺したため。暫定規制値以下だったが、新規制値を上回っており、農水省は10日付で、まきや灰を加工、調理の段階で使う可能性のある食品業界団体に向けて、改めて注意を促す文書を出した。
 食品の検査は「原料段階で網をかけて広がりを防ぐ」(厚生労働省)方針で、17都県の生鮮食品を中心に行われている。しかし、加工食品の原料は、全国に流通し、思わぬ形で広がる可能性もある。中小の業者も多く、汚染をどう防いでいくのか、チェックする仕組みも必要だ。
知りたい放射能/新規制値(2)食品からの被曝量 既に低く
 食品の規制値が引き下げられることで、被曝も減るのだろうか。
 実際の食事からの被曝量を調べる調査が広がっている。食事を1人分余分に作って検査機器で測り、1食あたりに含まれる放射性物質の量を測るやり方だ。
 日本生活協同組合連合会は昨年末から「コープふくしま」(福島市)など全国18都県の生協と協力、3月末までに約250世帯分を調べる予定だ。
 調査に協力した福島県伊達市の会社員、谷口宏子さん(39)は、高校2年の長男を頭に、育ち盛りの3人の息子がいる。地元産の食材を使っているが、「子どもたちに食べさせても大丈夫?」と不安が消えなかった。
 2日分の食事を密閉できるビニール袋に入れ、汁がこぼれないように冷凍。食材や料理名も書き添えて、宅配便で検査センターに送った。
 結果は、放射性物質のセシウム137、同、134、ヨウ素とも検出限界(1キログラムあたり1ベクレル)未満。食品に通常含まれる放射線物質カリウム40の方が1キログラム当たり42ベクレルと高かった。谷口さんは「数値がわかってほっとできた」と話す。
 コープふくしまが調査を終えた51世帯分の結果では、45世帯が検出限界未満。越えたのは6世帯で、最も多かった家のセシウムの合計量は1キログラムあたり11.7ベクレル。検出された家庭でこの食事を1年間食べ続けたと仮定して、体への影響を示すシーベルトに換算すると、年間の被曝量は約0.01〜0.14ミリシーベルト。飛行機で東京とニューヨークを往復した時の被曝量0.2ミリシーベルトより低かった。
 同じ方式で学校給食を測るやり方も神奈川県横須賀市や福島県南相馬市などで始まっており、いずれも検出限界未満か低い値にとどまっている。
 厚生労働省の審議会の放射性物質対策部会は、昨年秋の食品の検査結果を使って、年間の被曝量を推計している。暫定規制値で線引きした場合、放射性セシウムからの年間被曝量は0.051ミリシーベルト。同様に新規制値で線引きすると0.043ミリシーベルトで、0.008ミリシーベルト分低くなった。原発事故前の自然放射線量をみても、日本国内で最大約0.4ミリシーベルトの地域差があり、その差より小さいことがわかる。
 コープふくしま常務理事の宍戸義広さんは「福島でも食べ物からの被曝量は心配していたほど高くない。実際に数値を確認し、意味をきちんと説明することが漠然とした怖さを取り除くのでは」と話している。
がん生存率 詳しく確認
症例24万件 ネットで検索

 全国がん(成人病)センター協議会(全がん協)は23日、がんの部位・種類や病期、性別、年齢を入力すると、1〜5年後の生存率などがわかるデータベース「全がん協生存率(KapWeb)を公開する。全がん協加盟のがん専門病院31施設で1997〜2004年に診断・治療を受けた約24万症例を追跡調査して、集計した。これまでも、部位、病期別の5年生存率を公表していたが、患者は自分により近い条件の治療成績を知ることができる。

 胃や肺、中皮腫など約35の部位・種類別に、検索できる。性別や年齢、がんの進行度を示す1〜4期の病期、手術内容(開腹、腹腔鏡、内視鏡手術など)を入力すると、条件に合った症例を抽出。診断から1〜5年の各生存率や、1年ごとの生存率の推移を表す生存曲線などが表示される。
 診断から経過した日数を入力すると、その時点まで生きた人の症例だけを集計して、生存率を表示する「がんサバイバー生存率」の機能もある。
 がん治療は日進月歩で変化しているため、最新の1年間、3年間、5年間と検索対象期間を絞って、生存率を調べることもできる。
 千葉県がんセンターの三上春夫・疫学研究部長は「生存率はあくまで確率に過ぎず、個々の患者の余命を決定するものではないことを注意してほしい」と話す。
 また、各施設別の生存率も公表している。全がん協のホームページ(http://www.zengankyo.ncc.go.jp/)から検索できる。

[読売新聞 2012年10月23日号 記事]
無認可でも画期的な最先端がん治療(1)
抗がん剤入り温水で内臓を直接ジャブジャブ洗う

 日本人の中でも最も罹患率の高い胃がん。リンパ節転移や他の臓器にまで広がったステージ?Aの進行胃がんでは、切除手術を行っても再発するケースが多く、半分の人が5年未満に命を落としている。しかし、温熱化学療法を組み合わせたこの施術なら、同じステージでも9割が5年生存を果たしている。数字が実証した、画期的な治療法とは。

「叔父の命を救いたい」―。その思いがこの治療を行うキッカケになったと語るのは、滋賀医科大学の村田聡・消化器外科助教である。
「叔父の胃がんは、深さを示す深達度が、隣接臓器にまで湿潤しているT4と呼ばれるレベルの危険なものでした。しかし、私は“絶対、これで再発予防ができる”と信じ、胃がん切除手術とその後の抗がん剤を投与する従来の治療法にプラスして、温熱化学療法を行ったのです。12年前のことですが、叔父は再発なく胃がんを克服できました」
その治療法とは、「術中腹腔内温熱化学療法(HIPEC)」。通常の胃がん手術で、病巣を切り取ったり、あるいは全摘を行った後、腹腔内の内臓や腹膜を、抗がん剤の入った“お湯”で洗うというものだ。
 日本の胃がん外科治療は、胃の切除に加えて、病巣周辺のリンパ節をきれいに取り除く“郭清”を行うことで、世界的にも優れた治療成績を上げてきた。しかし、いかに高レベルの手術を施しても、再発は起きてしまう。その原因の多くが「腹膜播種」というもの。これは胃の内側の粘膜にできたがんが大きくなり、胃の壁を突き破って外側に顔を出し、まるで種を蒔くように、がん細胞を腹腔内に飛び散らす現象を指す。
 「深達度にはT1〜T4であり、がんが胃の外側に露出してきた状態のT3や前述のT4では術後の再発が多く、そのほとんどが腹膜播種によるものです」(同)
 がんには、この深達度の他に、リンパ節転移の程度も総合的に判断して、全体の進行度を表す「ステージ」という指標がある。胃がんの場合、ステージIAから、IB、?、?A、?B、?の6段階に区分される。深達度が深く、リンパ節転移があると、ステージ?以上に分類され、遠くの臓器にも転移しているようなものは?となり、一般に末期といわれている。
 「5年生存率は、腹膜播種が起こりやすいステージ?Aから一気に下がります。いくら卓越した切除手術や郭清を行っても、腹腔内の見えないがん細胞や腹腔内へ飛び散ったものは治療できない。全部を完璧に切り取ることは不可能に近いのです。それゆえ、この世界では『腹膜播種を制する者は、胃がんを制す』といわれている。これを何とかしなければならない、というのが胃がんの治療に携わる専門医の長年の課題だった」
 というのは、村田助教らと共に、この治療法の研究を主導した谷徹・滋賀医大外科学教授である。
 HIPECの治療とは、概略次のようなものである。まず通常の手術後、開腹した部分に筒のようなものを当てる。そして3種類の抗がん剤を混ぜ、42〜43度に温めた生理食塩水を腹腔の中に5リットル注入。これを循環器系の医療器具で温度を維持しながら、30分間、腹腔内を還流させるというものだ。温度を均一にするため、医師が自らの手でジャブジャブとお湯をかき混ぜる。HIPECを施した後は、閉腹し、化学療法として抗がん剤投与を行う。

滋賀医大では、2000年からこのHIPECを導入。02年から本格的な臨床研究を行ってきた。2010年12月までに、ステージIBで4件、?で12件、?Aで18件、?Bで16件、?で26件の施術を実施。果たして結果はどうだったか。
 まず同大で02年以前に行っていた「切除手術+術後の抗がん剤」という通常治療による5年生存率の数字を見ておこう。IBでは92.5%、?で73.6%、?Aで64.3%、?Bは30%、?では8.5%だったという。
 それがHIPECでは、IB、?ともに100%、?Aで90.9%、?Bで77.9%、?では28.9%と跳ね上がっているのだ。?までなら全く再発はなく、がんが進行した?Bでも約48ポイントも上昇。末期の?に至っては、3〜4倍の効果をあげているのである。
 滋賀医大以外の数字とも比較してみよう。「日本胃癌学会」が公表している、全国登録の最新データ(01年)では、ステージIBから?までの5年生存率はそれぞれ85.1%、73.1%、51%、33.4%、15.8%。この全国平均と比べても、HIPECの実績がいかに優れているか、一目瞭然だろう。
 「これだけの効果をあげている理由の一つは、抗がん剤の高濃度曝露が可能であること。従来のように静脈に投与する場合、薬は、がんとは無関係の部位や正常な細胞にも働き、副作用を引き起こしてしまう。しかしHIPECなら腹腔内のみ曝露させられるため、薬の濃度を高くしても安全なのです。これで用いる抗がん剤は、静脈投与のものに比べ、70〜80倍の濃度になっています」
 と、村田助教。
 「熱傷や強度の癒着、腎不全など、重篤な合併症は一つも起こっておらず、安全性の面でも全く問題ない」
 しかしこれだけの大成果を臨床の場であげながら、HIPECは未だ注目されず、市民権を得ているとは言いがたい。日本胃癌学会の笹子三津留・理事長はこう手厳しい。
 「腹膜播種に対する温熱化学療法ですか。そもそも温熱化学療法というのは古くから研究されながら、何の認可も受けていない治療です。日本で唯一、腹膜科のあった静岡の医療機関で熱心に行われていましたが、死体の山を築いた末に、全く成果も出せないまま、止めてしまった経緯がある」
 白眼視されることに対し、村田助教は反論する。
 「確かに古くは腹膜を根こそぎ切除する大手術をした後に、温熱治療を45度の高温で実施したり、還流を1〜2時間も行う施設があって、合併症により患者さんが重症化するケースもあったようです。
しかし我々は研究を積み重ね、それを体への侵襲が少なく、有効で安全なものに改良してきたのです。実際、重篤な合併症や死亡例は1例もありません。でも昔を知る世代の人からすれば、“大丈夫なのか”と警戒心を持ってしまうのでしょう。過去についた温熱化学療法の負のイメージが払拭されることを願っています」
 谷教授も決然と述べる。「これまでの臨床データを基に、この6月には厚労省に先進医療の認可申請を行いたいと思っています。
今年中に承認を目指したい。HIPECは膵臓がんや大腸がんなどにも応用できる。一日も早く、希望すれば誰でも受けられる治療として普及するよう、研究を重ねていきます」

[週刊新潮 第57巻第13号『無認可でも画期的な最先端がん治療』より]
がん メスと薬で殺される人たち(4)
がんでは死なない

向山 実際、話を聞くだけではがんは治りませんよね。

樋野 はい。でも、心の解放・痛みの解消を手伝うことはできます。そうすると、もうどうでもいいや、どうせ死ぬんだと虚無感に苛まれていた人が、明日死ぬかもしれないけど花に水をやろうかな、と思えるようになったりする。尊厳や役割意識、使命感が生まれるんです。実はこれは、専門知識を持った医者じゃなくてもできるがんケアなんです。同じ目線で話を聞くだけでいいんですから、誰にでもできます。

向山 具体的には、どんな話をされるんですか。

樋野 これまでに約600組のがん患者とその家族と対話をしましたが、病気や死、治療の苦しみに関する話は3分の1程度。あとは家族や職場の人間関係の話です。

向山 自分が病気のために、息子や娘が高校に行かなくなった、非行に走ってしまった、というケースもあります。
 がんは、身体だけでなく、当たり前の家族の生活も大きく傷つけてしまう。

樋野 本当に切実な問題です。家族に関するがん患者の一番の悩みは、「家族を一緒にいられない」ということなんです。

向山 入院が辛いということですか?

樋野 そうではなくて、例えばがんの女性が夫と一緒にリビングにいるとします。病気になると心が敏感になるので、ちょっとした一言で傷つき、夫は冷たいと思う。健康なときには、ありえないような受け止め方をしてしまうんです。そうして不平不満が溜まり、リビングに30分といられなくなって、一人で部屋に閉じこもるようになってしまう。

向山 病気なのに、家族と一緒にいられない、家族の顔を見るのも嫌になる……これがどんなに辛いことか。悲しいことか。

樋野 こういう現実はほとんど知られていません。がん哲学外来は、今まで放置されてきた、患者さんの傷ついた心の修復を目的としているんです。

向山 うつ症状になってしまうがん患者さんも少なくないですしね。

樋野 病院では患者同士で傷つけ合うこともあるんです。先輩患者が後輩患者に、この点滴はどんなもので、これが使われるようになったなら、かなり病気が進んでいるね、なんてことをしたり顔で言う。中には、先輩患者の一言で自殺に追い込まれてしまった患者さんもいたと聞きました。

向山 残酷な現場がありますね。家族も看病で疲れていて、つい厳しい言葉が出てしまう。どうしてあんなことを言ってしまったのか、と後になって後悔している場面も、よく見ます。

樋野 ほとんどのがん患者やその家族は、精神的に限界に達しているんです。

向山 だからこそ、家族を含めてケアができる緩和治療を、もっともっと活用してほしいですね。

樋野 緩和治療はあっても、心のケアまでは行っていない病院もある。心のケアは、まさに医療の隙間になってしまっているんです。

向山 がん患者が本当に求めているのは、「技術」より「安心」なのかもしれませんね。

樋野 医療は猛烈なスピードで進化しています。

向山 今やがん治療は、痛いものではなくなりました。

樋野 いずれ確実に、がんでは死なない時代がやってくるでしょう。


[『週刊現代 第54巻第16号』掲載「特別対談 がん治療の常識は劇的に変わった  がん メスと薬で殺される人たち」より]
がん メスと薬で殺される人たち(3)
大切なのは体力を失わないこと

樋野 誤解を抱いているばかりに緩和治療を受けずにいるというのは、本当にもったいないし、心身的にも相当辛いものでしょう。患者側にも、意識を変えていただきたいですね。

向山 同感です。緩和治療は、外科治療、抗がん剤治療、放射線治療、免疫治療と並ぶ「第5のがん治療」として、これからどんどん認識していただきたいと思っています。

樋野 緩和治療とがんを叩く治療は、同時に受けることもできますからね。

向山 ええ。痛みが激しい時は、まず緩和治療で症状を和らげてから、外科治療に戻ればいい。本来であれば、並行して行われるのが望ましいんです。

樋野 そうすれば、体力的にも無理なくがんと戦うことができますね。

向山 一方で、病院・医師レベルでの認知は、残念ながら十分ではありません。緩和治療のできる医者や病院がまだまだ少ないのが現実です。

樋野 まったくその通りです。病院によっては、緩和治療を始めたら、もう抗がん剤治療はしません、というところもある。抗がん剤がもうきかなくなったから、と患者を避けてしまう病院すらあります。

向山 いわゆる、「がん難民」ですね。

樋野 現行の診療報酬制度では、一般病棟は平均在院日数を2週間以内に抑えないと利益が出にくい。長くは入院させてもらえず、どこへ行けばいいのか路頭に迷ってしまう。

向山 一人暮らしでがんの苦痛に苛まれている人が急増していますね。また、認知症、心臓病、糖尿病などを併発してしまい、悲惨な状況に陥ってしまう方も多い。

樋野 今の状況が続くなら、誰にとっても他人事では済ませられない深刻な問題です。

向山 緩和治療にしっかり取り組んでいる病院なら、追い出されるなんてことはありえません。たとえ抗がん剤が効かなくなってしまったとしても、緩和治療病棟に移り、苦しむことなく最後まで尊厳を持って生きていくことができるんです。

樋野 がんが心に与えるダメージも相当なものです。どんな小さながんでも、告知されたらほとんどの人が大きく失望します。なのに、心のケアが全く足りていない。だから私は4年前、「がん哲学外来」というものを始めました。

向山 具体的にはどんな内容ですか。

樋野 がん相談でもないし、診察・診療行為でもない。お金もいただかない。ただ対話して、1時間お茶を飲んでいるだけ(笑)。
 病院にはがん相談もありますが、結局は情報提供です。それ以外に、患者は一人の人間としての思いや悩みを話せる場所も求めているんです。

向山 それは素晴らしい試みですね。今は病院も忙しいし、外来も一人の人間に1時間を割いて話を聞くなんて、とてもできないですから。

樋野 相談を受ける側も、相談を受けてやる、悩みを聞いてやるという上から目線ではダメ。患者の苦しい体験は、人間的に対等という姿勢でいかないと。患者は、救済の客体ではなく、解放の主体になる必要があるんです。

向山 そういうものなんですね。

樋野 対等になるためにも、仰々しい名前ではなく、がん哲学外来というような訳のわからない名称のほうがいいんです(笑)

<がん メスと薬で殺される人たち(4)に続く>

[『週刊現代 第54巻第16号』掲載「特別対談 がん治療の常識は劇的に変わった  がん メスと薬で殺される人たち」より]
がん メスと薬で殺される人たち(2)
誤解されているモルヒネ

向山 私のところでも、仕事や家などをすべて整理してきました、もう思い残すことはないです、という方が何人かおられました。

樋野 実際、がんを攻撃することだけががん治療だと思っている患者さんがほとんどですからね。

向山 ええ。一方の緩和治療は、長い間がんで苦しんできた患者さんが死の間際に受ける、「最後のご褒美のケア」という誤解が根強く残っています。

樋野 本当に残念なことです。

向山 緩和治療を受けてうまく痛みを取り除けば、日常生活にほぼ支障なく戻ることだってできる。実際、がんを抱えながら仕事や家事を当たり前に続けている人も多くいます。
 近年、これまでの緩和治療の誤解を覆す研究発表がなされました。

樋野 ほう。どんなものでしょう。

向山 '10年、アメリカのマサチューセッツ総合病院で、抗がん剤治療だけ受けた人と、同時に緩和治療を受けた人との生存期間を比べる臨床研究が行われました。その結果は、緩和治療を受けていたグループのほうが、不安やうつの頻度が低かった。さらに、それに加えて延命効果が見られたのです。

樋野 どれくらい延びたんですか。

向山 平均3か月です。新しい抗がん剤でも、これほど長く延命できる薬はありません。

樋野 それはすごいですね!

向山 ええ。延命効果が科学的に証明されたことで、私自身、改めてがん緩和治療の重要性を再認識できました。

樋野 緩和治療の印象を悪くしているものの一つは、痛みを和らげるために使うモルヒネでしょう。

向山 麻薬の一種というイメージが強いですからね。中毒になる、廃人になる、死が早まるなどと、いまだに多くの方が思い込んでいます。実際、モルヒネの投与だけは勘弁してほしいと、患者さんのご家族から懇願されたこともありました。

樋野 そう。モルヒネのイメージがいつの間にか大きく歪められて、今なおそのままになっているんです。でも、昔に比べたら、投薬方法も品質も、かなり改善されたのでしょう。

向山 もちろんです。モルヒネは、がんに伴う激しい咳や呼吸困難を緩和できる薬です。
 また、'04年にはアメリカでモルヒネ服用量と生存期間に関する大規模な調査が行われ、その結果、モルヒネを多く服用している人のほうが、痛みがないうえに、服用量が少ない人より長く生きられら、という事実も明らかになっています。

<がん メスと薬で殺される人たち(3)に続く>

[『週刊現代 第54巻第16号』掲載「特別対談 がん治療の常識は劇的に変わった  がん メスと薬で殺される人たち」より]
がん メスと薬で殺される人たち(1)
順天堂大学医学部・樋野興夫×がん研有明病院・向山雄人緩和治療科部長

がんではなく副作用で死ぬ

向山 私が部長をしている緩和治療科にやってくる患者さんを見ても、抗がん剤の種類や投与期間、治療継続期間などを、もう少し立ち止まって考えてもよかったのに、と思うことがあります。特に、緩和治療科へ来るのが遅かった患者さんは、心も身体もボロボロに傷ついてしまっている人が少なくない。

樋野 実際、病理学(病気の原因解明を目的とする医学)の医師として、亡くなったがん患者の解剖をすると、病気が緒直接の死因の人がいる一方、治療の副作用が原因だったとしか思えない人もいますね。

向山 医師が患者さんの全身状態を見ず、流れ作業的に抗がん剤治療に固執していると、気が付いた時には患者さんの身体は回復できないほどダメージを受けてしまうことがあります。

樋野 抗がん剤の副作用による出血が原因で死に至ることもありますね。

向山 「医師が患者を陸で溺れさせた」と表現される過剰量の高カロリー輸液も大きな問題の一つです。

樋野 転移のたびに行う手術も、がん患者の体力をどんどん奪う。

向山 がんが見つかったら、まずは手術をして放射線治療をして、それからベルトコンベアで流されていくように抗がん剤を次から次へと順番に投与して、という機械的な医療が、今なお多くの病院で行われているのが現実です。

樋野 でも、自分で体力的に厳しいと思えば、今は抗がん剤投与は少し休んで、後でもう一度チャレンジしたいと患者側から提案してもいいわけでしょう。
向山
 もちろんです。ところが、多くの患者さんは、がんや抗がん剤の副作用は痛く苦しいのが当然だと思っている。また、これも大きな誤解なのですが、辛さに負けて抗がん剤治療を1回でも休んだら、あっという間にがんが進行してしまうと思い、壮絶な痛みに耐えています。

樋野 確かに、特に高齢の方は、我慢強い人が多いですからね。

向山 こんなふうに、しかたがないと諦めてしまっている患者さんが多い。がんに伴う苦痛に関しては、採血やレントゲンではわかりません。患者自自身が具体的に話をしてくれなければ、適切な診察や治療はできないのです。

樋野 それでは痛みは取れず、苦しいままですね。

向山 日本の医療の不幸は、がん治療において、このように心身の苦痛を取り除く緩和治療がほとんど重視されていないという点です。外科治療、放射線治療、抗がん剤治療ばかりが、「積極的治療」として率先して行われる。

樋野 そうですね。緩和治療には、もう手遅れで、死を待つだけの末期患者に行うケア、というイメージが、いまだに根強く残っています。

<がん メスと薬で殺される人たち(2)に続く>

[『週刊現代 第54巻第16号』掲載「特別対談 がん治療の常識は劇的に変わった  がん メスと薬で殺される人たち」より]

【むかいやま・たけと/'55年生まれ。がん研究有明病院緩和治療科部長。東海大学医学部卒。米国MIT研究員、都立駒込病院化学療法科、都立豊島病院緩和ケア科・腫瘍内科などの名医長を経て現職。主な著書に『痛みゼロのがん治療』(文春新書)、『生きる力がわく「がん緩和医療」』(講談社+α新書)など

【ひの・おきお/'54年生まれ。順天堂大学医学部病理・腫瘍学教授。愛媛大学医学部卒。米国アインシュタイン医科大学肝臓研究センター、米国フォクスチェースがんセンター、癌研実験病理部長等を経て現職。'08年にNPO法人「がん哲学外来」創設、理事長に。『がん哲学外来入門』(毎日新聞社)など著書多数】
大往生したいなら、病院に行くな(4)
自分がガンだと知らない方が幸せなこともある

新田 ガンが見つからず、末期まで楽しく過ごして、穏やかに死んでいくか、治療で苦しみ精神的にも大きなプレッシャーを受けて死ぬか、どちらがいいでしょう。
 ガンの痛みや苦痛は緩和ケアなどで対処することができます。しかし、ガンと戦う心のケアは今、大きな問題になっています。ガンに罹ってしまったことで、心に大きなダメージを受けてしまう人は多い。

中村 実際、ある男性の患者さんは、肺ガンを5年患って亡くなったんですが、最後までほとんど治療は行いませんでした。亡くなったのもご自宅。発見されてから4年3か月間、趣味の卓球を楽しんでおられました。元気に過ごすことができていたんです。いよいよ末期となって、やっと訪問診療医が検査をしたら、腫瘍マーカーがとんでもない値だったので、たまげて腰を抜かしたそうです(笑)。

新田 痛むならさておき、痛まないなら放っておく。知らない方が幸せなこともあるのです。

中村 早期に発見されなければ、ガンに脅かされることもなく、いつも通りの生活が送れて、静かに自然に死んでいける可能性だってあります。

新田 早期発見されても、ガン治療でさんざん苦しい思いをして、最後は緩和ケアに行ってください、というのはよくあること。医療から見捨てられた「ガン難民」がたくさん出ているのも現実ですね。

中村 日本人は命の有限性にきちんと気づかないといけないと思います。人間としての繁殖期を終えたら、もういつ死んでもおあkしくない。還暦や定年を迎えたら、死を視野に入れて考えること。死を前提に生きていく。会っておきたい人に会って、行っておきたいところにも行っておく。死をまったく考えていないから、なんとか生にしがみつこうとするんです。大体年を取ったら、早すぎる死なんてないんですよ。もう十分に生きたんです。いつ死んでもいいんです。

[『週刊現代 第54巻第12号』掲載「全国民必読 特別対談 中村仁一×新田國夫 大往生したいなら、病院に行くな」より]
大往生したいなら、病院に行くな(3)
独り暮らしでもちゃんと死ねます

中村 私がホームで見ているのは、超高齢者。ご家族も、もう年だから、これ以上何もしなくていいとおっしゃるし、病院でも精密検査をしたりしない。結果的に、点滴や注射や酸素吸入など、何も治療をしないで看取らせていただく機会を得ました。使命感から延命治療をしたくなる病院では、まずできないことです。普通の人は知らない昔のような死、自然死です。
 これは、とても安らかなんです。自然死とは詰まるところ、「餓死」です。食べ物も水分も一切取らないで死ぬこと。こう聞くと恐ろしげに聞こえますが、死に際のそれは、まったく辛くはありません。当人は死に向かっているわけなので、空腹感も喉の渇きも感じない。

新田 人は極限状態では、苦痛は感じないんですね。

中村 それどころか、飢餓状態は脳内モルヒネが出て気持ちいいし、脱水状態では血が煮詰まって意識レベルが下がるので、ぼんやりとした状態になるのです。見ている家族は、こんな死なら怖くない、と言います。自然死を見ると、死へのイメージは大きく変わるようです。

新田 私も在宅治療で、これまでたくさんの方を看取ってきましたが、自宅で死を迎えたい、満足して死にたいという人が、この5〜6年で増えてきました。高齢者も家族も少しずつ現実がわかってきて、延命治療はしないでほしいという声も多くなっている。家族の側も変わってきているんですね。在宅といっても、特に設備が必要なわけではないんです。1畳分のベッドさえあればいい。

中村 誤解を恐れずに言えば、理想的な死に方は「孤独死」と「野垂れ死に」だと私は思っています。医療者も家族もいないから、誰に邪魔されることもない。実に安らかに穏やかに死んでいける。

新田 確かに、その通りですね(笑)。

中村 ただ、問題は早めに発見してもらわないとまわりが大変迷惑すること(笑)。
 死ぬのに今の医療はいらないんですよ。死を邪魔しているんです。孤独死や野垂れ死にというと寂しそうですが、生まれてくるのも一人でした。死ぬのも一人でいいんです。

新田 それこそ独り暮らしでもでもちゃんと死ねますからね。あるとき、独り暮らしの患者さんをたずねると、ご自宅は、足の踏み場がないほど乱雑な状態でした。病院に行けばきれいな部屋が待っている。でも、死に場所に選ばれたのは散らかった自宅でした。病院なんかで死にたくない、と。

中村 その意味では、高齢者にとって、ガンは死ぬのにいい病気だと思っています。死期がおおよそ予想できますから。ただし、治療はしないで、です。
 発見された時点で痛みのない末期のガンは、死ぬまで痛みは出ません。ガンだからといって必ずしも痛みが出るわけではないんです。逆に早く見つかってしまったために治療され、手術や治療で体力を奪われたり、正常な細胞が破壊されたて死期を早める場合もある。

<大往生したいなら、病院に行くな(4)に続く>

[『週刊現代 第54巻第12号』掲載「全国民必読 特別対談 中村仁一×新田國夫 大往生したいなら、病院に行くな」より]
大往生したいなら、病院に行くな(2)
苦しみながら延命するより安らかな死を

中村 専門医の弊害ですよね。全体を見ない。臓器なり、病気なりそこしか見ない。生活習慣や生活背景、年齢などは一切、考慮しないんですよ。40歳でも90歳でも同じことをする。

新田 もし年齢差別するようなら、それは専門医ではありませんからね。

中村 点滴だって、死に向かっている人にむりやり打っても仕方がないんです。それなのに余計に打ってしまうから、身体がぶくぶくになる。

新田 なるほど。

中村 葬儀社の人が言ってました。昔の遺体は軽かったが、今の遺体は重い、と。点滴で必要以上の水分を身体に入れられてしまっているからです。私はあれではまるで溺死体だ、と言っています。
 逆に、昔の人の遺体が軽かったのは、最期に医療が介入しない「自然死」だったから。点滴をしないと、体内の水分を利用するので、むくみや蛙腹がすっきりなくなり、とても安らかな姿になるのです。

新田 本来、その人にとって最善の医療を考えたときには、二つの要素が必要ですよね。生命の質と生活の質です。たしかに生命は救われた。病気は治った。でも、生活者としてはどうなったか。その両方が意識されないと。

中村 おっしゃる通りです。命を守るだけだと、ダラダラと、死ぬことを先送りするだけの医療になってしまう。人間の命は地球より重いなどと言って、本人が希望もしていない苦しい日々を送らされることが、本当に正しいのか。

新田 やはり、家族の問題が大きかったと思うんです。核家族化の拡大で、高齢者が家にはいられなくなってしまった。施設や病院に送り込まれることが、当たり前になった。やがて施設に入れるのであれば、病院の方が世間体はいいようだ、と病院の安全安心神話に繋がっていった。病院で何が行なわれているか、多くの人が知らないまま、死も人々から遠ざけられてしまったんです。

中村 日本人には今や、人が死ぬということが、ほとんど念頭にないですよね。生まれたら、成長してやがて死んでいくのは普通のことなのに、異常事態になってしまった。

新田 本来、死に際して医療は無力です。死は自然の摂理なのですから、何が何でもどうこうしようというのは無理がある。

中村 それなのに、そろそろ危ないですよ、などと言われると、死ぬことなど考えていないので、家族は狼狽する。延命できるならと過剰な治療も受け入れる。
 反対に、延命治療に疑問を持っていたとしても、家族を見殺しにするのか、という目で病院側から見られると辛くなる。そして、チューブだらけでベッドにくくりつけられる姿を見るわけです。くくりつけられている本人の意思は問われることなく、です。

新田 だから、そんな姿になっても生きたいと思うかどうか、本人が意思表示しておかないといけないですよね。どんな姿でも生かしてほしいのかどうか。そうしないと、家族を困らせることになります。

中村 事前の意思表示も大切ですが、そもそも日本では、死ぬ事に関して、普段から家族でコミュニケーションが交わされていないでしょう。死の話を持ち出そうとすると、縁起でもない、と打ち切られてしまったりすり。語り合う機会がないんです。何かあっても、家族ならわかるはずだ、なんて人もいます。
 でも、生き死にに関して、本人がどんな考えを持っていたかなんて、家族にわかるはずがない。家族にわかるのは、好きなテレビ番組と食べ物くらいです(笑)。

新田 かつて家で看取っていた時代は、看取りの文化がきちんとあった。でも、それが今はなくなってしまっている。だから、亡くなっていく人も、家族も、お互いに満足して送り出せる共通認識を作ることが大切になっていますね。

中村 やっぱり誰でも、穏やかで、安らかな死に方をしたいと思うんです。
 ただ、死は生と切り離されて存在しているわけではない。どう生きてきたのか、どうまわりと関わり合ってきたのか、医療をどう利用してきたか、そのすべてが死に繋がる。だから、今の自分の生き方を点検したり、修正したりすることが大切なんです。

新田 穏やかな安らかな死には、普段からの心がけが必要ですよね。

中村 はい。こんなふうにしてくれと、ただ紙に書くだけではダメ。医療にしても、介護にしても、しっかりまわりと話し合っておく。それでも、家族が自分の意思と違う選択をして、悲惨な死に際を迎えてしまうこともあります。そうなったら、これも縁だと受け入れるしかない(笑)。

新田 もう一度、医療との関わりを考え直すべきかもしれませんね。延命医療ではなく、看取りの医療があっていい。医者と患者の関係を再構築する。医療者も、手を出さずに我慢して、死を迎える。そういう文化ができてもいい。

<大往生したいなら、病院に行くな(3)に続く>

[『週刊現代 第54巻第12号』掲載「全国民必読 特別対談 中村仁一×新田國夫 大往生したいなら、病院に行くな」より]
大往生したいなら、病院に行くな(1)
<特別対談>中村仁一(『同和円』附属診療所所長)×新田國夫(新田クリニック院長)

高齢者の80%が病院で亡くなる時代。
だが、人生の終末を医者に任せて本当に大丈夫なのか。
「自然死」と「在宅看取り」の第一人者の医師2人が、理想の「最期」を考える。

入院すると1日で1年分の体力が落ちる

中村 私は老人ホームの常勤医師をしているのですが、入居者を病院に入院させたりすると、入院前よりひどくなって帰ってくることがよくあります。
 例えば、骨折や肺炎で入院した場合、肺炎は治ったけれどボケてしまったり、骨は繋がったけれど寝たきりになってしまったり。

新田 そうですね。あとは何と言っても胃ろう(お腹に穴を開けて、そこからチューブを通じて水分、栄養を補給する処置)の問題があります。最近ではテレビでも取り上げられるようになってきたので、その恐ろしさをご存知の方も多いと思いますが。

中村 以前、胃ろう4年で亡くなった85歳の女性は、手足の関節が曲がったままコチコチに固まってしまい、どこに手足があるのか分からないほどひどい姿になってしまいました。人間の姿をとどめていないような状態ですね。

新田 摂食訓練(自分の口で物を咀嚼して食べられるようにする訓練)をするための時間と余裕が看護スタッフにあるのであれば、胃ろうが効果があることもあるんです。胃ろうを取り外し、いずれ普通に口から食事を摂ることができるようになる可能性がある。しかし、多くはそういうことにはなりません。胃ろうのまま、放置されることがほとんどです。このことは、今の医療システムの問題だと私は思います。口から食べる重要性を認識する必要がある。

中村 私も同じ意見です。
 家族の誰かが、以前に胃ろうを経験したことがある場合、お願いだからそれは自分にはやらないでほしいと、言われることもありました。その結末がどんなものだったか知っているから、あの姿になるのだけは勘弁してほしい、と。

新田 私も在宅医療に携わっていますから、今の病院での高齢者への医療に対して、同じ印象を持っています。先端医療が施され、成功したとしても従来の生活に戻れないことが、高齢者にはあります。
 心筋梗塞は治ったが、寝たきりになる。ガンの手術後、抗ガン剤の副作用で味覚を失い、その後の人生を送るはめになる。入院医療によって、主病名以外の身体環境を悪化させることが多いんです。

中村 その通りですね。

新田 75歳以上の人だと、病院に入ると1日2%は体力が落ちます。普通の人なら1年で落ちる分が、たった1日で落ちてしまう。基本、寝たきりにされてしまうからです

中村 ヘンにウロウロされて、ひっくり返ったりされたら困るからでしょう。

新田 ですから、病院は目的をはっきりさせて、入院治療は必要最小限にしないといけないと思っています。できるだけ早期にリハビリをしないと、どんどん体力を奪われてしまう。

中村 とにかく命さえ救えれば、というのが医療者には絶対的な使命。そのために必要なことはなんでもしようとする。従事者が使命感に燃えれば燃えるほど、患者には苦しみになることも多いんです
 介護でも、栄養のあるものを食べさせることが使命だ、と介護者は思っています。ですから、高齢者が食べたくないと口を開かなくても、むりやり口に押し込んでしまう。健常者でも、食べたくないのにむりやり口に押し込まれたら嫌でしょう。結局、後で吐いて苦しい思いをすることが多い。
 僕など、介護者に「それは拷問だと思わないか」なんて声をかけたりします。目を剥いて怒られますけど(笑)。

新田 家族の過度の要求もあるんですよね。寝たきりの超高齢者が消化管出血をした。便に血が混じっていたというので、検査を要求した。ガンがあるかもしれない、と。でも、ガンがあるとわかったとして、どうするんでしょうか。

中村 寝たきりでも手術をするのか、手術の結果どうなるのか。家族も深く考えないんですね。

新田 一方で医療側の行き過ぎを感じることもある。寝たきりの人が大腿部頚部骨折をしてしまったので、ご家族が手術をしたい、と言ってきたんです。寝たきりなのに、です。それで結局、術後の安静状態が悪い方に作用して、施術前よりも体力がなくなり、身体が弱ってしまったのです。

<大往生したいなら、病院に行くな(2)に続く>

[『週刊現代 第54巻第12号』掲載「全国民必読 特別対談 中村仁一×新田國夫 大往生したいなら、病院に行くな」より]

【なかむら・じんいち/1940年長野生まれ。京都大学医学部卒業。財団法人高雄病院院長、理事長を経て、'00年2月より社会福祉法人老人ホーム「同和園」附属診療所所長。その他、「自分の死を考える集い」も主宰している。近著の『大往生したけりゃ医療かかわるな』(幻冬舎新書)は発売から2カ月で26万部を突破】

【にった・くにお/1944年岐阜県生まれ。早稲田大学第一商学部卒業後、帝京大学医学部に入学。卒業後、帝京大学医学部附属病院、新行徳病院を経て、'90年に医療法人社団つくし会新田クリニックを開設。現在、北多摩医師会会長を務め、認知症の高齢者を中心に在宅診療を行う。これまでに約1000件の在宅看取り経験がある。】
免疫が切り拓くがん治療新時代(5)医療機関の見極めも大事
 もっとも医療機関の質はさまざまだ。治療成績や研究結果を公表しなかったり、患者の癌の特徴を入念に調べることなく治療法を決めてしまう例もある。
 医療費の自己負担も大きなハードルだ。免疫治療は健康保険の適用外で、大半の民間の癌保険でもカバーされない。そのため約3か月で全6回という標準的なケースで、150万円程度の費用はすべて自己負担となる。
 ただし高コストにはそれなりの理由があり、治療費の安さだけで医療施設を選ぶのは危険かもしれない。患者の細胞を操作する免疫細胞治療には、厳重に安全管理された完全無菌状態の空間と、専門の技術者が不可欠だ。さらに免疫細胞を患者の体に戻すまでの数週間、細菌検査と細胞検査を繰り返す。
 より高い効果を導くための技術革新にもコストが掛かる。例えば、一般的には、樹状細胞ワクチン療法に抗原の情報を教え込む際には、樹状細胞と癌抗原を一緒に培養して情報を「自然」に取り込ませる。一方、樹状細胞に電気刺激を与えて細胞膜に瞬間的に穴を開けるエレクトロポレーション法という最新技術もある。
 これを応用したシステムをメディネットから採用した瀬田クリニックグループによると、樹状細胞に開けた穴から抗原情報を強制的に取り込ませるため、通常の10倍以上の情報を取り込める。おかげで目的の癌細胞だけを攻撃するキラーT細胞を従来より数倍〜数十倍多く得られるという。
 癌という巨大な敵に打ち勝つ「夢の治療法」が話題になった(そして消えたいった)ことは過去に何度もある。免疫治療も期待外れに終わる可能性はある。
 それでもこの方法に望みを懸ける研究者は増え続け、多額の資金も流入している。「免疫治療が『第4の治療法』を超えて、『4大治療』の1つになれる日を目指している」と、九州大学の高石は言う。
 日本では3人に1人が癌で亡くなり、アメリカでは毎日1500人が癌で命を落としている。グズグズしている暇はない。
免疫が切り拓くがん治療新時代(4)理論上は癌の「予防」も
 早速、癌ワクチンの投与を受けると9ヶ月後の検査で癌は完全に消滅。ほかにも、手術が不可能な膵臓癌患者5人のうち3人の症状が安定している。「膵臓癌は全身に転移しやすいが、誰一人転移はなかった。驚くべき結果だ」とポプリンは言う。

 早期治療の先に、癌の「予防」という壮大な夢を描く研究者もいる。一説では、免疫細胞は一度覚えた「敵」の情報を忘れないとされる。
 「記憶」の永続期間については議論が分かれるところだが、健康なときに癌ワクチンを投与しておけば、将来癌を発症しても、免疫細胞がすぐに反応して癌を殺してくれるというシナリオも理論上は可能だ。

 ワシントン大のダイシスは、米政府から790万ドルの支援を受け、予防用ワクチンの開発に挑んでいる(普及している子宮頸癌の予防ワクチンは癌を引き起こすウイルスが標的で、癌に対する免疫治療とは異なる)。

 さまざまな可能性を秘めた免疫治療に研究者や患者、製薬企業の期待も高まっている。アメリカの乳癌患者団体「乳癌と闘う全米連合」は、2020年1月1日までに乳癌を根絶するという大胆な目標を掲げるアルテミス・プロジェクトをスタート。一番の近道として、癌ワクチン研究への資金提供を表明した。

 研究開発も急ピッチで進んでいる。FDAは10年、前立腺癌用のワクチン「プロベンジ」を認可(患者自身の抗原を教え込んだ免疫細胞を使う点で免疫細胞治療に近い)。昨年には転移性メラノーマ(悪性黒色腫)に効く「エルボイ」も認可された。
 エルボイは、免疫が本来の力を発揮できないような邪魔する分子を抑え込むワクチン。「免疫系統にかけられたブレーキを解除することで、癌細胞を殺しやすくする」と、テキサス州立大学M・D・ アンダーソン癌センターのパトリック・ホウは言う。

 臨床試験中のものにも有望株は数多くある。米国立癌研究所(NCI)によれば、ほぼ完治が可能な精巣癌から、死に至るリスクが高い膵臓癌や脳腫瘍まで、癌の種類は実に150種類以上。臨床試験の対象となる癌には、従来の医学では手に負えない悪性腫瘍も含まれる。
 NCIのジェームズ・ガリー率いる研究チームは昨年、転移性の卵巣癌と乳癌に癌ワクチン「PANVAC」が一定の効果を示したと発表した。デューク大学では脳腫瘍摘出後の患者にワクチンを投与したところ、生存期間が約1年延びた。「ごく数人の特殊な事例ではない、多くの患者への効果が実証されつつある」と、ワシントン大学のダイシスも言う。

 日本や海外の大学と医療機関に免疫細胞治療の先端技術を提供する日本のバイオベンチャー、メディネットによれば、日本でも最先端の免疫治療を受けられる環境が整いつつあるという。日本の場合、免疫治療は民間の専門医療機関と一部の大学の大学病院で行われており、何らかの免疫治療を受けている患者は年間3万人と推定される。

(免疫が切り拓くがん治療新時代(5)に続く)
[『ニューズウィーク日本版 2012年3月7日 Vol.27 No.9(通巻1290号)』掲載]
免疫が切り拓くがん治療新時代(3)再発や転移を抑える?
 専門家の間でも評価が分かれる大きな背景には、大規模な臨床試験が行ないにくい事情がある。量産できる癌ワクチンはともかく、個別対応が必要な免疫細胞治療では、治療前と後の状態を正確に測定した症例を十分な数確保するのは至難の業だ。
 しかも「免疫治療の効果を正しく評価する方法や指標さえ確立されていない」と、免疫治療の有効性と安全性を検証する臨床研究に取り組む金沢大学の金子周一教授は指摘する。
 免疫治療を癌治療の「第4の柱」として普及させるには、データを収集して科学的に効果を立証する作業が不可欠だ。そうした試みが、各地の医療機関で少しずつ始まっている。
 金子の研究室は、大学病院の敷地内にある民営の金沢先進医学センターと共同研究を実施。同センターでは最新の画像診断装置PET-CTを用いて、免疫細胞治療のすべての症例について治療前後の画像データを収集・分析している。
 また瀬田クリニックグループの調査によると、安定状態を半年以上維持したことを示す「有効率」は25.1%。画像診断で腫瘍が部分的または完全に消失したのは全体の13.3%だった。
 意外に低い?悲観的な数字ではない。癌は非常に複雑かつ高度なメカニズムを持つため、3大療法を含め、万人に効くような治療法はまだ存在しない。
 前述の統計の対象者の大半が進行癌や再発癌の末期患者である点も、成功率が下がる要因だ。彼らは抗癌剤などの標準治療では手の施しようがなく、最後の望みを託して免疫治療を試みる。
 だが癌のステージが進むほど、免疫系統はさまざまな治療や癌細胞の侵食によってダメージを負っており、修復のハードルは高い。「免疫治療だからダメというよりも、免疫治療をもってしても救えなかったというほうが正確かもしれない」と、金沢大学の金子は言う。
 だとすれば、もっと早い段階で免疫治療を施せば、より高い効果を期待できるかもしれない。
 肺癌の手術後に免疫細胞治療を受けた患者の5年生存率は、そうでない患者より20%以上高いという研究もある。手術で取り切れなかった微小な癌細胞を早期にたたいておくことで、再発や転移を抑制しやすいためと考えられる。
 ニュージャージー州ジャクソンに住む広告会社の元幹部ハーバート・ウィリアムズも、免疫機能が弱っていない段階で免疫治療に出合って命拾いした1人だ。彼は10年3月に膵臓癌の手術を受けたが、摘出すれば命に関わる場所に癌があることが分かり、摘出できなかった。
 幸運だったのは、ウィリアムズに癌以外の大きな疾患がなく、免疫機能を損なう癌治療を受けた経験がなかったこと。ニュージャージー癌研究所で癌ワクチンの臨床治験を行う医師エリザベス・ポプリンは、ウィリアムズに「あなたのような患者を探していた」と語った。

免疫が切り拓くがん治療新時代(2)3大療法との相乗効果
 ただし万人向けに人工合成された癌ワクチンの抗原が、必ずしも自分の癌の抗原と同じとは限らない。「多くの人に最大公約数的に効く目印を何種類か用意し、どれかは当たるだろういうのが癌ワクチンだ」と、九州大学先端医療イノベーションセンターで免疫細胞と陽を専門に行う高石繁生准教授は言う。「大量生産できる点で優れている一方、患者の持つ目印と一致しなければ効果は期待できないため、事前の確認が不可欠だ」
 その点、手術で摘出した癌細胞を直接、抗原として使う樹状細胞ワクチン療法(免疫細胞治療の一種)は、究極のテーラーメイド治療と言える。
 まず患者の血液を採取し、そこから得た樹状細胞に本人の癌細胞に含まれる抗原の特徴を教え込む。その樹状細胞を注射で体内に戻すため、より正確な目印がキラーT細胞に伝えらる。
 一方、司令塔を「教育」する代わりに癌と戦う「戦闘部隊」そのものをパワーアップさせる方法もある。代表的なのは、癌を含むすべての異常な細胞を攻撃するT細胞を体外で増殖させた上で、体内に戻す。アルファ・ベータT細胞療法。さらに、司令塔の役割を持ち、異常細胞を広く攻撃するタイプの細胞を増やして戻すガンマ・デルタT細胞療法などもある。
 専門的過ぎて、どの方法がいいのか分からない?心配は要らない。抗原の現れ方や免疫細胞の状態を調べることで、その人の癌に最も効きそうな方法をある程度判断できるという。
 さらに心強いのは、どの方法にせよ免疫治療には目立った副作用がほとんどないことだ。抗癌剤や放射線治療は癌細胞を直接たたく力が高い一方、吐き気や脱毛などの副作用が起きやすく、免疫機能にも大きなダメージを与える。繰り返し使ううちに癌細胞が抵抗力を獲得し、治療効果が弱まる場合もある。
 その点、免疫治療は人体にもともとある免疫機能を利用するため副作用が出にくい。おかげで患者はQOLを維持しながら、癌のあらゆるステージで繰り返し治療を受けることができる。「難治癌であっても、QOLを守りつつ癌の進行を遅らせたり止める効果を期待でき、癌と共に生きていくことが可能だ」と九州大学の高石は言う。
 患者の負担を減らしQOLを守るという免疫治療の特徴は、最近の癌治療のトレンドに沿ったものである。腫瘍をピンポイントで狙う放射線照射など、3大療法でも負担の軽減は重要なテーマになっている。
 3大療法と併用できる点も強みの1つだ。放射線やある種の抗癌剤には癌に対する免疫の働きを高める作用があり、免疫治療との併用で相乗効果が望める。また手術で腫瘍を取り除いた後に、画像診断では分からない微小な癌細胞をたたいて再発や転移を防ぐ効果も期待でき、3大療法を支える基盤になり得る。
 死の恐怖と背中合わせで病気と闘う癌患者やその家族にとって何より気になるのは、「免疫治療で命が助かるのか」だろう。
 残念ながら、現時点ではイエスともノーとも断言できない。冒頭のベーカーのような劇的な例がある一方、大きな変化が見られないまま癌が進行し、死に至るケースも少なくない。
免疫が切り拓くがん治療新時代(1)
 アリゾナ州に住む53歳のシェリー・ベーカーは、本来なら何年も前に友人や家族に最期の別れを告げているはずだった。
 脇の下のしこりを、3人の医師に無害な嚢胞だと診断されてから1年以上たった05年、ベーカーは乳癌の告知を受けた。進行度は他の臓器にも転移しているステージ4.5年生存率は20%以下という厳しい状態だ。
 だが、彼女には死を受け入れる覚悟などできなかった。「私はボディービルが大好きで、健康管理と食事にも注意してきた」と、ベーカーは言う。「病気と闘うと心に決めた」
 未承認の新薬を試す臨床治験について調べたベーカーは、魅力的な選択肢を見つけた。「癌ワクチン」だ。
 癌ワクチンとは、患者の持つ免疫機能に働きかけて癌細胞を封じ込めるための医薬品。06年5月、ベーカーはシアトルのワシントン大学を訪れ、上腕にワクチンを注射。その後5ヶ月間でさらに5回の摂取を受けた。
 あれから5年以上たった今、ベーカーの体内に癌は見当たらない。彼女は絶体絶命のピンチを脱したのだ。
 ニクソン大統領が国を挙げて癌の撲滅に挑む決意を宣言してから、昨年末で40年。癌を切除する「外科手術」、抗癌剤などの薬による「化学療法」、放射線で癌細胞を殺す「放射線治療」という3大療法の技術は格段に進歩したが、癌根絶の夢がかなったとはとても言えない。
 だが最近、数年前まではほとんど誰も想像しなかった選択肢への注目が高まっている。患者の免疫機能を活用し、注射1本で癌に立ち向かう「免疫治療」だ。
 免疫力を高めて癌に勝つ―どこかで聞いた話に思えるかもしれない。確かに栄養のある食品を食べるのも、コメディー番組を見て大笑いするのも広い意味では免疫力の強化につながる。

「司令塔」が攻撃を指示

 だが最近注目の免疫治療は、それらとは次元が違う細胞レベルの最先端医療。ひとことで言えば、体内に侵入した異物を排除する免疫の働きを生かし、免疫細胞が癌を的確に攻撃できるようサポートするという発想だ。
 免疫治療には製薬会社が量産する医薬品である癌ワクチンから、患者自身の細胞を利用するテーラーメイドの「免疫細胞治療」まで多様なタイプがある。どの形態であれ、3大療法に比べて副作用が格段に少ないため、患者はQOL(生活の質)を保ちつつ癌との闘いを続けられる。
 ベーカーと同じ癌ワクチンの投与を受けた転移性乳癌患者21人の多くも、経過は順調。開発者であるワシントン大学の免疫学者メリー・ダイシスが目差すのは、免疫治療で「癌をコントロールし、撲滅する未来」だ。
 もちろん研究はまだ発展途上で、すべての人を救える魔法の万能薬には程遠い。日本では健康保険の適用外で、高額な医療費がかかる点もネックとなる。
 それでも、この試みが癌との闘いに革命を起こす可能性を秘めているのは確かだ。製薬会社はこぞって癌ワクチン開発に乗り出し、アメリカでは前立腺癌などに効く癌ワクチンが米食品医薬品局(FDA)の認可を取得して広く使われ始めている。免疫細胞療法に関する臨床研究も進行中。この動きは、日本など各国にも広がっている。
 「この10〜20年の間に免疫の仕組みが解明され、実用化が進んでいる」と、日本における免疫細胞治療の先駆けである瀬田クリニックグループの臨床研究センター長、神垣隆は言う。「免疫のメカニズムにのっとって癌と闘う時代になりつつある」
 まず基本的な免疫の仕組みを押さえよう。細胞の表面にはタンパク質でできた目印があり、血液中の白血球に含まれる免疫細胞はこの目印をチェックして攻撃対象か否かを判断している。
 細胞が癌化すると、表面に異常を示す目印(抗原)が出現。「司令塔」となる樹状細胞(免疫細胞の1つ)がそれを認識し、「戦闘部隊」のキラーT細胞に命じて癌細胞を攻撃させる。
 この段階で消滅する癌細胞も多いが、一部は監視の目をくぐり抜けて勢いを増し、やがて免疫細胞の手に負えないほど増殖する。そこで免疫細胞に人為的なパワーを与え、癌を押さえこもうというのが免疫治療だ。ベーカーに投与されたような医薬品タイプの癌ワクチンは、タンパク質やそのかけらであるペプチドで、抗原と同じ分子を人工的に合成したもの。人工合成された抗原が注射されると、樹状細胞がそれを「敵」と認識してキラーT細胞に攻撃を指示。キラーT細胞がその名の通りベーカーの癌細胞を殺したのだ。
柳田邦夫 連続インタビュー「愛する人を看取る4つの約束」(4)-7
「書く」ことは生きること

 もし私が樋野先生の提案するメディカル・カフェの相談員になることを引き受けたら、どんな会話ができるだろうか。おそらく私は助言者となるよりは、ひたすら人生の物語に耳を傾ける傾聴ボランティアのような対応をすることになるだろう。そんななかで、もし私が葛藤や不安をかかえる患者に助言的なことを語るとすれば、「何か自分を表現する手段を持つといいですね」ということぐらいだろうか。
 表現手段としていちばん手近なのは、「書く」ことだろう。闘病日記、俳句、短歌など、自分に合ったものを選んで、毎日あまり肩をはらずに書くのだ。村越化石氏の人生を支えたのは、既述のように俳句を詠むことだった。「書く」という行為は、自分の混沌とした内面を少しでも整理して客観化し、それを見ることで、自分の生の証を確認し、生きるエネルギーを獲得する作業なのだ。
 もちろん表現とは「書く」ことだけではない。歌うこと、踊ること、絵を描くこと、写真を撮ること、あるいは自分の人生観を満足させるものなら仕事や研究を続けることも、表現する活動ということになる。
 そう、神奈川県には、がんが進行しても小学校に点滴ビンを下げて登校し、子どもたちに自分の病気について語り、命について語り続け、死の数日前まで身を退くことをしなかった校長先生がいた。函館では、味自慢の小さな中華料理店を営んでいたご主人が、がんが進行すると、奥様と息子さんに店を継がせようと、死の半年前から2人に必死の思いで料理法を伝授し続けて逝った。奥様と息子さんはその後、しっかりと中華料理店を営んでいる。
 私の遠縁にあたるおばあちゃんは、79歳の時、難治性大腸炎で80歳の誕生日を迎えるのは無理とみられていた。おばあちゃんは亡き夫から教わった俳句を詠むのが生きがいで、自宅の病床に伏していても、俳句手帳と歳時記を枕許に置いていた。息子や娘たちがあばあちゃんの80歳の誕生祝いを目差して、私家版の句集を作ってあげようと、おばあちゃんの部屋で句を選んだり本制作の作業をしたりし始めたら、おばあちゃんは生き生きとしてきて、とうとう80歳の誕生日を迎え、箱入り豪華版の句集を手にすることができた。
 こうしたエピソードの数々は、人間は物語を生きる存在であることの証明以外の何ものでもなかろう。
 この原稿の執筆中、間もなく米寿を迎える俳人・村越化石氏から、原稿の進行を励ましてくださるかのように新しい句集『団扇』(角川学芸出版)が送られてきた。村越氏の静寂に満ちた生の姿を彷彿とさせる2句を引用させて頂いて、ペンを置くことにしたい。
  <熟すまでいのち端座す柿一つ>
  <また生きてまたまた生きて冬帽子>

<文藝春秋「柳田邦夫連続インタビュー 愛する人を看取る4つの約束」>より
柳田邦夫 連続インタビュー「愛する人を看取る4つの約束」(4)-6
「幸せな再生、そして共生」へ

 以上のような考察を経て、あらためて「幸せな死」という命題を「二人称の死」の視点でとらえ直すと、「愛する人」の他者である自分は、「愛する人」の死を「人生の最終章の生き方」から「死の瞬間」までのプロセス全体を他者として見て命題の答えを出すにしても、実はそれだけでは最終的な結論とはならなくなる。「愛する人の死」は、死後、今度は他者としての自分の目に映った姿だけでなく、自分の心のなかに生じた喪失感とそれからの再生のプロセスまでをも含めて、命題に対する答、「幸せな死」だったかどうかという答を考えなければならないからだ。
喪失感に打ちひしがれている時、「愛する人の死」を「幸せな死」だったと言えるだろうか。おそらくそんなゆとりはなく、逆に「可哀そうなことをした」といった沈痛な感情や、「何もしてやれなくて申しわけない」といった呵責の念などにとらわれて、思考の柔軟性は失われているだろう。そして、やがて死者が心の語らいの相手として甦ってきた時には、もはや「愛する人の死」が「幸せな死」であったかどうか考えるよりも、生死を超えて自分と一体となった「愛する人」とともに、新しい人生を拓くことに心を砕くようになる。それは、「幸せな死」から「幸せな再生、そして共生」への転換としてとらえるべき段階に入ったことを意味すると、私は考える。
 ところで、樋野興夫先生が始めた哲学外来が何週間か先まで予約でいっぱいという現実を、どう解釈したらよいのだろうか。私はこう考える。医師は患者の病気―病状や治療法や治療の結果の見通しや予後の見通しなどについて、医学の論理で判断し(それはそれで重要なのだが)、その範囲で患者と会話をする。その会話のなかでは、病気をかかえていかに生きるべきかといった人生論について語り合うことはない。もちろんそうした会話を大事にする医師も、少なからずあちこちにいるのだが。
 これに対し、患者は物語を生きる人間として、病気が自分の人生の物語にどのような影響を与えるのか、物語の筋を大きく変えなければならなくなるのか、といったことを考えながら、医師との会話に期待をかける。とりわけがんが進行した場合などには、その期待感は大きい。ところが、医師はその物語の文脈には関心を示さないで、医学の論理の範囲内で会話をする。だから両者はまるで噛み合わない。
 そこで患者・家族は、自分たちの物語に耳を傾け、頷いたり助言してくれたりしてくれる専門家を求めることになる。それが哲学外来を訪ねる患者・家族が多いことの背景にある問題ではないかと思うのだ。

(柳田邦夫連続インタビュー「愛する人を看取る4つの約束」(4)-7に続く)

<文藝春秋「柳田邦夫連続インタビュー 愛する人を看取る4つの約束」>より
柳田邦夫 連続インタビュー「愛する人を看取る4つの約束」(4)-5
死者の甦りとは

 三番目に登壇した大阪大学総長の哲学者。鷲田清一先生は、「『死なれる』という経験」という意表をつく演題で、「死ぬ」「泣く」といった自動詞には受身形はないはずなのに、身近な人間関係のなかで、「死なれる」「泣かれる」という受身形の表現が使われる日本語のユニークさから、「愛する人の死」に哲学的な考察を加えた。
 要点を記すと、人は無意識のうちに、語らいの相手である他者が自分の存在を認めてくれることで、他者にとっての他者である自分を確認している。(ちなみに、子どもであれ大人であれ、自分が「無視される」ことほど辛いいじめはない。自分がいてもいなくてもいい存在になると、生きる支えがなくなり、消えてしまいたくなるほどの強烈なダメージを受けるからだと、わかりやすく捕捉された。)
 そうとらえると、「愛する人」に「死なれる」とは、自分の存在を認めてくれる他者を失うことだということになる。日本の言葉は何と含蓄のある豊かな表現をすることか。しかし、「愛する人」が死者となっても、心の語らいが再生するなら、それは新しい生き方を考えさせられる語らいになるだろう。人間はケアをし合う生き物、存在を送り合う生き物ということができよう。―
 鷲田先生のこの所説は、私が25歳で自死した息子と際限なく行なってきた心の語らいの実感と寸分の狂いもなく一致するものだったから、私は鷲田先生の言説の一つ一つに何度となくうなずいたものだった。
 そして、4番目の上智大グリーフケア研究所所長の高木慶子先生は、阪神淡路大震災で子どもを亡くした母親のグリーフケアやJR西日本の福知山線脱線事故の被害者・遺族のグリーフケアに実際にかかわってきた様々な事例経験を背景に、死がもたらすものについて深い語りをした。
 「愛する人を喪失した時、人は自分自身にとって真に大切なものは何かを理解する」「喪失による悲嘆の時は、人生の意味を考える機会なのだ」といった珠玉の言葉が、次々に提示されたが、とくい鷲田先生との言説との関連で私の心をとらえたのは、19世紀の思想家キェルケゴールの『死に至る病』から引いた「愛する者との再会なしには絶望が残るのみだ」という言葉だった。その「絶望」を超えるのを可能にするのは、何か。その回答は、鷲田先生が示していた。「死者が心の語らいの相手として存在感を取り戻すなら」と。
 このフォーラムで最も深い学びを得たのは、とりもなおさず企画をした私自身だったような気さえもしたものだ。

(柳田邦夫連続インタビュー「愛する人を看取る4つの約束」(4)-6に続く)

<文藝春秋「柳田邦夫連続インタビュー 愛する人を看取る4つの約束」>より
柳田邦夫 連続インタビュー「愛する人を看取る4つの約束」(4)-4
半身を剥ぎ取られる痛み

 私はこのインタビュー企画の進行と並行して、現代の医療者と宗教家とが手を結ぶことによって人々を病苦と死の不安から救済しようというプロジェクト「21世紀高野山医療フォーラム」のプログラム作成の詰めに入っていた。このプロジェクトは、製薬などの事業を展開する株式会社新日本科学の社長で真言宗の僧の資格を持つ永田良一氏の個人的寄付金を基金にして、6年前に発足したもので、講演やシンポジウムなどで集中的に1日か2日の日程で行うフォーラムを毎年1〜2回、大都市か高野山で開いてきた。
 運営方針は医療、看護、宗教など関係分野の識者による理事会で決める。私はそのコーディネーター役を担ってきた。高野山真言宗が基金の運用母体であっても、フォーラムは宗教の種別や宗派にとらわれないで、各界から幅広く演者やシンポジストになって頂いてきた。この10月11日に大阪で開かれた今年のフォーラム(参加者1200余名)のプログラムは、「生と死」の問題を考える原点になる「私の死、愛する人の死」をテーマに、4つの講演と1つのシンポジウムを行なった。そのことをここに記すのは、講演の一コマ一コマから、私が本誌に書こうとしていたことに肉付けしてもらうような言葉を聞くことができたからだ。プログラムの枠組みとお招きする講演者を決めたのは私だが、実際に講演していただくと、その内容は想定以上に密度濃く、しかも4つの講演がしっかりと繋がり、内容も増幅し合うものだった。
 まず、現代における空海研究の第一人者である高野山大学名誉教授の静慈圓師は、「現代に生きる空海〜今、生老病死を問いなおす〜」と題する講演のなかで、自ら若き僧だった頃、徳島の地で死者の家族に語っていたことに触れ、「今にして思えば、それはグリーフケアに相当するものだった。現代の僧は、病苦や死の問題を病院に任せ、死後の対処は葬儀社にまかせ、医学は死を敗北としてしかとらえない。病院死が圧倒的に多い今、家庭は生老病死を学ぶ場でなくなってしまった。そういう時代になればこそ、僧がやるべきことは、死についてあらゆる場で話すことだ」という趣旨のことを述べられた。そして、空海の生老病死観を語るなかで、空海は仏法に依存したが、生老病死の仏法について、「それ仏法ははるかにあらず、自分の心のなかにあり」と語ったことを紹介した。
 次いで登壇した国立がんセンター名誉総長の垣添忠生先生は、本誌でも語ってくださった「妻を看取る日」のことを、奥様の闘病、帰宅と死、自らの挫折と再生の三部に分けて感銘深く語り、そのなかで、自分はがん専門医として多くの患者を看取り、死別の辛さと悲しみを知ったつもりでいたが、人生を共有してきた伴侶を喪うことが自分の半身を剥ぎ取られたに等しいような激烈な痛みに襲われることになるとは思わなかったと、「二人称の死」の苛酷さを吐露した。そして、心の再生のプロセスを語った後で、「私の人生は変わった。これからは国の対がん戦略の重点課題に、在宅ケアとグリーフケアの普及を加えるよう力を尽くしたい」との決意を明らかにしたのだ。

(柳田邦夫連続インタビュー「愛する人を看取る4つの約束」(4)-5に続く)

<文藝春秋「柳田邦夫連続インタビュー 愛する人を看取る4つの約束」>より
柳田邦夫 連続インタビュー「愛する人を看取る4つの約束」(4)-3
「生と死」のポジティブな意味

 今回の対談のなかで、垣添忠生先生が奥様を亡くされた後に辿った、心の中での奥様の再生や、秋山正子さんがお姉様を亡くされた後に、様々な気づきから在宅ケアに新しい人生を拓いていった歩みを見ると、グリーフワークの営みは、単に悲しみを癒すといった狭い次元のものではなく、残された者が喪失の衝撃と深い悲しみととことん向き合ううちに、それを内面的にも社会的にも深みと広がりのある新しい人生を拓くエネルギーに変えていく心の作業なのだと言える。
 「人間は物語らないとわからない」と教えてくださったのは、臨床心理学者だった故・河合隼雄先生だ。もし人間の死を生物学的あるいは医学的な次元だけでとらえるなら、緩和ケアによって患者の痛みや苦しみを取り除いても、それはただ生理的に楽になったという結果をもたらすだけであって、他者の人生には無縁のことだろう。しかし、医療者や親しい人々が患者を知性や感情を持った物語を生きる者としてとらえ、苦悩や絶望といった心の営みをも支えるケアに取り組み、病者自身も人生の最終章を心豊かに生きようとする日々を過ごすなら、そこに生み出される物語は、残された人の心の中で反芻され、生き方を変え人生を大きく膨らませるほどの影響力を発揮するだろう。
 人が何かを希求してひたむきに生き、その意識を大事にしていると、不思議なことに、向うからまさに求めていた出来事や人との出会いの機会がやってくるものだ。だから、こうすればこうなるはずだといった因果律をあてにした考え方あるいは合理主義的な考え方にとらわれることなく、ただひたむきに生きたほうがいい。私はそんな人生観の持ち主だ。
 だから、こんな俳句が大好きだ。
 <向ふから俳句が来るよ冬日和>
 18歳でハンセン病にかかって隔離された療養所に入り、社会から完全に疎外されて青春も人生も奪われても、俳句を詠むことで自分を見つめつつ、87歳の今日まで生き抜いてきた俳人・村越化石氏の熟年期の句だ。今回のインタビュー企画に取り組む少し前にも、まるで企画の指針を教えてくれるような一冊の本との出会いがあった。聖路加国際病院で長年にわたって小児がんなどの子どものターミナルケアに取り組んできた細谷亮太先生から、書き下ろしの新著『生きようよ 死んじゃいけない人だから』(岩崎書店)が送られてきたのだ。忘れられない病気の子どもたちのことや、そうした子どもたちを支える医師の道に進むことになった生い立ちと青春時代の回想を心に染みるエピソードをとおして綴った手記だ。私に指針を与えてくれたというのは、次のようなエピソードと文章だ。
 ある時、自分の命がもうわずかしかないことを知った19歳の患者しほちゃんが、海外に出張中のお父さんにお別れを言いたいと、電話をかけて、こう言う。
 「また生まれ変わったら、おとうさんの子になってあげるからね」
 そして、お父さんとお母さんの子に生まれてしあわせだった、とても楽しかったと、感謝の言葉を伝えたという。電話の向こうからは、「しほーっ!」と号泣するお父さんの声がひびく。「泣き虫」と自ら言う細谷先生は傍で涙を禁じえなかったという。そして、こう記すのだ。
  <死を前にしてさえ、思いやり、優しさを忘れなかった子どもたちを思い出すたびに、
  ぼくはきちんと生きなければならないと感じます。>
 死者の魂が残された者、次に生きる者の心のなかで生き続け、その人生を膨らみのあるものにするというのは、誠に真実だと私は思う。
 死んでいった人々とその人々を支えた人々の日々の話を聞く度に、人間の生涯は一編の長編小説に匹敵する物語になっていると、いつも思う。そして、人間の「生と死」の営みとその魂の他者への伝達の大きな流れを人間性高揚の物語としてとらえた時、死の持つポジティブな意味がくっきりと見えてくるのだ。

(柳田邦夫連続インタビュー「愛する人を看取る4つの約束」(4)-4に続く)

<文藝春秋「柳田邦夫連続インタビュー 愛する人を看取る4つの約束」>より
柳田邦夫 連続インタビュー「愛する人を看取る4つの約束」(4)-2
「愛する人の死」が生むもの

 では、「二人称の死」つまり「愛する人の死」の場合は、どうか。夫婦、親子、兄弟姉妹、恋人などの死の場合だ。「二人称の死」には、「一人称の死」とは全く違う二つの課題がある。一つは、愛する人がよりよい死を迎えることができるように、ケアしながら、医療者にしてほしいことやしてほしくないことを伝えなければならないという任務だ。
 もう一つは、「愛する人」を喪った後、どう生きるかという課題だ。心のなかにもう一つの死が生じる。心の中にぽっかりと生じた空洞を、どのようにして埋めればよいか。これはなかなかに重い課題だ。最近グリーフワーク(悲しみを癒す仕事)あるいはグリーフケアという言葉が一般の人々の間にも徐々に知られるようになってきた。1967年創設のロンドンの聖クリストファーホスピス以来、先駆的にホスピスケアが広がったイギリスやアメリカでは、末期患者だけではなく、残される家族に対しても、ケアの対象にする取り組みがはじめからなされてきた。
 しかし、日本では緩和ケアの取り組みが遅れ、1990年代になってようやく広がり始めただけでなく、医療者の意識のなかで緩和ケアというと、患者の身体的苦痛の軽減だと考える傾向が支配的だった。もちろん緩和ケア病棟や在宅ホスピスに取り組む医療者のなかには、家族のケアにもかかわる人々が増えているのだが、一般病棟の医療者は様々な病気を治療するのと同じような眼で、末期患者の病状だけに目を向けるという傾向が圧倒的に強いのだ。今でも、病院で肉親を看取った家族の話を聞くと、その傾向はほとんど変わっていないという印象を受ける。
 ともあれ、「二人称の死」の場合、家族は否応なしに愛する人の「死の瞬間」「命が途絶えるプロセス」を厳然とした事実として見てしまうし、その人が最後の歳月をどのように生きたか、つまり「人生の最終章の生き方」から「死の瞬間」までの全体を見て感じ取ることになる。
 ただ、ここで重要なのは、全体を見て判断すると言っても、看取りを終えれば、旅立った人にとって「幸せな死」だったかどうかをすぐに評価できるという性質のものではないという点だ。「死の瞬間」は本人に意識はないのだから、痛みも苦しみもなく呼吸も心臓も止まったのなら、まずは安らかな死とすることができるだろう。
 しかし、「人生の最終章の生き方」となると、家族なり恋人なり、二人称の立場の人が必ずしも死者の日々のすべてをみていたわけではない。死別直後は呆然となって、最後の日々何があったのかについて、自分がかかわった側面でさえ、思い出せないものが多々あるだろう。やがて月日が経つにつれて、いろいろな出来事などが記憶の彼方から甦ったり、亡き人の友人などから思いがけないエピソードを聞かされたりして、亡き人の最後の生き方の全容が浮かび上がってくる。そのような時間の流れのなかで、亡き人の最後が「幸せな死」であったかどうかようやくとらえることが出来るようになるのだ。
 このようにして、亡き人の最後の生き方をたどるなかで、残された者が亡き人の生き方や存在感にあらためて心を揺さぶられるなら、その人のグリーフワークは一歩を歩み出したととらえることができるだろう。

(柳田邦夫連続インタビュー「愛する人を看取る4つの約束」(4)-3に続く)

<文藝春秋「柳田邦夫連続インタビュー 愛する人を看取る4つの約束」>より
柳田邦夫 連続インタビュー「愛する人を看取る4つの約束」(4)-1
死は人生の物語を跳躍させる 柳田邦男

「幸せな死」とは

「幸せ」とか「幸福」という言葉は、深く考えるとやっかいなところがある。「僕は幸せだなあ」と誰かが言ったとする。状況によりけりだけど、そう口にしたとたんに、「幸せ」という言葉がどことなく安っぽい歌の歌詞のような空疎な響きになってしまう。リアリティが感じられないのだ。
 しかし、誰かがそこにいない人について、「彼は幸せになれてよかった」といった使い方をすると、違和感なく「そうだね」と共感することができる。一人称の文脈のなかでは空疎感が出てしまうのに、三人称の文脈のなかで使われると、上っ面だけでない納得感があるというのは、どういうことなのか。
 おそらく「幸せ」とか「幸福」というものは、言葉にして表現する以前の内面世界において満ち足りた感情に浸りきっていられる状態なのだろう。たとえて言うなら、母親のお腹のなかで羊水に包まれた赤ちゃんが温もりと安心感と信頼感にひたっている状態。安易な言葉では表現し切れない、全身に染み渡るような状態であるがゆえに、本人が語るからにはよほど感覚的に豊かな表現をしない限り秘めたる内実とまるでかけ離れたものになってしまう。そのあたりに、本人が「幸せ」などという安易な言葉を使うと、たとえ本当に幸せであっても、空疎な印象を与えてしまう理由があるのかもしれない。
 これに対し、誰かが他者のことを「彼は幸せだ」という時は、自らはそういうことのない一人の人間の状態全体を暖かく包む言葉として表現しているがゆえに、違和感が生じないのだと思う。

 では、「幸せな死」という時、「幸せ」の内実はどのような状態を指しているのか。この問題を考えるには、まず「死の人称性」について理解しておく必要があるだろう。人称性とは、誰の死かということだ。
 「一人称の死」とは、「私の死」のことだ。自分の死を迎えるにあたっては、二つの課題がある。一つは、思い残しのない人生を完結させるために、残された月日の長さを念頭に置いて、最低限これだけはやっておこうとするものを絞り込んで実行することだ。
 もう一つは、最期の段階になった時、痛みや苦しみのない穏やかな状態で死出の旅に出られるように、医療者にリビングウィル(生前の意思)をしっかりと伝えておくことだ。しかし残念なことに、死を迎える時には意識はないから、「私の死」について、「幸せな死」だったと自分で語ることはできない。だから、「私の死」について自ら語れる(語り遺せる)のは、死を前に「私はこう生きようとした」ということだけ、あるいは「やりたいことは、まあ何とかやれた。いつお迎えが来てもいい」ということだけだ。この場合は、「幸せな人生の最終章だった」と自分で語ることはできるだろうし、その意味でなら、まだ死は訪れていなくても、「ぼくは幸せな死を迎えることができた」と自ら言っても、身近な人に空疎感を与えることはないだろう。

(柳田邦夫連続インタビュー「愛する人を看取る4つの約束」(4)-2に続く)

<文藝春秋「柳田邦夫連続インタビュー 愛する人を看取る4つの約束」>より
柳田邦夫 連続インタビュー「愛する人を看取る4つの約束」(3)-3
人間は役割と使命で生きる

柳田 人間・植物関係学会という小さな学会があります。人間は地球環境、とりわけ植物との関係が非常に濃密な生物で、日本の文化といえば「万葉」以来、精神文化の上でも大きな意味を持ってきた。この学会で過半を占めているのが、園芸療法をやっている研究者の方々なんです。
 話を伺っていると、園芸療法ががんのケアの世界に入ってくると、面白いことになりそうだと感じますね。あるがん患者の在宅闘病記に、「明日僕の命がなくなろうとも、今日花に水をやろう」という言葉があったんです。今日という日を大事にして、前向きに水やりをすることで生きるというのは、とっても素晴らしい。

樋野 趣味にせよ生きがいにせよ、自分の使命がある限り、そう簡単に人間は死なないのではないでしょうか。人間は誰でも、それぞれの役割と使命があるという立場に立つと、生きなければというモチベーションが生まれてくる。たとえば孫を何とか立ち直らせたいと思う人は、がんの痛みがひどくても、外に心が向いている。関心とはすなわち愛です。植物でも人間でも、対象に愛を持ち、何らかの働きかけをすることは大切だと思います。

柳田 先生の提言の中でとても大切なのが「天寿がん」。医療の進歩によって
がんの完治はできなくても予後を長くすることはどんどん可能になっている。特に高齢化社会では、70歳でがんになっても、85歳ぐらいまで生き続ければ、がんにならなかったとしても、死ぬと死を迎えただろうと。

樋野 天寿がんを最初に言い出したのは癌研の北川知行先生で、北川先生の定義は少し違いますが、それはともかく、いまやがんは慢性病になりました。家族性大腸腺腫症という病気は、若き日に出来たポリープから大腸がんになる確率はほぼ100%。ところがどういうわけか60歳を過ぎるとおとなしくなる傾向がある。天寿がまっとううできるということなんです。

柳田 天寿がんの時代になると、新薬を使うか使わないかという二者択一ではなく、中間的なかたちの、別のインフォームド・コンセントがあっていいと思うんです。言い換えるなら、ドクターが病気をどう捉えるかが問われるようになってくる。病気を単なる医学的な事実として見るのか、患者の人生の文脈において見るのか。

樋野 ひじょうに重要な論点だと思います。がんになった患者さん、おひとり、おひとりに個別の人生があるのは当然で、治療する側もそこを尊重しなくてはならない。しかし残念ながら、日本の医学生でそうした訓練を受けている人は少ないのが現状です。講義科目にありませんから。
 病院の外に「メディカル・カフェ」のような場所を作って、皆でお茶を飲みながら、患者と医療者が対話する場があるといいのですが……。

柳田 いいですね(笑)。私はつねづね、医学教育の中に、人間に対する限りない興味と愛を学ぶカリキュラムが必要だと思ってきました。臨床現場に即した、医学生のための人間愛学講座見たいみたいなものを、大学から離れたところでやってみる。そうした小さなフォーラムから、やがては医学界のオピニオン・リーダーが育ってくれれば、医学界の体質を変え、文化をも変えていくことにつながる。

樋野 新渡戸稲造は一校の校長のとき、週に一度近くのアパートを学生に開放し、30人くらいの学生が溜まって議論を交わしていたそうです。
 新渡戸はただ黙って座って聞いている。僕のメディカル・カフェのイメージも似ています。がん患者がいつでも出入りして、そこにいるスタッフに相談できる場所。やりませんか、柳田先生(笑)。

柳田 どこか少なくとも30人ぐらいは入れる喫茶店を夜だけ借り切って、毎週あるいは月に1回、対話スペースに利用する方法もありますね。

樋野 医療現場で必要なことは、「対話」だと思います。メディカル・カフェはまさに対話の場です。がん哲学外来では、小学生にお茶を持ってきてもらうんです。患者や家族とシリアスに話していても、小学生が入ってくると話は自然と中断して、患者はお茶を運んでくれた子供に「ありがとう」と言い、子供も恥ずかしそうに「どうぞ」と渡す。この思い出を子供は一生忘れないでしょう。
 医学部の学生だけではなく、今の日本では困っている人に話しかけるという習慣がありません。たとえば末期がんの患者さんの横に、30分いることができない人がほとんどです。沈黙や重い空気に耐えられなくなって、10分かそこらでトイレに逃げ込んでしまう。若い人ほどそうだと思いますね。外国の人はそうではなく、患者さんの手を握ったり、何か話しかけたり、自然なかたちで病室に居る方が多いですよ。

柳田 昔の子供はお祖父ちゃんやお祖母ちゃんの死に顔を見て育ったけど、今はそういうことありませんからね。

樋野 僕が19歳のときに出会った人がいつも僕に言ったのは、「大学にきたいするものではない、街で期待せよ」と。ですから、東京の街のどこかにそういう場を作って、若い医学生もがん患者でもふらっと入れるようにする。これこそが、がん哲学外来の究極的な姿だと考えているんです。


<文藝春秋「柳田邦夫連続インタビュー 愛する人を看取る4つの約束」>より
柳田邦夫 連続インタビュー「愛する人を看取る4つの約束」(3)-2
がん細胞は不良息子

柳田 先生の『がん哲学外来の話』(小学館)というご本など読みますと、病理学者としてがん細胞を見る眼が、人間を見る眼に見事に応用されていると感じます。たしかに人間は、樹木や細胞など外の世界と同じように、心の中に樹皮のような皺や襞(ひだ)を持っている。両方見ているから、さまざまな名言が出てくるんでしょうね。たとえば「人間死ぬのは確実、いつ死ぬかは確率」とか、「使命感次第で寿命は伸びたり縮んだりする」とか。まるで先生が、臨床心理学の専門家みたいな目を持っておられる。

樋野 いやいや……(笑)。僕が癌研時代の2003年に吉田富三の生誕百周年イベントをやるようにと、菅野晴夫先生に言われたことがきっかけなんです。そのときに吉田直哉さんという息子さんに……。

柳田 私のいたNHKの先輩ディレクターでした。

樋野 彼に会う前に吉田富三の本を読んでいたら、「がん細胞で起こることは人間社会にも起こる」というフレーズがあったのですが、そのときは頭の中を素通りでした。ところが吉田家に伺って、直哉さんから吉田富三の人となりを学ぶうちに、そのフレーズが身近なものとして理解できるようになったわけです。

柳田 先生は、がん細胞を不良息子にたとえたりなさっている。おもしろいです。

樋野 内なる細胞が、がん化しているわけですから、がん細胞の顔つきは、不良息子そのものです(笑)。例えててみれば、覚せい剤を止められない不良息子に、そう接すればいいのか……。それががん細胞との共存ということともつながってくる。家を出ないまでも、覚せい剤だけはやめてほしい。覚せい剤をやめれば家族が声をかけられるようになるので、本人に笑顔が浮かぶ。すると今度は、近所の人が声をかける。そうなれば本人もおとなしくなる……こうして、がん細胞は自然と退縮するものなんですね。

柳田 今の時代、一般の患者さんや一般市民は、現代医学はなんでも明快に説明し、治療してくれると思っているから、曖昧さを受け入れない。そんな中で、先生の名言集にある「曖昧なものは曖昧なままに考える」ことは、なかなか難しいように思うのですが。

樋野 今の若い先生は、はっきり言いすぎだと僕は思います。僕たちが若いときは、正直、がんを告知するにしても実情よりは軽めに言っていましたよ。例えば、進行胃がんも早期がんと伝えました。でも今は、若い医者ほど重く言う傾向があります。

柳田 最悪の事態を伝える。

樋野 そう、訴えられたときのことを想定しているからです。

柳田 一生懸命勉強している先生ほど、医学的に正確に伝えることが、患者さんに対する最大のサービスだと思ってしまう。けれど、正確さ以外の、医師の経験やデータで表せない知などは、必ずしも患者に伝わりません。それをどうやって伝えるか、そして、「誰が伝えるのか」が問われている時代です。

樋野 おっしゃる通りです。この哲学外来にも、入室したときから涙を流している人がいます。こういう人にインフォームド・コンセントの説明をしても、到底頭に入るはずがありません。そんな時は、幼稚園の先生に説明してもらいたいと考えたりします。

柳田 えっ?

樋野 同量のコップの水を細長い筒と平たい容器に移し変えたとき、どちらの水が多いかと聞くと、たいていは「同じ」と答えるのに、6歳以下の子供のなかには「筒の長いほうが多い」と答える子がいるんですよ。がん患者でパニックになっている人の中にも、同じ答えをする人がいる。身体感覚が幼稚化しているわけです。だから僕は、動き回る子供を上手に忍耐強く説得する幼稚園や保育園の先生のスタイルが、がん患者にも有効じゃないかと考えているんです。

柳田 なるほど。医者と患者の間にも通訳が必要だということですね。

樋野 そうです。アメリカには、ペイシャント・アドボケートと呼ばれる方がいて、通訳のように医者と患者の間に立って、相互理解を助けています。文化も言語も多様だからということもあるでしょうけれど、日本にも必要だと強く思います。

柳田 ある障害児出産の例ですが、二分脊椎という重度の神経障害を持った子が生まれたときに、医師が「学会論文を調べると、24か月生きた報告があります」と言ったそうです。すると母親の頭に響くのは「24か月、2年!私の子供は2年しか生きられないのか」。この言葉で、親子心中まで考えたというんですね。
 ところが、別の障害児をアメリカで出産した方の話ですと、ドクターが「あなたたちご夫婦は、神様が、この子を育てるのにふさわしい資格と能力がある方としてお選びになったのです。慈しみ深く育ててあげてください」というわけです。しかもアメリカではファーザーズ・プログラムといって、動転しているであろう父親のカウンセリングをしてくれるセラピストまでいるというんです。感心しました。

樋野 がん哲学外来をやっていていちばん問題だと思うのは、家族が同じ部屋に30分と一緒に居られないことです。だから会話が成立しない。
 この間も、こんなケースがありました。お父さんががんになって在宅で治療しているのですが、今までは夜遅くに帰ってきていたお父さんが、病気になってからは毎日家にいる。家族で久しぶりに一緒に夕飯を食べるようになると、お父さんが子供の箸の使い方を注意し始めた。子供にとっては、これまでにない経験なので苦痛だからと、とうとう別の部屋に行くようになってしまった。奥さんは、旦那の言い方が冷たすぎると感じ、段々もう顔を見るのもいやになって……、というんです。時には、「これは地獄だ」と感じられてならないほどの事例を耳にすることもあります。がんという病気が原因になって、家族関係を壊してしまう現実があるのです。

柳田 日本の男性は会社で激しい生存競争にさらされ、若い部下を注意したり、自分が尻を叩かれたりしてストレスを溜めてゆく。そのストレスを家に持ち込むわけですね。これは根源を辿ると、男の産休・育休の問題に行き着くんです。子供が生まれたときから、夫が家事や家族関係を妻と共有するという文化にしないと、根本的な問題は何ひとつ解決しません。

樋野 そうした文化がないのに在宅医療をもてはやしても、家族の皆が苦痛なだけです。ある訪問介護ステーションの女性所長は、夫の父親ががんになった時に、親族から、あなたは他人の面倒はみられるのに義父の面倒はみられないのかと批難されたそうです。それでステーションの所長を辞めて、看護に専念して家に入ったものの、心から看病はできない。それで鬱的になってしまった。
 自分の家で24時間ずっと面倒をみるのは、そう簡単なことではない。やっぱり他人にみてもらった方がいい部分もあるんです。

柳田 僕もそこははっきりしていて、社会資源使うべし、と考えています。血のつながった家族が介護べきという古典的な時代はもう終わったんです。家族の介護では、嫁だの舅だのと複雑な感情が絡んで、ケアする側に、「自分が犠牲になっている」といった負の感情が生まれてしまう。特に核家族化、少子化が進み、若いマンパワーが減っている日本では、社会資源を共有してケアするシステムを作るべきです。

樋野 確かに、日本に本当に合った在宅医療はどうすべきかということを考えないといけない時代だと思いますね。

(柳田邦夫連続インタビュー「愛する人を看取る4つの約束」(3)-3に続く)

<文藝春秋「柳田邦夫連続インタビュー 愛する人を看取る4つの約束」>より
柳田邦夫 連続インタビュー「愛する人を看取る4つの約束」(3)-1
がんでも「天寿」は全うできる 樋野興夫(順天堂大学教授)

柳田 先生が2年前に順天堂大学病院で始められた「がん哲学外来」は、横浜、柏、東久留米、福島にも広がっていますね。

樋野 開設以来約300組、家族を含めると約600人と接してきたことになります。そのほとんどが再発や転移をした方で、皆さん、相当のマイナス思考です。そこで自分のマイナスはそのままにして、別のマイナスと掛け合わせる。つまり、外との出会いが大切になります。他の病院に通っている方でも、この外来にやって来ると頬が緩んでくる。

柳田 心の持ち方を変えるのは、宗教の改宗に近いぐらい大変なことだけど、何かのきっかけで気づきが起これば不可能ではない。

樋野 訪れる患者さんの3分の1は病気や死に対する不安、あとの3分の2は人間関係の不安を抱えています。家族の人間関係と職場の人間関係とが以前は半々でしたが、いまは6対4で家族の悩みが多いでしょうか。
 まず何のために来られたかと聞いて、60分ほど対話をするのですが、相手の話を傾聴するだけでは心が開きません。こちらから言葉を発しないと―僕はこれを「偉大なるお節介」と呼んでいます(笑)。

柳田 どういう言葉を発すれば、偉大なお節介の効果が出るんでしょう。

樋野 来る人の3割は鬱、または鬱に近い状態です。なかには自殺未遂を経験している人も来る。そういう人が自分から声を発するために、僕の頭のひきだしから、いろんな言葉を取り出してポンと投げてみるんです。多くは若き日に読んだ本の中の言葉で、「新渡戸稲造、内村鑑三、南原繁、それに矢内原忠雄の4人ですね。
 この前来た自殺未遂の経験者は、「人には死ぬという大切な仕事が残っている」という言葉に反応して、少し背筋が伸びました。社長の立場にあった人なので、「仕事が残っている」という言葉に自尊心を刺激されたのかな。

柳田 そもそも、どうしてがん哲学外来を始めようと思われたのですか?

樋野 僕は病理学者なので、若い時に死体解剖を経験して、虚しさから医療が出発しているんです。25歳から35歳までは病理解剖しかしたことがありませんでした。死体しか見たことがないんです(笑)。産科や小児科のように誕生と成長から物事を見るのではなく、「人はいつか死ぬんだから」という虚しさが出発点なので、名誉や地位とかお金とか、そうでもよくなってしまう。そういう僕に対しては、がん患者も遠慮しない。人間はどうせ死ぬんだからと思っている僕に、何か共通点を感じ取るのかもしれませんね。
 僕が学んだ吉田富三の病理学は一つの大きな流れでした。吉田富三自身も哲学者みたいなところがあり、そこに新渡戸稲造や南原繁の流れがドッキングしたのが、今のがん哲学外来です。

(柳田邦夫連続インタビュー「愛する人を看取る4つの約束」(3)-2に続く)

<文藝春秋「柳田邦夫連続インタビュー 愛する人を看取る4つの約束」>より
病気になって分かったこと 気づいたこと(8)
樋口恵子(評論家) 胸腹部大動脈瘤

生きていくために本当に必要なこと、それはお金ではありません
「自分の体に耳を傾ける大切さに気づいた」


 評論家の樋口恵子氏(79歳)は'09年の春、胸腹部大動脈瘤の手術を受けた。医者である娘が勤務している病院で検査を受け、そこで大動脈瘤が腫れていることがわかったので、そのまま救急車で設備のある病院に運ばれ、その晩に手術を受けた。4時間半に及ぶ大手術の後、入院。だが、病気のことを考えている暇もなかったという。
 「手術の翌朝から毎日、リハビリを強制されました。ナースステーションの周りを1周歩けと言われ、両脇を抱えられてひきずられるように歩きました。地獄でしたね。心身ともに目一杯で、病をしみじみ考えるなんて余裕はなかった。リハビリの担当者があまりにも憎らしいから『鬼軍曹!』といってやりましたけど」
 樋口氏は「あまり深くものごとを考えない性質だから、病気をしたことで死生観などは変わっていない」と言うが、それでもいくつか気づいたことがあった。
 「自分が動けなくなったとき、やはり身内など私的な人間関係に頼らざるを得ないということを実感したんです。私が入院していた24日間は、娘が毎晩病院に来てくれたのですが、昼間はムリ。中学以来の友人、近くの親戚、活動仲間が交代で面倒をみてくれました。たとえ有能な助手がいても、毎日病院へ通って、一人ですべての世話をするのは難しい。介護保険制度はやはり限定的なもの。そういうときに助け合う仲間やネットワークが大切だと思うんです。よく『金持ちより、人持ち』と言いますが、そのとおりなんですよね」
 さらに今回の病気が10年前に亡くした夫と同じだったことで、体への意識も少し変わった。
 「これまでは、健康はその人らしく生きるための手段であって目的ではないと、健康ブームを斜にかまえて見ていました。好きなものを好きなように食べ、運動もダイエットもしたことがなかった。
 ですが、夫婦で同じ病気になったのは、少なからず我が家の食事に原因があったのだと感じたのです。野菜も本当は嫌いなのですが、少し食べるようになりましたし、小食になりました。
 それに、リハビリをしたとき、体を動かすことがちょっぴり快かったんです。5〜6kgやせてみると、歩き方も変わる。少し耳を傾けてみることで、『体の機嫌』を感じられるようになりました。今では、あの鬼軍曹たちにも感謝しています(笑)」
 今年で80歳を迎える樋口氏は、最後にこう話した。
 「ここまで来ると、余命が5年、10年違っても大した差ではありません。でも、いつ死ぬかわからないから、今できることをちゃんとやっておこうと思っているんです」

[『週刊現代 第54巻第7号』掲載「大研究シリーズ 著名人たちが明かす 病気になって分かったこと 気づいたこと 人生にとって何が大切で、誰が大切なのか、それを知った日々」より]
病気になって分かったこと 気づいたこと(7)
鈴木哲夫(ジャーナリスト) 大腸がん

がん告知の絶望からの転換
「見栄を張って生きていた自分が馬鹿らしくなった」


「あなたはジャーナリストだから真実を伝えます」
 鈴木哲夫氏(53歳)は、昨年3月に、近所のかかりつけ医にこう言われ、「これはがんです」と宣告された。勤務先の日本BS放送の定期検診で便に血が混じっているのが見つかり、内視鏡検査の結果、大腸にポリープが見つかったのだ。
 「『目の前が真っ暗になる』という表現がありますが、『がん』と聞いた瞬間、まさにそのような絶望的な状況でした。目を開いて風景を見ているのに、まるで時間が止まっているようで、先生が丁寧に説明してくださっている声も耳に入ってこない。自分はタフだと思っていましたが、かなりのショックを受けました」
 その後、精密検査を受けるまでの4日間は、悪夢のようだったという。
 「先生が『たぶん大丈夫だろう』と言ってくれても、良い方向には全く考えられず、最悪の事態ばかりを想像してしまうんです。そして死ぬかもしれないと考えたとき、これまで自分がやってきたことは、全く意味がないことだったと思ったんです。私は小学生のときからずっとジャーナリスト志望で、テレビ局に入社してから30年間、報道一本で突き進んできた。自分なりに正義感を持って番組作りをしてきたんですが、それに何の意味があったんだろう、と。人生否定に陥ってしまった」
 人生観も大きく変化した。
 「それまでの自分は、世の中に対して気をつかっていて、結局は見栄だけで生きてきた。自分がどう見られているか、どう評価されるかを気にしていたのが馬鹿らしくなったんです。アホだと言われようが関係ない。社会に関係なく、自分が生きるということに気持ちがいくようになって、自分を信じればいいんだと思うようになりました」
 幸いにもがんは早期。腹腔鏡手術で腸を5cmほど切除し、一週間後に退院することができた。
 「人生一回なんですから、好きなことをやるべきです。私は、自分のやってきたことを残しておくために本を書きたいと思っていた。だから入院中に3社の出版社の方に会って本の企画を相談しました。仕事も病気をしてから仕事という感覚がなくなった。やりたいことなんですね、きっと。毎日が楽しいんです。

[『週刊現代 第54巻第7号』掲載「大研究シリーズ 著名人たちが明かす 病気になって分かったこと 気づいたこと 人生にとって何が大切で、誰が大切なのか、それを知った日々」より]
病気になって分かったこと 気づいたこと(6)
神渡良平(作家) 脳梗塞

リハビリを経て書き上げたデビュー作の原点
「他人の痛みを感じ取るということ」


 「寝たきりになって、これからどう生きていけばいいんだろう、これで俺の人生は終わりなのか…悩んだり落ち込んだりの繰り返しでした。今思うと、その時期が、人間に性根を入れてくれるんだと思うんです」
 こう話すのは作家の神渡良平氏(63歳)。38歳のときに、脳梗塞を発症。病院に運ばれ、3日後に目が覚めたときには、右半身不随の身となっていた。
 神渡氏は九州大学医学部中退後、新聞記者、雑誌記者として活躍。まだ働き盛りだっただけに、衝撃は大きかった。そこから救ってくれたのが、陽明学者の安岡正篤の本だった。
 「安岡先生の著作で触れられている、論語の中の孔子の弟子の冉求との逸話に影響を受けました。
 自分に自信が持てない冉求に、孔子は『汝画れり』と諭す。『お前は自分で自分を見限っている。天はお前の良さも悪さもお見通しで、その上でお前にしかできないようなことをしようとしているのに、そのチャンスを失ってしまうのではないか』と。それを読んで、自分は冉求と同じだと思ったんです」
 それまでの神渡氏は、「なんでこんなことになってしまったのか」と後ろ向きにばかり考えていた。だが、「病気は天罰ではなく、こういう状態に置かれなければ目が覚めないから、あえて天はこういう状態に置かれたのではないか」――そう気づかされたという。
 何としても自分の足で歩き、字が書けるようになりたい。その一念で、激しいリハビリに打ち込んだ。
 「医師に止められたこともありましたが、後手後手になって、社会復帰できなかったら、死んでも死に切れない。そう先生を説得してリハビリを続けました」
 こうして1年後に退院。現在は通常の生活が送れるまでに回復している。退院後、自分を変えるきっかけとなった安岡正篤の伝記を書き始め、4年半の歳月をかけて『安岡正篤の世界』を上梓。ついに念願の作家デビューを果たしたのだ。
 「復帰後、ある人から『病気で苦しむなかで、人の痛み、悲しみというものを感じ取れるようになったから仕事ができたのではないか』と言われました。確かにそうなんです。病気になる前の私の感性では、作品は仕上がらなかった。やはり病気は天罰ではなく、その人への使命や覚悟を気づかせるための天のショック療法だと思うんです。病気は罹るといいこともあるんですよ」
 神渡氏はこう言い切った。

[『週刊現代 第54巻第7号』掲載「大研究シリーズ 著名人たちが明かす 病気になって分かったこと 気づいたこと 人生にとって何が大切で、誰が大切なのか、それを知った日々」より]
病気になって分かったこと 気づいたこと(5)
江本孟紀(野球評論家) 糖尿病

人に助けてもらうことの大切さ知った
「自分中心はもうやめました」


 野球評論家の江本孟紀氏(64歳)の糖尿病が発覚したのは、江本氏が参議院選に立候補した'10年のことだ。
「それまでも、少し血糖値が高かったのですが、たいしたことないと思っていました。けれど体重が少しずつ落ちてきて、ガリガリに痩せてしまった。病院で採血してもらったら血糖値が550mg/dlという高い数値が出た。入院しろと言われたほどでした」
 薬物治療に加えて、1日1時間半のウォーキング、食事の調整を始めた結果、数値は改善していったという。
 「僕は酒も飲まないしタバコも吸わない。医者が言うには、運動不足と食事が多すぎて糖尿病になったと。引退後も、選手時代と同じぐらい食べてましたからね。それからは、カロリーを計算しながら食事するようにしました。ただ、肉が食べたいのに我慢すると、ストレスになりますから、とにかく量とバランスを考えて、定刻に食べるんです」
 さらに、こんな気持ちの変化もあった。
「三食きちんと食べて、規則正しい生活を送らないといけないので、周りにも病気のことは話すようにしています。そうすると、みんな心配して気を遣ってくれる。妻もカロリーの少ないものを出してくれるようになった。そういう人の優しさというものを、感じるようになりましたね。糖尿病を患うまでは、自分中心に物事を考える方でしたが、それも変わった。病気になって、助けてもらうことの大切さがわかるようになったんです」

[『週刊現代 第54巻第7号』掲載「大研究シリーズ 著名人たちが明かす 病気になって分かったこと 気づいたこと 人生にとって何が大切で、誰が大切なのか、それを知った日々」より]
本の出版記事が新聞に掲載されました
『がんが自然に消えていくセルフケア』の出版記事が常陽リビング平成24年4月21日号に掲載されました。

<記事本文>
 がん体験者とその家族を支援するラポールの会主宰で薬学博士の野本篤志さん(土浦市、54才)が、がん患者の手助けになればとこれまでに研究や体験から得た情報を本にまとめ発刊した。
 『がんが自然に消えていくセルフケア』と題した本は、局所的な治療が先行する患者不在の医療ではなく「がんは心を含む全身の病気」ととらえ、患者自身が病気と向き合う際の手引書にと約1年がかりでまとめたもの。野本さんは大手製薬会社で12年間薬学の基礎研究に従事し、動脈硬化の研究で薬学博士号を取得。さらに臨床開発部門で多くの部下を率いながら経口糖尿病薬の開発プロジェクトリーダーを10年間務めたころ、母が2度目のがん(胆管がん)を発症して手術。その後、抗がん剤の使用を勧められたが自身の知識や国内外の情報を調べて代替療法を選択。結果、母のがんは検査では確認できないまで寛解し、4年後に胃がんを発症した時も同様の代替医療により10ヵ月でがんが寛解した。こうした体験から多くのがん患者に選択肢や正しい情報を伝えたと、22年勤めた製薬会社を辞め2007年にNPO法人緑の風ヘルスサポートジャパンを発足。活動の一環としてがん体験者とその家族の会を立ち上げた。
 本著はその活動の中で発信してきた情報に加え、日本のホリスティック医学の第一人者とされる帯津良一さん(帯津三敬病院名誉院長)との対談も付録し、養生訓や死生観などを収録している。
現代書林発行、1365円。県内の主な書店やアマゾンネット通販で取り扱い。
病気になって分かったこと 気づいたこと(4)
カシアス内藤(元プロボクサー) 咽頭がん

末期がんと闘いながら、恩師との約束を…
「自分が生きた証拠を残さねば」


 「手術もできないし、抗がん剤も飲んでいない。治療はもうできないんです」
 元ボクシング東洋ミドル級チャンピオン・カシアス内藤氏(62歳)は、淡々とこう話す。'04年に咽頭がんが見つかったが、内藤氏は手術を拒否し、放射線と抗がん剤の治療を受けた。
 「腫瘍を摘出するために声帯も舌も取って、流動食で栄養を摂るという生活は、俺には耐えられなかった。延命はできるかもしれないけど、俺にとって、生きた証拠を残すためには、自分が思い切り活動できて、自分で自分を表現できなきゃいけないから。通常、抗がん剤と放射線治療は同時にはやってくれない。でも俺には残された時間は少ないと思って、絶対に大丈夫だからと何度も先生に言って、両方やってもらった。治療はものすごくきつかった。吐き気が凄くて、胃液を吐きつくすと、今度は胆汁が出てくる。口から手を突っ込んで胃の中身を取り出したいぐらいだった」
 それでも手術を拒否したのは、自分のトレーナーだったエディ・タウンゼント氏との約束を守るためだ。
 「俺はエディさんに約束した。一つは現役に復帰したときにチャンピオンになること。もう一つは将来自分のジムを持って若い選手を育てること。最初の約束は果たせなかったから、ジムを作って、彼の教えを伝えていくという約束は絶対に守らなければならない。だから、声を失うわけにはいかなかったんだ」
 「病気に背中を押された」と内藤氏は言う。入院中も病院を抜け出して、ひそかにトレーニングを続け、退院後必死に物件を探した。そして、翌年2月、念願のボクシングジムを開設。以来、一人でも多くの練習生に教えることが、内藤氏の闘病を支えている。
 「ジムにいるときは、選手にひと言でも多く言葉をかけようと思っているんだ。リングではビデオを撮って編集し、選手にアドバイスを添えて渡してやる。ジムには毎日出ているけど、掃除は他人には絶対させない。みんな帰った後に、一人で掃除するんだ。だって、明日の朝は起きられないかもしれないでしょう。全員のグローブと靴をきれいに揃えて、拭き掃除をしてから帰る。この時間が一番好きなんだ。自分の好きな音楽をかけてね。至福の時ですよ。
 病気になる前は死について考えることはなかったね。だって体力には絶対の自信があったし、自分のことを宇宙人だと思っていたから。110歳までは生きるだろう、と。でも、いま天寿というものを間違いなく感じながら生きています。家に帰って寝るときには、『今日も無事に終わった』と、時間に感謝して寝る。次の日に目が覚めたら、『お、今日も無事に始まった』とまた時間に感謝する。そういう毎日だね。」
 「俺が元気でいることは、ほかのがん患者に勇気を与えることになると思っている」そう話す内藤氏は、病院に行ったときも、椅子に座ることはほとんどない。院内では、胸を張って早足で歩くようにしている。
 だが、がんが治ったわけではない。肝硬変や大腸ポリープも抱えているため、しんどくて体が動かせなくなることもある。それでも、余命3カ月といわれてから7年経った。
 「俺の喉にはまだ腫瘍があるんです。腫瘍が腫れてきたら、気道をふさいで寝ている間に死んじゃうでしょうね。いつ死ぬかわからないから、悔いを残さないように、好きなようにやっていく。
 俺、本当はそんなに強い人間じゃないんだよね。本当は泣き虫だし臆病だし、結構弱い人間なんだ。でも病気のおかげで強くなったところがある。開き直ったというわけじゃない。せっかくもらった命だから、やりたいことをやらないともったいない。今なら何でもできる気がするよ。
 俺は医者じゃないけど、この病気に勝てると思っている。だって、俺の体があって、そこに後からがんが根付いたわけでしょう。俺の方が先にいた。だから、チャンピオンの俺に、がんという挑戦者が挑むっていう戦いなんだよね。ボクシングではドローにすればチャンピオンの勝ち。あと3年、つまり退院から10年生きたら完全に俺の勝ち。そう思っている」
 チャンプががんをノックアウトすることを祈りたい。

[『週刊現代 第54巻第7号』掲載「大研究シリーズ 著名人たちが明かす 病気になって分かったこと 気づいたこと 人生にとって何が大切で、誰が大切なのか、それを知った日々」より]
病気になって分かったこと 気づいたこと(3)
一龍斎貞水(講談師・人間国宝) 膀胱がん、肺がん

つらいときこそ明るく振る舞う
「苦しみを隠すことで救われることもある」


 「スイカの汁のような色の尿が出て気になったんだけどね、ある時真っ赤な血尿が出た。少しは慌てたんだけど、『これはがんだな』とすぐわかったんです」
 人間国宝の講談師である一龍斎貞水氏(72歳)に膀胱がんが見つかったのは7年前のこと。がんはピンポン球大だったが、幸いにも全摘手術は免れ、腹腔鏡手術が行われた。
 「だけど、その後の薬物治療が痛いのなんのって。直に尿道から薬を入れるんだから。でも、手術後すぐに高座に復帰したから、迷惑はかけられない。だって『私がんなんです』と楽屋なんかでショボンとしてたら、周りも嫌な気持になるよね。あいつなんかと仕事したくないよ、とか、あいつ旅先で倒れるかもしれない、とか思われたら、仕事させてもらえなくなってしまう。だから芸人は丈夫なフリをしていないといけないんだ」
 ところが手術から5年目、今度は肺がんが発見された。「中学生の頃からピースを吸っていたから、がんになるなら肺がん」と思っていたので、驚きこそしなかったが、手術で左肺の3分の1を切除し、右肺には抗がん剤治療が施された。
 「抗がん剤は痛いですか?と聞いたら、先生は副作用について説明してくれた。『身体中の毛が抜けます。眉毛もまつ毛も頭の毛も抜けるけど、あぁ、あなたは(頭の毛は)関係ないね』って(笑)。でも、薬の投与を始めたら本当に鼻毛まで全部抜けちゃったよ。止めたら元に戻ったけど、やっぱり頭の毛は戻らなかったねぇ」
 そう笑う貞水氏の経過は順調そうだ。手術翌月には高座に復帰したが、声がかすれることも息苦しくなることもなく、医師も不思議がるほどの回復力。だが、がんを2度も患い、なぜそこまで明るくふるまえるのか。
 「私はもともと神経質なほうなんだけど、ことに病気に関しては、なっちゃったものはしょうがないよね。どうにもならないようなことがあるじゃない。自分は弟なのに兄貴になりたいって言ったってなれないんだから。もっとも我々は戦争を知ってる年代だから、戦争で死んだかもしれないことを思えばどうってことはないんだ。生きてるだけで儲けもんだって。でも、病気のことを話し始めたのはつい最近です。この病気で死にそうもない、大丈夫だと思ったから。病気は売り物にするもんじゃないと思ってますよ。『あれ、あの人がんだったの』と言われるほうが、なんんとなくカッコいいじゃないですか。苦しみを隠すことで救われることもあるんです。芸人は同情されたら終わりですから」
 死ぬまで現役―だから、落ち込んでいる暇もない、という。
「私は仕事をしている時が一番楽しいの。一番良い薬なんだよ。舞台に上がって喋っているときはいたって健康。これで5日仕事がないと、病気が再発するかもしれないけどね(笑)」

[『週刊現代 第54巻第7号』掲載「大研究シリーズ 著名人たちが明かす 病気になって分かったこと 気づいたこと 人生にとって何が大切で、誰が大切なのか、それを知った日々」より]
出版記念講演について
<出版記念講演について>

  本の出版を記念して、本にも登場いただいた帯津良一先生、がん心理療法であるSAT療法開発者 の宗像恒次先生のお二人をお招きしてシンポジウム「心と体をつなぐ最新のがん代替医療」を開催 します。

  日時:2012年10月14日(日) 午前10時〜午後4時半
  場所:つくば国際会議場中ホール300
  定員:300名(先着申込み順、4/15より予約受付開始)
  参加費:2500円(うち500円は東日本大震災復興支援金として寄付)
講演者  帯津良一先生 「心と体をつなぐ攻めの養生」
       宗像恒次先生 「心と体をつなぐSAT療法」
       野本篤志代表 「心と体をつなぐセルフケア」

英訳本の出版について
<英語版の出版について>
 
  より多くの方にこの本を読んでいただくことを目指し、カナダ在住の翻訳家水上真由子さんにご 協力をいただき、この本を英語に翻訳して電子書籍として全世界に向けて配信する準備を始めまし た。来年中の配信を目指して作業を進めています。ご期待ください。

『本の寄贈プロジェクト』始めます!
<寄贈プロジェクトについて>
 
  この本を、できるだけたくさんのがんで苦しんでいる患者さんやその家族の方に届けたいと考え ています。4月には500冊を地方の小規模の図書館に寄贈させていただくことになりました。
  あなたも是非プロジェクトにご参加ください。
  あなたが、どこかがんの患者さんがよく集まる施設(温泉宿、サークル、マッサージルームなど) に行く機会があれば、事務局(050-1417-5964)にお電話ください。
 寄贈用の本をお送りさせていただきます。それを施設に持参して寄贈をお願いしていただけるとと ても助かります。よろしくお願いします。

柳田邦夫 連続インタビュー「愛する人を看取る4つの約束」(2)-3
語ることがグリーフワーク

柳田 看取った家族が語り部になるとか、地域で経験を共有することが、すごく大切だと思うんです。大事な人が死のうとしているわけですから、ケアする家族の大変さは当然なんです。大変さを引き受けて実際にやってみると、喪失感とともに達成感が確実に残るんですね。そこをどう一般の人に理解したもらうか……。

秋山 私たち「NPO白十字在宅ボランティアの会」では、ここ3年ぐらい、1人の人が亡くなると、関わった医師、看護師やケアマネージャらが、意見や感想を披露するシンポジウムを開いています。故人を看取った方にも、語り部として壇上に出ていただくと聴衆に訴えかける力も強いですね。ご遺族にも、最初は尻込みしておられたのに「話をするうちに思い出して供養になった」とか「気持ちが整理できてよかった」とおっしゃっていただいて。

柳田 そう、語ることはグリーフワークの大事な要素ですね。私は3年前この雑誌に「新・がん50人の勇気」を連載し、たくさんの方々の最期の生き方と、残された人々の心の歩みを書きました。人には「最後に輝ける日々」というものがあり、それが、あとの生きる人の導きの心の灯となり、人生に膨らみをもたらすんですね。
 残された人が命のエネルギーを受け継いで、内面の豊かな生き方や新しい分野の仕事を拓く―私はそれを「死後生」と呼んでいるのですが、私はそういう新しいライフサイクルの考え方を提唱しているんです。特に在宅で最期を看取った方々の後日談を聞くと、そういう思いを強くします。

秋山 とってもよく分かります。


メル友よりケア友を

柳田 十数年前、ようやく在宅ケアが注目されはじめた頃に地方講演で、大事な人を亡くしたあと、いかにその人の思いを膨らませて生きているかという話をすると、厳しい質問をぶつけられた。「私は独身で家族もいません。もうずいぶん歳もとってきた。そんな家族を美化した話ばかりしないでください。私はどうすればいいんですか?」と。立ち往生しました。

秋山 その方に、逆に「いろんな方が家に入ってきても大丈夫ですか」と聞いてみるといい。一人で頑張りすぎて外部から他人が入ってくるのを拒めば、やっぱり難しいんですよね。

柳田そのあたり、価値観を変えないといけませんね。お一人の方は、どうしても干渉されたくない。

秋山 だから、10歳くらい下の人を「ケア友」に持たないとだめだそうです。同年代の友達だと世話をしてもらえない。

柳田 メル友じゃなくてケア友?

秋山 上野千鶴子さんが言い出した。一世代若いのがいいって(笑)。

柳田 冷たい言い方をするとその人の生きざまが死へのプロセスを良くも悪くもするということなのかな、と思うんです。人は生きたように死ぬと言われるけれど、最期のところで、生きたようには死なない努力も必要です(笑)。

秋山 英国では、「マギーズセンター」といって、95年に多臓器がんで亡くなったマギー・ケズウィック・ジェンクスさんの遺志を受けて生まれた、がん患者支援団体があります。マギーさんが最初に乳がんを告げられたときは、ショックで医師の言葉がほとんど耳に入らなかったという。そこで、がんに関する情報をちゃんと自分の中に収めて、自分はどうしたいかを自分で考えられるように支援する、そういう空間としてマギーズセンターが誕生したんです。主体はあくまでもその人と家族なわけですね。そんな空間が病院のすぐそばにあって……。

柳田 いわば駆け込み寺みたいな場所があり、そこへ行けば、病院の治療で失われた主体性が取り戻せる。

秋山 そうです、そうです。私がマギーズセンターに惹かれるのも、そこなんです。

柳田 秋山さんが構想しておられる「メディカルタウン」も、医療も福祉も垣根なしに、自然に生活の場で生まれ育って死んでいくコミュニティを作ろうというものですね。

秋山 はい。ついつい診療報酬など目先のことに目が向きがちですが、30年など、将来の方向性を語り合える場も大切だと思っています。

柳田 秋山さんのお仕事の中で、私は「聞き書き」というボランティア活動にも強く惹かれます。その人の一代記を中・短篇の回想記にまとめてあげる活動で、本人は自分の人生を《よく生きてきたものだ》という納得感をもって受け容れられるようになり、家族は知らなかった祖父母なり父母の生き様を知って驚き、その後の生き方に影響を受けたりする。
「宮崎聞き書き隊」を指導している作家の小田豊二さんに言わせると、人ひとりの人生が書かれずに失われていくというのは、貴重なもののいっぱいつまった倉庫が一つ焼け落ちるに等しい、と。今は宮崎、金沢、小松、長崎、秋田……。

秋山 新宿でもやっています。

柳田 在宅ケアをしながら患者さんを看ているうちに、その人の人生の文脈を読み取り、その文脈のなかで病気や意味を辿る。聞き書きボランティアはそこからさらに一歩踏み込んで、お年寄り世代の文化を日本の縦の文化につないでいく意味合いを持っているのかなと、私、応援団を心がけているんです。

秋山 ありがとうございます。柳田先生は学校長です。ここで人事を発令させていただきます(笑)。

<文藝春秋「柳田邦夫連続インタビュー 愛する人を看取る4つの約束」>より
がんセルフケアの本を出版します!
NPO緑の風ヘルスサポートジャパンの代表理事の野本篤志がこの度
『がんが自然に消えていくセルフケア ー 毎日の生活で簡単にできる20の実践法』を出版しました。

アマゾン・ドット・コムの予約ページ
http://www.amazon.co.jp/dp/4774513482/

4月2日から全国書店608の書店で、取り扱っています(取扱い書店リスト参照)。
定価は税込1,375円です(下記の『本のカバー見本』参照)。

下記にQ&A方式で本の内容を紹介します。
是非読んでみてください。

なお、本を読んだ感想はアマゾン・ドット・コムの上記ページで4月3日より書き込めますので、感想を書き込んで皆さんに伝えていただけるとありがたいです。
よろしくお願いします(下記の『アマゾンレビュー投稿法』参照)。


<なぜ本を出版しようと思ったのですか?>

  私は22年間勤めた製薬会社を辞めて、「自分の健康は自分で守ろう!取り戻そう!」を合い言 葉にNPO緑の風やラポールの会を立ち上げ、活動を進めてきました。それは、がんをはじめとする 生活習慣病の原因が自然からかけ離れた生き方・考え方にあり、その根本を改善するためには自分 自身が主体的に食事や運動などの生活習慣を見直したり、心のケアを行うことが最も大切だと考え たからです。

  現代のがん医療は、患者の人格が尊重されない「患者不在の医療」です。さらに、がんを「心を含 めた全身の病気」と捉えず、ただ局所にできた腫瘍の塊を取り除くため患者に副作用や自然治癒力 の低下や精神的負担を強いるという問題があります。
 また、出版されているがん関連の書籍を見てみると、「この方法を実践すればがんが治ります」と いったノウハウ本が数多く出回っています。

  そこで私は、(1)がんの本質とは何か?について理論的かつわかりやすく解説する。(2)病 院で治療を受けている人も治療が終わった人も治療を断念した人も、毎日の生活で簡単に実践でき かつ科学的に信頼できるいくつものセルフケアを提示する。(3)その中から自分が納得できる自 分に合った実践法をいくつか選びそれを実践する。

  多くの患者さんが(1)〜(3)のプロセスを実践することでがんの本当の原因である自然から かけ離れた生き方や考え方を見直し、それらを根本から改善することができるのではないかと考え て本を執筆しました。

<どんな人に読んでほしいと思いますか?>

 本の最初に、チェックリストを掲載していますので、参考にしてください。


 「1つでも当てはまる方は、是非本書を読んでみてください。」
     □ 自分がなぜがんになったのか知りたい
     □ 病院の治療に疑問や限界を感じている
     □ 病院で受けている治療以外に自分でも何かやってみたい
     □ どの食事療法を選んだらいいかわからない
     □ ゲルソン療法に興味があるが大変そうなのでできない
     □ いろいろな情報が入ってくるが何を信じていいかわからない
     □ がんと心の関係を知りたい
     □ いつか自分も再発するんじゃないか不安でしかたがない
     □ 恐怖や不安の気持ちを少しでも和らげたい
     □ 最愛の家族ともう会えなくなると思うと死ぬのが怖い

<特色はどんなところですか?>

(1)がんの本質についてわかりやすく解説!

  第1章『がんの本質とセルフケアの関係』で、がん細胞と胎児細胞の性質の共通点(速い増殖、 細胞内外のミネラル分布、無酸素呼吸など)を挙げて、それらの細胞が盛んに分裂するメカニズム をわかりやすく説明しています。
 → どちらの細胞も増殖のアクセルがかかっている状態である
 
 また、これらの細胞の相違点(がん抑制遺伝子の中心的役割を担っているp−53遺伝子のスイッチ がオンかオフか)を挙げて、それらの細胞の分裂が制御されるメカニズムについてわかりやすく説 明しています.
 → がん細胞だけ増殖のブレーキがかかっていない状態である

(2)がん増殖の壊れたアクセルとブレーキを修復する具体的な方法を解説!

  第2章では、『壊れたアクセル』を修復するために自分でできる8つの「体のセルフケア」につ いて、第3章では、『壊れたブレーキ』を修復するために自分でできる12の「心のセルフケア」 について毎日の生活で簡単に実践できるようにわかりやすく解説しています。

(3)帯津良一先生と死生観について対談!
  がん患者が傷ついた心を癒しながら、前向きな気持ちで生を全うするためには、健全な死生観を 育んで一日一日を大切に生きることが重要ですが、それを文章で表現することはとてもむずかしい と思いました。
 そこで、人間の「体」「心」「魂」を丸ごとみる医学である「ホリスティック医学」の第一人者で ある帯津良一先生<注>と対談して、わかりやすい事例を織り込みながら、死生観についてみなさ んにお伝えすることにしました。
   
<特別対談>

     「死」を想いながら凝縮した「生」を生きる ―「攻めの養生」と「セルフケア」
 <注> 
  日本ホリスティック医学協会理事長、1961年東京大学医学部卒業。
 東京大学第3外科助手、都立駒込病院外科医長を経て、1982年帯津三敬
 病院開設。現在は名誉院長。西洋医学に中医学やホメオパシーなどの代替
 療法を取り入れた治療を行い、その実績は全国の医師や病気で悩む多くの
 患者から注目を集めている。「帯津良一の現代養生訓」「図解・病気を治す
 自然治癒力の高め方」など著書は共著を含め100冊を超える。

<原稿を読んだ方々の感想は?>

  野本さんの本は入院中に全部読ませていただきました。素晴らしい内容で今後のガン治療のバイ ブルとさせていただきます。出版前に読ませていただいて本当にありがとうございます。
 (40代女性、乳がん)

  今読み終わりました。昨日と今日一気に読ませていただきました。今までに読んだ健康や医療の 書籍にはないものです。構想から今日まで大変な作業でしたことでしょう。好評間違いなしです!
 出版を楽しみにしております。 ありがとうございました。(60代女性、肺がん)

  先生の本(発売前にすみません!)を昨日一気に読ませていただき、感激しました。
 この状態だからというのもありますが、こんなに真実をついた本はないと思います。 今までがんを ずっと意識して、生に執着しすぎていたかもしれません 。少しの体調の変化に一喜一憂せずに、毎 日充実して暮らすよう心を穏やかに心がけます。 本当にありがとうございます。
 (50代男性、胆管がん)

<どこで購入できるの?>

4月2日から全国の書店で販売されます。販売価格は1,375円(税込み)です。
 店頭にない時には注文して取り寄せてください。 インターネットのショッピングサイト
 『Amazon.com(アマゾン ドット コム)』でも注文できます。
 Amazon.comのホームページより『野本篤志』で検索すると注文ページが開きます。
 ラポール会員に1冊1,000円(筆者サイン入り)で頒布します。
 同封の返信はがきの『本購入希 望』の欄に?を入れて返信し、年会費に1000円を足してお振込く ださい。



柳田邦夫 連続インタビュー「愛する人を看取る4つの約束」(2)-2
在宅ケアの主役は患者

秋山 ずっと在宅に携わって、この頃つくづくと感じるのは、主役はあくまでも患者さんと家族だということ。

柳田 病院だと主体が医師になってしまう。医師が診断し、治療をし、方針を決め、患者はそれに従う。「先生、先生」と呼ばれて偉くなり、患者さんは小さくなって……。でも、在宅は違いますよね。

秋山 患者さんも十人十色で、そこは一つとして同じ看護がなく困難もありますが、魅力的な人、人生の先達ともいうべき人から学ぶことが山とあるんです。「人生の幕引きを見せていただいて本当にありがとう」という思いがするんですね。そんな思いを、私と同じ仕事をする若い人たちにも味わってもらいたい。でないと、時間に追われた単なる忙しい仕事で終わってしまうだろうなと思います。

柳田 秋山さんがとくに印象に残っている方は?

秋山 44歳で亡くなった鎌倉敏さんという男性で、3月にNHKの「プロフェッショナル〜仕事の流儀どんなときでも、命は輝く」でも紹介された方です。「金もねえし、隠し子もねえ。でも真面目な人生だった」というのが最期の言葉で、それから昏睡に入るんです。そのとき家族みんなが寄ってきて、鎌倉さんの思い出を語り合いながら足をさすったりして、スペインで買ったシャンペンを開けて乾杯する。本人の口元にはシャンペンを浸して。そのときお兄さんが「敏に煙草吸わせてやりてえ」って言うのね。でも、酸素吸入の器械を止めないと爆発する。それで酸素を止めて、火をつけた煙草を吸わせたら、深く吸ってフーッと吐いて、ものすごく美味しそうに見えたわけです。お兄さんは「よかったな、サトシ。酒も飲めたしタバコも吸えたし」って……。
 私は半分はご家族の物語の中に入りこみ、半分は醒めた目を持ってみている。ですから、酸素を止めたとき言おうか言うまいか迷っていたんだけど、皆が気づかない限り言わないでおこうと決めた。そしたら、案の定、徐々にゆっくりした息になって、そこで息を引き取られたんです。これはもう、病院では絶対に迎えられない死ですよね。酸素を止めるなんてとんでもないですから。

柳田 最近ちょっとがっかりしたことがあるんです。毎年、「看護教育」(医学書院)という雑誌に、看護学生が学びの中で感じたことを書いたエッセイを募集し、柳田邦男賞というのを設けて4年やってきました。その中に、夏の短期間だが煙草の好きな食道がんの患者さんをサポートした体験エッセイがあったんです。
 ひとり寂しそうにしている患者さんに煙草を吸わせてあげたいけれど、院内では吸えないから、食堂の外のベランダに設けられた赤いパラソルの下に車椅子を押して行って吸わせてあげた。患者さんはそれが何よりの楽しみになった。夏休み中のかかわりを終え、秋の授業が始まってからある日、病棟での臨床実習中に、もう談話室にしか行けないあの患者さんに出合う。声をかけ、小さくなった背中に手をあてると、かたい背骨が手にあたった。患者さんは懐かしそうに返事をするが痰がからんで……。
 この患者さんの弱り方と孤独感が実に鮮やかに描かれていて。素晴らしい感性だなと思ったんです。
 彼女は、現在は卒業してある医療現場で働いていますが、たまたまその上司にあったので彼女のことを訊ねると、「忙しくて忙しくて、彼女の感性が活かせるような場じゃないです。彼女はただ機械的に動いてるだけ」だと言う。今の病院勤務というのはほんとに気の毒だなあと思ってね。

秋山 その点、在宅看護のほうが仕事に幅がありますからね。ただ、在宅はある意味、患者さんの自己責任の世界ともいえるんです。その人がその人らしく暮らしている代わりに、転ぶかもしれない、お酒を飲むかもしれない。もちろん私たちの看ていない時間帯については「こうしてくださいね」とお願いはしますけれど、すべてを管理はできませんから。
 肝心なのは、前向きな気持ちの患者さんの力が発揮できるよう、うまく手を貸せばいいということです。危ないことをする患者だという「上から目線」ではなくね。もちろん、リスクマネージメントをしなければという病院の立場も十分に分かりますが。

柳田 家族のほうも、病院に預けた以上は完璧に守ってくれよと無意識のうちに要求している。もし間違いがあったらクレームをつける。病院と患者の家族のあいだに、ある意味で依存関係ができているんです。
 実は多くの人は在宅がいいと思っているものの、現実問題としてなかなか踏み切れない。患者本人も、家族に迷惑をかけたくないとか、いざという時が心配だと、本人と家族の暗黙の合意によって結局は在宅を選ばない。ところが、最近は在宅ケアに取り組む医師や看護師も多くなってきて、在宅でもかなりのことができるということを実績で示せるようになってきた。そのズレをどうやったら解決できるんでしょう。

秋山 すごい無責任な話だけど、やってみるっきゃない(笑)。いざという時ってどういう時?命が終わる時ですか?つまり、患者さんがどうやって人生を終えたいのか、どうやって生き抜きたいのかという問題につきますね。そのあたりのお話、90を越えた方とは意外にできるんですよ。
 冗談めかして「どういうふうにして死んでいきたいですか」って聞くと、「こういうふうに死んだ友がいるから、自分もあんな死に方をしたい」と言われることが結構あるんですよ。そういう話、病院の中ではできないですよね。

(柳田邦夫連続インタビュー「愛する人を看取る4つの約束」(2)-3に続く)

<文藝春秋「柳田邦夫連続インタビュー 愛する人を看取る4つの約束」>より
柳田邦夫 連続インタビュー「愛する人を看取る4つの約束」(2)-1
在宅ケアは「元気よく死ぬ」お手伝い 秋山正子(白十字訪問看護ステーション代表取締役)

柳田 秋山さんが現在の在宅介護の世界を独自に開かれるようになったきっかけは、やはりすぐ上のお姉様の死ですよね。

秋山 もう20年近く前になりますか、41歳で肝臓がんで亡くなる最期の時期、姉は在宅ケアを受けていました。当時、京都の看護学校で教えていた私も土日に上京してサポートするうちに、看護における活躍の場は必ずしも病院だけではないという新鮮な発見があったんです。たまたま夫が東京に転勤するというチャンスと重なったので、姉を診てくれていた川越厚先生や、佐藤智先生(東京・千代田区のライフケアシステム)と一緒に仕事ができればと思いきったんです。

柳田 ひたむきに何かに全身でぶつかっていくと、その後の人生に新境地を開くような出会いが、逆に向こうからやってくる。秋山さんの生き方には、そういうものを感じますね。

秋山 たしかに姉を失うという喪失体験はあったけれど、失っただけでなく、私の背後から何か命のエネルギーのようなものが背中を押してくれる気がしましたね。39歳の時でした。

柳田 今おっしゃった、失うだけではなく命のエネルギーみたいなものを死別体験からもらえるという感覚はグリーフワークにとって実に大事な点ですね。グリーフに包まれた家族が、愛する人は亡くなってしまったけれど、それは自分の心の中、あるいは人生のどこに位置づけるか。これは遺族のグリーフケアをする側からいっても重要な課題になっている。

秋山 私が看護師になろうとした原点は、高校一年の16歳のときに父親が布団の上で息を引き取るのを見たことなんです。
 私の田舎の秋田では、四十九日まで7日ごとに皆が集まり、ご詠唱を唱えるんです。ご詠唱は西方浄土へ行きつくための応援歌で、「今頃は浄土に向かってどのへんまで歩いたろうか」と故人を偲ぶ。そうして四十九日を迎え、納骨するという、昔ながらの風習がありました。今思えば、7日ごとに「無事に旅路が進んでいるだろうか」と心配しながら過ごすその様は、近隣の人ともなぐさめあうグリーフワークそのものです。

柳田 本当にそうですね。

秋山 納骨が済んだ頃、母が「胃がんだったのよ」と。私は、父は胃のポリープだとばかり思っていたのに、いつまでも元気にならず蝋燭の火が消えるように死んでしまった。兄たちは号泣しているのに、ひとり冷ややかに見ている私。感情の揺れ動きのなさに自分を責めたりもした時期に母の言葉を聞いたものですから、反省の気持ちも少しあって看護の道を選びました。
 実は、姉が亡くなる半年前に、もう一人の姉が急死しているんです。

柳田 えっ?

秋山 秋田に住んでいて、家で倒れたところを隣家の人に見つけてもらって運ばれたものの、もう人口呼吸器も無理な状態でした。二人の姉が亡くなったあと、イタコみたいに霊を呼ぶ人の所に母が訪ねていって、二人を呼び出してもらったところ、喘息の重積発作で急死してしまった姉は、「誰も面倒を見る人がいなかったので、長引かずに死ねてよかった」と。そして下の姉は「皆に看取られてよかったけど、家の前に盛り塩がないので家の中に入れない。塩を盛ってくれ」と言っているという。これも昔の人の知恵で、グリーフケアなんだろうなと思いました。現に母も「だいぶ落ち着いた」と言っていました。

柳田 下のお姉様が亡くなる前、お母様は秋田から神奈川県の綾瀬まで出てこられて、ずっと長期にわたって看護されましたよね。明治43年の生まれでしたっけ。
私の母もそうですが、明治生まれの母親の存在感というのは凄いなと思うんです。お姉様の耳元に、「お父さんや子どもたちに言い残すことがあるでしょう。今のうちに言っておきなさい」とおっしゃったと聞きました。あれは凄いと思う。最近の医療現場では、腫れ物にさわるように死について語るのを避けているというのに。

秋山 母は姉が亡くなる前日に一旦秋田に帰ることになっていたので、帰る前に秋田弁でこう言ったんです。
 あなたの思うとおりにまなぐ(眼)落とせよ―好きなときに目を閉じていいんだよと。そして、「逝くにも元気がいるに違いないから、元気よく旅立っていきなさいよ。私はこれでお別れするから」って。で、次の日に姉は、まるで、糸が切れたようにストンと血圧が下がって亡くなりました。
「まなぐ落とせ」という言葉に何の意味があるのか、しばらくは疑問でした。「先立つ不孝に許可がおりた」と解釈する方もおられますけど……。
 ある時読んだ大江健三郎さんの文章に、こうありました。息子さんの光君が、病気で寝込む四国のおばあちゃんに「おばあさん、元気よく死んでいってください」って言ったと。その言葉が一番おばあさんの心に響いたそうです。死を恐れずに真正面から向き合うこういった声かけは、旅立つ人への手向けの言葉なんでしょう。こういう「看取りの文化」がまだあるんですね。

柳田 以前は家族が多く同居するなかで、昔からの智恵が伝承されていく文化がありましたが、今は核家族化、少子化になって、見よう見まねで覚える智恵の伝承がなくなってしまった。
 家族の文化の力が失われた時代になると、看護のケアにしろメンタルケアにしろ、新しい取り組みをしなければ、なかなかグリーフケアには至らないですからね。

秋山 別れや死に対して免疫がないんだと思いますよ、きっと。人が亡くなっていくプロセスを見たことがないし、お年寄りと話をしたこともないなんてことも結構ある。それでもやっぱり人は必ず死んでいくので、それをどう見送るか……。
 私は今、人が亡くなるプロセスの間に、家族がたくさんの小さな喜びを見出すことが、グリーフケアにつながると考えてケアしているんです。いわば、亡くなるまでの過程にある珠玉の物語を他の人に伝えてゆくことが、私たち在宅看護や介護に携わる人間の役割ではないかと。

柳田 僕は、悲しみこそ真の人生の始まりだと考えているんです。つれ合いであれ、親であれ子であれ、その深い喪失感をどう受け止め、そこから自分の新しい生き方をどう見つけていくかが大切だと思う。
 人間は物語を生きている。通常は意識して書いた物語ではなく、振り返ったら小説になっていた、というような物語ですね。けれど自ら死が避けられなくなったときや、喪失体験をしたあとは、自分で劇的に物語を書いていかないと、本当の自分らしい人生にはならない。のんべんだらりと生きた人生、成功物語ばかり生きてきた人生と、喪失後の人生とはまったく異質になるはずです。喪失後こそが本当の深みのある人生になるんじゃないかな。

(柳田邦夫連続インタビュー「愛する人を看取る4つの約束」(2)-2に続く)

<文藝春秋「柳田邦夫連続インタビュー 愛する人を看取る4つの約束」>より
病気になって分かったこと 気づいたこと(2)
湯川れい子(音楽評論家・作詞家) C型肝炎

命の長さより人生の質を大切にしたかった 「仕事がある、そのことがどんなにありがたいことか」


「お酒を飲まない、睡眠不足をしない、ストレスを持ち込まない。この3つが大切なのですが、それを守るのは大変なこと。心配事があると眠れないし、眠るためにお酒の力がほしいと思ってもダメ。あまり過激な運動もいけないので、ゆっくり歩きながら呼吸を整え、音楽を聴いて気持ちを整えるようにしました」
 音楽評論家・湯川れい子氏(73歳)のC型肝炎がわかったのは26歳のとき。腹膜炎の手術を受けた際の輸血が原因だったらしい。肝硬変や肝臓がんに進行しないように生活習慣を改めた。
 が、60歳を2年ほど過ぎた頃、アメリカへ行く機内で背中の激痛に襲われる。入院して検査を受けると、「すい臓がんの疑いがある」と言われた。だが、確定診断をするには、お腹を切ってすい臓の細胞を採取しなければならない。その検査を湯川氏は拒否した。
 「息子は私の意思を聞くと涙を流しました。でも、私は命の長さより人生の質を大切にしたかったのです。ちょうどそのときインドに行かなくてはいけない仕事があったのですが、あとどのくらい生きられるかわかりませんから、予定通りいくことにしました。ところが向こうで赤痢になってしまった。40℃の高熱が続きましたが、へばりながら仕事をして帰ってきました」
 帰国後の検査で不思議なことが発覚した。すい臓がんの腫瘍マーカーの値が下がっていたのだ。医師からは、「高熱が続いたのがよかったのかもしれない」とも言われた。偶然と言えばそうなのだが、インド行きを決断したことが幸いしたのかもしれない。
「自分が健康なときに赤痢になっていたら怖かったと思うのですが、すい臓がんで余命が数カ月しかないかもしれないという状況だったので、ここで死んでもいいかな……という気持ちがどこかにありました。ただ、仕事があるということがどんなにありがたかったか。仕事をしていると、体の心配ばかりしなくていいんです。昔、父が言っていましたが『小人閑居して不善をなす』と。スケールが小さい人は、暇だと良くないことをするという意味ですが、たしかにそうです。小人でも、仕事があって暇がなければ、余計なことはしませんからね」
 その後、C型肝炎のインターフェロン治療を受けることを決意。順調に病状は改善し、2年前に主治医から「完治」を告げられた。
「いまのこの時間は、思いがけず頂いたものだから、大事に使っていかなければいけないと思ってるんです。もともと仕事が大好きですから、ここまで好きな仕事をしてこられたというのは万々歳。本当に感謝しかないですね」

[『週刊現代 第54巻第7号』掲載「大研究シリーズ 著名人たちが明かす 病気になって分かったこと 気づいたこと 人生にとって何が大切で、誰が大切なのか、それを知った日々」より]
病気になって分かったこと 気づいたこと(1)
林家こん平(落語家) 多発性硬化症

家族を顧みない生活から一変
「待ってくれている人がいる、そのことが私を支えている」


 日本テレビ『笑点』の人気者だった林家こん平氏(68歳)の姿が番組から消えて久しい。'04年8月、笑点の収録前に発作を起こし、意識が混濁してろれつが回らなくなった。何とか番組はこなしたものの、タクシーで病院に直行し、そのまま緊急入院することに。すぐには原因がわからず、5ヶ月後にようやく判明した病名は「多発性硬化症」。今のところ治療法のない難病だった。
 なんとか進行が止まり、病状も落ち着いてはいるものの、現在も右手が少し不自由で、調子が悪い日は言葉が明瞭に出てこない。こん平氏は言う。
「突然発症したので、最初は自分がどうなったのかまったくわかりませんでした。病名がわかっても、治療法も何もわからない。これから先、自分がどうなっていきのか不安でしたね。大病をしたことがないので、なんで自分がこうなってしまったんだろうと、そんなことばかり考えてたんです」
 多発性硬化症は、言語障害や運動障害などさまざまな神経症状を引き起こす。噺家にとって、思うように喋れないのは何よりつらい。「やはりこれが一番こたえました。しゃべれども、しゃべれども誰にもわかってもらえないつらさをどういったらいいのかわかりません。しきりに聞きとろうとしてくれているのに、家族や弟子たちが顔を見合わせて『何を言っているんだろうね』と小声で話し合っているのを見たときのやるせない気持ちといったら……」
 次第に、病室の天井を眺めている時間が増えていった。だが、「何としてもまた高座に復帰したい」。その強い思いは消えなかった。
「三平師匠のおかみさん(海老名香葉子)も、『頑張って高座に立てるようになってね』と言ってくれました。
長年来の親友で笑点の元企画制作会社の社長も、『待っているよ』と励ましてくれる。家族や周囲の人たちが力を貸してくれ、復帰を待っていてくれると思うことが、大きな支えなんです。このままじゃいけないという気持ちでいっぱいです」
 なんとか早くみんなに元気な姿を見てもらいたい―そんな焦りから病院から逃亡したこともある。
 「こんなところにいる場合じゃない。もっと生きなきゃいけないと思って」
 自分で点滴を抜いて逃げ出そうとしたのだ。次女の咲さんは、「病室が血の海になって、ドクターが真っ青になりました。それから弟子が交代で監視するようになったんです」と笑う。こん平氏の思いを支えたのは、家族の力が大きかった。
 「倒れる前は、家のことはかみさん任せにして、『男は仕事だ!』などと、外を飛び回っていました。4人いる子どもの運動会や学芸会なども、私は一度として行ったことがなかったのです。父子の会話など、なかったも同然でしたね。それが、いまはこうして娘たちが世話してくれている。あるとき娘に『すみませんね』と言ったら、鳩が豆鉄砲くったような顔をしていました。娘には悪いなと思っているんです。家族に、感謝しているんえです」
 リハビリによって、現在では大好きな卓球ができるまでに回復。昨年は、故郷の新潟で娘と弟子と一緒に講演活動も行うことができた。
 「諦めてはいけない。自分がどんどん前へ進むことで、良くなることを信じてやるしかない。それが苦しい病気の乗り越え方だと思うのです。それに向けて頑張っています。人が頑張ってと言ってくれなきゃ、自分が自分に頑張ってと言えばいいんです」
 こう話すと、あの人懐っこい笑顔が顔中に広がった。

[『週刊現代 第54巻第7号』掲載「大研究シリーズ 著名人たちが明かす 病気になって分かったこと 気づいたこと 人生にとって何が大切で、誰が大切なのか、それを知った日々」より]
柳田邦夫 連続インタビュー「愛する人を看取る4つの約束」(1)-3
男性が遺された時……

柳田 読者の中なかには、ずっと女房に支えられてきて、家事もできない、趣味もない、という方もおられると思うんです。そういった方が伴侶を亡くした場合に、どうすれば立ち直れるのか、何かヒントがあるでしょうか。

垣添 それは辛い話ですねえ。実際何もしなければ、2年くらい寿命が短くなるという報告がいろいろ出ています。やはり、奥様を亡くした悲しみがある程度癒されてきたときに、意図して新たな人生を踏み出すことが大切なのではないでしょうか。私はそれを意図的にやったわけです。山を登ることも川をカヌーで下ることもそうです。居合抜きも始めました。酒ひとつ飲むにも、昔のような無茶な飲み方ではなく、心して飲んでいますよ(笑)。男性の場合は特に会社人間が多いので、無理やりにでも何か趣味を始める必要があるんじゃないでしょうか。

柳田 何か行動すると必ず人と出会う。人と出会うと連鎖反応で人とのつながりが広がっていく。そんな中で生きがいにつながる何かと出会う。それがすごく大事ですね。日野原重明先生に教わった、「いくつになっても創めることを忘れない」というのを私も心がけているんです。

垣添 女性はどちらかというと外交的で、自分の経験もどんどん喋るのに比べると、男性は自分の中に閉じこもる傾向があります。その典型が乳がんの患者と前立腺がんの患者。前者は欧米でも日本でもアクティブに行動して、アメリカでは政府にプレッシャーをかくて研究費を出させたりもしている。患者の会の活動も活発で、自分に良かったことはすぐ仲間に伝える。ところが男性は一人で抱え込んで苦しむ。そういう違いがあるんですよ。

柳田 男性は生きることに熱心じゃないんです。せいぜい酒の飲みながら会社の悪口言ったりするぐらいで、寂しいんですよね、男っていうのは(笑)。


死後も続くライフサイクル

垣添 今後グリーフケアを推進していく場合に、本当に助けを求めているひとをどう見極めるかが、一番の課題じゃないかと思いますね。しばらく静かに放っといてくれという遺族が鬱状態でいた場合、これに医学的に介入する方法があるのかどうか。たとえ遺族がグリーフケアというものを知っていても、助けてくれと手を挙げないときはどうすべきか……。

柳田 先生のように一人で生きなおす道を見出せる人ばかりじゃないですからね。たとえば、「生きがい療法実践会」というのがあって、患者同士でお笑いの会を開き、自然治癒力を高めようとしている。川柳でも小咄でも、結構みんな創作力あって面白いですよ。あるいは「がんばる乳がん友の会」とか「あけぼの会」とか、乳がん患者の集まりもたくさんある。これらは同病者が語り合うこと自体がすごく大事で、お互いの支えになるんです。

垣添 そう思いますね。

柳田 肺結核が「死の病」とまで言われた時代は、療法期間が長いだけに在宅とかサナトリウムとか、いろんな最期の日の送り方があったわけです。これからは、がんがそれに近い形になっていくように思うのです。たとえば乳がんにしても、十年、二十年と生きる方が珍しくない。治らなくても再発しても、寛解状態にして時代です。だからこそ、病とともに生きていくことが問われている。そうしないと真の意味で「幸せな死」には辿り着けないという気がします。

垣添 今の日本では8割方が病院で亡くなりますけど、一般の方にとって死が縁遠い状況―死を忌み嫌い、社会から隔絶ものにしてしまうのは、あまりいいことではないと思います。デス・エデュケーションというか、小さい頃から死をちゃんと見せる機会を与えることは、死が避けられない問題であるからこそ大事です。

柳田 ライフサイクルといえば、そのクライマックスは壮年期で、あとは年齢とともに下り坂になって死で終わるみたいに描かれてきました。でも精神性という観点から見ると、むしろ中年を過ぎてこそ上昇期に入る。さらにいえば、死後も死後生という形でサイクルは終わらないんです。その人の生きざまや言葉というかたちで、遺された人の心の中に生きていく。
 奥様にとっても幸せな死は、死ぬ瞬間が安らかかどうかではなくて、人生の最終章の生き方から死後までも含めた全体の中で考える必要があると思う。その意味で、奥様はいい人の心に宿って生きておられると思うんです。

垣添  妻の死を経験してから、死というものがほんとうに身近なものになりましたし、怖いという感じがなくなりました。もう遺言も作ってあるんです。お墓には関心がないので、妻も気に入っていた中禅寺湖の浜辺に散骨してもらおうかと思ってね。そして、わずかな遺産は全部日本対がん協会に寄付して、かき消すごとく消えてしまいたいなあと思っています。

(柳田邦夫連続インタビュー「愛する人を看取る4つの約束」(2)-1に続く)

<文藝春秋「柳田邦夫連続インタビュー 愛する人を看取る4つの約束」>より
柳田邦夫 連続インタビュー「愛する人を看取る4つの約束」(1)-2
妻が蝶やウサギに

柳田 さきほど、相思相愛だった夫婦は、伴侶が亡くなると前半の人生がまるで帳消しになると話しましたが、実は心の底では訂正したいと思っているんです。
 濃密な関係の夫婦のどちらかが亡くなった場合、たしかに辛いことは間違いありませんが、素晴らしかった日々が必ず立ち直る力を支えてくれると思うのです。

垣添 ええ。妻とよく行った中禅寺湖の山奥で、知る人ぞ知る「庵滝」を見上げていたとき、アサギマダラという蝶々が舞っていたんです。

柳田 こう書かれていますね。
<高く低く私のまわりをまわり、滝のほうに離れていったかと思うと、また戻ってきて、まとわりつくように飛んでいる。その優雅な飛翔が、ふっと妻の舞い姿に重なった>

垣添 案内してくれた「奥日光の仙人」と呼ばれる方が、「ほら、奥様が喜んでいますよ」と声をかけてくれましてね。私は登ってきて汗をかいているから、蝶々は塩分を求めてまとわりついているだけかもしれませんが(笑)、その飛び方を見ると、妻が蝶になって天界から戻ってきたように感じられて仕方ありませんでした。

柳田 私は「意味のある偶然」と呼んでいるんです。元々は臨床心理学者だった河合隼雄先生に教わった言葉で、科学的には因果関係もなければ証明できる話でもないのに、人智の及ばない深い背景や意味がその偶然にはあって、人に多きな喜びや生き方をもたらすことがある。ですから、偶然にせよ何にせよ、亡き人を深く偲び、不思議な現象に遭遇するという人というのは、きっと立ち直れる人だと思うんですね。

垣添 北海道のトムラウシという山を、悪天候の中、十数時間歩いて疲れきっているときに、褐色のナキウサギが茂みからパッと跳び出してきて、私の左の袖にバンと触れたことがあるんです。私のいちばん辛いときに妻が出てきて、「しっかりしなさいよ」と叱咤したのかと思いましたね。あれも「意味のある偶然」なんでしょう。「あっ、妻だ」と感じました。

柳田 奥様にがんが見つかったのは、2000年頃。それから7、8年の間に次々と新しいがん、いわゆる多重がんが出てしまう。その間の奥様の生き方をどうご覧になっていましたか。

垣添 妻は一貫して「あなたが治してくれるでしょ」という姿勢で、たとえば甲状腺がんを2回手術しても、肺の腺がん手術でも、不安はまったく示さず、積極的に立ち向かっていきまいた。しかし小細胞がんが見つかってからは、そうはいかなかった。もちろん治せると信じていたのですが、最終段階で検査すると多発性転移をしていて、これはもう助からないと、私には瞬時に分かりました。妻も悟ったようで、従来は病気の見通しなどいろいろ聞いてきたのに、小細胞がんに関しては一切私に質問しなかった。正直、これは助かりましたね。
 妻もあきらめていたその時期に抗がん剤を2種類投与して、苦しい副作用に陥るんですが、妻がぽつっといったのは、「私がこんな苦しい治療を受けているのは、あなたのためよ」。本人はもうやめたかったのに、私の立場もあって、治療も何もしないわけにはいかないだろうと慮ったのかもしれません。振り返れば、可哀相なことしたなと思いますね。

柳田 すると、奥様はご自分の死を最後には見極めておられたのでしょうか。

垣添 はい。はっきりと覚悟していたと思います。12月28日からの帰宅は、明らかに家で死ぬための帰宅でした。とにかく家で死にたいと以前から言っていたので、それを叶えてやろうと在宅介護の準備をしました。家に帰りついて一段落したとき、見慣れた部屋に坐って炬燵に足を入れて、本当に嬉しそうな顔をしていましたね。

柳田 ああ……。

垣添 多くの在宅医療の体験談なども読みましたが、自宅の天井のシミがいくら汚くても、病院の真っ白な天井とは違う、自分の家に帰った安心感があるんですね。在宅というものには不思議な力があるといろんな方がかいておられますけど、まったく同感です。

柳田 在宅ホスピスケアの草分けの川越厚先生(東京・墨田区のクリニック川越院長)と、ご遺族の証言を集めた『家で生きることの意味 在宅ホスピスを選択した人・支えた人』(青海社)という本を5年ほど前に編集したのですが、在宅でうまく過ごせると、「これが私の人生」と言える達成感が得られるんですね。

垣添 もし在宅を希望される方がおられたら、それを実現できる態勢を作るのが今後の私の一つの重要課題です。それからグリーフケアの問題が、対がん戦略の中の新たな課題として加わってきましたね。

柳田 たしかに、80年代の「対がん10か年戦略」は、がんをいかに治すかに限定されていました。これからは患者の人生まで視野に入れて対がん戦略を考える時代になったということでしょうかね。

垣添 ええ。今、がんの半数は治るようになったけれども、裏を返せば半数の方は亡くなるわけです。治らなくなってからの生き方、あるいは遺された方の生き方も含めて、トータルに考えないといけないと思います。がんというものは病気であり、かつ、一種の社会現象ですから。

(柳田邦夫連続インタビュー「愛する人を看取る4つの約束」(1)-3に続く)

<文藝春秋「柳田邦夫連続インタビュー 愛する人を看取る4つの約束」>より
がん治療に求められるもの
[がん研究会有明病院院長 門田守人氏]

 がん死亡率(人口10万人当たりの死亡率)は年々高くなっている。乳がんを除けば加齢は発がんの非常に大きなリスクファクターだから、高齢化が進展する中では自然な流れともいえる。ただ、年齢の影響を除外した年齢調整後でみると、死亡率は年々低下してきている。年齢調整後のがんの罹患(りかん)率も、大腸がん、前立腺がん、乳がん、卵巣がんなどを除くとやはり低下傾向にある。
 わが国のがんの治療成績は世界トップ水準にあり、5年生存率もほとんどのがんで右肩上がりで高くなってきている。もっとも5年半生存率に関しては部位によりばらつきが大きい。乳がん、喉頭がん、ぼうこうがんなどはかなり高いが、すい臓がん、肝臓がん、胆のうがんなどは非常に低い。胃がん、大腸がんは、その中間といったところだ。また早期に発見するほど生存率が高まることは、すべての部位のがんに共通している。
 ただ、外科領域ではいま問題になっているのは、同じ部位、病期のがんでも、手術後、再発しないケースと再発するケースがあることだ。もし再発しないことが前もってわかるならほかの治療は不要だし、再発することが分かるなら多少の副作用を覚悟してもほかの治療を行わなければならない。残念だが、その見極めがまだできるようになっていない。
 がんの治療法は、手術、薬剤、放射線ともに年々進歩している。例えば抗がん剤による薬剤治療。海外の研究報告だが、転移性・進行大腸がんの生存期間(中央値)は6カ月だったのが、抗がん剤を使うことによって徐々に延び、最近ではフリオロピリミジン、イリノテカン、オキサリプラチンの3剤併用、あるいは分子標的薬とほかの抗がん剤の併用で20カ月以上に延ばせるようになっている。
 こうした新しい治療法は、すべての患者に有効なわけではない。新しい抗がん剤を使ったのに、むしろ悪い結果を招くこともある。ただ最近は遺伝子研究の進歩で、ある特定の遺伝子に変異がある転移性・進行大腸がん患者には、分子標的薬のセツキシマブは効かないといったことが徐々に解明されてきた。したがって今後は、比較試験や治療も一人ひとりの遺伝子を分析したうえで行うことが必要になってくる。それができて初めて、本当の個別化治療が可能になるのだと思う。
 新しいがんの治療法の大きな問題の一つは、高額なコストに対して延長できる生存期間の生活の質(QOL)をどう評価するかである。あるアンケート調査によると、末期がんになっても最後まで病気と闘うと答えたのは、がん患者が81%、一般市民が66%だったのに対し、医師では20%弱にとどまった。今後のがん医療のあり方については、こうしたことも考慮しながら、国民的な課題として考えていくことが必要だと考えている。

正しい知識 予防効果も
 児童・生徒への「がん教育」が、なぜ必要か。記者も委員として参加する厚生労働省の「がん対策推進協議会」(会長=門田守人・がん研有明病院長)でも、熱い議論が交わされている。

まず挙がるのが、がん予防や早期発見の啓発だ。がんは喫煙などの生活習慣が原因の一つで教育による予防効果が期待されている。また、早期発見・治療で多くの人が普通の生活に戻ることができる。門田さんは「こうした知識を子どものうちから学び、健康的な生活習慣を身につける意味は大きい」と言う。
 小・中学生の保護者は、がんのリスクが上がり始める40歳前後が多い。学んだことを家庭で話し合えば、親世代の検診受診率の向上につながるとの指摘もある。
 すでに、がん予防は中学生に身近な存在でもある。2010年秋から、中学1年生から高校1年の女子生徒は、20~30歳代の若い女性に多い子宮頸がんの予防ワクチンの接種が公費で可能になったからだ。予防接種には、がんへの理解が欠かせず、がん教育の必要性が高まっている。
 小中学生に限らず、がんへの知識不足は、「がん=死」という固定観念を生み、無用な偏見を助長しかねない。愛媛県で患者会を運営する松本陽子さんは、「患者・家族を苦しめるだけでなく、受診の遅れや、恐怖から適切な治療の選択ができないケースも引き起こす」と指摘する。子どものうちから、がんと向き合うための正確な知識の教育を学校が担えば、こうした事態を少しでも減らす事ができる。
 国が今春まとめる第2期がん対策推進基本計画にも、「がん教育の推進」が盛り込まれる見込みだが、一部の自治体はすでに、独自の取り組みを進めている。東京都豊島区では、児童・生徒・保護者へのがん教育の推進を掲げた条例を昨年4月に施行。区教育委員会が、国立がんセンター研究員の片野田耕太さんらと、子ども向けの教材を開発している。香川県も昨秋、県条例を制定、年齢に応じた教育内容の検討を始めた。
 ただし、現場からは、「カリキュラムは現状でも過密で、授業時間を確保できるのか」といった声も上がる。親ががんだったり、自身が小児がんだったりする子どもへの配慮も必要で、全国で実施するには課題も多い。

[読売新聞 2011年1月24日号掲載 「がん教育 児童・生徒に」関連記事]
がん教育 児童・生徒に
 児童・生徒にがんのただし知識を教える「がん教育」の取り組みが注目されている。国民の2人に1人ががんになる時代。子どものうちから学校でがんについて学ぶことで、がんの予防や命の大切さを考えるきっかけにしようという狙いがある。

 「病院のベッドから夕日に映える桜島が見え、ポロポロ涙が流れました。がんで死ぬのがとても怖かった」
 6年前に胃がんが見つかった鹿児島市の上水流政美さん(60)は、真剣なまなざしで聞き入る35人の児童を前に、告知を受けた時の気持ちをそう話した。
 同市内にある市立伊敷台小学校(東俊一校長)の6年1組の教室。上水流さんもメンバーになっている、鹿児島県立のがん患者・家族によるNPO法人「がんサポートかごしま」が、1組担任の村末勇介さんと企画した「いのちの授業」の一こまだ。
 きっかけは、患者・家族らの会合。「子どもたちの悲惨な事件が多すぎる。生と死に日々向き合う私たちが、今を生きる大切さを伝えられないか」といった声が高まった。理事長の三好綾さんは「がんをむやみに恐れないために、正しい知識を早くから学ぶ必要性も痛感していた」と言う。
 以前から、生と死をテーマにした教育に取り組む村末さんに相談したところ、担任からがんに関する知識を学んだ後に、患者から体験談を聞く、「いのちの授業」のプログラムが決まった。同教育委員会の協力も得て、希望する小中学校で一昨年から実施している。
 上水流さんは、胃がんの手術を受け、1年後に再発した病歴を持つ。この日の授業では、「それでも、家族や仲間の支えがあったから、あこがれの富士登山にも挑戦し、希望を持って生きてます。皆さんも命を大事に、つらいことがあったら、がんのおじさんを思い出して」と、穏やかな口調で締めくくった。
 こうした児童・生徒への授業は、「がんに対する意識を変え、正しい理解を促す一定の効果がある」と、中学生へのがん教育に取り組む東大付属病院准教授の中川恵一さんは指摘する。
 中川さんらは昨年11月、青森県内の中学生105人にがん教育の授業を行った際、その前後で、がんについてのイメージがどう変わるのかを調べた。すると、「怖い病気」と答えた生徒は授業前の81%から授業後は49%に減少。「予防もできる」「早期発見で治る」と答えた生徒は大幅に増え、95%が「家族にがん検診を勧めたい」
と回答した。
 伊敷台の児童も、「がん患者は寝たきりだと思ってたけど、普通の人と同じで驚いた」「人とのつながりで生きる希望が持てると知った。僕も身近な人が病気になったら支えになりたい」などの感想を寄せ、患者への見方が変っていた。
 中川さんは、「今後、がん教育を広げるには、授業から1年後の意識や、親が検診を受けるなどの行動変化につながったかを検証することも必要だ」と話している。

[読売新聞 2011年1月24日号掲載記事]
あなたの幸せ 何ですか(5)
「幸福の国」ブータン ストーブ囲み 家族寄り添う

 12月、「幸せの国」ブータンを訪ねた。最近は、水力発電による売電や観光で経済は急成長中だ。17日。建国記念日の首都ティンプー。中心部には車が多く、たくさんの店が並ぶ。携帯電話を持って行き交う人々は、民族衣装と、ジーンズなど日本の若者に近い服装の人が半々くらい。
 「幸せですか?」。町中や僧院などで聞いた23人中21人が「幸せです」と答えた。首都への人口の流入で若者の失業率が9%を超えたと報じられたが、求職中のジュルメイ・チェナダさん(22)は「大丈夫。すぐ見つかる」と明るかった。
 首都から車で6時間半、19日夕、標高3000メートルの村ポプジカに着いた。寒い。泊めてもらった家の女性主、ソナム・ユデンさん(31)は、ジャガイモを育てて売り、一家を支える。
 この家に電気が来たのは昨年の11月末だ。蛍光灯の下、まきストーブを囲み、ソナムさん、2人の息子、兄の妻、兄の娘2人の6人と一緒に炊飯器で炊いたご飯を食べた。「この土地はピースフル。ここでの生活は幸せ」とソナムさんは話した。
 田舎で出会った。17人もみな幸せと言い、こちらも幸せな気持ちになった。
 「ブータンの人は輪廻転生を信じていますから、あまり死を恐れたり悲しんだりしません。次の生のためになるべく良いことをして、お祈りやお参りをします」
 鎖国状態だった48年前からのこの国で農業指導にあたり、日本人で唯一「ダショー(最高の人)」の称号を受けた西岡京治さん(1992年死去)の妻、里子さん(75)が話してくれた。「今はお金に執着心を持つ人も増えたかもしれないけど、勉強熱心な人が多く、自立したよい国になっていくと思います。 (山田佳代)
あなたの幸せ 何ですか(4)
幸福の数値化」内外で試み

 昨年、経済協力開発機構(OECD)は「より良い暮らし指標」を発表した。住宅や仕事、教育や健康のほか、コミュニティー、安全など11項目を数値化したもので、加盟国34カ国中、平均値で日本は19位。最も高かったのはオーストラリアで、カナダ、スウェーデンと続いた。日本は、殺人発生率などをみる「安全」の項目でトップ。一方週50時間以上働くサラリーマンの割合などを数値化した項目ではトルコ、メキシコに次いで順位が低かった。

◇内閣府は130項目の試案

 内閣府は昨年12月、「将来の幸福感予想」や「孤立感」など130項目を数値化した試案を発表した。自治体では東京都荒川区が6年前から指標を作り始め、福井県や京都府、さいたま市などに広がった。
 法政大学は昨年11月、「47都道府県の幸福度」の研究結果を発表した。合計特殊出生率や総実労働時間、平均寿命など40の指標を点数化、総合1位は福井県、2位富山県、3位石川県だった。同大の坂本光司教授は「より良い環境を作る手がかりにしてもらえれば」と話した。

<読売新聞2012年1月3日特別面を5回に分けて掲載>
あなたの幸せ 何ですか(3)
「弱い絆」必要な時代

[玄田有史さん(47)東京大社会科学研究所教授(労働経済学)。希望と社会との関係を探る「希望学」を研究。岩手県釜石市などの聞き取り調査を行っている。]

 幸福や希望の形は震災の前から少しずつ変化してきている。2011年の漢字に「絆」が選ばれた。震災に接した人々は、改めて幸福や希望には絆は欠かせないと感じただろう。
 絆には、強い絆、緩やかな絆がある。家族や恋人や親友は、存在を丸ごと受け入れてくれるような安心をもたらす強い絆で、幸福の源泉とも言えるものだ。
 一方、希望を持って生きるために大事なのが緩やかな絆、「ウイーク・タイズ」(弱いつながり)だ。たまに連絡を取るような弱い関係で、互いに違う環境にあることが多く、異なる成功体験や失敗をしている。接する時の少しの緊張感も手伝って、何か気付いたり、学ぶことが多い。家族より素直に話を聞ける良さもある。これまで、日本の社会は強い絆を大事にしてきた。会社もそうで、「就職」というより「就社」だった。一方で、日本人にとって「仕事」は。幸福や希望にかかわる大切なものだった。
 その仕事が、1990年代から変ってきた。今いる社員で何をするかではなく、具体的なプロジェクトの達成が中心になった。社外も含めて必要な人材が集められ、プロジェクトが達成されれば散る。知識や知恵も、知人の知人といった緩やかなつながりを通じて得られる。弱い絆が必要になったのだ。
 「幸福」と「希望」は違うものだ。幸福な人は現状維持を望むが、希望は変化を追求するもので、誰かや自分に少しでもよい明日を見せたい、そんな時に生まれる。震災後の今は、まさにそのときだともいえる。

<読売新聞2012年1月3日特別面を5回に分けて掲載>
あなたの幸せ 何ですか(2)
「支援社会」を築こう

[坂東真理子さん(65) 昭和女子大学長。内閣府男女共同参画局長などを歴任。昨年末、大震災を通し日本人の長所や短所を考察した「日本人の美質」を著した。]

世論調査の結果は日本の幸福度の高さを表しており喜ばしいことだ。ただ5割の人が、「どちらかといえば」としたのは、日常で幸福が見えにくいからではないだろうか。日本は震災という大きな悲劇に見舞われたが、これをきっかけに私たちは幸福について考え、豊かさとは何かを見つめ直す機会にもなったと思う。
 私が子供の頃、日本には資源がない分、人が資源だと言われた。しかし経済の高度成長を遂げた以降は「お金と技術があればやっていける」という考え方になった。そしてバブルがはじけ、世界的な金融恐慌に見舞われてゆく。皆が先行きに不安を抱き、幸福度が下がったところに震災が起き、財産やモノがあてにならないことを痛感した。
 また、人との関わりより個人を重んじる傾向が進み、孤立感が深刻になって全体の幸福度を下げていた。震災直後、多くの人が携帯電話やメールで家族や仲間の安否を確認しあったことは、自分を気にかけてくれる人の存在を人々に改めて気づかせた。
 ボランティアや寄付にも、人々が動いた。他者の役に立とうとすれば自分の気持ちも救われるのだ、と実感した人も多かったはずだ。我々が当たり前と思いながら過ごす日常は、実際は多くの人に支えられている。想像力を働かせれば、周囲への感謝の心が生まれ、自分も役に立ちたいと考えるようになる。
 私は、人と人との結びつきを強めてゆく「支援社会」をこの先の日本で築いてゆくことを提案したい。一人ひとりが他者を支え行動することが基本の社会は、日本をより幸せにする原動力になると思う。

<読売新聞2012年1月3日特別面を5回に分けて掲載>
あなたの幸せ 何ですか(1)
 あなたが、幸せと感じるのはどんな時だろう。読売新聞社が東日本大震災の8か月後に行った全国世論調査では、自分が「幸福」と思う人は36%。69%が、震災後、とくに「家族」を大切に思うようになったと答えた。今、世界で、日本で、幸福の指標作りが進む。日本人の幸せの座標はどう変化しているのか、識者にも聞いた。

「自分だけよければ…」減る

 全国世論調査は、昨年11月12、13日に面接方式で行った。「現在、幸福だと感じていますか」との問いに対し、51%が「どちらかと言えば幸福」を選んだ。次が「幸福」で36%、「どちらかといえば不幸」が7%、「不幸」は2%だった。
 こうした傾向は1979年以降ほぼ同じだ。「どちらかといえば」を合わせれば、日本人の9割が幸福と言えるのだろうか。それとも半数が「不幸な境遇の人と比べれば自分は幸福」と考えているのだろうか。
 一方、「自分だけが幸せならばよいと考える人が多いと思うか」との問いには、「同趣旨の質問をした2008年9月の調査から変化があった。「そうは思わない」とした人が33%と7ポイント上昇し、「そう思う」が64%と8ポイント下がったのだ。
 「震災後、とくに大切にしたいと思うようになったことを2つ選ぶ問いでは、「家族」が69%、次いで「地域とのつながり」の37%だった。「とくに心がけるようになったこと」(9の選択肢から複数回答)では、「寄付をしたり、売り上げの一部が義援金になる商品を買ったりする」が35%、「家族と会話する」の32%が上位だった。他者の幸せを思う人が増えたと感じる人や、利他的な行動をとる人が増えたと言えそうだ。

<読売新聞2012年1月3日特別面を5回に分けて掲載>
採血や採尿で済む「腫瘍マーカー」 精密な検査への目安に
 人間ドックなどを受けると、腫瘍マーカーを調べるかどうか聞かれます。腫瘍マーカーとはどんなもので、調べると何がわかるのでしょうか。検査が採血だけで済む点は気軽ですが、わかることに限界はないのでしょうか。

がんの存在わかる?>>値が高ければ可能性

 腫瘍マーカーは、がん細胞の目印となる物質だ。原則として正常細胞では作られず、主にがん細胞で作られる、たんぱく質や糖鎖などを指す。最近は、がん細胞に特有の遺伝子の変異も含めて「腫瘍マーカー」と呼ぶことが多い。
 「腫瘍マーカー検査には、大まかに分けて3種類の目的があります」と東京大医科学研究所付属病院の今井浩三院長は説明する。
 ▽がんの有無を調べる「存在診断」▽手術や抗がん剤などの治療を受ける前後で継続的に量を検査し、治療効果や再発、転移の有無をみる▽がん細胞の特定の遺伝子の変化を調べ、抗がん剤が効くかどうかをみる、という3種類だ。
 人間ドックなどで実施されているのはがんの存在診断だ。がん細胞から体内の血液や尿の中に流れ出したたんぱく質や糖鎖などの量を調べ、多ければがんができている可能性が高い。
 採血か採尿だけで済むため、検査を受ける人の肉体的な負担は軽い。事前に下剤を大量に飲む大腸の内視鏡検査などより楽だし、X線やCT(コンピューター断層撮影)、PET(陽電子放射断層撮影)検査=★=のような被曝もない。

《★PET(陽電子放射断層撮影)検査=
 PET検査では、放射性物質をブドウ糖にくっつけ、静脈注射する。盛んに増殖するがん細胞は正常な細胞よりもたくさんのブドウ糖を取り込んみ放射線を強く出す性質を利用している。
 がんの大きさだけでなく、悪性度もある程度分かる。悪性度が高いほど大量のブドウ糖を取り込むからだ。1回で全身の検査ができる利点もあるが、検査に向かない臓器もあるなど限界もある。》

確定診断は無理>>別疾患で増える例も

ただし、「腫瘍マーカーは、がんがある程度大きくならないと血液や尿から検出できる量にならないため、がんの早期発見には向いていません」と今井さんは言う。
 また、腫瘍マーカーの種類にもよるが、複数の種類のがんで作られる物質もあるため、「がんが体内にある可能性が高いことは分かるものの、どこにあるのか特定できないことも少なくありません」と国立がんセンター東病院臨床開発センター機能再生室の中面哲也室長は話す。
 がんがあっても腫瘍マーカーが増えない人もおり、腫瘍マーカーだけでがんがないとも言い切れない。
 一方、がん以外の疾患でも量が増える腫瘍マーカーも少なくない。肝臓がんの腫瘍マーカー「AFP(αアルフェトプロテイン)」や前立腺がんの「PSA(前立腺特異抗原)」は、他の臓器のがんではほとんど増えないが、肝硬変や前立腺肥大症などでも増える。
 中面さんは「現状では、腫瘍マーカーだけでは確定診断はできません。最終的には画像診断や病理診断による確認が必要です」と言う。
 わかることが限定的な腫瘍マーカーだが、検査を受けるメリットはどんな点にあるのだろうか。今井さんは「腫瘍マーカーの値が高ければがんがある可能性が高いと言えます。費用は自己負担ですが肉体的負担は軽いので、腫瘍マーカーを調べ、より肉体的負担の大きい検査を受けるかどうかの目安にするといいと思います」と勧める。

検査値どう活用>>再発を知る手がかり

 がんと確定診断され、治療を受けた人の再発や転移の有無を調べる際の腫瘍マーカー検査や、薬の効果を調べる検査は、公的医療保険で実施できるものも少なくない。
 中面さんらが、国立がん研究センター東病院で肝臓がんの手術を受けた患者約160人の術前と術後の腫瘍マーカーAFPの量を調べたところ、術前にAFP値が高かった約80人のうち約60人が再発した。そのうち8割は、術後もAFPの値が高いままだった。一方、再発しなかった20人のうち8割は、AFPの値が十分に下がっていた。
 術前にAFP値が低かった約80人のうち約50人も再発した。多くは再発時もAFPが低いままで、もともとAFP値が低いとAFPで術後の再発の有無が予測できないこともわかった。
 中面さんは「患者さんを集団でみると腫瘍マーカーの有用性には限界があります。が、個人の腫瘍マーカーの値は、がんの再発などで上昇することが多い。個人の検査値を継続的に観察するのは治療効果や再発の有無を知る上で有用です」と言う。

(朝日新聞2011年9月27日)
前立腺がんPSA検査「全年齢で推奨せず」 米政府案
 前立腺がんの検診で使われているPSA検査について、米政府の予防医学作業部会は7日、すべての年齢の男性に対して「検査は勧められない」とする勧告案をまとめた。2008年の勧告では75歳以上で検査を勧めていないが、対象を全年齢に広げることになる。

 これまでに実施された五つの大規模臨床試験の結果を分析した結果、年齢や人種、家族歴にかかわらず、PSA検査が死亡率を下げるとの証拠は見いだせなかったと結論づけた。ただ、自覚症状があったり、前立腺がんが強く疑われたりする場合は含まれていない。

 米国ではPSA検査は50歳以上の男性に広く普及している。ただ検査で見つかる前立腺がんの多くは進行が遅く、放置しても寿命には関係しない。必要のない治療等を受けて、勃起障害や尿漏れなどの後遺症が残る人もいる。

 しかし結果として悪性がんの早期発見につながったケースもあり、勧告案に対しては一部の医師や患者団体から反発が出そうだと、米メディアは伝えている。

 日本でPSA検査をめぐる専門家の意見は割れている。日本泌尿器科学会は「スウェーデンのグループが発表した研究ではPSA検査で死亡率が半減した」などと検査を推奨する。一方、厚生労働省研究班は、複数の研究を評価して「死亡減少の科学的根拠は不十分。過剰診断の恐れもある」と、集団検診には推奨できないとしている。

(朝日新聞2011年10月8日)
乳がん再発すると 3分の1はタイプが変化
 乳がん患者の3人に1人は、最初に診断された時と再発後では、がんのタイプが変化していることがわかった。がん組織を調べる検査は通常、診断時にしか行われず、再発後に「効かない」治療を受けている患者が相当数いる可能性が出てきた。同様の変化は、他のがんでも起きる可能性があるという。
 スウェーデンのカロリンスカ研究所が(9月)26日、欧州集学的がん学会で発表した。
 乳がんには、女性ホルモン陽性でホルモン療法が効くタイプと、女性ホルモン陰性で抗がん剤のハーセプチンが効くタイプ、いずれも効かないタイプがある。
 研究チームが、1997年から11年間に再発した119人を調べたところ、3人に1人の割合で女性ホルモン陽性から陰性に変ったり、反対に陰性から陽性に変ったりしていた。また15%が、ハーセプチンの効果に影響したりするたんぱく質が変化していた。
 定期的にがん組織を病理検査せず、途中でがんの「性格」が変ったことに気づかない場合、患者は最適な治療を受けられなくなる。(岡崎明子)

(2011年9月27日)
[がん共生時代]機能を残す(5)Q&A 治療法の選択は慎重に
シリーズ「がん共生時代」を終えるにあたり、国のがん対策推進協議会委員で、患者会理事長の天野慎介さん(38)に、がん医療の現状と将来について聞いた。

 ――体の機能を残す温存治療について、患者はどう考えればいいか。

 「ここ10年のがん治療の進歩は著しい。その中で、体への負担が少なく機能を保てる治療法を患者が望むのは当然のことだ。ただ、新しい治療の中には効果が確認されていないものが含まれていることも患者は知っておく必要があり、治療法を決める際には別の医師の意見を聞くセカンドオピニオンを活用するなど慎重に選択してほしい」

 ――がんが「治る」時代において、新たに浮上してきた問題はなにか。

 「まず、高額な治療費が必要になるケースが出てきたことだ。例えば、白血病治療薬のグリベックなどの新薬は多くの患者を救っているが、高価で長期間服用しなければならない場合があり、患者・家族の生活を圧迫する負の面もある」

 「保険診療の自己負担上限を定めた高額療養費制度で、軽減する見直しが行われれば、家計が苦しい世帯の負担感は軽くなりそうだが、経済的な理由で適切な治療を受けられないことにならないように問題を提起し、絶えず制度を見直していく必要がある」

 「仕事の継続や再開も切実な問題だ。がんを理由に不本意な異動を迫られたり、退職を促されたり、不当な扱いを受けることがあると聞く。治療で命は助かったのに再就職がうまくできず、社会に溶け込めなくなるケースもある」

 「障害者の場合は公的な支援制度があるが、がんを含む病気の経験者へのサポートは手薄だ。雇用側に配慮を求めていくとともに、将来的には社会的な環境整備のため法律制定が必要になってくるだろう」

 ――再発の不安や社会からの疎外感への対処など、心の面の支援はどうか。

 「がんに伴う精神的な問題は、医師にも患者にも、まだ十分に意識されていない面がある。主治医だけでは解決しない場合も、心療内科や精神科の治療でずっと楽になることがある。患者、経験者に話を聞いてもらうピア・サポートで心が軽くなったという人もいる。一人でこらえずに、支援の情報を探してみてほしい」

 ――来年度から新しいがん対策推進計画(5か年)が始まる。次期計画の課題はなにか。

 「がん対策基本法に基づくがん対策推進基本計画が2007年度に策定され、放射線治療、抗がん剤治療部門を備えた拠点病院の整備が全国で進んだ。がん医療の環境はよくなっている。しかし5年生存率や各治療法の実施数など公表されたデータを見ると、治療の中身には病院間で大きな差がある」

 「次期計画で治療の底上げが図れるような目標を設定できればと思う。仕事や費用負担など社会的な問題にも、国が取り組めるように計画に盛り込む方向でまとめの議論をしている」(渡辺理雄)

<天野慎介(あまの・しんすけ)さん
 1973年生まれ。慶応大卒。2000年に悪性リンパ腫を発症し、翌年に抗がん剤や放射線療法などで治療。患者・家族連絡会グループ・ネクサス理事長。>

(2011年12月16日 読売新聞)
[がん共生時代]機能を残す(4)転移なければ「切除」縮小
 東京都の会社員C子さん(43)は2010年5月に健康診断で胃がんの疑いを指摘された。翌月、慶応大病院(新宿区)で詳しく調べたところ、胃の入り口側に、4センチ近くのがんが見つかった。

 診察した一般・消化器外科教授の北川雄光さんによると、がんが2センチ以下で粘膜内にとどまっているならば、口から内視鏡を入れ、がんと周囲を粘膜の下から剥ぎ取る治療が行える。しかしC子さんのがんは2センチを超えていたため、北川さんは手術を勧めた。

 問題は切除する範囲だった。胃全部と、転移の心配がある周りのリンパ節をまとめて切除すれば再発の心配は最も少なくなる。

 ただし、胃袋がなくなると、食事は少しずつ時間をかけて食べなければならず、生活に不便が生じる。短時間に小腸に多くの食べ物が流れ込むと、腹痛や下痢を起こすほか、動悸
どうき
やめまい、脱力感などを引き起こすこともあるからだ。

 そこで、同大では、がん細胞が最初に流れ着くリンパ節を手術中に短時間で検査し、転移の有無を調べた後で、がんが見つからない場合、切除の範囲を縮小し、胃を3分の1程度残す方法を取っている。北川さんは「再発の危険性を抑えつつ、胃の機能温存との両立を図っている」と話す。

 手術ではまず、胃を3分の2とリンパ節を切除する。がんが最初に転移するリンパ節(センチネルリンパ節)を確かめるため、リンパ管をゆっくり流れる放射性物質の薬剤を手術前日に胃の粘膜に注射しておき、さらに手術中は色素をがんの周りに注入して色でもリンパ節を確認する。

 薬剤が流れ着き放射線検出器に反応するセンチネルリンパ節を、転移がないかどうか顕微鏡で見て調べる。転移がなければ手術は終わり、あれば範囲を広げて切除する。04年から4年間の臨床研究で397人の患者をこの方法で手術したところ、4センチ以下の早期がんであれば、正確に転移の有無を診断できた。

 C子さんは3分の1の胃を残すことができた。手術は、腹部に小さな穴を開けて手術器具を差し込む腹腔
ふくくう
鏡で行ったので、傷も5センチ程度で済んだ。7月上旬に退院。手術前に比べ、食事量は少なめだが、「本当に手術したの、と周りに言われるくらい元気」と話す。

 同大は、国内の十数施設と共同の臨床研究を計画中だ。北川さんは「後遺症を最大限軽くできるように、一歩ずつ慎重に進めている」と話している。

(2011年12月15日 読売新聞)
[がん共生時代]機能を残す(3)膀胱に高濃度抗がん剤
「膀胱
ぼうこう
を取るのは勘弁してもらえませんか」

 東京都のB男さん(75)は2010年12月、膀胱がんの経過を診てもらっていた主治医に訴えた。

 頻尿が気になり、近くの泌尿器科クリニックを受診。粘膜にがんが広く散らばった上皮内がんというタイプの膀胱がんと診断され、結核予防に使うBCGワクチンを膀胱内に注入する薬物治療を受けた。しかし、再発し、がんは筋肉まで深く進行。主治医は膀胱すべてを切除する手術が必要と説明した。

 「血尿があったが、体調は悪くなかった。人工膀胱にするのは気が進まず、手術を引き延ばしていた」(B男さん)

 そんな時、膀胱を温存したまま、高濃度の抗がん剤を特殊な方法で注入する治療に大阪医大病院(大阪府高槻市)が取り組んでいることを知った。11年8月、主治医の紹介状を手に大阪に向かった。診察した泌尿器科教授の東治人
あずまはるひと
さんは「膀胱全摘を避けられる可能性がある」と話した。

 

 脚の付け根から動脈に特殊な細い管(カテーテル)を入れ、膀胱以外の方向の血流を止めながら抗がん剤(シスプラチン)を注入する。抗がん剤を含んだ血液が全身に回らないよう、膀胱から戻る静脈血を、腎臓病で血液の老廃物を取り除く時に用いる人工透析装置に通し、血中の抗がん剤を取り除く。

 透析で90%以上は除去されるため、抗がん剤を高濃度で使うことができ、副作用は軽くすむ。約2時間の治療だ。抗がん剤治療の前後計5週間は、週5回の放射線照射を行って、治療効果の上乗せを図る。

 同大は15年前から100人以上を治療。転移のない患者では約9割が再発していない。11年7月に、入院費用など一部に保険がきく国の高度医療に認められた。保険のきかない自己負担分は18万円だ。

 B男さんは11月初めに退院。現在、体力回復のため、買い物などに積極的に外出するようにしている。

 東教授は「この治療法は副作用が少ないため高齢者にも行える。全摘手術と比べた生存率や生活の質の違いを調べているところで、膀胱を取らずに治す新しい治療法として確立させたい」と話している。

(2011年12月14日 読売新聞)
[がん共生時代]機能を残す(2)内視鏡手術でのど守る
東京都の佐藤孝四郎さん(75)は2006年に食道と下咽頭(のどの奥側)にまたがるがんが見つかり、東京医科歯科大病院(文京区)食道・胃外科で内視鏡手術を受けた。

 食道がんは、のどにできる喉頭がんや下咽頭がんを併発しやすい。佐藤さんは09年3月に、検査で新たな下咽頭がんが見つかり、同病院耳鼻咽喉科・頭頸部
とうけいぶ
外科で治療を受けることになった。

 早期の下咽頭がんは、抗がん剤と放射線による治療が一般的だ。声帯がある喉頭を含めてがんの周りを大きく切除する従来の手術に比べると、体への負担は軽く、声の機能も残せる。

 しかし放射線の副作用で味が感じられなくなったり、のどの腫れや唾液不足で食べ物にむせる誤嚥
ごえん
が起こったりする心配がある。

 そこで同病院では05年から、喉頭を残しながら、がんを口から入れたレーザーや電気メスで切除する手術に取り組んでいる。佐藤さんはまず、がんをレーザーで切除したが再発。09年11月に改めて内視鏡で見ながら電気メスで切除する手術を受けた。その後、再発はなく、発声やのみ込む機能にも問題はない。

 耳鼻咽喉科講師の杉本太郎さんは「内視鏡手術は、がんが早期に発見されれば繰り返し可能なのが利点です」と話す。照射量に上限があり、再治療はできない放射線は、最後の手段に取っておけるのも良いという。 

 09年からは、同病院の下咽頭がんの手術は、耳鼻咽喉科と食道・胃外科が共同で行っている。

 耳鼻咽喉科が主に用いる「湾曲型喉頭鏡」によって下咽頭部分をよく見ることができ、内視鏡手術に慣れた食道・胃外科が協力することで、より安全で確実な手術ができる。食道・一般外科助教の川田研郎さんは「お互いが良いところを取り入れている」と説明する。

 これまでに同病院で行った内視鏡手術は45例で、95%以上が生存している。ドイツでは25年以上、レーザーによる内視鏡手術が行われ、患者は長期間生存できているという。

 下咽頭がんの内視鏡手術を耳鼻咽喉科で積極的に行う施設は約10か所。耳鼻咽喉科・頭頸部外科が協力し、消化器内科や外科が主体で内視鏡手術を行う病院もある。杉本さんは「のどの機能を残せる方法がないかどうか、治療前に主治医に相談してみてほしい」と話している。

(2011年12月13日 読売新聞)
[がん共生時代]機能を残す(1)術前に病巣縮小 肛門温存
群馬県に住む会社員A男さん(62)は2009年4月、同県内の病院で直腸がんと診断された。半年前から便に血が混じっていたが、体調は良かったため、まさかがんだとは思わずに、受診するのが遅れた。

 大腸の中で直腸部分は約20センチの長さがあり、がんができた場所が肛門に近い場合、手術で肛門も一緒に切除する。手術後は、大腸から便を出すための排出口を開け、おなかの外の袋にためる人工肛門(ストーマ)の生活になり、自然な排便はできなくなる。

 A男さんのがんは、肛門から2センチの場所にあった。がんの大きさは約3センチで、粘膜を越えた進行がんの疑いもあった。

 医師は「筋肉を大きく取らなくてはならない所にがんがある。人工肛門は避けられません」と説明。A男さんも「しかたない」という気持ちだった。

 しかし受診に同行していた30代の娘が「別の病院で話を聞いてから決めたい」と引き留めた。A男さんは娘に背中を押され、群馬大病院(前橋市)を受診。第一外科准教授の浅尾高行さんから、「まず手術前にがんを小さくする治療を行います。肛門の筋肉を切る範囲を小さくでき、人工肛門は手術後の一時期で済む可能性があります」との説明を受けた。
 

 同大は、放射線でがんを縮小させてから手術を行う治療を、1991年に開始した。2006年からは、放射線と抗がん剤による治療を5週間入院して続け、8週間空けた後に、がんの縮小を確認したうえで、手術で切除する方法を行っている。

 5週間の入院中、週1回のペースで、がんがある周辺の温度を43度まで高め、がんの死滅を促す温熱療法も行う。

 手術前の治療を受けた患者の約1割に、下痢の副作用があった。治療には保険がきく。

 A男さんは肛門の筋肉のうち、外側の筋肉(外括約筋)を残す手術を受け、10年9月に退院した。しばらくは人工肛門だったが、1年後には人工肛門をやめ、自然な排便ができるようになった。

 「便をためる袋を夜に交換しなくてもすむ。ぐっすり眠れる」と喜ぶA男さん。肛門周囲の筋肉を一部切除したのを補うため、毎日寝る前に200〜300回程度、肛門を筋肉で締める運動で鍛えている。

 浅尾さんは「肛門に近い進行がん患者約50人のうち、約9割が肛門を温存することができた。長期的な治療成績はこれからだが、通常の手術と遜色ないとみられる」と話す。

 手術前の放射線療法は欧米で広く行われているが、日本では大学病院など一部にとどまっている。温熱療法は同大独自の工夫だ。浅尾さんは「技術がそろい、体の機能を保ちながら、がんを治せる時代になった」と話す。

(2011年12月9日 読売新聞)
「癒し」が和らげる
体が痛むと気持ちは沈む。逆に、心の痛みは体の痛みになりうるのか。最近の脳科学研究が示す答えは、「イエス」だ。
例えば、注射針を見たら、多くの人は思わず「痛そう」と想像する。そのとき、本当に注射しなくても、脳は刺された時と同じように「痛い」と反応する。生理学研究所(愛知県岡崎市)の柿木隆介教授らのグループが、fMRI(機能的磁気共鳴装置)を使って確かめている。
ほかにも、孤独感や他人をねたむなどの負の感情は、痛み関連の脳領域を活性化するという。楽しい、おいしいなどの癒しの感情が痛みを和らげる仕組みも、分子レベルの研究で解明されつつある。
高齢化が進めば、体の衰えや持病によって慢性の痛みに苦しむ人はますます増える。「痛みの改善には、体の治療だけでなく、心や環境もふまえた多角的なアプローチも大切です」と、愛知医大・学際的痛みセンターの牛田享宏教授。
最近では、従来の整形外科や麻酔科に加え、精神科や臨床心理士、理学療法士といった多職種が参加して、痛みを治療しようという模索が医療現場で始まっている。

[朝日新聞2011年12月13日記事より] 
[がん共生時代]生活の質(5)口内ケア 歯科医と連携
 抗がん剤や放射線治療を受けると、口内炎など口の中のトラブルがよく起きる。身近な医療機関で治療が受けられるよう、がんセンターと開業歯科医が連携する「静岡モデル」が注目されている。

 静岡県三島市の猪いのアキヨさん(73)は2010年9月、食道がんが見つかり、県立静岡がんセンターを受診した。放射線と抗がん剤の治療を受けることになったが、口の中をチェックした同センター歯科口腔こうくう外科の歯科衛生士から「治療前に歯医者さんにかかって下さい」と、自宅近くの西原歯科医院を紹介された。

 抗がん剤や放射線治療で体の抵抗力が落ちると、口内炎や感染症にかかりやすくなる。口内のばい菌が肺に入って誤嚥ごえん性肺炎を起こす危険も強まる。

 同科部長の大田洋二郎さんは10年前から、がん患者の口のトラブル予防に力を入れてきた。06年からは、入院前や退院後の患者が自宅近くで通いやすいよう、県内の開業歯科医との連携を始めた。現在、県内の歯科医の3割にあたる411人が、同センターの講習を受けた「連携歯科医」として登録されている。

 西原歯科医院院長の西原和行さんもその1人。歯肉を傷付けない正しい磨き方を指導し、入れ歯を直しながら「よくかめるようになれば、食べて元気になれるよ」と言葉をかけた。連携歯科医の講習では、心理療法士から心のケアも学ぶ。

 「治療前の不安な時に安心感を頂きました」と、猪さん。その後、毎回10分以上かけて歯を磨くようになり、治療開始後も口内炎はできなかった。入れ歯も快調。食事もよく取れた。

 がんセンターから連携歯科医へは、患者の病名や検査数値、どんな治療を受けるかなどの情報が提供される。西原さんは、「白血球の数値を含めた全身状態がわからないままの抜歯などは危険を伴うが、連携によって患者の情報が共有でき、安心して治療できる。がん治療の知識も増え、副作用を想定した治療ができるようになった」と話す。

 同センターの食道がん患者で口腔ケアを受けた患者は、手術後の肺炎の発症率が、口腔ケアをしない場合の3分の1に減った。食道がんのほか、他のがんで抗がん剤治療を受ける患者にも、連携歯科医による口腔ケアを年度内に始める。

 全国的な取り組み推進に向け、国立がん研究センターと日本歯科医師会は10年8月、がん患者の治療連携について合意を結んだ。(岩永直子)

(2011年12月1日 読売新聞)
[がん共生時代]生活の質(4)ゲームで楽しむリハビリ
がんやその治療で体の機能が衰えるのを防ぎ、早く良くなるように、がん患者にリハビリを行う病院が増えている。ゲームを使い楽しみながら続けられる工夫に取り組む施設もある。

 フラフープを回す男性のアニメーションを見ながら、パジャマ姿の男性が笑顔で腰をぐるぐると回す。

 「遊びみたいなものなのに、だんだん息切れして、足も張ってくるんだよ」

 ここは帝京大ちば総合医療センター(千葉県市原市)の病室だ。急性骨髄性白血病の抗がん剤治療で入院中の植田幸和さん(75)が、画面を見ながら体を動かす体感型ビデオゲームを使い、リハビリを行っていたのだ。

 植田さんは2011年3月に病気がわかり、抗がん剤を大量に使う治療を開始。最初の入院は2か月間ほぼ寝たきりで、足が驚くほど衰えた。室内にあるトイレに行くのもよろけるほどで、食欲も気力も萎え、毎日「このまま逝ってしまうんじゃないか」と落ち込んだ。

 2回目の入院から、理学療法士や作業療法士が付き添い、体感型ビデオゲームで毎日フラフープや踏み台昇降運動を始めた。楽しみながら、太ももやふくらはぎが鍛えられていくのを実感。5回目の入院となる今回まで太ももの筋力は維持されており、「絶対元気になるぞと前向きな気分です」と表情も明るい。

 骨髄などの造血幹細胞移植や抗がん剤治療を行う血液がん患者は、全身のだるさで伏せがちとなる。白血球数が低下して感染の危険が高まると個室で過ごすことも増え、筋力や呼吸機能が落ち、うつ傾向も強まる。

 同センターは06年から、筋力トレーニングや自転車こぎなどを導入。だが、続かない患者が多かった。特に高齢者は一度筋力が落ちると回復に時間がかかる。血液内科教授の小松恒彦さんが、「高齢でも楽しみながら続けられる方法はないか」と、体感型ビデオゲームの導入を思いついた。

 08年秋から、抗がん剤治療を受けた60歳以上の患者に、1日1回、15分間実施。続けられるか、歩いて退院できるかや、筋力、抑うつ状態などを調べている。

 詳しい分析はこれからだが、参加した15人中、10人が最後まで続けられ、自分で歩いて退院できた。太ももの筋力もほぼ全員が維持している。

 がんのリハビリは、手術による呼吸機能の低下を深呼吸の訓練などで回復させたり、リンパ切除の後遺症であるリンパ浮腫をマッサージで防いだりなど、様々な症状が対象となる。10年から予防にも保険がきくようになり、広がっている。

(2011年11月30日 読売新聞)
[がん共生時代]生活の質(3)頭部冷やして脱毛防ぐ
抗がん剤の副作用による脱毛を、頭部を冷やし、予防する試みが始まっている。

 東京都に住む女性(37)は左胸に2・7センチの乳がんが見つかり、国立がん研究センター中央病院(東京)で7月、乳房の温存手術を受けた。手術後、アドリアマイシンとシクロフォスファミドによる抗がん剤治療を始めることになった。

 AC療法と呼ばれ、乳がん患者の2、3割に行われている。最初の点滴後、3〜4週間で頭髪が完全に抜けてしまう副作用を伴う。

 女性は入院中、髪が抜けた患者を見て、自分もこうなるのかと不安になった。

 「吐き気や口内炎も心配ですが、女性として髪を失うのは、がんの宣告と同じくらいショックでした。私の一部ですから」

 そんな時、主治医の乳腺腫瘍外科長、木下貴之さんから、脱毛を防ぐ「頭皮冷却法」の臨床試験を始めると聞き、参加を希望した。

 頭皮冷却法は、ヘルメット状の「冷却キャップ」をかぶり、内側のチューブに冷たい水を循環させ、頭皮を16度前後まで冷やす。毛根細胞の血管を収縮させることで、血管を流れる抗がん剤の量を抑え、毛根細胞を守る仕組みだ。保冷剤を頭皮に当てる従来の方法と違い、温度が一定に保てる。

 同病院が導入したイギリス製の装置は、欧州の使用成績で、7割以上の患者が軽微な脱毛で済んだという。ただし、寒気や頭痛の副作用のほか、他の装置の過去の成績のまとめでは1%に頭皮へのがん転移があったとの報告もあり、進行がんや再発がん患者には現時点では勧められない。

 髪をぬらし、冷却キャップを頭皮に密着させる。抗がん剤の点滴を始める30分前から冷却を開始。1時間の点滴終了後も2時間半、計4時間冷やし続ける。

 11月初め、3回目の点滴に臨んだ女性の髪は、スカーフで頭頂部を隠せば外出できるほどたくさん残っていた。最初の点滴後に強く洗髪して少し抜けたが、以降は気をつけるようにしたところ、ほぼ抜けていない。

 「冷やし始めの数分は、かき氷を食べた時のような頭痛がありますが、その後は平気です。がん治療をしながらでも、自分らしくいられる」と女性は喜ぶ。

 同病院が、抗がん剤治療を受けた患者約640人に行ったアンケート調査で、女性が感じる最も大きな苦痛が脱毛だった。木下さんは、「脱毛は命に関係ない副作用として置き去りにされてきた。最も脱毛作用の強いAC療法で効果が証明されれば、他の抗がん剤治療にも広げたい」と話す。

(2011年11月29日 読売新聞)

<情報プラス>
 国立がん研究センター中央病院における頭皮冷却法臨床試験への問い合わせは、同院相談支援センター(03・3547・5293)へ。対象は、原発乳がんの?期または?期で手術を受け、手術後の抗がん剤治療としてAC療法(アドリアマイシン+シクロホスファミド)を受ける予定の患者に限っています。同院が、この装置を導入したのは、記事にも出ている研究代表者で乳腺腫瘍外科長の木下貴之さんが、イギリスで抗がん剤治療を受けた患者の髪の毛が残っているのを見て驚いたのがきっかけです。その患者に「イギリスでは、脱毛予防の装置が普及している」と聞き、すぐにその病院に問い合わせたのは、日ごろから、治療している女性患者が脱毛に悩む姿をずっと見てきたから。2台の機械の輸入が実現し、臨床試験で安全性と効果の検証をこの9月から始めました。

 また、滋賀県の「加藤乳腺クリニック」(滋賀県草津市西大路8・12、電話077・566・7808)は、スウェーデン製の同じ仕組みの装置を2007年夏から導入しています。同クリニック院長の加藤誠さんによると、これまで500人近くの患者が利用し、かつらを必要としない程度の脱毛でおさまったのは9割以上にのぼりました。ただし、国立がん研究センター中央病院が最も脱毛の激しいAC療法を受ける患者で試験をしているのに対し、同クリニックではそれより脱毛作用が弱いTC療法(ドセタキセル+シクロフォスファミド)の患者が8割を占めています。同クリニックでは、「頭皮転移の可能性は否定されている」として、転移・再発した乳がん患者にもこの装置を利用しています。

(yomiDr. http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=50873)
[がん共生時代]生活の質(2)漢方活用し副作用軽減
 がんの症状や治療の副作用の軽減に、漢方の活用が広がりつつある。
 北海道旭川市に住む東海大芸術工学部教授の小河幸次さん(57)は2009年夏、直腸がんが見つかり旭川医大で手術を受けた。腹膜に転移があり、「オキサリプラチン」などによる抗がん剤治療を始めた。最初は入院だったが、2回目からは通院で点滴を受けた。
 2か月たった10月のある朝。歯磨き中、口をゆすごうと水を入れたガラスのコップを手に取った瞬間、ピリッとした鋭い痛みが指先を襲った。思わず手を離し、コップは粉々に砕けた。
 少し前から手足の指先にしびれがあるのは感じていた。黒板でチョークを使うのも、パソコンでキーボードを打つのもつらく、仕事にも支障が出始めていた。
 オキサリプラチンは2005年から国内で販売され、進行・再発の大腸がんに対する標準治療として定着している。
 一方、多くの患者で、指先のしびれや痛みが出る「末梢神経障害」の副作用が起きる。副作用で治療を中断する患者も多く、治療を終えた後も症状が長引くことも多い。
 主治医の旭川医大消化器外科准教授、河野透さんに相談したところ、漢方薬「牛車腎気丸ごしゃじんきがん」を処方された。牛車腎気丸は、血管を広げ、痛みを抑える体内の麻薬物質を増やすことで、末梢神経障害に効果があると言われる。
 河野さんらの研究では、大腸がんでオキサリプラチンを16週間使い、日常生活が難しくなるほどの重い末梢神経障害が出た人は、牛車腎気丸を飲まなかった患者では13・3%だったのに比べ、飲んだ患者は6・8%と半分に抑えられた。
 小河さんは1日3回飲み始め、手先のしびれは数日でなくなった。今年7月の、再発による再手術後の抗がん剤治療でも牛車腎気丸を使っている。「治療のためとはいえ、できなくなることが増えると落ち込みます。足先にややしびれは残りますが、日常生活が取り戻せてうれしい」と語る。
 河野さんは「漢方をうまく組み合わせることで、副作用による治療の中断を減らすことができる」と言う。
 末梢神経障害はタキソールやシスプラチンなどの抗がん剤でも起き、牛車腎気丸が効く可能性がある。
 便秘や腸閉塞に「大建中湯だいけんちゅうとう」、食欲不振に「六君子湯りっくんしとう」など、がん治療の副作用対策で処方される漢方は他にも増えている。治療には保険がきく。

(2011年11月28日 読売新聞)

<情報プラス>
 漢方薬は、西洋薬のように、大規模臨床試験などで科学的に効果が証明されてはいませんが、長年の使用経験をもとに、安全性や効果が確認された漢方薬148種類は、保険が適用されています。副作用もあるため、がん治療中は特に、主治医に相談のうえ、適切な薬や服用量の処方を受けて下さい。主治医が漢方の知識を持っていない場合でも、医療機関によっては漢方外来を備えている場合もあります。
 治療を受けている医療機関で対応していない場合、主治医に相談のうえ、別の医療機関にかかる選択肢もあります。漢方専門の診療所は自費診療のところも多いことにご注意ください。

 以下に漢方が気になる人にお勧めのウェブサイトをご紹介します。

 「漢方ビュー」http://www.kampo-view.com/
 漢方の基礎知識や悩み別の漢方の使い方の解説のほか、漢方に詳しい医師や医療機関も検索できる総合的なサイト。

 「漢方のお医者さん探し」http://www.gokinjo.co.jp/kampo/
 住所や最寄り駅、診療科名別に漢方に詳しい医師や医療機関を検索できるサイト

 「日本東洋医学会」http://www.jsom.or.jp/
 同学会が認定する漢方専門医を地域別に検索できる。

 また、11月26日に、NPO法人キャンサーネットジャパンと、厚生労働科学研究「がん治療の副作用軽減ならびにがん患者のQOL向上のための漢方薬の臨床応用とその作用機構の解明」班(研究代表者=上園保仁・国立がん研究センター研究所がん患者病態生理研究分野長)共催の市民公開セミナー「もっと知ってほしい『がんと漢方薬』のこと 漢方薬の現状とこれから」が開催されました。
 漢方薬の基礎知識や、がん治療での使い方、研究がどこまで進んでいるかなどが、わかりやすく解説され、記事に出てくる河野先生も講演されています。同法人が情報発信のために作っているウェブサイト「キャンサーチャンネル」( http://www.cancerchannel.jp/ )で、間もなくこのセミナーの模様を見ることができます。ぜひこちらもご覧下さい。

 (yomiDr. http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=50815)
[がん共生時代]生活の質(1)腸閉塞も腹腔鏡で治す
 胃や大腸、子宮のがんなどの手術でおなかを開けると、手術後に腸が腹部のあちこちにくっつく癒着が起きる。ねじれ、細くなった腸に食べ物が詰まり、痛みや吐き気、おなかの張りを伴う腸閉塞の原因となる。
 東京都の会社員、小田美保子さん(57)は1994年、卵巣がんが見つかり、開腹手術で子宮や左右の卵巣、リンパ節を切除した。がんは取り切れたものの、3年後ころから、強い腹痛と嘔吐おうとが数か月に1度起きるようになった。
 手術を受けて5年目、激しい腹痛が襲った。痛みと嘔吐に苦しみ、脂汗をかきながら布団を転げ回ったが、2日たっても治まらず、救急で入院した。
 腸閉塞の治療は、絶食絶飲して、自然に排便されるのを待つしかない。小田さんは1週間後、退院の帰り道に好物の焼き芋を買って食べたその夜、再び痛みが襲い病院にとんぼ返りした。詰まりやすい繊維の多いイモや海藻は以来お預けとなった。その後も数か月に1度、腸閉塞を起こした。
 癒着は、小腸が空気にさらされ、動きが数日止まるため起きる。癒着をはがそうと再び開腹すれば、新たな癒着の原因となるため、根本的な治療はなかった。
 そこで北里大学外科教授の渡辺昌彦さんは、「開腹しない腹腔ふくくう鏡手術なら、癒着が起こりにくいのではないか」と、10年以上前から、腸閉塞の腹腔鏡手術に取り組んでいる。
 腹部に3〜5か所5〜10ミリ程度の穴を開け、そこから小さなカメラとはさみなどを入れて、おなかの中を見ながら癒着の膜を慎重に切り離していく。
 小田さんは、かかり付け医の紹介で2010年5月、渡辺さんの手術を受けた。小腸のあらゆる部分がべったりと癒着し、がんじがらめになった腸が細くなり、複雑に曲がっていたのを、6時間かけてはがした。
 以来一度も再発していない。根菜類も気にせず食べ、「痛みにおびえない生活を取り戻せた」と喜ぶ。
 渡辺さんは、腸閉塞の腹腔鏡手術を60例近く手掛け、再発は2例だった。数日の入院で済み、高齢の患者でも安全にできる。
 ただ、時間と手間がかかる割に、開腹手術と同じ保険点数であることや、腹腔鏡で癒着をはがすのは難しく危険という考え方が根強いことが普及を妨げているという。渡辺さんは「すべての患者で可能というわけではなく、よく医師と相談してほしい」と話す。

(2011年11月25日 読売新聞)

<情報プラス>
 本文に出てくる、渡辺昌彦さんは、北里大学医学部外科教授(消化器外科専門)で、北里大学病院外科長、北里研究所病院の内視鏡手術センター長も兼務しています。手術のご相談は、北里大学病院(042・778・8111)へ。
 腹腔鏡手術で、癒着をはがしにくいのは、リンパ節をたくさん取ったため、むき出しになった太い血管にべったりと腸が張り付いているような場合や、放射線治療により組織が固まり、血管と癒着している組織の区別がつきにくい場合だそうです。どちらも出血の危険があり、腹腔鏡手術は勧められなくなります。ただ、おなかの中を見てみないとわからないことが多いため、まずは医師に相談してください。
 腸の癒着をはがす腹腔鏡手術は、繊細な技術と豊富な経験を必要される難しい手術です。日本内視鏡学会の技術認定医(消化器・一般外科)(http://www.jses.or.jp/info/gijutsu_pdf/shoukaki_ippan.pdf)なら、技術的には可能だそうですが、行っているところは少ないため、まずは問い合わせてみてください。

(yomiDr.  http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=50737)
がん統合医療コーディネーター
2011年11月19日付の常陽新聞第3面の『ひと十字路』という特集記事に野本篤志NPO法人代表が『がん統合医療コーディネーター』として紹介されました。記事を添付します。
柳田邦夫 連続インタビュー「愛する人を看取る4つの約束」(1)-1
ある日妻は蝶になって帰って来た 垣添忠生(日本対がん協会会長)

柳田 先生は昨年末、ご自身が奥様をがんで亡くされた体験を『妻を看取る日』(新潮社)として上梓されましたが、身近な人の死と、がん専門医として取り組んでこられた患者さんの死とでは、意味も向き合い方も違うものでしょうね。

垣添 これまでがんの臨床医として、百人を超す方を看取ってきたと思います。特に清掃腫瘍などで20代、30代の方が亡くなるケースは大変辛いですが、それでも実際に自分の妻が亡くなるのとは随分異質でしたね。40年間連れ添ってきた妻が亡くなって半身がなくなったような感じ、私の人生はもう終わったような感じがしました。ただ死ぬ勇気がないから生きているみたいなもので……。

柳田 国立がんセンターの総長を退き名誉総長となって、少し生活にゆとりが出来た矢先、奥様が2007年の大晦日にお亡くなりになった。

垣添 そうですね。私は一人で耐えようとしたのですが、特に3か月くらいまでは非常に辛くて、どんどん深いところへ落ち込んでいく。すると、もう一人の自分が、「こいつ、一体どこまで落ち込むのかな」と自分をじーっと見ているんです。

柳田 ふつう落ち込んでいくときは自分を見失ってしまうものですが。

垣添 まあ、公職はいっぱいあり、仕事には日限があったりしますので、もう一生懸命やりました。それで救われた部分もありますね。
 ただ、夜なんか独りになると本当に苦しくて、酒浸りで食生活も無茶苦茶で、もし妻が生きていたら何と言って怒られるかと想像すると、それで少し気持ちが上向きになって……。私は仏教徒ではないし妻も特別の信仰はなかったのですが、妻の実家近くのお墓を作り直して納骨しました。それも一つのきっかけになって、少し前向きに生きてみようという気持ちが出てきたんですね。およそ3か月かかりました。それからは朝食もちゃんと作って生活しています(笑)。

柳田 お子様はおられないんですね。家事は苦痛ではなかったですか。

垣添 妻が病弱で、以前から手伝っていたので、そのこと自体不便はなかったですね。

書くことが生きる支えに

柳田 私の場合は、息子が25歳で亡くなったあと1か月くらい何もできませんでした。私は公職その他に就いていないフリーの作家ですから、何もしなけりゃ何もしないでも一日が過ぎていくんですね。でも、幸か不幸か書くことが体にしみついていて、まず親しい方30人ぐらいに、丁寧に10枚ぐらいに及ぶ手紙を書きました。それがきっかけで結局息子を追悼した手記を書くことにつながったわけです(『犠牲<サクリファイス>―わが息子・脳死の11日』文春文庫)。

垣添 私が本を書くときも、その感じは痛いほど分かりました。書くことで自分自身が癒される部分があるんですね。妻が亡くなって一年後の年末年始の休み、何もすることがないので、病気の発端から書いていきました。書いているうちに、自分の気持ちが随分整理されているなぁ、ああ、書くってのはいいことなんだなと思って。それを桐朋学園の同級生の嵐山光三郎君(作家・雑誌『太陽』元編集長)に読んでもらったら、これ、本になるよということで出版されることになった。妻が亡くなってだいぶ経っていましたが、やっぱり立ち直っていく上で大きな意味を持ちました。

柳田 闘病記に限らず、書くことは生きる支えになるのですね。書くという行為は、もう一人の自分の目の働きだと思うのです。
 先ほど、苦しい時期に「自分を見るもう一人の自分」がいたとお話されていましたが、自分を見る目を持っているかどうかで、その後の人生を生き直す力がずいぶん違ってくるだろうと思うんです。私は小学校5、6年の頃、自分を見る目が少しずつ出来てきた気がしています。3年のとき、父親が亡くなっていました。だから、物語を読むとき、一種逆境の中にいる自分を登場人物に重ね合わせて読む。『家なき子』とか『フランダースの犬』とかね。そういう自分を見る目がないと、苦しいときに際限ななく落ち込んでしまうのではないでしょうか。

垣添 私は子供の頃から昆虫採集や野山を遊び歩くのが好きでした。大阪市郊外の服部川という所、信貴山のすぐそばです。蝶々やカブトムシが腐るほどいました。至るところにヘビがいたし亀もいた。そういうのを夢中で追っかけている自分と、それを見ている自分みたいなものは、幼いながらあったように思いますね。

柳田 先生の本を読むと、立ち直られるときにまず、1日1万歩以上歩くのを目標になさったとか。

垣添 はい。腕立て伏せも5、6回からスタートして今は毎日70回。背筋も70回。腹筋は大して厳しい運動ではないけれど、1日に350回やっています。それから朝起きたとき階段の踊り場で、お相撲さんがやる股割りを50回、夜寝る前にも50回。これらに最低1万歩を加えると、身体が本当にしっかりしてくるんです。すると気持ちのほうも、相乗的に少しずつ上向いていきました。

柳田 心と身体って、まさに一緒ですよね。心身一如。
 ただ、ご専門の『前立腺がんで死なないために』(読売新聞社)を拝読しても、早期発見のための検診の必要性を説いておられますけど、ある意味、がんは不可避な病気だと思います。体を鍛えることでは解決できないような……。

垣添 ええ、ですからこれから一人で生きるためには本格的ながん検診を受けようと思い、がんセンターで予約して全身チェックを受けました。それで大丈夫という結果が出たので、そうなると自信もつくし、ずいぶん気持ちが楽になりましたね。

柳田 先生の人生歴を見ますと、たとえば東大の医局で必ずしも出世コースまっしぐらという感じではなく、医局で何を言われようが、自分の好きな研究をしておられた。そういう生き方が、立ち直るときにも支えになったのではないでしょうか。

垣添 ものすごく辛かったけれども、これは一人で立ち直るしかないと思っていましたから、遺された者の悲しみにいかに対処するかというグリーフ(悲嘆)ケアやカウンセリングに助けを求めようという気持ちにならなかった。自分の生き方は自分で決める、という気持ちが大きく働いたように思いますね。

柳田 たしか葬儀はおやりにならなかった?

垣添 ええ、妻の遺言のような形で、葬儀はしませんでした。私とたまたま聞きつけた弟夫婦の3人で見送りました。その代わり、妻が描いていた油絵やデッサンを集めて展覧会を開こうと思ったら、向こうにポッと灯がともったような気がしたのです。

柳田 奥様は若い頃から膠原病で苦労されながら、つねに前向きな負けじ魂をお持ちになっている方だったそうですね。そういう奥様と先生の間の支え合いというんでしょうか……。

垣添 ええ、まさに支え合いです。私どもの夫婦関係はちょっと普通ではありませんでした。妻が12歳年上で、当時医学生だった私が出会った時には結婚していたこともあり、半ば駆け落ちのようなかたちで一緒になりました。子供もおりませんし、40年間まさに2人で助け合って生きてきたという感じですね。その相棒がいなくなったので、申し上げたように、当初は文字通り半身を失ったような気がしました。
 グリーフケアなどの論文を読むと、特に奥様を亡くされた男性の場合に、「サメに腕を食いちぎられた」という表現など、激しい痛みを伴う話がずいぶんと出てくる。自分で経験してみると、こうした表現は感覚的にとてもよく分かりますね。血が滴った、剥き出しの傷口がだんだんと薄皮に覆われていって、少しでも触るとまた血が滲みだしてくる。それでも徐々に肉が厚くなって治っていくイメージです。

柳田 凄いものですねえ。

垣添 夫婦の場合、親密度がずいぶん関係しますよね。やはり奥様を心筋梗塞で亡くされたある先輩は、辛いことは辛いけれども、自分には自分の生き方があるから、それほど嘆き悲しむことはないと語っていましたが、私にはまったく理解できませんでした。彼の場合は、淡々としたご夫妻だったのかなあ。

柳田 神様が実にうまく造っていて、相思相愛で密度濃い人生を送った場合は、伴侶が亡くなると、あとは前半の人生をまるで帳消しにするように辛い時期が来る。逆に、あまり円満でなかった夫婦の場合は、たとえば奥様がご主人を亡くされてからの方が元気になり、海外旅行を楽しんだりして長生きする。全体を均すと、結局人間は皆、幸と不幸の総量は変わらない。私はそう感じることがあります。

垣添 よくわかりますよ、その感じは。

柳田 ご本の中で、ハッとさせられた表現があるんです。奥様に新たに肺小細胞がんが発現するくだりで、<ここから、私たちの運命は下り坂を滑り落ちていくことになる>とある。「妻の運命は」とせずに「私たちの運命は」と書いたところが凄いですね。

垣添 そうですか?意識して書いたわけじゃないので、今ご指摘いただいてびっくりしておりますけど、やっぱり気持ちは一体だったということでしょうか。

(柳田邦夫連続インタビュー「愛する人を看取る4つの約束」(1)-2に続く)

<文藝春秋「柳田邦夫連続インタビュー 愛する人を看取る4つの約束」>より
薬につながるがん遺伝子探す
東大ゲノム医学講座特認教授/自治医大教授 間野博行さん
命の営みを支えるヒトの遺伝子情報は約30億個。その中から、特定のがん遺伝子だけを見つけるのは、大海で一粒の真珠を探すに等しい。
 2006年、ある種の肺がんの原因遺伝子「EML4−ALK(イーエムエルフォー アルク)」を新たに見つけた。
「運命を感じた。がん死の上位を占める肺がんで特効薬ができる、と直感した」
 抗がん剤史上、最も成功したといわれる「分子標的薬」に血液がんの特効薬「グリベック」がある。この薬のきっかけになったがん遺伝子と、新たに発見した遺伝子は変異の仕方が同じ。内臓のがんには「ありえない」と言われていたパターンだった。
 ライバルの米国のように、湯水のように研究費は使えない。既存の技術を改良し、わずかな検体でも遺伝子をとらえられる工夫をした。研究を始めて約5年がたっていた。
 07年に論文を公表。その年末、科学誌「ネイチャー」の姉妹誌は、医学ニュースの年間10大ニュースの一つに挙げた。翌年にはこの遺伝子の働きを抑える新薬の国際的な臨床試験が始まった。
 ***
 池の氷は、なぜ日のあたる表面から凍るのか。連立方程式はなんてシンプルで便利なのか。そんな身近な不思議に感動する理科好きの少年だった。医師を選んだのは、生命の神秘を探るためだった。
 東大病院の血液内科医になって最初の患者が、がん研究者という道を決定づけた。
 重い白血病だった。学んだ通りに必死に治療したが、半年後に亡くなる。遺体を調べてがく然とした。がん死じゃない。強い抗がん剤の作用に、体がもたなかったのだ。
「人間の耐久テストみたいな治療が治療といえるのか。本当に効く治療を見つけたい」
 血液内科医の傍ら、自分の研究室が持てたのは42歳の時。1年熟考し、選んだテーマの一つが、薬に直結するがん遺伝子の探索だった。
 ***
 08年12月13日。韓国・ソウル大学病院に、進行した肺がんを患う青年を見舞いに行った。新薬が国内で承認されるのを待てず、海部外での臨床試験に最後の望みを託した日本の患者だ。渡航直前、「EML4−ALK」の陽性を間野自身が確認していた。
 現地まで命が持つかどうか危ぶまれていた彼が、ベッドから起き上がり、笑っていた。
「せきも出ません」「食事もできる」。医師として、研究者として、「役に立てた」という実感で鳥肌が立った。
 帰国後、青年と同じような日本の患者に、海外で新薬を試す機会を提供するため、遺伝子の診断技術を広める研究会を独自に立ち上げた。運営も資金も製薬会社に任せずに、自らボランティアで全国の肺がん専門医や病理医に呼びかけた。彼らの協力で国内で臨床試験が始まるまでの約1年に800人以上を検査した。
 今年5月、見つけた遺伝子の働きを抑制する、新しい肺がんの飲み薬が、日米で同時申請された。同じ系列の薬は続々と登場する見通しだ。定年まで約10年。「薬につながるがん遺伝子をあと二つ、三つはみつけたい」。研究室の巨大サーバーは今日もフル稼働で解析を続けている。

[朝日新聞 be on Saturday 平成23年7月23日号 1面]
 
「治るがん」と「治らないがん」(6)
がんは「末期発見」が望ましい
 最後に、前号に記載したことも含め、がんへの対処法をまとめておきましょう。
 原発病巣に起因する、あるいは転移に起因する症状がある場合、それを軽減し、寿命を延ばすことが可能な治療法がいろいろあります。その場合、できるだけ体の負担や後遺症が少ない方法を選ぶようにしましょう。
 しかし、がんに起因する症状のない場合には、原発病巣を治療するのm、疑問です。ことに肺転移や腹膜転移等がある場合、原発病巣の治療をするのは間違いとすら言えます。取るべき症状がない以上、手術しても楽にはならず、後遺症で苦しむだけ。胃のスキルスがんで考察したように、命を縮める可能性が高いのです。
 気づかれた読書もおられると思いますが、本物のがんは、早期に発見するのではなく、できれば末期発見が望ましい。そうすれば昔のように、老衰死も可能になるでしょう。また本物のがんを早期発見すると、(一見転移がなさそうだからと)手術や抗がん剤などで目一杯治療される可能性があります。これに対し末期発見であれば、もう手遅れだからと、積極的治療を医者の方から断念してくれるケースも増えるでしょう。
 ただ現実問題として、無症状でも、がんが発見され、医者に告知されたら、治療を断るのは難しい。しかし治療を受ければ、寿命が縮む可能性がある。この二律相反状況ないし引き裂かれる思いは解決困難です。そうした相反状況に陥らない、唯一の予防策は、無症状のときに検査を受けないことしかない。
 今日、がんに限らず、高血圧や糖尿病等、種々の成人病の早期発見・早期治療が叫ばれています。しかしこれも、寿命を延ばすという根拠データがない。人間ドックを律儀に受けて医者の言うことを守ると、逆に寿命が縮む可能性が高いのです(拙著『成人病の真実』<文春文庫>参照)。
 したがって、がん検診を含め、健康診断や人間ドックは受けない方がよい。ただ日本は異常な国で、国家が職場検診を強制します。こんな全体主義的方針をとる国は、欧米には存在しないと聞きます。
 そこで職場検診への対処法としては、仮に強制される場合、できるだけ検診項目を減らすよう、担当者に働きかけましょう。なかでも胃がん発見のための胃レントゲン撮影は、被ばくによる発がん効果しか期待できないので、是非ともや止める。内視鏡検査も受けない。乳房に関しては、腫瘤に気づいてから受診すれば十分なので、マンモグラフィもエコー検査も受けない。また採血を受けると、知らないうちにPSA値が測られてしまう恐れがあるので、採血自体を遠慮するか、PSA値を測らない施設を選ぶ。
 これに対して退職したら、もう強制されることはないのですから、健康診断や人間ドックに近寄らなければよいだけです。こうして病気発見努力を自ら慎むことが、老後を気楽に安楽に暮らし、天寿をまっとうする秘訣だと思われます。

[文藝春秋 第八十九巻第四号pp121-122]
[がん共生時代]支え合い(5)Q&A 相談者養成 支援の質向上を
 がん患者同士の支え合いにはどんな効果や意味があるのだろうか。患者や家族の心理支援やグループ療法についての研究がある、聖路加国際病院(東京・中央区)精神腫瘍科医長の保坂隆さん(59)に聞きました。

 ――がん患者のピアサポート(仲間による支援)が広がってきた背景を教えて下さい。

 「2007年に施行されたがん対策基本法とそれに基づく基本計画で、がん患者や家族の心のケアの必要性がうたわれ、都道府県や拠点病院が相談体制を整えるための、公的な助成が得られやすくなったことが大きいです。基本計画に、患者自身が主体的にがん対策に取り組む責任も明記されたことが、患者同士の支え合いを後押ししている面もあるのでしょう」

 ――ピアサポートには、どのような形があるのでしょうか。

 「一対一のカウンセリングのほか、グループ療法や患者が集まるサロンなど様々な形があります。ただ、『カウンセリング』と言うと特別な訓練を受けた専門家によるものという印象を与えるので、『ピアサポーター(仲間の支援者)』による支援という言い方をする団体が多いようです」

 ――精神科医や臨床心理士などの専門家ではなく、患者や家族が支援する意味はどこにあるのでしょうか。

 「同じ経験をした者として、より深く話に耳を傾け、共感ができ、相談した患者が、精神的な解放感を得られる効果があると思います。先輩患者として、生活面での不安や医師への質問の仕方などについて、より具体的で現実的なアドバイスができるというプラス面もあるでしょう。乳がん患者についての研究では、社会的な支援がある方が長生きするというデータもあります」

 ――課題はなんでしょうか。

 「ピアサポートにどのような効果があるのか、医学的に実証されているわけではありません。団体によって手法も質もバラバラであることは問題です」

 「うつ病の患者を、見逃さないかという心配もあります。医療が必要な場合は、専門家につなげる体制を取ることが必要です」

 ――今後、ピアサポートはどのように広がっていけばいいと思いますか。

 「患者や家族がどこに行っても質の高い支援が受けられるよう、ピアサポーターの養成プログラムは重要です。厚生労働省の委託事業として、日本対がん協会が、ピアサポーターを養成するための標準プログラムを作ろうとしています」

 「また、私もかかわっているのですが、がんになった経験がある看護師を集めて、同じ患者の立場で相談にのる『ピアカウンセリングナース』の養成も始まっています。医学的な知識が基本にある人たちなので、質の高い相談が期待できると思います」(岩永直子)

(2011年9月22日 読売新聞 医療ルネサンスNo.5169記事)
[がん共生時代]支え合い(4)病院内 闘病仲間と語らう
 入院中から退院後まで、同じ病と闘う仲間と情報を交換し、励まし合えたら、どれほど心強いだろう。

 筑波記念病院(茨城県つくば市)血液内科の患者でつくる「こぶしの会」は、多発性骨髄腫で、へその緒や胎盤に含まれるさい帯血の移植を受けた吉沢孝子さん(63)が、退院後の2006年12月に設立した。

 吉沢さんは、こぶしの木が見える病棟で入院していた10か月間、移植や副作用の不安、再発の恐怖に何度も押しつぶされそうになった。当事者でないとわからない気持ちもあり、心配させたくないこともあって家族にも話せなかった。

 同じように孤独に闘う仲間と、入院中から何でも話し合える場を作りたい。主治医に伝えると、喜んで設立に協力してくれた。

 主な活動は、2か月に1回、院内の会議室で開くおしゃべり会だ。8月中旬に開かれた会では、10人が輪になって語り合った。

 「働けないのに、1粒3000円もする薬は続けられない」「友人は『もう治ったんでしょ』と簡単に言うけれど、いつも再発の恐怖と向き合っている。せめて薬は安心して飲みたい」

 語られるのは不安だけではない。慢性骨髄性白血病を病む皆川哲郎さん(65)は、年上の男性患者が「体力と相談して海外旅行にも行っている」と話すのを聞き、閉じこもり気味だった生活が一変。今ではボランティア団体の役員を複数兼務し、「仲間が人生を楽しむ姿に励まされた」と話す。入院患者が、元気になった先輩の体験談を聞き、治療に前向きになることも多い。

 こうした「院内患者会」は全国に広がっているが、運営には病院側の理解が不可欠だ。患者会というと病院側と対立する印象を抱く医療者もおり、設立や運営に苦労する団体もある。

 そこで全国の会が集まり、「院内患者会世話人連絡協議会」(15団体)を07年に発足。「院内患者会設立マニュアル」をホームページ上で公開し、病院側の理解を得るための書面の作り方など、運営ノウハウを伝授している。代表の新井辰雄さん(47)は「仕事や性など医療者に話せない不安はたくさんある」と、会の設立を後押しする。

 筑波記念病院では、看護師をおしゃべり会に参加させ、記録をスタッフ間で共有する。看護師長の安達さゆりさん(40)は「普段着姿の患者さんの本音が聞け学ぶことが多い」と、医療側にとっても得るところがあるとしている。

(2011年9月21日 読売新聞 医療ルネサンスNo.5168記事)
[がん共生時代]支え合い(2)相談「仲間」が待つ家
 横浜市の中華街からほど近い住宅街。7月下旬の朝、乳がん経験者の武岡ひとみさん(52)は、訪れた一軒家のカギを開けると、「仲間」を迎える準備を整えた。

 貸しスペースの一軒家を毎週月、金曜日の2日間借りて、武岡さんらがん体験者が患者や家族らがん仲間の相談にのる。NPO法人キャンサーネットジャパン(CNJ)が2010年7月から、神奈川県と連携して運営。同法人の講座を受け、がんの知識などを身につけたと認定されたがん経験者が派遣される。1年間で、のべ106人が利用した。

 武岡さんは、民間企業の管理職として働いていた40歳の時、右胸に1センチの乳がんが見つかった。乳房温存手術をしたが、07年に肺に転移が見つかった。

 ちょうどその年、CNJが始めた支援のための知識を学ぶ講座に、「再発後の漠然とした不安から逃れたい」気持ちから第2期生として参加。初めて同世代のがん患者仲間と出会った。

 手術後の性や親の介護、子育て、自分らしい葬儀――。医療者には話せない悩みを本音で語り合い、心が楽になるのを感じた。手術後の胸を恋人に見せるか悩む仲間には、夫が「頑張ったおっぱいきれいだよ」と言ってくれた自身の経験を伝え、励まし合った。

 同法人では病院内での相談も行っているが、「くつろいだ雰囲気で、生活者としての悩みを分かち合える場を作りたい」との思いから、仲間と発案したのが、民家を借りての相談だった。

 この日、最初に訪れたのは肺がんの再発がわかったばかりの女性(46)だった。死の恐怖におびえ、すがる思いで自宅近くのここにやって来た。

 「私も乳がんが肺に転移した患者なんですよ」。武岡さんが伝えると、すぐに心の距離は縮まった。検査内容も、再発のショックも説明なしで分かり合える。

 武岡さんは、乳がん患者だけで生きる喜びを歌うゴスペル隊を昨年結成したことも披露し、2時間以上話が弾んだ。「再発しても、がんと上手に付き合いながら趣味の時間を持つこともできるのですね」。女性は笑顔で帰っていった。

 就職活動で履歴書に健康状態をどう書くか悩んでいた若者に、「今日元気で仕事ができるなら、健康って言っていいはずよ」と話したこともある。会話に自身も励まされた。

 患者と家族のためのアロマ講座も始め、親子向けのがん教室も企画している。「地域にもっと開かれた場所にして、がんという言葉の暗いイメージを変えていけたら」。夢は膨らむ。

(2011年9月20日 読売新聞 医療ルネサンスNo.5166記事)
[がん共生時代]支え合い(1)相談相手は治療体験者
 患者や家族が行き交う愛知県がんセンター中央病院(名古屋市)の1階入り口ロビー。毎週月曜日になると、いすやテーブルのある一角に、「がん治療体験者が、お話を伺います」という看板が掲げられる。名古屋市のNPO法人ミーネットによる院内ピアサポート(仲間による支援)だ。

 8月初め、支援側のがん体験者7人の中に、鈴木真弓さん(51)もいた。

 鈴木さんに肺がんが見つかったのは2010年3月。既にリンパ節や骨に転移しており、「余命半年」と宣告を受けた。ショックを受け、別の意見を求めた他の病院でも「5年生存率は5%」とはっきり言われ、逆に腰が据わった。

 「5%生きられるなら、そっちに入ろう。生きるためにやれることはやろう」

 がんの知識も欲しいし、前向きに頑張りたくて、抗がん剤や放射線治療を受けながら、ミーネットによる支援者養成講座を受けた。

 講座では、医師や臨床心理士、先輩患者らから、がん治療や患者心理などについて約1年間かけ学ぶ。現在までに試験で約60人が認定を受け、事務所や県内7か所の病院で相談を行っている。鈴木さんも体調の許す限り、同病院など2か所に月数回出向いている。

 この日は、肺がんが胸膜に転移したことを告知されたばかりの女性(75)の話し相手を務めた。女性は主治医から「抗がん剤をやるか何もしないか、あなたが決めて下さい」と言われ、「もう治らないから、どちらでもいいと言うのか」と不安を感じていた。

 肺がんが脳や骨、肝臓にも転移している鈴木さん。厳しい告知を何度も受けてきて、医師の言葉に敏感になる患者の気持ちはよくわかった。

 鈴木さんは1時間以上話を聞いたうえで、「『先生のお勧めはどちらで、その理由は何ですか』と聞くのも手ですよ」とアドバイス。女性は「相談できてよかった。落ち着きました」とほっとした表情を見せた。「誰かの力になることで、自分も支えられている」と鈴木さんは話す。

 患者が患者を支えるピアサポートは、東京や神奈川の病院でも行われている。

 同法人理事長の花井美紀さん(59)は「治療のことで精いっぱいの患者にとって、相談のハードルは低い方がいい。病院内なら気軽に立ち寄れ、自分の病院という安心感もある」と院内相談の狙いを語る。

 様々な部位のがん経験者がおり、病院の紹介で患者が訪れることも増えた。病院側も、「当事者にしか分からない不安を受け止めてくれる」と歓迎する。

(2011年9月16日 読売新聞 医療ルネサンスNo.5165記事)
「治るがん」と「治らないがん」(5)
必要ながんの「治療」
 誤解してはならないのは、がん治療が不要ではないことです。前述したように、放置すると死に至る可能性がある「もどき」もあります。転移死しなくても局所死する可能性です。喉頭がん、咽頭がん等の頭頸部がん、食道がん、子宮頸がん、胆管がん等がそれです。これらは臓器転移していることも多いのですが、転移がなくても、原発病巣が増大して臓器の機能不全を起こし、局所死する可能性があるのです。
 それらにどう対処するか。早期発見理論は破綻しているので、早期発見努力は不要です。しかし、カゼでもないのに声が出しにくくなった(喉頭がん)、食事が喉につかえる(咽頭がん、食道がん)、白目が黄色くなった(胆管がん)等の(がんを思わせる)症状が出たら検査をして、癌となったら、合理的な治療を受けましょう。その場合、なるべく手術ではなく、放射線等の臓器を残す治療法が妥当です。
 次に転移への対処法ですが、抗がん剤治療は受けない方がよい(転移による苦痛等の症状がある場合の対処法を含め、前号参照)。問題は、無症状の臓器転移です。
 どこかの原発病巣を治療した後、肺や肝への転移が明らかになり、しかも個数が限られている場合があります。乳がん治療後のレントゲン写真で、肺に腫瘤が発見されたようなケースです。この場合は2通りに分かれ、もし肺腫瘤が2個以上あれば、それは転移と考えられます。レントゲンでは写らない小さな肺に無数に存在しているはずで、他の諸臓器にも転移があるはずです。それゆえ手術や放射線等の局所療法は不適です(がん組織にホルモン受容体があれば、ホルモン療法をする)。
 しかし肺腫瘤が1個だけで、CT等の精密検査でも他に病変が発見できなければ、(乳がんとは別個に)肺がんが初発した可能性があります。が、なお転移の可能性が残り、その場合手術を受けると、後で転移が次々出てくること必定です。したがって臓器を残す治療が妥当でしょう。
 その際、放射線治療を選ぶとしても、重粒子線や陽子線はほぼ不要です。自費で二百万、三百万と払っても、従来の放射線治療以上の効果はおそらく得られない。それゆえ保険が適用されて自己負担の少ない、患部に集中して照射できる「定位放射線治療」で十分です。
 肝転移に関しても、考え方は肺転移と同一です。ただこの場合、ラジオ波による焼灼(しょうしゃく)療法が治療法選択肢に入ってくる。手術は技術的に難しく、危険である一方、その後に次々転移が生じてくること必定なので、なるべく避けられた方がよい。
 極めて例外的なケースとして、大腸がんの肝転移があります。転移病巣が2個、3個と複数あっても、それらを治療すれば、後に新たな肝転移が生じてこないことが3割程度に見られるのです。しかし逆に見ると、危険な手術を受けても、その後7割の患者は、新たな転移を経験するので、手術を受けるかどうかの判断は難しい。この場合も、ラジオ波焼灼療法を丁寧に実施してくれる施設がなくはないので、そういう施設を探すのが一法です。次に術後の定期検査を検討しましょう。
 手術や放射線治療の後、転移早期発見のためと称して、エコー、CT等の画像検査や、腫瘍マーカー等の検査がよく行われます。その必要性に関しては、ここでも癌が「本物」と「もどき」に分かれることを思い出し、場合分けして考えるとよいでしょう。
 すると、その癌が「もどき」であれば転移は生じないので検査は不要。仮に「本物」であれば、臓器転移が存在しているので検査は無意味。どちらにしても、術後検査は受けなくてよい。もどきである可能性が高い、低いにかかわらず、同じ結論になるわけです。
 実際にも乳がんや大腸がんにおいて、術後検査の有効・無効を調べたくじ引き試験があります。結果、頻繁に検査しても寿命は延びなかった。他の癌では、くじ引き試験はないのですが、がんもどき理論からは、治らない癌が(術後検査で)治るようにはならないという結論になります。
 逆に、定期的な検査が寿命を縮めることもある。たとえば、画像検査で発見できない(つまり転移病巣が非常に小さい)段階で、腫瘍マーカーが上がっているのを発見し、早々に抗がん剤治療を開始するケースが多々見られます。そうすると、抗がん剤治療期間が長くなり、毒性が増大し、かえって寿命が縮むはずです。
 ただし前述のように、大腸がん肝転移は、手術やラジオ波焼灼療法で治ることがあるので、術後検査の結果、患者全体の平均余命が延びる可能性がある。その可能性を追求する場合には、肝転移が出現するのは2年〜3年以内なので、その期間中エコー検査を定期的にするようにします。ただ、あまり早く転移を発見すると、他に転移が潜んでいるのに(それが分からず)手術を受けてしまう可能性も生じます。大腸がん以外の癌の術後に話を戻します。
 こうして、がんもどき理論からは、放射線被ばくの心配をしながら、CTを定期的に受ける必要もなくなります。担当医の態度が悪くて、受診したくない場合には、患者の方から縁を切ってもよい。病院通いをやめれば、心理的な負担は大きく減って、より長生きできる可能性すらあります。

(「治るがん」と「治らないがん」(6)に続く)

[文藝春秋 第八十九巻第四号pp120-121]
「治るがん」と「治らないがん」(4)
がんを「放置」してみたら
 ところで検診を受けないと、がんは早期に発見されず、そのまま放置されることになる。この場合、もどきは放置されても死につながらない。それはくじ引き試験結果から明らかです、と言われても、おそらく読書は理解しにくいのではないか。そこで、発見された原発病巣を、実際に放置して観察した場合を紹介しましょう。種々の癌で報告があります。
 胃がんでは、オーストリアからの報告がある。6人の早期胃がんを11〜36ヶ月にわたって経過観察したところ、いずれも増大しなかった(Lancet 1988;2 <8611> :631)。患者すべてを手術しないでいるので、オーストリアの医者たちは、早期胃がん、イコール手術が必要と考えていないことがあります。
 前立腺がんの検診は、採血してPSA(前立腺特異抗原)値を測ります。PSA高値の場合に、前立腺に針を刺して「生検」を行うと、かなりの割合で癌が発見され、手術や放射線治療という流れになります。ところが死亡した高齢者を解剖すると、生前知られていなかった(潜んでいた)前立腺がんが、半数近くも認められる。もしこれが本物のがんだとすると、男性の半数が前立腺がんで亡くなってもおかしくない。ところが実際には、前立腺がんで死亡するのは男性の1%程度です。このことから、PSA発見がんのほとんどが「もどき」と考えられます。
 この点PSA発見がん299人を放置・観察した報告があり、8年間の前立腺がんによる死亡率は0.9%でした。死亡し2人は、6ヶ月以内に治療が必要となり、治療後1年以内に臓器転移が出現しました。どちらも当初から「本物」だったと考えられる(Urol Oncol 2006;24:46)。この他にも、肺がん、子宮頸がん、腎がん、甲状腺がんを放置・観察した報告があり、結論はがんもどき理論に合致します。ただ紙幅の制約上、詳細は前述近著に譲り、以下では、私の診療経験を少し紹介しましょう。
 私の外来には、『患者よ、がんと闘うな』(文春文庫)出版以来、無治療・放置を希望する方が多数訪ねてこられるようになり、実際に150人以上が放置する決心をされました。一番多いのは乳がんですが(70人以上)、胃、肺、子宮、前立腺等の癌を、早期・進行期を問わず、がんによる症状が出ない限り、治療しないで診てきました。
 まず乳がんでは、乳房内腫瘤が2センチとか、3センチという大きさでも、リンパ節が腫大していなければ、十中八九は臓器転移していない「もどき」と考えられます。それらを放置・観察すると、腫瘤が消えるケースもありますが、それは例外的で、多くは増大していきます。しかし増大スピードは速くはなく、1年に1〜3ミリ大きくなるといった程度です。
 また腫瘤を触れず、乳がん検診のマンモグラフィ(乳房を挟んで撮影するレントゲン検査)でしか発見できなかった「乳管内がん」(別名・非湿潤がん)は全て、増大も転移もしなかった(最長観察期間20年)。
 他方、放置・観察中に転移が明らかになってきたケースもあります。ただ転移出現時期や、その後の増大スピードから計算して、乳がん腫瘤発見時のはるか以前に転移していたと推定されるケースばかりです。これら観察結果からも、乳がん検診の無意味が確認できました。
 そこで合理的な対処法を考えると、乳がん腫瘤を発見し、病理医に「癌」と診断されても、治療しないで放置するのが一法です。とはいえ腫瘤を放置するのは、合理的ではあっても、心理的には困難であるはずです。私の患者でも、放置する決心をしてものの、やはり気になるのでしょう、診察を頻回に通ってこられる方が多い。治療を受けた場合、1〜2年で通院しなくなる方が少なくないのと対照的です。それで最近は放置希望者に、「いつまでも患者であることを止められないから、最小限の治療を受けたらどうでしょう」と伝えています。
 治療を受ける場合、具体的方法は吟味する必要がある。この点の原則として、乳房温存療法にするのがよいでしょう。近年、乳房再建術をするからと、乳房全摘を勧める外科医が増えています。しかし残せるなら、臓器は残した方がよいのです。また再建術を勧める外科医は、温存手術をするとなると、乳房が無残な形になりがちなので、医者を代えることを考えましょう。
 前述した「非浸潤がん」の対処法は大きな問題です。100%もどきであるのに、乳管内に広がっている可能性が高いという理由で、「非浸潤がん」で腫瘤を作らないケースまで、乳房全摘になるケースが多いのです。けれども、もどきに対する手術は無意味かつ有害としか言いようがない。それで私は全摘と言われてきた(腫瘤のない非浸潤がん)患者に、「マンモグラフィを受けたこと、癌と診断されたことは忘れなさい。そしてマンモグラフィは二度と受けないように。受けると、また全摘を勧められることになる」とアドバイスしています。
 前立腺のPSA発見がんは、20人近くを診てきました。放置した場合、PSA値はその後下がるケース、上がるケース、いったん上がった後に下がるケース等さまざまです。肉体面では、放置していたために生じたと思われる不都合な症状は見られないし、転移が出現した人もいない。しかし患者は、PSA値の推移を見て、「おっ、下がった」「ああ、また上がった」と一喜一憂する。PSA検診を受けなければよかったのに、と思わずにいられません。
 では、治療を受けるとしたら、どうするか。前立腺全摘術は、尿漏れや性機能障害など後遺症の発症頻度が高く、避けた方がよいでしょう。放射線治療は、全摘術よりはましでしょうが、後遺症もなくはないから、私の方からお奨めすることはない(尿路閉塞等があれば別)。「後遺症で苦しむのは貴方自身だから、治療するかどうか、どの治療法にするかは、自分の責任できめてください」と伝えています。
 このようにPSA値を測りながら様子を見るのも、治療を受けるのも、どちらにも問題があります。それで最近は新患に、「PSA値が高かったこと、生検で癌と診断されたことを忘れて、日常生活に戻るのが一番です。採血検査は二度と受けないように」とアドバイスしています。
 子宮頸がんも十数人を診てきましたが、ゼロ期と思われる数人では、病変はやがて消失しました。この点、国家的検診体制を構築したスウェーデンの統計解析からは、検診によって発見されたゼロ期のほとんど全てが「もどき」だったと考えられます(前掲近著)。他方ゼロ期の癌は、ほぼ100%に(性交を原因とした)パピローマウイルス感染があるので、単なる、「慢性感染症」であるようです。
 ところが日本では、がんワクチンであるとして、パピローマウイルスの予防ワクチンの接種が、中学生女子等に対して始められました。が、ワクチンが、本物の子宮頸がんを予防した事実はなく、もどき増加を(長年にわたり)本当に抑制できるかどうかも不明です。それなのに若年者に打ったら、打たれた方は性交早期開始の許可証とみなすでしょうから、将来パピローマ感染は逆に増えると思われます。次は胃がんを検討しましょう。
 私は早期から進行期まで、胃摘出術を受けない20人以上を診てきました。粘膜がんと思われる場合には、ゆっくり大きくなるケース、そのままの大きさに止まるケース、消えてしまうケースに分かれます。大きくなったケースでも、格別手術が困難になったわけではんく、胃摘出術の後遺症を考え、そのまま無治療に決め込む方が大部分でした。問題は、進行したケースです。対比する意味で、人気テレビ司会者だった故・逸見政孝さんの手術を見てみましょう。

逸見さんのケース再考
 1993年1月、逸見さんは定期健診を受け、早期胃がんを発見されました。ところが開腹してみると、スキルスがんというタチの悪いタイプで、腹膜転移病巣が1個存在していた。腹膜転移は、肺や肝臓などへの転移同様、患者が治ることはなく、臓器転移と同じ意味です。しかし外科医は、胃の部分摘出術を敢行した。日本では、腹膜転移があっても(技術的に取れそうなら)胃袋を取ってしまう外科医が少なくないのです。
 案の定というべきか、腹部にすぐに再発してきました。すると逸見さんは、同年9月にテレビ出演し、胃がんであること、再発したこと、再手術を受ける予定であることを告白したのです。まだ患者本人に対する「がん告知」さえ珍しい時代だったので、患者の方から世間に「再発告知」をしたと大騒ぎになりました。
 逸見さんは、初回とは別の外科医である、東京女子医大の外科教授に再手術を依頼しました。再手術時、切除しただけでも22箇所の腹膜転移があり、(初回手術で摘出しなかった)残胃、膵臓の半分、脾臓、上行結腸〜下行結腸まで、小腸の一部等、切除臓器の総重量は3キロにも及んだといいます。しかし再手術後すぐに腹部に再発し、腸閉塞症状も出て、一度も家に帰れないまま、再手術後3ヶ月で亡くなられたのです(初回手術から10カ月)。
 特筆すべきは、初回手術時に1個だった腹膜転移病巣が、再手術時には22箇所に増えていたことです。しかも一つは、初回手術の開腹創に沿って生じ12×5センチもの大きさだった。これは腹膜転移の場合、開腹しただけでも創に沿って癌細胞が増殖し、病勢が悪化することを示しています。
 もし逸見さんはが手術を受けなかったら、どうなっていたでしょうか。
 この点私は、何人もの胃スキルスがんの(手術しないでいる場合の)経過を見ています。が、その中に、逸見さんのように苦しむ人はいなかった。10ヶ月という短期間で逝った方もおられない。全員が1年以上、多くは数年生存し、初診時逸見さんと同程度の進行状態だったのに、その後10年生きた人もいます。
 胃スキルスがんは「本物」であり、手術すると腹膜に傷をつけ、そこに癌細胞が入り込み、急速に増殖するので、腸閉塞も生じ、命を縮めるのでしょう。胃がん以外にも、膵がん、大腸がん、卵巣がんなど腹膜転移がよく見られる癌では、腹膜転移が存在した場合、やはり開腹手術で寿命が縮まるでしょう。本物のがんなのに即手術という現代医学の方針は、根本的に間違っていると思われます。

(「治るがん」と「治らないがん」(5)に続く)

[文藝春秋 第八十九巻第四号pp116-120]
「治るがん」と「治らないがん」(3)
病原診断学も破綻

 現代医学では、ある病変が癌か良性かを決める最終手段は「病理診断」です。病変から組織を採取し(生検)、標本にして「病理医」が顕微鏡で診断する。ところが病理診断の内実は、細胞の顔つき判断です。細胞の配列や大小、細胞核の大きさ等を見て診断する、といえば科学のように聞こえます。しかし人相を見ても人の性格を判定できないように、細胞の顔つきでは、病変の性質を確診できないのです。そのため神経芽細胞腫と診断された中に、「本物」と「もどき」という、性質の大きく異なるものが混じることになる。聖人の癌も同じで、その典型が胃の悪性リンパ腫です。
 胃に初発する悪性リンパ腫の治療法は胃摘出手術でした。ところが一方で、?ピロリ菌が胃に住み着いている人がいる、?ピロリ菌は胃潰瘍や十二指腸潰瘍の原因になる、?抗菌薬による除菌療法で多くの潰瘍が治癒する等が知られてきた。そこで胃悪性リンパ腫(の特定タイプ、かつ、ピロリ菌がいる)患者にピロリ菌除菌療法をすると、かなりの率で悪性リンパ腫が治ることが判明し、今では除菌が標準治療になっています。
 しかし、です。抗菌薬で治るなら、悪性の癌でもなく、その本質は「細菌感染症」ないし「炎症」でしょう(つまり良性)。ところが病理医集団は、悪性リンパ腫という名称を変更しようとしない。もしこれらを「炎症」と定義すると、顕微鏡所見が本物の悪性リンパ腫と共通しているので、本物まで「炎症」と診断される可能性が生じ、臨床現場が大混乱に陥るからでしょう。ではあっても、炎症を悪性リンパ腫と診断し続ける現状は、病理診断学の破綻を赤裸々に示しています。
 病理診断が「癌」と「良性」を、あるいは「本物」と「もどき」を区別できない真の原因は、遺伝子プログラムにあります。人の全ての細胞は、それぞれ2万個以上の遺伝子を持っており、ある遺伝子が働くと(その遺伝子に対応した)タンパクが生成され、その(タンパクの)機能が発揮される。そして各細胞は、臓器ごとに特徴あるプログラムを保有しています。
 すると、病変を構成する細胞の顔つきや性質は、各細胞のプログラム次第となる。そして、細胞の顔つきを決めるプログラム部分と、性質を決めるプログラム部分が共通ではなく別々で、それらが同一細胞内で共存できるのでしょう。その結果、顕微鏡で「癌」の顔つきでも、性質が「良性」ないし「もどき」であることが多々生じることになる。このように細胞の顔つきから性質を診断しようとするのは、本来的に無理があるわけです。
 早期発見理論が破綻する別の理由は、転移発生時期にあります。よく遭遇するケースで考えてみましょう。
 たとえば何にか(がんを疑わせる)症状があって病院へ行ったら、(どこかの臓器の)原発病巣が発見され、それと同時に肺や肝臓に転移が発見されたとする。この場合、患者・家族は、もっと早く発見していたら助かるチャンスがあったはずだ、と後悔するでしょう。その後悔が、人をがん検診に駆り立てもする。しかし、です。
 仮に(血痰があって)肺に4センチの原発病巣がが発見され、同時に肝臓に1センチの転移が幾つか発見されたとします。原発病巣と転移の成長スピードは近似しているはずなので、転移発生時期は比例計算で推定できる。するとこのケースでは、原発病巣が0.04ミリ大の時に転移が生じていたことになります。
 このように、原発病巣と転移が同時に発見されるのは仮に原発病巣を早期に発見しても転移を防げなかった証拠なのですが、一般の方々は、早期発見理論の根拠と勘違いしてしまう。そして、その勘違いを正すことなく、検診業の繁栄を維持しようとする医者たちがいることが問題です。
 転移の成立時期を別の角度から検討しましょう。CT検診の試験で、放置群より検診群の方が、肺がん発見数が多かったことは前述しました(34人対60人)。その内訳をみると、臓器転移が存在しているはずの進行度(病期)の人数は変わらなかったのです(17人対17人)。臓器転移する性質の癌では、原発病巣がCTで発見できる大きさになる前に、すでに臓器転移が生じていることが分かります。以上のように早期発見理論自体が破綻しているので、がん検診をいくら綿密に実行しても、有効にならないはずです。


(「治るがん」と「治らないがん」(4)に続く)

[文藝春秋 第八十九巻第四号pp114-116]
「治るがん」と「治らないがん」(2)
認められた「もどき」の存在
 もどきは新たに転移することはない、放っておいても命取りにはならない、とする「がんもどき理論」は、早期がんも頬放っておけば転移して命取りになるという「早期発見理論」と真正面からぶつかります。つまり両者は、どちらか一方が正しく、他方は間違っている関係にあるわけです。
 がんの中には、もどきの存在が公的討論会で認められたものがあります。
 小児の神経芽細胞腫は、お腹がふくれる等の症状がきっかけで発見される(症状発見がん)。手術して抗がん剤を投与しても、転移が出現することが多く、治療成績は惨憺たるものでした。こうなると早期発見理論の出番です。神経芽細胞腫は特殊な物質を分泌するので、尿中に排泄されたその物質を検出すれば早期発見できる。それで一歳未満児の尿検査を行う検診事業(集団検診)が、1984年から全国展開され、結果、神経芽細胞腫が多数発見され(検診発見がん)、治療成績は大変良好でした。
 ところが一方で、奇妙なことがわかってきました。一歳未満の子供の神経芽細胞腫は、自然に縮小し、消失するものが少なくなかったのです(自然退縮)。これに対し、一歳以上の症状発見がんでは、自然退縮は見られず、治療しても治らないケースが多い。そこで、検診発見がんの治療成績が良好なのは、放っておいても自然退縮する(治療の必要がない)癌を発見しているためではないか、との批判が生じました。ある研究では、検診発見がんを(親の同意を得て)放置。観察したところ、がん腫瘤が26人中18人で縮小・消失し、手術した場合にも、年長児に見られるようなタチの悪い癌は見られなかった。
 これらの批判。研究を受けて、厚生労働省は「神経芽細胞腫マススクリーニング検査のあり方に関する検討会」を組織しました(マススクリーニングは集団検診の意)。そして検討会は2003年に検診休止を勧告し、検診事業は休止されたのです。休止理由を次に示します。
?検診発見がんが症状発見がんに育つなら、集団検診開始後は、症状発見はゼロになってもおかしくない。ところが、症状発見がんの数は減らず、検診発見がんと合わせると、検診開始前の(症状発見数の)2倍になった。?すると以前の症状発見がんに相当する癌は、集団検診開始後も、やはり発症して発見されている。他方集団検診では、従来は発症しないため気づかれないで終始した癌を、見つけ出して治療していることになる。
 休止理由は、もどきという言葉こそ使っていませんが、がんもどき理論の内容そのものです。検診事業が休止されるまで、全国新生児の9割が尿検査を受け、3000人の神経芽細胞腫が発見され治療されていた。
その3000人の発見・治療はなされない方がよかった、と公に確認されたわけです。
 以上のように、早期発見理論は破綻しています。ただ、これは小児の話だから成人では別なのではないか、という疑問があるでしょう。そこで成人の癌について検討していきます。まずは胃がんです。(胃がんを含めた根拠データの詳細は近著『あなたの癌は、がんもどき』<梧桐書院刊>に譲ります。)
 下のグラフ(添付ファイル)は日本人男性の胃がん統計です。近年発見数が急増しているのは、高齢者にまで内視鏡検査をするようになったえいきょうと考えられる。他方、胃がん死亡数は横ばい傾向です(これらの傾向は女性も同じ)。
 早期発見理論が正しいとすると、検診で(発見される)胃がん総数が増えれば、胃がん死亡数は減ってしかるべきです。ところが死亡数は変わらない。とすれば、胃がんのうち近年増加した部分は「もどき」であるはずです。
 同様の統計は、胃がん以外でも見られる。欧米で、前立腺がんや乳がんの発見数が(検診によって)大幅に増加したのに、死亡数が減らないことが統計データによって示されており、その増加部分が「もどき」と考えられます。
 ランダム化比較試験の結果からも、もどきの存在を証明できます。多数の健常人を集め、くじを引くように2つのグループに分け、片方は定期的に検査を行い(検診群)、他方は何か(がんを疑わせる)症状が出るまで検査しない(放置群)という研究方法です(以下「くじ引き試験」)。
 肺がん、大腸がん、前立腺がん、乳がんのくじ引き試験が、これまで欧米で(それぞれ)幾つも行われてきました(日本にはこの種の試験は不存在)。以下では、日本人がん死亡原因トップの肺がんを取り上げます。
 米国で、ヘビースモーカーの男性9000人を集めて2群に分け、検診群に肺のレントゲン撮影等を定期的に行ったところ、放置群よりも検診群の方が、肺がん発見数が多く(160人対206人)、早期がんの割合も多かった。したがって検診群では、肺がん死亡数の減少が期待されました。ところが実際には、肺がん死亡数が115人対122人と、検診群のほうが7人多い結果だったのです。
 要するに検診をすると、(発見される)肺がんの数は増えるのに、死亡数は減らない。胃がんの統計と同じで、増えた部分は「もどき」と考えられます(乳がん、大腸がん等、他の検診くじ引き試験も肺がんと同じ。前掲近著)。
 レントゲン撮影による検診が無意味となると、もっと小さな病変を発見したらどうか、と考えるのが流れです。そこで欧米で、CT(コンピュータ断層撮影)を用いたくじ引き試験が(複数)開始されました。
 そのうち一つが中間報告をしていますが、肺がんで死亡したのは20人対20人と、人数に変わりがなかった(Am J Respir Crit Care Med 2009;180:445)。肺がんの原発病巣が増大するだけなら、手術や放射線等で何とかなるだけで、これらの死亡者は転移が存在し、そのために死亡したと考えられる。つまりこれらは本物で、その数はCT検診によっても減らせなかったわけです。
 他方、発見された肺がんの総数は、CT検診群よりも放置群の方が26人も少なかった(60人対34人)放置しても増大してこないから発見されないわけで、検診群で増加した部分は「もどき」と考えられる。このように統計やくじ引き試験結果を見れば、成人の癌でも、早期発見理論の破綻は明らかです。
 なぜ早期発見理論は破綻しているのか。一番の理由は、現代医学の水準では、「本物」と「もどき」という性質の異なるものが、同じ「癌」の範疇に含まれてしまうからです。
 というのもこの理由の前提として、?すべての癌は、増大すると転移するという性質を有している、?早期がんも進行がんも、原発病巣の大きさが異なるだけで、本質は同一である、と考えています。したがって、?転移が生じていないはずの、原発病巣が小さいうちに発見するとよい、となるわけです。とすれば、??の癌の本質や性質が共通という命題が否定されれば、理論全体が覆ります。

(「治るがん」と「治らないがん」(3)に続く)

[文藝春秋 第八十九巻第四号pp110-111]
「治るがん」と「治らないがん」(1) 「がんもどき理論」が示す正しい治療の在り方
[近藤誠(慶応大学医学部講師)] 
 本誌前号(文藝春秋 第八十九巻第三号)で、抗がん剤が選択肢となる場合の、対処法について検討しました。しかし癌に関しては、抗がん剤以外にも検討すべき問題は多い。健康な時の癌検診、初回治療で選ぶべき方法、術後検査の当否、等々です。そこで本稿では、種々の場面での対処法を検討します。
 他方前号で、いわゆる「がんもどき理論」の帰結に触れたところ、理論の中身を知りたいとの声も寄せられました。ただ理論は、現実問題を解決できてこそ意味がある。本稿では、対処法の検討に必要な限りで「がんもどき理論」を紹介します。なお紙幅の関係上、発生頻度の高い、肺がん、胃がん、大腸がん、前立腺がん、乳がん、子宮頸がんが主な検討対象です。が、検討結果は、他の癌にも適用可能でしょう。
 対処法の前提として、人が癌で亡くなるプロセスを知る必要があります。
 プロセスの一つは、ある臓器から発生した癌の初発病巣(原発病巣という)が増大し、その臓器が(占領されて)機能不全に陥り、そのため宿主が死に至る、というものです。肝がんで見られる死亡様式で、がん細胞が肝臓の大部分を占めると、肝機能不全が生じて(宿主が)死亡します。
 そのため(肝がんの発生母地である)肝硬変や慢性肝炎があれば、定期的に超音波検査(エコー検査)が行われます。がんが小さいうちに見つけ治療すると、寿命が延びる可能性があるからです。ただ肝硬変等がなければ、肝がん発生率は極めて低いので、定期検査は無意味です(脳腫瘍も同じ)。
 しかしこのような、がんが臓器内やその近傍(あわせて「局所」で育って宿主を死なせるという「局所死」は、がん死全体のごく一部です。今日、がん死の9割程度は他の臓器への転移(に由来するその臓器の機能不全)によります(転移死)。転移するとそれぞれの転移先で次々と局所死が起きようとし、対応不能になって死に至るのです。なおリンパ節転移は転移死の原因になりにくい。それで本稿では、もっぱら臓器転移を問題とします。

転移がなければ危険はない
転移死の典型は乳がんです。乳房の周囲には重要臓器がないので、がん腫瘤がいくら大きくなっても、それだけでは死亡しない。私は腫瘤が15〜20センチもある患者を数人見てきましたが、死因はいずれも(肺や肝等への)転移でした。
 これに対して肺がん、胃がん等、体内の臓器に生じる癌は、死亡プロセスが少し複雑になります。
 体内臓器に生じる癌は、治療しないで放置した場合、その臓器の機能不全が死因になることが多い。たとえば食道がんを放置すれば、食事が通らなくなって栄養失調で死亡する。子宮頸がんを放置すれば、患部からの出血が続いて失血死か、近傍にある尿管を塞いで腎不全で死亡すると思われます。
 しかし今日では、完全放置は希で、何かしらの治療が施されるはずです。手術や放射線等の「局所治療」が奏功した場合には、局所死を防げるし、奏功しないで癌が成長を続ける場合にも、局所死の防止策はいろいろある。尿路閉塞なら尿管に管を入れ、腎不全になれば血液透析、出血には造血剤や輸血という具合に対処可能です。
 それで局所死は減って、その分長生きできるようになりました。その結果、皮肉にも、臓器転移が育つ時間的余裕が与えられることになった。これが現代では、転移死が多い理由です。
 こうなると、がん死を防ぐためには転移を何とかする必要がある。そこで登場したのが早期発見・早期治療というアイデアです(「早期発見理論」)。まだ転移していない時期に原発病巣を発見して治療しよう、そうすれば転移を防げるはずだと、種々の臓器で検診が行われています。
 が、原発病巣が小さければ、本当に転移は成立していないのか。早期発見といっても、原発病巣が1センチ程度にならないと発見できないわけで、すでに十億個もの癌細胞が詰まっています。ありそうもないことですが、仮に1ミリの病巣発見が可能になったとしても、なお百万個の癌細胞が含まれている。このように原発病巣の癌細胞が多いと、転移する性質を有する癌では、転移は既に生じているのではないか。
 これに対し、がんもどき理論は次のように考えます。
 まず、あらゆる臓器のあらゆる癌は、別の臓器に転移しているか(潜んでいる微小転移を含む9、転移していないかどちらかです。論理的に自明ですが、理論の要点はその先にあり、転移していない癌は、仮にその後放置しても、転移が生じることがないと考えられるのです。
 ある時点の転移がなければ、放置しても転移が生じないのであれば、(前述のように)局所は何とか対処可能なので、命の危険も生じない。そこで私は、臓器転移がない癌を「がんもどき」と名づけました(以下単に「もどき」と表すこともある)。これに対し、臓器転移の臓器転移のある癌は「本物のがん」です(「本物」と略すこともある)。

(「治るがん」と「治らないがん」(2)に続く)

[文藝春秋 第八十九巻第四号pp110-111]
どうしてがんになるのか (喫煙・塩分、大きな要因)
[朝日新聞2011年4月27日号記事]
 年に亡くなる人の3分の1はがんが原因です。身近な病気だけに、さまざまな疑問を抱く人も多いでしょう。なぜがんになるのか?探ってみました。(宮島裕美、大岩ゆり)

心臓では発症する? /ごくまれにみつかる

 Q いろいろながんがあるけど「心臓がん」と言う言葉は聞かないね。心臓はがんにならないの
 A ごくまれに見つかる。亡くなった後に解剖する例のなかで、心臓に腫瘍が見つかるのはわずか%。このうちの多くは良性で、がんは3割しかない。
Q 腫瘍はどこにできるの
A 多くは心臓の内側にできる。多いのは粘液種と呼ばれるゼリー状でおできのようなものだ。
Q 腫瘍ができると、胸が痛くなったり、苦しくなったりするの
A 症状がないこともあるが、心臓の筋肉が動かなくなったり、脈が乱れたりする場合もある。腫瘍が心臓の弁をふさぎ、血液がスムーズに流れなくなることもある。
 Q 治せるの
 A 良性の腫瘍は手術で取れる。でも、がんは進行が早くほとんど手術ができない。放射線治療や化学療法もほとんど効かない。
 Q どうして心臓のがんは少ないんだろう
 A 一般に、人の体は細胞が分裂して増殖を繰り返している。この過程で遺伝子が傷ついて、変異が起き、増殖が制御できなくなると、がんになるものがある。心臓の細胞は、生まれてすぐ分裂が終わっているので、細胞に異常が起こりにくく、がんになりにくいと考えられている。
 Q ほかのがんは
 A 国立がん研究センターのまとめでは、2005年にがんと診断された男性では、一番多かったのが胃がんで、肺、前立腺が続いた。女性は乳がんが一番多く、胃、結腸が続いた。死亡者数では、男女合わせると、肺がんが一番多く、次いで、胃、肝臓が多い。

「がん家系」ってある? /「なりやすさ」遺伝も

 Q 「うちはがん家系」と言う人がいるけれど、がんは遺伝する病気なの
 A がんの原因は、喫煙や食べ物の偏りなどさまざまだが、遺伝の影響は5%ほど。1種類の遺伝子に異常があるとほぼ確実にがんになるリスクの高い要因から、複数の遺伝子と生活習慣などが複合的に影響してがんになりやすくなるという弱い要因まである。
 Q がんになりやすい体質になる遺伝子とは
 A 細胞の増殖を調整するブレーキ役の遺伝子や増殖を促進させるアクセル役の遺伝子に変異があると、がんが抑えられなかったり、がんが増え続けたりする。このような遺伝子の変異ががんになりやすい体質と考えられる。
Q 遺伝性で多いがんは
A 遺伝性の乳がんと大腸がんだ。遺伝性のがんは家系に同じがん患者が複数いたり、何回もがんにかかっている人がいたり、若いうちから発症している人がいるのが特徴だ。
 Q 遺伝性のがん体質はどうやって調べるの
 A 血液を約10cc採り、原因となる遺伝子に異常がないか調べる。「遺伝子診断」と呼ばれる遺伝子外来などで相談できる。がん研有明病院遺伝子診療センターの新井正美医師は「遺伝子の変化がわかれば、がんを早く発見して治療するため、計画的に検診するなど予防を心がけ生涯にわたりケアする」と言う。
 Q がんになるのは、他にどんな要因があるの
 A 米ハーバード大ががんで死亡した人を分析したところ、最も大きい要因は喫煙(30%)と食事・肥満(30%)だった。塩分は胃がんのリスクを高めることがわかっている。日本人の場合、食事・肥満が占める比率はもう少し低くなるとみられている。

生存率の算出方法は? /病院や学会、独自集計

 Q がんの生存率はどのように計算するの
 A 生存率でよく使われるのが「5年生存率」。がんと診断された人のうちどれぐらいの人が5年後も生存しているかを表す。全国的な統計はなく、病院や学会がそれぞれ集計している。「がんの種類や進行度、治療法によって生存率は異なる。生存率を参照する時は注意が必要だ」と国立がん研究センターの祖父江友孝がん統計研究部長は話す。
 Q どうして5年で区切るの
 A がんになった人は最初は100%生存しているが、時間が経つにつれ減ってくるグラフにすると右肩下がりの曲線を描く。ところが多くのがんでは5年を過ぎると曲線が平らに近くなり、がんによる死亡がほぼ無くなる。だから5年で区切ることが多い。
 Q なぜ再発するの
 A 顕微鏡でも見えない細かいがん細胞が、外科手術でがんを切り取った後に残っていたり、もともとがんがあった場所から離れたリンパ節や臓器に移動していたりして起こる。

臨死体験で「あの世」を考える
[週刊朝日3月11日増大号記事より]

生死の境をさまよった人は、しばしば不思議な心地よい光景を目にするという。人は死んだらどうなるのか。死後の世界はあるのか。この永遠、不変のテーマを、臨死体験者の証言を通して考えてみよう。死を自然の摂理ととらえ、この世の終わりを意識することが、限りある人生を悔いなく生きることにつながるのだから。


 それは音のない、薄い色と光の世界だった。
 自分はベッドに寝かされている。手足をバンドで縛られ、体のあちこちに管がつながっている。
 足の先に大きな床の間のような空間があり、中央にトンネルが見えた。その奥で、小さな黒い穴が口を開けている。
 左右には1メートル強のガラスケースがあった。右側のケースの中には誰のものかわからない大きな位牌があり、こちらを向いている。左側では笠状のものをかぶり、足を組んで座る仏像が、電気仕掛けのようにぐるぐる回転していた。その頭上はポッ、ポと光っている。
 仏像の顔は、毎朝、線香を上げて拝んでいた家の仏壇の仏さまと一緒だ。後に『仏像図鑑』で会確認したら阿弥陀如来だった。
 さらに、床の間の上に、薄い文字で「南無阿弥陀仏」と書いてあるのがはっきり読めた。そして、赤いジャンパーを着てリュックを背負ったおばさんがやってきて、トンネルの奥へと手招きをしたのだという。
「全然見たこともないおばさんが、あっち行こう、あっち行こうって言ってるんです。あれについて行ったらいけないんだろ?行かなくてよかった」
 東京都小平市で40年以上も開業医をしている吉元昭治さん(82)は2002年4月、いわゆる「臨死体験」をした。
 午前の診療を終え、2階の書斎でいすに座って休んでいるとき、意識を失った。救急車で病院へ。集中治療室(ICU)で意識不明の危険な状態が続いた。暴れたためベッドに縛られもしたという。呼吸もままならず、10日目に気管を切開し、酸素を管から補給した。
「それで酸素が頭に回ったせいか、ようやく意識が戻ってきた。その、半覚醒ぐらいのときに臨死体験をしたようです」
 ベッドに寝ていたら絶対に目にできない光景だった。隣の部屋では、自分の面倒を見てくれていたらしい看護師が、なぜか薄水色の僧衣に着替え、こちらに背を向け何度も上半身を折って祈っていた。
「どうやら私の体はいくらか浮遊していたのではないでしょうか。臨死体験の間、痛みや怖さは全くなかったし、このまま死んでしまうという恐れもなかった。むしろ心は安らかで、気持ちいいとさえ感じていました」
 9年も前の出来事なのに、記憶は鮮明だ。吉元さんは、こんな確信を抱くようになった。
「安らかな死に顔」とか、「眠るように死んでいった」とよく言うが、あれは本当じゃないか。死ぬ間際には、誰もが自分のような、安らかな体験をして亡くなっていくのではないだろうか―――。
 元聖心女子大学教授の鈴木秀子さん(79)の臨死体験は、いまから34年前にさかのぼる。中学1年生で終戦を迎えた鈴木さんは、その後、8年間に及ぶ修道院での生活などを経て、当時は母校の聖心女子大で日本文学を教えていた。
 その日は翌日に開かれる学会に出るため、シスター仲間がいる修道院に泊めてもらっていた。2階に案内され、早めに床に就いたが、夜中に目が覚めた。暗がりの廊下を壁づたいに歩いていたとき、足を踏み外して階段から転げ落ちた。1階の床に真っ逆さまに叩きつけられ、気を失ってしまったという。
 それから、鈴木さんは不思議な体験に遭遇する。
 ふと気付くと、自分の体が立った姿勢のまま宙に浮いている。その自分を、さらに高いところからもう一人の自分が見ていた。
 空中にいる自分の足のまわりをタケノコの皮のような花びらが覆っていた。
 その花びらが足元から一枚、また一枚と散っていく。それを見ているもう一人の自分は花びらが一枚散るごとにひとつ、またひとつ、苦しみから解放され、自由になっていくと感じた。そして花びらが最後の一枚になったとき、2人の自分が一体になった。その瞬間鈴木さんはそれまでに見たことのない、美しい光に包み込まれる感覚を味わった。
 それは白っぽい、金色の輝きに満ちた、一面が光の世界だったという。女性だか男性だかわからない「だれか」がいて、そこから光が四方八方にあふれていた。
 鈴木さんは言う。
「その光が、私を全部包み込んでくれている。私とその光は深い部分でつながっていて、私は全てを受け入れられ、完全に愛されていると感じることができたんです。まさに至福としか言いようのない、満たされた世界でした」
 九死に一生を得た鈴木さんは、後年、台湾にある有名寺院を訪れた時、蓮の花びらをかたどった仏像の台座を見て、「あのとき見たものと同じだ」と驚いた。「タケノコの皮」は、蓮の花弁だったという。
 もうひとり、宗教学者の山折哲雄氏(79)の体験を紹介しよう。
 山折氏は学生時代に十二指腸潰瘍を患い、胃の3分の2を切る大手術を受けたが、30代後半のときにそれが再発した。学生たちと酒を飲んでいて、突然、バケツ半分くらいの吐血をした。
 気を失って倒れるとき、5色のテープを吹き流したようなイメージが現れた。体はふわっと浮き上がるようで気持ちがいい。
 気付いたときは病院のベッドの上だった。それから10日間ほどの間、点滴だけで絶食状態に置かれた。やがて、体全体が透明になっていく感覚を味わい、五感が研ぎ澄まされていったという。
「限りなく死に向かう体験を臨死体験というなら、気を失ったときが私の臨死体験でした」(山折氏)

ほかにも、トンネルをくぐったら美しいお花畑があった、とか、死んだはずの先祖と出会って「来ちゃいけない」と言われた、といった「臨死体験」の物語は枚挙にいとまがない。

 こうした証言を、私たちはどのように解釈すればいいのだろうか。そして死後の世界はあるのか、あるとしたらどんなものか。
 京都大学こころの未来研究センターのカール・ベッカー教授はこう断言する。「証言者が大勢いることは疑いようのない事実です。臨死体験はあるかないか、という問いの立て方は意味をなさない。存在するかどうかではなく、臨死体験がその後の生き方にどういう意味を持っているか、を考えるべきです」
 国内外の臨死体験を長年研究してきたベッカー氏によると、臨死体験は病気や事故で死にいたる段階で起こるだけでなく、健康な人間でも「あの世」を垣間見ることがある。
 米国・サンフランシスコの観光地として有名なゴールデンゲートブリッジは、自殺の名所でもある。
 そこで身を投げたものの死を免れたある男性は、橋から水中に落ちていく一瞬のうちに、遠く離れた実家の両親が会話している光景を見たという。単なる幻覚と考えられなくもない。
「しかし、その時間帯に男性の両親が実家のどの部屋で、どんな服を着て、どんな会話をしていたかを、後で追跡調査したところ、男性の証言と一致したのです」(ベッカー氏)
 日本では臨死体験がオカルト扱いされかねないのに対して、米国やイギリス、オランダなどでは、国公立の大学が研究機関を作り、税金を投じて研究している。
 また世界的には、2000年あたりから医学会で臨死体験に関する発表が続いた。医学専門雑誌には、脳が停止した状態の患者でも自分が自分を見下ろしている感覚、すなわち脳には意識がなくとも臨死体験が起こり得るというケースが報告されている。
「戦後の唯物論的な傾向が極端に強い医学教育の影響で、脳が働いていなければ意識はなくなるので、臨死体験はありえないとする考えが日本ではいまだに支配的です。しかし、すでに『脳イコール意識説』は世界的に疑問視されつつあるのです」(ベッカー氏)
 臨死体験とは幻覚や夢の一種ではないかという「反論」に対しては、表で示したとおり、少なくとも4点の違いがあるとベッカー氏は指摘する。さらに言えば、臨死体験をした人は往々にして人生観や世界観が変わる。これも梅や幻覚と大きく異なる点だろう。

「夢と臨死体験の違い」
《夢》
○ストーリーは自分自身が主人公のことが多い。自己中心的である
○他人と同じ夢を見る確率は低い
○内容はフィクションであったり、事実でなかったりする
○ほとんどの登場人物は生きている人物か、フィクションの存在である
《臨死体験》
○ストーリーは他者や何か大きな力に引っ張られることが多く、自己中心的でない
○見える景色や表現される言葉づかいは微妙に違うものの、内容に共通性がある
○追跡できる限りにおいては、内容は事実と判明することが多い
○ほとんどの登場人物はすでに亡くなっている人や、観音様など「聖なる存在」である
(カール・ベッカー氏による)

 冒頭で紹介した開業医の吉元さんは、自らの死について淡々とこう語る。
「臨死体験を味わった後はね、名誉欲とか金銭欲がなくなっちゃったんです。年も年だし、いい具合に枯れた人間になりました。死が来たら来たで受け入れようと思っています」


がんと就労 心の痛み(6) 情報編 専門科受診で早期回復
 「何かの間違いではないか」「ショックで家から出られなくなった」――。厚生労働省研究班が、がん体験者約8千人の声を集めたところ、再発や死への恐怖など、悩みの半数は心の不安に関するものだった。

 国内外の研究によると、がん患者の約6人に1人がうつ病、6人に1人が適応障害に悩むという。うつ状態になった場合、治療に積極的になれないなどの影響が出るため、早めに心の痛みを取り除くことが必要だ。

 がんが患者の心に与える影響を研究する学問は、サイコロジー(心理学)とオンコロジー(腫瘍〈しゅよう〉学)からなる造語で「サイコオンコロジー(精神腫瘍学)」と呼ばれる。日本サイコオンコロジー学会によると、精神腫瘍科を掲げる病院は、標準的ながん治療が行える「がん診療連携拠点病院」(388施設)を中心に、約40カ所ある。

 治療は、抗うつ薬や抗不安薬を飲むなどの薬物療法や、精神療法が中心だ。精神療法には、「2割も再発する」ととらえるのではなく、「8割は再発しない」と考え方を修正する認知行動療法などがある。

 精神腫瘍外来を開設している聖路加国際病院(東京都)が、昨年4〜12月に精神療法を中心に治療を受けた100人を分析したところ、約3割の患者が1〜2カ月の短期間で治療がいらなくなるまでに改善した。保坂隆・精神腫瘍科医長は、「うつ状態や不安の原因がはっきりしているので、対処法を提案したり悩みを聞いてあげたりすることで、早期回復する場合が多い」と話す。

 ただ、精神科や精神腫瘍科の受診に抵抗を感じる人も少なくない。岡山大学の内富庸介教授(精神神経病態学)は「心の問題は患者の尊厳にかかわるので、受診の勧め方やかかわり方は難しい」と話す。

 精神科医への受診には抵抗があると感じる場合、がん診療連携拠点病院にある相談支援センターを利用する方法もある。看護師やソーシャルワーカーらが様々な相談に応じている。国立がん研究センターの「がん情報サービス」(http://ganjoho.jp/public/index.html)で、病院名を検索できる。(熊井洋美)

[朝日新聞 2011年7月21日号 生活面「患者を生きる」記事]
がんと就労 心の痛み(5) 諦めていた子ども授かった
2002年に精巣がんの手術を受け、半年後に職場復帰した東京都の私立学校教師の男性(37)は、完全復帰するまで1年近く、短時間勤務で働けた。学校の理解も大きかった。ただ、適応障害と診断され、抗不安薬は手放せなかった。

 薬を飲むと眠くなり、仕事への集中力が落ちた。だが飲む量を急に減らすと幻覚が出るときき、また不安になった。結局、1年近くやめられなかった。

 念願の学級担任に復帰したのは、完全復帰から2年を経た06年春だった。同時に、闘病後に知り合った同僚(32)と結婚した。最初の食事で病気の話をして、結婚するにあたり、「子どもができないかもしれない」と告げた。妻は「2人で生きていくのも構わない」と思った。精巣がんと闘う「戦友」を訪ねる旅にも、一緒に出かけた。

 結婚式には、戦友の一人も呼んだ。親しい友人や当時の職場の同僚にしか伝えていなかった闘病経験を、式の2次会で、初めて告白した。闘病を乗り越えられたのは、仲間や家族のお陰。節目の場で、感謝の気持ちを伝えたかった。

 告白で、一区切りがついた。「やりたいことを、やれるときにやろう」と心に決めた。

 大学院で学ぶという学生時代の夢に挑戦してみた。専攻は生物工学。試験に合格し、自己充実休暇を取ることにした。

 直後、妻の妊娠がわかった。精子の凍結保存の機会を逃したため、子どもはほとんどあきらめていた。「学校の生徒たちが、かわいい我が子だ」と、自分を慰めた時期もあった。妻も自分も、うれしさよりも驚きが先にたった。手術から5年が経過していた。

 08年夏に長男、昨年夏には長女が生まれ、4人家族になった。「この子たちを、守り続けなければならない」

 患者同士が交流できる場を作ろうと、ネット上に、精巣がんの患者会も立ち上げた。会員には大学に入りたての人もいれば、患者の母親や妻、彼女もいる。ネット上で悩みを相談するだけでなく、年に数回は食事会で会い、励ましあう。

 「自分がつらいとき、相談できる場が少なかった。その経験が他の人の参考になれば」。その輪は、250人に広がった。

[朝日新聞 2011年7月18日号 生活面「患者を生きる」記事]
がんと就労 心の痛み(4) 同病の患者と交流したい
2002年に精巣がんがわかり、左の精巣を摘出した東京都の私立学校教師の男性(37)は退院後、強い不安感に襲われた。精神科で適応障害と診断され、抗不安薬を処方された。

 休職のまま新年度を迎えた。4月のある日、復職時期や条件について相談するため学校に出向いた。「授業がある時間だけ出勤すればいい」という上司の言葉に甘え、5月の連休明けから教壇に戻った。1学期は、週4時間の理科の授業だけ、2学期は週12時間と、徐々に体を慣らしていった。

 時間があいているときは、おいっ子と遊んだ。おいっ子と過ごすと「自分は結婚し、子どもが持てるだろうか」と不安になった。精子を凍結保存できることを知らなかったとはいえ、保存しなかったことを悔やんだ。

 一方、闘病を支えてくれた彼女とは、徐々に疎遠になった。彼女は就職したばかり、男性は病との闘いに精いっぱいで、お互い余裕がなくなっていた。

 職場復帰後も、月に1度は病院でCT検査と採血をした。画像は「異常なし」が続いたが、腫瘍(しゅよう)マーカーの値が下がらない。毎月、値に一喜一憂した。04年4月に完全復帰を果たした後も正常値に戻らなかった。

 精巣がんは、他のがんと異なり20〜30代の若い患者が多い。同世代に悩みを理解されず、孤独に陥る患者も少なくない。男性も入院時にがんと闘う友人はできたが、同じ病の人には出会わなかった。

 初めて同じ精巣がん患者と会ったのは、ネットを通じて知り合った埼玉県の年下の男性だった。健康食品を交換し合い、彼の退院時には焼き肉で祝った。

 数カ月後、職場復帰したはずの彼に年賀状を送った。年賀状の代わりに、メールが送られてきた。肝臓への転移がわかり、余命わずかだという。その後、連絡は途絶えた。帽子をかぶり笑顔で手を振っていた姿を思い出し、一人、部屋で泣いた。

 もっと同じ病の患者と交流し、支え合いたい。そう思い04年夏にホームページを立ち上げると、神奈川県の会社員(36)からメールが届いた。術後に再発を経験していた。実際に会うと、初対面で意気投合、飲み屋を3軒ハシゴした。肩を組んで渋谷の繁華街を歩いた。

がんと就労 心の痛み(3) 不安募り「適応障害」に
2002年11月に精巣がんの手術を受けた東京都の私立学校教師の男性(37)は、約3カ月ぶりに退院し、自宅療養に入った。腫瘍(しゅよう)マーカーの値が下がらなかったが、主治医の原田昌幸医師(47)らの判断で、経過をみることになった。

 検査のため社会保険中央総合病院に行く以外は、都内の実家か一人暮らしのマンションで過ごした。闘病記録を作ったり、精巣腫瘍に関するウェブサイトを読みあさったり。同じ病の患者の闘病記に一喜一憂し、自分の知らない治療法に出会うと、「そちらの方が良かったのでは」と動揺した。

 寝る前になると、心臓の拍動が急に激しくなり、手ががたがたと震えだした。正しい治療法なのか、微熱はがんの再発ではないのか――。身近に不安を打ち明けられる相手がいなかった。病院に電話して、同年代の看護師に30分ほど話し相手になってもらったこともあった。

 ほぼ毎日のように、同僚や友人が自宅に見舞いに来てくれた。つい仕事が気になり、学校での出来事を聞いてしまう。生徒の進路や新学期の人事の話を聞き、余計に落ち込んだ。

 自分がいなくても、学校は回っている。社会に必要とされていないのか。電車や車を見ると「自分なんて、ひかれてしまえばいい」と自暴自棄になった。

 退院から20日。焦りと不安はピークに達した。「精神状態がおかしい」。何としても安定させなければと、近所の精神科クリニックに駆け込んだ。カウンセラーが優しく自分の不安を聞いてくれて、大泣きした。

 医師の診断は「適応障害」。がんと治療のストレスを受け止められず、抑うつや不安などの症状が出ていた。抗不安薬が処方され、心が少し軽くなった。

 セカンドオピニオンも取ることにした。「経過観察で」という主治医の方針は自分にとって最良の選択なのか。病理やCT検査の資料を貸し出してもらい、別の総合病院に行った。

 しかし、長く待った割に対応は素っ気なく、最終的には主治医を信頼することにした。

 気がつけば、卒業シーズン。自分が授業を受け持った生徒を見送れない寂しさが募る一方、「こんなに休んだらクビになる」と、びくびくしていた。

[朝日新聞 2011年7月16日号 生活面「患者を生きる」記事]
がんと就労 心の痛み(2) 聖夜も正月も82日間入院
2002年11月、精巣がんと診断された東京都の私立学校教師の男性(37)は、9日後には社会保険中央総合病院(東京都新宿区)で手術を受けた。直径8〜9センチまで腫れていた左の精巣を摘出した。病理検査の結果、放射線治療があまり効かないタイプとわかった。周囲のリンパ節にも転移していて、抗がん剤治療をすることになった。

 治療で3カ月ほど入院が必要と言われ、激しく落ち込んだ。精子を作る機能に障害が出るタイプの抗がん剤も使うという。学級担任として、3学期には授業に戻れると思っていた。漠然とだが、つきあっていた彼女との結婚も、子どもと暮らす将来も、頭の中にあった。

 ただ、「放っておけば命にかかわる」と説明されると、選択の余地はなかった。12月から3種の抗がん剤治療が始まった。白いご飯の匂いを「臭い」と感じ、食欲不振や吐き気に襲われた。脱毛に備え、あらかじめ五分刈りにしたが、残っていた毛髪もシャワーのとき、ゾリッという感触とともに全て流れた。

 入院中は、毎日のように彼女が見舞ってくれた。学校の上司も「若いんだから、完全に治してから出勤を」と繰り返し、休職規定などを説明してくれた。生徒たちからは、「早く元気になって戻ってきて」という寄せ書きや、千羽鶴が届いた。生徒たちの思いがうれしく、病室で涙があふれ出した。

 それでも、心細さは消えなかった。都内の実家を離れ、一人暮らしを始めて3年目。ろくに実家に帰ることはなかったのが毎日、病院の公衆電話から家族の声を聞いた。手術した日、2歳上の兄に初めての子どもが生まれた。男性の快復を願い、男性の名前の一文字を入れて命名したと聞き、胸が熱くなった。

 折々、外泊は認められたが、クリスマスイブも正月も病院で過ごした。「新しい年はどう過ごしているんだろう」。病室でそんなことばかり考えた。

 03年2月1日。82日間の入院生活に、ようやく別れを告げた。病院の休憩所などで仲良くなった患者仲間が、タクシー乗り場まで見送ってくれた。

 退院できる。喜びをかみしめた。だが、孤独と向き合い大変なのは、これからだということに、まだ気づいていなかった。

[朝日新聞 2011年7月15日号 生活面「患者を生きる」記事]
がんと就労 心の痛み(1) 29歳、人生終わるのか
「なんか、大きくなってるのかな」

 シャワーを浴びたとき、何となく触れた左の睾丸(こうがん)が腫れていた。東京都の私立学校教師の男性(37)が、身体の異変に気づいたのは、9年前の夏の終わりのことだった。

 当時は中学生の学級担任に加え、理科の授業、軽音楽部の顧問と忙しかった。合間を縫って自宅近くの病院に行くと、医師は患部に全く触れることもなく、尿路結石と診断した。処方された鎮痛剤が切れると激痛が走り、職場を早退することが多くなった。

 睾丸はだんだん膨らんでいき、気がつくと野球ボールほどの大きさになっていた。下着をつけてスーツを着ると意外に目立たなかったが、激しい痛みで歩くのも大変になった。

 11月はじめ。我慢できずに早退し、10キロほど離れた自宅まで、タクシーで帰った。座ることすらつらく、後部座席に横たわっていた。

 限界だった。「早く石の破砕手術をしてもらおう」と、インターネットで泌尿器科に強い病院を検索した。選んだのは社会保険中央総合病院(東京都新宿区)。受診のときには、つきあっていた8歳下の彼女が付き添ってくれた。

 診察室で超音波検査を受けると、女性医師の顔が曇った。左精巣の断面の組織が均一でなく、精巣腫瘍(しゅよう)の疑いがあるという診断だった。腫瘍マーカーの三つの値はいずれも正常値から大きく外れていた。

 「すぐに入院の準備をして下さい」

 医師の説明の途中から、涙で周囲がかすんできた。診察室を出ると、すぐに勤務先の学校に電話した。「精巣がんかもしれません」。言いながら、号泣していた。帰り道、乗り込んだタクシーの車内ラジオから流れてきたのは、がんの話題だった。涙が止まらなくなった。

 1週間後に入院。やはり精巣がんだった。CT検査では、腫瘍の大きさは2センチほどで、周囲のリンパ節にも転移があるようだった。

 俺は、いくつなのだろう?まだ29歳だ。人生、終わってしまうのだろうか。教壇に再び立てるのだろうか。ぼんやりと、自問した。(熊井洋美)

[朝日新聞 2011年7月14日号 生活面「患者を生きる」記事]
近藤誠 抗がん剤はそれでも効かない
 本紙先週号(週刊文春1月20日号)に「『抗がん剤は効かない』は本当か!?」という記事が載りました。私(近藤誠)が「文藝春秋」1月号に寄稿した「抗がん剤は効かない」(以下、「効かない論文」)と、同2月号の立花隆さんとの対談「『抗がん剤は効かない』のか 患者代表・立花隆、近藤誠に質す」(以下、「効かない対談」)に対する反論です(以下、「反論記事」)。
 記事は、勝俣範之・国立がん研究センター中央病院・腫瘍内科医長と、上野直人・テキサス大学MDアンダーソンがんセンター教授(以下、「お二人」)に、鳥集徹さんというジャーナリストが取材・構成したものですが、この形式から既に、「はて、記事の責任主体は誰なのか」というクエスチョン・マークが付きます。実際、中身を読んでも、本文中の各発言が誰によって発せられたのかが分からない。それにこの形式では、内容が間違っていた場合、「あいつが悪い」「鳥集氏が間違えた」などと責任を転化する可能性も残ります。
 さて、肝心の内容ですが、全部、再反論可能です。が、紙幅が限られているので、反論記事中にある「近藤論文の主な誤り」という表に記された「コメント」に絞って再反論を加えることにします。この表は、10項目の論点について、左側に私の指摘を引用し、右側に(私の指摘に対する)コメントを配しているので、簡明ですし、中央に「正否」と題して、○×△をつけた欄があるのでインパクトがあるはずです。
 10項目はすべて、「効かない論文」の中の記載に関するもので、○印が1つ、△印が3つ、×印が6項目となっています。△印項目も、私の指摘を大筋では認めておられるので、×印項目に再反論を加え、△印項目は紙幅の許す限り触れることにしましょう。

補助薬は抗がん剤ではない

 最初の×印の項目は、私の「使われる抗がん剤の種類・内容に大きな変化はなかった」との指摘に対し、「抗がん剤はここ十数年で大きく変化しており、その間に承認された薬剤も多い」とコメントし、続けて近年認可された抗がん剤を挙げています。
 しかし、というのは「種類・内容に大きな変化はなかった」というのは細胞毒である薬剤ばかり開発していて従来の抗がん剤と大同小異である、という意味ですから、コメントはいかにも牽強付会です。そもそも抗がん剤ワールド全体を相手にしようという私が、近年承認されたものがあることを知らないはずがない。こうした人を見くびったかのような態度は災いを招きがちなんだがなー、と読み進めていたら案の定、直後に間違えていたので驚きました。列挙された新規承認薬の中に「アイソボリン」が含まれていたからです。これは、ある抗がん剤と併用するとその効果を高めるといわれる「葉酸」つまりビタミンで、せいぜい抗がん剤補助薬です。
 抗がん剤の専門家であるお二人が、どうしてこんな間違いをするのか、と思ってよく見たら、表の作成名義は「国立がん研究センター中央病院・レジデント有志グループ」でした。なぜお二人が自身で作成しなかったのか、反論記事では、これが不可解な点です。若いレジデントなら、瑣末な論点でも針小棒大にコメントしてくれるかもと期待したのか、あるいは、自身でも間違える可能性があるゆえ、責任逃れにレジデントを利用したのか等、いろいろ考えてしまいます。いずれにしても、有志レジデントの上司である勝俣氏は、監督責任を免れないでしょう。

曲線の形は非常に大きな問題

 次の×項目は、2本の生存曲線の優劣判定にかかわることで、「治らないがんでは、中央値を比較して、治療法の優劣を判定するのです」との指摘に対し、「生存曲線の優劣は中央値ではなく、曲線全体の死亡リスクを比較して決定する」とコメントしています。これは形式的には、コメントの理屈が正当。しかし私は、1973年の医学部卒業以来、ずっと生存曲線の問題に取り組んでいて、「消息不明者の追跡調査と生存率曲線」という論文まで書いている(癌の臨床 1986;32:501)。コメントが述べている理屈は重々承知しているのですが、上記引用のように書いたのは理由があります。この場を借りて、私の文章作法の一端を紹介することにしましょう。
 私が一般向けに執筆する際重要視するのは、正確さと分かりやすさの2点です。しかし、両者はしばしば衝突します。一般読者は専門用語に馴染みが薄いので、形式的正確さを追究すると、各専門用語のところで思考が途切れがちになる。それでは私の理想とする、読者が一度も立ち止まったり戻ったりせず、最初から最後まで一気に読みきれる原稿は実現できない。そこで、実質的正確さを失わない限度で、専門用語を言い換えたり抽象化したりする作業が必要となるわけで、それこそが腕の見せ所だと思っています。
 そこで逆に問いたい。たとえば原稿に、コメントのように「生存曲線の優劣は中央値ではなく、曲線全体の死亡リスクを比較して決定する」と書いた場合、一般読者が立ち止まらずに理解できますか、と。実質的にみても、生存曲線に優劣があれば、ほぼ例外なく中央値に差が出ることも考慮すべきでしょう。

[近藤誠・慶応大学医学部講師]
[週刊文春 第53巻第4号「近藤誠 抗がん剤はそれでも効かない」より]
「抗がん剤は効かない」は本当か!?(4)
さらにいい薬の可能性もある

 MDアンダーソンがんセンター(全米No1と評価されるがん専門病院=編集部注)では、本人だけでなく近親者も含めて、製薬会社との間に一定以上の経済的関係があると臨床試験の主任研究者にはなれません。また講演の謝礼を受け取る場合は、事前承認や金額の公開が求められます。
 製薬会社も利益相反の批判には敏感になっており、米国では、ここの研究者にいくら提供したかを細かく公開する企業も出てきたほどです。利益相反を指摘されるとデータの信頼性が失われるので、製薬会社も真剣に取り組んでいます。
 かつては日本でも、製薬会社のお金で研究者が銀座で豪遊するようなことがありましたが、今は社会の目が厳しく、そのようなことができる雰囲気ではありません。
 近藤氏の論文を看過することができないのは、こうして厳しい臨床試験を通ってきた抗がん剤を否定し、ひいてはその抗がん剤を組み込んだ標準治療を否定している点です。ホームラン級の新薬と評価されているハーセプチンさえも否定しており、科学者として責任を問われかねない発言までしています。
 近藤氏の発言には影響力があり、実際に、彼の主張を信じて、抗がん剤治療を受けなかった患者さんを見たことがあります(勝俣)。その方は不幸にも亡くなりましたが、最初から適切な抗がん剤を使った治療をしておけば、治療の可能性もあったケースでした。
 我々臨床医は、患者さんがて適切な医療を受けるために、正しい説明をする義務がありますし、メディアも同様です。正しい情報を伝えることは、患者さんの命を救うことにもなると思います。ここ十数年で、抗がん剤治療は大きく進歩しました。今後の研究によって、さらにいい薬が開発される可能性もあります。患者さんには、誤解のないように、適切な治療選択をしていただきたいと思います。
(取材・構成、鳥集徹)

[勝俣範之(国立がん研究センター中央病院・腫瘍内科医長)/
上野直人(テキサス大学MDアンダーソンがんセンター教授)]

〔週刊文春 平成23年1月20日発行第53巻第3号pp151〕
「抗がん剤は効かない」は本当か!?(3)
臨床試験はそんなに甘くない

 また、近藤氏は、エスワンやハーセプチンの国内の臨床試験で、研究者が都合の悪いデータを捻じ曲げたり隠したりしていたと、自らの知見をもとに驚くべき指摘をしているのですが、もしこれが事実なら、薬事法に違反する大スキャンダルです。近藤氏は事実関係を明らかにして告発すべきでしょう。
 実際のところ、近藤氏が言うほど、臨床試験は甘いものではありません。
 たしかに、10年、20年以上前は、問題のある臨床試験がいくつもありました。臨床試験に同意していない患者さんを登録したり、捏造したデータの報告をしたりするなどの不正が発覚したこともありました(N Engle J Med 1995;333:1469,Lancet 2000;355:999)。
 こうした問題が厳しく批判されたことから、世界の一流医学誌は今世紀に入り、事前登録制を導入しています。つまり、実施方法や評価基準など臨床試験の計画を事前に届け出るよう義務付け、その結果がよくても悪くても、すべて公表させるようにしたのです。
 データの改ざんを防ぐために、まったく利害のない第三者による厳しいチェックも行われるようになりました。米国は特に厳しく、米国食品医薬品局や国立がん研究所の職員が臨床試験を実施している病院へ査察にやってきます。血液検査の伝票まで本物であるかチェックされるので、むしろ不正工作をする方が大変です。
 日本でも1998年に、日米欧の国際的な取り決めに基づく「医薬品の臨床試験の実施の基準に関する省令(新GCP)が施行され、国際基準で治験が行われるようになっています。以来、データの信頼性の確保、記録保存の義務、監査、査察が厳しく行われるようになれました。近藤氏のクレスチンの臨床試験(94年)への批判にたいしては、同意するものはありますが、現在の治験レベルは、クレスチン時代とは全く違うものになっています。
 近藤氏は、研究者が臨床試験とは逆の研究を発表する理由として、「研究者と製薬会社との経済的結びつき」(利益相反状況)があるとも指摘しています。つまり製薬会社のために結論を捻じ曲げているということです。
 たしかに、医療界と製薬業界は切っても切れない関係にあり、多くの研究が製薬会社の資金によって支えられています。私たちも含め、研究者の利益相反関係はゼロではありません。ですが、「だからデータには人為的操作がある」と決めつける近藤氏の指摘は、第一線の我々からすると時代遅れと感じます。

<「抗がん剤は効かない」は本当か!?(4)に続く>

[勝俣範之(国立がん研究センター中央病院・腫瘍内科医長)/
上野直人(テキサス大学MDアンダーソンがんセンター教授)]

〔週刊文春 平成23年1月20日発行第53巻第3号pp150-151〕
「抗がん剤は効かない」は本当か!?(2)
「急死」はなぜ起こるのか

 また近年は、あらかじめ抗がん剤でがんを小さくすることで、進行がんの手術を可能にしたり、切る取る範囲を小さくしたりする術前治療も試みられています。この治療が広まったおかげで、乳房を全摘せずにすむ患者さんが増えました。
 近藤氏の論文は、抗がん剤に「延命させる力はない」と断言していますが、これは間違いにしても延命効果が短いという指摘ならば、場合によっては当たっています。
 統計的に見ると、抗がん剤の延命効果は、ものによっては数か月です。これを長いと見るか、短いと見るかは人それぞれでしょう。その程度の延命のために副作用で苦しい思いをするならば、治療をしないという選択をする患者さんがいても不思議はありません。
 副作用は、抗がん剤の大きな問題のひとつです。患者さんの中には副作用がまったく出ず、ピンピンしている人もいますが、重く出る人もいる。重く出た場合には、薬を替えたり、副作用を抑える薬を使ったりします。こういった技術は、数年前に比べると格段に進歩しました。ですから抗がん剤のは恐ろしいという先入観のみを持って、治療を拒否するようなことはしてほしくないのです。
 もちろん現実は甘くありません。近藤氏との対談で立花氏が、芸能リポーターの梨元勝さんが急死された例を挙げたのっを受け、近藤氏は「私も梨元さんは抗がん剤で亡くなったんだな、という風に見ています」と語っています。梨元さんの例がそうだとは断言できませんが、たしかに、抗がん剤が効くどころか、そのおかげで命を縮めてしまったとしか思えない患者さんがいるのもまた事実です。
 体力が著しく低下した患者さんに抗がん剤を投与すると、容体が急速に悪化し、亡くなってしまうことがあります。そういった例があることを知らずに、ギリギリまで抗がん剤を求める患者さんや、投与してしまう医師がいて、抗がん剤に悪い印象を与えていることは否めません。
 抗がん剤を投与する医師は、専門知識を備えたプロでなければならず、また医師も患者も「薬が合わないようなら、いつでも抗がん剤治療をやめる」選択をする勇気を持っていなければならないのですが、その考え方はまだ十分に広まっていません。
 ただし、これは抗がん剤自体の問題ではなく、日本のがん医療体制の問題です。米国では抗がん剤の専門家である「腫瘍内科医」以外は、基本的に抗がん剤を投与しません。ところが日本では、腫瘍内科医が少ないために、外科医など専門外の人が抗がん剤を投与せざるを得ない状況があります。こうした状況は一刻も早く変える必要があるでしょう。
 近藤氏が提起したもう一つの大きな問題は、臨床試験にはインチキがあるという点です。近藤氏はこう書いています。
 <臨床試験は、延命効果を確認する最終手段ですが、試験結果では、抗がん剤に延命効果は認められない。専門家たちは臨床試験結果とは逆の結論を、社会に向かって出しているのです>
 しかし、こう主張する近藤氏こそ、初心者にありがちな間違いを犯しています。近藤氏がどこで誤っているのか。その詳しい検討は、「国立がん研究センター中央病院・レジデント有志グループ」の分析に譲ります(利益相反のない若手のレジデントに分析してもらいました)が、例えば、臨床試験のグラフが不自然だから「人為的操作が介在している」という指摘はまったく根拠がありませんし、都合のいい臨床試験だけ示して、他の複数の試験について触れないやり方は、研究者としてフェアではありません。

<「抗がん剤は効かない」は本当か!?(3)に続く>

[勝俣範之(国立がん研究センター中央病院・腫瘍内科医長)/
上野直人(テキサス大学MDアンダーソンがんセンター教授)]

〔週刊文春 平成23年1月20日発行第53巻第3号pp149-150〕
「抗がん剤は効かない」は本当か!?(1)
効くか、効かないか

 「文藝春秋」(1月号)に掲載された近藤誠氏の「抗がん剤は効かない」は患者さんに大きな誤解を与えかねない内容です。
<固形がんで抗がん剤を標準治療とするのは間違いです。抗がん剤には患者を延命させる力はないのです>
 近藤氏はそう言い切っているのですが、これは、現在、がん治療の現場にいる私たち腫瘍内科医からすると、とんでもない暴論に思えます。抗がん剤は年々進歩し、わずか数年前と比べても、治療の選択肢は広がっており、患者さんの役に立っているというのは、紛れもない事実です。
 たしかに、がん医療の在り方に対する批判など、近藤氏の主張には耳を傾けるべきところもあります。しかし、あの論文で近藤氏は、自分の思い込み(「抗がん剤は効かない」)に都合がいいように、エビデンス(臨床試験・治験および臨床研究の結果)を当てはめているだけなのです。
 これは研究を始めたばかりの初心者にありがちな誤りなのですが、おそらく一般の方にはわかりにくいでしょう。患者さんの方が、この論文の影響で間違った選択をしてほしくないという思いから、今回、意見を述べることにしました。
 近藤氏は、急性白血病や悪性リンパ腫など「血液がん」の多くには、抗がん剤は効くけれども、肺がんや胃がんのような「固形がん」には「たいした効力がない」と言います。
 しかし、現実には、そんなことはありません。例えば、固形がんである、乳がんの「ハーセプチン」、胃がんの「エスワン」、大腸がんの「アバスチン」などは、現在使われている抗がん剤の代表的な薬で、再発予防や延命効果が数多くの臨床治験を含む臨床試験で実証されています。
 これらは世界中の国で「標準治療」となっており、私たちも治療の現場で効果を実感しています。これらの薬のおかげで、むかしでは考えられないほど延命する患者さんが増えました。
 もちろん、これらの薬を使っても延命できない患者さんがいるのは事実です。ただし、抗がん剤の効果は「寿命が延びているかどうか」だけでは判断することはできません。
 近藤氏は、問題の論文や論文の内容を立花隆氏と議論した対談(「『抗がん剤は効かない』のか 患者代表・立花隆、近藤誠に質す」「文藝春秋」2月号掲載)で、「寿命が延びるかどうか」が、抗がん剤が効くかどうかを判断する上で重要だとしています。
 しかし、それだけで抗がん剤の価値を判断しようとする近藤氏の考えは誤りです。延命を図ることだけが抗がん剤の目的でなはなく、他にも使う目的はいろいろあります。
 例えば、がんの増悪を防いで症状の悪化を抑える、つまり緩和ケアの一環として患者さんの生活の質(QOL)を維持するのに、抗がん剤が役立つことも多い。つまり痛みを抑えたり、苦しさを緩和することによって、患者さんをラクにしてあげることができるのです。
 手術後の補助療法として使われる場合もあります。これは再発を抑え、完治をめざすのが第一の目的です。乳がんの場合、わきの下のリンパ節に転移があることがしばしばありますが、抗がん剤で治せる可能性のあることが科学的に証明されています。

<「抗がん剤は効かない」は本当か!?(2)に続く>

[勝俣範之(国立がん研究センター中央病院・腫瘍内科医長)/
上野直人(テキサス大学MDアンダーソンがんセンター教授)]

〔週刊文春 平成23年1月20日発行第53巻第3号pp147-149〕
がんと就労 障害年金:6 情報編 あきらめないで、相談を
 足を切断したり、視力を失ったり――。障害年金は、体の機能が失われた場合に支給されるというイメージがある。しかし日常生活や労働に支障が出るようになった人が対象のため、がんでも支給される場合がある。

 NPO法人障害年金支援ネットワークのまとめでは、昨年1年間に、がんを対象とした相談は247件。相談の段階で申請をあきらめる人も多いため、実際に請求したのは11件で、うち10件に支給が認められた。

 申請は、初診日の2カ月前までの年金に加入すべき期間のうち滞納期間が3分の1を超えないことが前提だが、超えていても、初診日2カ月前からさかのぼり1年間滞納がなければ特例で認められる。原則は初診日から1年6カ月後の障害を判定するが、その後障害が重くなった人も請求可能で「患者を生きる 障害年金」で紹介した小野崎卓子さんは、この例にあたる。

 障害は何年前のものでも判定されるが、支給は申請月からさかのぼって直近の5年までしか認められない。初診日が20歳以降にあれば収入制限はなく、働きながらでも受け取れる。申請は、患者自身もできるが、専門知識が必要なため、社会保険労務士らに依頼する場合が多い。

 社労士の藤井雅勝さん(京都市)によると、申請には、(1)初診日を証明する書類(2)病歴や就労状況を書いた申立書(3)医師の診断書などが必要という。

 (1)は、医療機関に申請すれば初診証明を出してもらえるが、数千円程度かかる。医療機関が出した領収証や、日付が入った診察券でも証明できる場合もあるという。「病気やけがで病院にかかる場合は、捨てずに保管してほしい」と藤井さん。

 (2)は、障害が原因で日常生活においてどう困っているか、普段から日記やメモに残しておくと書きやすい。(3)は診察の際に病状を詳しく話し、生活上どう困っているか、普段から具体的に医師に説明しておくとよい。

 障害年金は、病気やけがの程度により一定期間ごとに見直しがある。社労士の山下律子さん(東京都)は「医師の前ではつい『大丈夫です』と答えてしまいがち。障害年金を扱い慣れていない医師も多いため、あきらめずに訴えてほしい」と話している。(熊井洋美)


[朝日新聞 2011年6月26日号 生活面「患者を生きる」No.1604記事]
がんと就労 障害年金:5 月額5万4千円に感謝
 2007年に卵巣がんの手術を受けた埼玉県白岡町の薬剤師、小野崎卓子さん(50)は、大腸への転移がわかった昨年夏、再び切除手術を受けた。患者会の勉強会で、日常生活に支障があれば、がん患者でも障害年金を申請できると知り、術後に申請することにした。

 申請手続きは、勉強会で知り合った社会保険労務士の宇代謙治さん(57)に依頼し、2万円の着手料を払った。診断書を主治医に依頼し、初診日がわかるよう前の病院に初診証明を請求。住民票や娘たちの在学証明書などもそろえた。申立書の書き方を習い、「短時間なら働けるが、家事は家族の助けがないとできない」と訴えた。準備には、3カ月間かかった。

 3カ月後。「著しい困難があり労働が制限を受ける」に相当する3級の認定を受けた。支給額は月約5万4千円。11年1月にさかのぼり支給されることになった。「真面目に年金を払い続けていて良かった」。月十数万円の収入では娘たちの教育費を払うのがやっと。年金は、食費や光熱費にあてることにした。宇代さんには成功報酬として10万円を支払った。

 働き続けていられるのは、薬剤師の国家資格があったからだとしみじみ思う。端がネズミにかじられたようにちぎれている薬剤師の免許証を、事あるごとに娘たちに見せ冗談めかしてこう言う。「あなたたちを食べさせているのは、この紙なのよ。感謝するのよ」。勤務先の計らいもある。勤務日は、付近の病院が休診で、患者数が少ない日を割り当ててくれている。

 今も月に1度の血液検査と半年に1度のCT検査が続く。だが体調は、化学療法を重ねるたびに悪くなり、1年のうち3分の2は口内炎ができる。今年の春。親類のお祝い事の手伝いでお茶出しをしただけで、翌日は足がパンパンに腫れ、首も痛くなった。無理が利かない体だ。

 小野崎さんの場合、3年後に再び年金受給の審査を受けなくてはならない。そのときに体がどういう状態にあるのか。今は全く想像できない。長女は国際機関で働く夢を抱き、次女は進路を考え中だ。「娘たちの自立した姿をこの目で見たい」。その思いを支えに、1日でも長く働きたいと思っている。


[朝日新聞 2011年6月25日号 生活面「患者を生きる」No.1603記事]
がんと就労 障害年金:4 大腸に転移「やっぱり」
 卵巣がんの手術から1年後。肝臓への転移がわかり、再手術した埼玉県白岡町の薬剤師、小野崎卓子さん(50)は体調が戻らず、勤務先の薬局を辞めた。その後、知り合いが経営する薬局に2009年8月、パートとして再就職した。週30時間ほど働くことになった。
 食事の用意と洗濯、掃除は2人の娘がこなし、小野崎さんは外で働く「分業態勢」ができあがった。
 ただ、月十数万円の収入では、3人で生活するのがやっとだった。当時中学2年生だった下の娘の学習塾代は月3〜4万円、夏季や冬季講習には10万円以上が必要だったが、どうしてもひねり出せなかった。「ごめんね。でも有効に使うから」。心の中でつぶやきながら、コツコツとためてきた学資保険のうち約130万円を取り崩した。

 再スタートが切れているかも知れない。そう考えるようになった昨年6月ごろ。便秘が続くようになってきた。腫瘍(しゅよう)マーカーの値も上昇していた。自治医大病院でPET検査を受けると、大腸に転移していた。
 「やっぱり」。今回の転移は、覚悟していた。大腸が癒着し、便が出にくくなっていたこともあり、3度目の手術を受けることになった。

 その頃、時々参加する「がん患者会シャローム」で、障害年金の勉強会があった。勉強会の後、講師を務めた社会保険労務士の宇代謙治さん(57)に相談してみた。「がんが再々発していますし、家事が満足にこなせないのなら、もらえる可能性が高いケースだと思います」
 手術後の様子をみて、申請することにした。手続きには、主治医の診断書が必要だ。自治医大病院の主治医に頼むと、「患者さんのためになることなら」と、了承してくれた。

 3回目の闘病は、2人の娘の大学・高校受験の追い込みシーズンと重なった。国立大学を目指していた長女の慈慶(ゆき)さん(18)は、学校や図書館で勉強しながら食事作りを担い、次女の有慶(ゆい)さん(15)は、洗濯や掃除を勉強の合間に手伝った。2人とも親の病気を理解してくれていた。三者面談も電話で済ませ、卒業式にも行けなかった。
 親として、十分に応援してあげられないのが、切なかった。


[朝日新聞 2011年6月24日号 生活面「患者を生きる」No.1602記事]
がんと就労 障害年金:3 復職できず「うつ病」に
 卵巣がんの手術を2007年1月に受けた埼玉県白岡町の薬剤師、小野崎卓子さん(50)は、シングルマザーとして、1日も早い職場復帰を目指した。主治医の自治医大病院の種市明代医師は、化学療法を始める前、「半年後には仕事に戻れるようになる」と話していた。

 だが治療が終わって半年が過ぎても、体調は戻らなかった。
 体がつらく、1日のほとんどを横になって過ごした。「自分を甘やかしているのかな」。そう思い無理して家事をすると、翌2日間は体の痛みで動けなくなった。復職できない自分を責め、落ち込んだ。毎晩2時間しか眠れず、心療内科を受診すると「うつ病」と診断された。睡眠薬をもらい、ようやく5時間続けて眠ることができた。

 手術からちょうど1年後の08年1月、腫瘍マーカーの値が上がってきた。CTとPET検査で、肝臓への転移がわかった。
 「どうして……」。ショックだったが、もう化学療法は嫌だった。抗がん剤も使うが、手術で肝臓を切除してほしいと希望した。前回使ったタキソールは手足のしびれがきつかったため、末梢(まっしょう)神経障害がより緩やかといわれるタキソテールに変えた。免疫力が落ち、2巡目から薬の量も8割にした。それでも副作用は前回よりつらく感じ、仕事には戻れなかった。
 傷病手当金は、卵巣がんで13カ月、うつ病で1年以上もらった。有給休暇も使い果たした。2年以上休み、職場に申し訳ない。悩んだあげく退職した。

 収入の道が断たれては、母娘3人が路頭に迷う。月に数日、下の姉が経営する薬局を手伝ったが、家に帰ると疲れて何もできなかった。「バンザイ」の格好をして、娘たちに服を脱がせてもらう日もしばしばだった。
 通院、仕事、家事……。1日数時間、一つのことしかできないことが、ようやくわかってきた。このままいけば、仕事も家事も破綻(はたん)する。小野崎さんは娘たちにある決断を迫った。
 「お母さんが働かないで家事をやるか。お母さんに稼いでもらって、あなたたちが家事をやるか。どうする?」
 2人の答えは明確だった。
 「家にお金がなくなったら私たちが困る。お母さん、お願いだから働いて!」


[朝日新聞 2011年6月23日号 生活面「患者を生きる」No.1601記事]
がんと就労 障害年金:2 重い副作用、手にしびれ
 2006年11月、卵巣がんと告げられた埼玉県白岡町の薬剤師、小野崎卓子さん(50)は、「手術が必要」と言われたその日、娘2人を連れて栃木県矢板市の実家に相談に行った。
 一番心配だったのは、入院中の中学2年生と小学5年生の娘の預け先だった。幸い、自宅近くに住む下の姉が面倒をみてくれるという。
 診断を受けた病院への不信感もあった。「実績がある」と、親類に勧められた栃木県下野市の自治医大病院に転院することを決意。3日後には、病院に行った。「できるだけ早く手術するように」。医師に言われ、手術は正月明けに決まった。
 車の運転もつらく、職場には休職届を出した。腹部の痛みで食欲が落ち、入院前に体重が10キロ落ちた。

 07年1月10日。開腹すると、子宮内膜症の影響で腸と子宮の癒着がひどかった。卵巣とともに、転移しやすい子宮も摘出した。ただ、病理診断ではがんは卵巣内にとどまっており、念のため一部切除し調べたリンパ節にも、転移は見られなかった。

 退院後は実家の離れに住み、食事の用意や身の回りの世話は姉や母親がしてくれた。
 だが術後も腫瘍マーカーの値は、なかなか下がらなかった。主治医の種市明代医師は再発予防のため、抗がん剤のタキソールとカルボプラチンを使う化学療法を勧めた。
 小野崎さんは、薬の添付文書の副作用の欄を見て、不安になった。末梢神経障害、関節痛、脱毛……。深刻なものは心筋梗塞肝機能障害など、丸々1ページびっしりと副作用の症状が書いてある。通院しながらの化学療法は、3カ月間にわたった。
 恐れていた副作用は、治療が終わる頃からひどくなった。手足がしびれ、常にゴム手袋をはめてものに触る感覚。熱したフライパンの縁に触っても気づかず、何度もやけどした。味覚もおかしく、耳鳴りもあった。
 病院に支払った医療費は100万円を超えた。「早く仕事に戻らなければ」。気ばかりあせった。母娘3人の家計は、小野崎さんの収入だけが支え。傷病手当金は月約25万円と、以前の収入の6割に落ちていた。しかし体調は戻らず、仕事を再開できる気がしなかった。


[朝日新聞 2011年6月22日号 生活面「患者を生きる」No.1600記事]
がんと就労 障害年金:1 「手術が必要」突然の告知
 3月下旬、埼玉県白岡町の薬剤師、小野崎卓子(おのざき・たかこ)さん(50)の元に障害年金3級の支給決定を知らせる封書が届いた。
 シングルマザーとして、月十数万円の収入で大学1年生の長女と高校1年生の次女を養う。卵巣がんの再々発による治療の影響で、働けるのは週約10時間。体力が落ち、家事もほとんどできない。これからは2カ月に1回、約10万8千円が銀行口座に振り込まれる。「これで、生活費の足しになります」

 体の不調が始まったのは2006年春。フルタイムで勤務中に突然、猛烈な吐き気に襲われた。その後、下痢や腹痛にも見舞われることが続いた。「さすがに我慢できない」。7月に入り、自宅に比較的近い総合病院に駆け込んだ。
 超音波で診ると、左の卵巣に4センチほどのチョコレート嚢胞(のうほう)が見つかった。経過観察となったが痛みは続き、徐々にひどくなっていった。10月に再び病院を訪ねると、卵巣が少し大きくなっていた。11月にMRI検査を受け、結果を聞きに行くと、医師がいきなり告げた。「手術が必要です」「なぜ、手術が必要なのですか」。何度も問いただすと、MRI検査の診断報告書を読み上げ始めた。
 「卵巣がんとして説明可能な所見です。骨盤内両側にリンパ節腫大がみられ、リンパ節転移と考えます――」

 「まさか。私が、がん?」

 自分が入院している間、娘たちはどこで過ごせばいいのだろう。当時、長女の慈慶(ゆき)さんは中学2年生、次女の有慶(ゆい)さんは小学5年生で、まだまだ親の助けが必要だった。これから進学でお金がかかる時期なのに――。頭の中が真っ白になった。

 両親と姉の家族が暮らす栃木県の実家に電話した。小野崎さんは三人姉妹の末っ子。実家のみそ製造業を継ぐ上の姉(54)、自分と同じ薬剤師の仕事をしている下の姉(52)、どちらも頼りになる存在だった。
 「とにかく家に来て。これからのことを相談しよう」
 上の姉の言葉にうなずき、娘たちを連れ実家へ向かった。

 勤務先の薬局の上司には、その日のうちに電話で告げた。「すみません。私、がんです。とりあえず何日か休みます」

[朝日新聞 2011年6月21日号 生活面「患者を生きる」No.1599記事]
地域で「看取り」考える
 長野県の飯田医師会のホームページを開くと、会が作った「事前指示書」を画面で見ることができる。
 回復の見込みがないなら「死の過程を長引かせるだけの治療行為」などは望まない、という内容で、自由に印刷できる。納得すれば、署名し、封筒に入れて本人や家族、代理人らが保管すればいい。
 同医師会は2008年4月から、この事前指示書を1000部印刷し、各診療所と病院に置いた。
 国内で事前指示書を使っているのは、一部の病院・老人ホームなど施設単位が多く、地域単位での取り組みは全国でも珍しい。

 発案者は、飯田市内で在宅医療を行う開業医(循環器内科)の羽生(はにゅう)郁久さん。
 羽生さんは、訪問先のお年寄りから「看取りを頼む」「最期は自宅で楽に逝きたい」とよく言われるが、実際に在宅で亡くなる人は少なく、9割は病院での死亡だ。
 羽生さんによると、戦前、山間部などでは、容体が悪化しても簡単には医師に診てもらえなかった。しかし、医療体制が整備された今では、「何かあったら一刻も早く病院へ」という考えが当たり前になった。入院させないと、家族は親戚から非難されるという。
 「地域全体で看取りについて考えないと、本人が望むような最期は実現しにくい」と羽生さん。
 事前指示書の作成・普及は、医師会理事だった06年に提案、会員アンケートで90%の賛同を得た。日本尊厳死協会の「尊厳死の宣言書」などを参考に議論を重ねて作り上げた。住民の関心はまだ高くはないが、今年1月にも、事前指示書の必要性を痛感する出来事があったばかりだ。
 90歳近い女性が体調を崩し、発熱が続いた。羽生さんは看取るつもりで往診で点滴などを続けていたが、ある日、急に呼吸が止まったのに気づいた家族が、慌てて救急車を呼んだ。
 経過を知らない病院で死亡確認されれば、警察の検視が入る恐れもあり、自宅でゆっくりと看取る時間は持てない。受け入れを打診された病院の救急医がたまたま知り合いで、救急車が動く前に連絡をくれた。
 羽生さんは家に駆けつけ、救急車から女性を降ろしてもらった。家族が静かに見守る中、女性の死亡を確認した。もし女性が事前指示書を書いて家族と共有していたら、家族は慌てずに済んだのでは――。羽生さんはそう思う。
 「健康な時から自分の死について考える。事前指示書を、そんな文化を定着させるきっかけにしたい」

(2011年5月26日 読売新聞 医療ルネサンス「最期を選ぶ(4)」)
がんと就労 高額療養費:6 情報編 長期負担、支える制度を
最近登場したがんの薬は高額のものが多く、患者の経済的負担の重さが問題になっている。

 たとえば、慢性骨髄性白血病の治療薬グリベックは標準的な使い方で1カ月の薬代が約33万円。3割負担でも月約10万円に上る。グリベックは原則的に一生のみ続ける必要があり、長期間、負担が続くことになる。

 東京大医科学研究所特任研究員で看護師の児玉有子さんらが2009年12月〜10年1月までに患者会などを通じて、白血病患者ら227人にアンケートをした結果、「医療費を負担に思う」と回答した人は69%いた。高額療養費制度を利用した人は51%で、その92%が自己負担の限度額の引き下げを求めていた。支払い可能額は「月1万円以下」を挙げる人が多かった。

 高額療養費制度では、所得に応じて、1カ月の限度額が決まっている。70歳未満で一般的な所得(健康保険の場合は標準報酬月額が53万円未満)の人の場合には、自己負担の限度額は月8万円余に上る。

 ただ、過去1年の間に3回以上、高額療養費の払い戻しを受けた場合は、限度額が下がる。4回目以降は、一般的な所得の人は、月4万4400円になる。それでも、毎月支払っていくのは大変だ。

 「患者を生きる 高額療養費」で紹介した女性は、薬代を節約するため、グリベックを毎月ではなく、2カ月分まとめて処方してもらった。薬代を年12回払うより、6回に減らした方が、自己負担額が少なくなるからだ。

 入院の場合はあらかじめ健康保険組合などから認定証をもらい、病院に提出すれば、高額療養費の上限分だけ払えばいい。しかし通院の場合はいったん、請求額を支払わなければならない。約3カ月後に戻ってくるものの、数十万円を立て替えるのは大変だ。厚生労働省は、窓口での負担を上限以内ですむよう制度改正を準備中だ。来年4月の全面導入を目指している。

 東大の児玉さんは「経済的な理由で治療を中断している患者さんもいる。現行の高額療養費は、手術などで一時的に高い医療費がかかることを想定した制度。高額な薬を使い続ける患者を支援する仕組みが必要だ」と指摘する。(浅井文和)

[朝日新聞 2011年5月29日号 生活面「患者を生きる」No.1580記事]
がんと就労 高額療養費:5 経験生かし福祉相談員に
 慢性骨髄性白血病をきっかけに仕事を失った関東地方の女性(45)は患者会での活動の傍ら、就職活動を続けていた。

 職を失ってから3年半。不採用は数十社に達していた。

 2010年春、住んでいる自治体の広報紙にあった事務員募集のお知らせが目にとまった。履歴書を書いて面接に行った。「何か仕事があればお知らせします」という話だった。

 数日後、電話で連絡が来た。

 「全く別の部署の仕事なのですが、いま人を探しています。来てもらえませんか」

 誘われた仕事は福祉部門の相談員の嘱託職員だった。医療、介護、就職の相談を受ける。患者ボランティアの活動をしていることが評価されたらしい。

 カウンセリングの勉強をしてきた経験を生かせる。就職で苦しんできた自分が、自立に向けた手伝いができる立場になるなんてと、運命的なものを感じた。夫(53)も喜んでくれた。

 再び、仕事のある生活が始まった。

 相談に訪れる人の多くは中高年の男性だ。時間は1人約30分。1日で4〜5人の話を聞く。半年間から1年間、通ってくる人もいる。病気をきっかけに仕事を失った人も多く、収入だけでなく、自信もなくしていた。かつての自分と重なり、いたわりながら、じっくり話を聞くようにしている。

 がんの治療中に失職し、高額な医療費を抱え相談に来た人がいた。一通り話した後、「わたしはがんには負けません」と語る相手に、思わず「一緒にがんばりましょう」と声をかけた。

 勤務時間は正職員と変わらないが、嘱託のため年収は200万円程度。以前、経理の仕事をしていたときの半分以下だ。

 高額療養費制度を利用しても、医療費は年に20万円以上かかる。治療のためにも働き続けなければならないから、職場で、病気のことを話すつもりはない。また職を失うのが、怖いからだ。

 新しい薬が次々に開発され、がん患者でも普通に仕事ができる時代になった。一方、病気に対する世間の理解は変わっていないことを、日々痛感する。「それでも病気を経験し、周囲に支えられて生きていることがわかった。今の方が幸せです」

[朝日新聞 2011年5月28日号 生活面「患者を生きる」No.1579記事]
がんと就労 高額療養費:4 患者サロン始め情報交換
関東地方に住む女性(45)は慢性骨髄性白血病の発病をきっかけに、2006年に職を失った。再就職のために取り組んだ産業カウンセラーの勉強と並行して、職探しを始めた。

 折り込み広告の求人に目を通し、ハローワークに通った。職種にはこだわらず、思いつく限り応募した。事務員、病院の受付、国税局やスーパーのお中元のアルバイト……。

 面接では、「長年勤めた会社を辞めた理由は?」と、必ず尋ねられた。そのたびに「親の介護で」と答えた。うそではなかった。当時、父親が末期がんを患っており、ちょくちょく実家に帰っていた。

 自分の病気のことは、絶対に口にしまいと決めていた。がんであることを打ち明けたら、採用してもらえるはずがない。

 だが、ずっと就職先は決まらなかった。40代という年齢では難しいと言い聞かせたが、不採用のたびに、自分が否定される苦しみを味わった。

 そんな時期、打ち込んだのが患者会のボランティア活動だった。職場では理解されずに苦しんだが、患者会に参加し、語り合える仲間ができて楽になった。そんな「出会いの場」を、仲間と出会えていない、ほかの患者にも提供したかった。

 女性が呼びかけ、病院の中で、血液の病気の患者やその家族が集まり、思い思いに語り合える「患者サロン」を始めた。病院側の理解を得るために、粘り強く説明に回った。

 2カ月に1回、7〜8人が会議室に集まってくる。常連もいれば新顔もいる。お茶は自分たちで持ち寄った。

 「セカンドオピニオンを聞きに行ったら希望が見えたよ」

 「あの先生はよくわかってくれるよね」

 周囲から理解されず、孤独感に悩む患者は多い。「やっと、わかってもらえた」と泣き出す人もいた。2時間があっという間に過ぎた。

 新しい治療の情報を吸収するため、仲間と一緒に学会発表も聞きに行った。日韓の患者交流会にも参加。政府などに働きかけ、治療薬グリベックの費用負担を実質ゼロにした韓国の患者の話を聞き、勇気をもらった。

 患者会活動に打ち込むうち、仕事探しにも転機が訪れた。

[朝日新聞 2011年5月27日号 生活面「患者を生きる」No.1578記事]
がんと就労 高額療養費:3 再就職目指して勉強
慢性骨髄性白血病と診断された関東地方の女性(45)は、病気を理由に退職するよう、勤め先の担当者から言われた。薬代のためにも、経理担当の正社員として働き続けたいと、2カ月間の休職を経て復帰した。

 同僚には病名を伝えていなかった。「戻ってこられて良かったね」と喜んでくれた。

 しかし経理の仕事は、正社員に「格上げ」された派遣社員が担当していた。自分はその社員の手伝いという立場になった。「休職させたのはこういうことだったのか」。屈辱的だった。

 仕事量は激減した。仕方なく、仕事がないときには、経理の勉強をして過ごした。

 薬の副作用で体にむくみが出てきたが、治療は順調に進んでいた。医療費の負担も抑えたいとインターネットなどで情報を集めるうちに「高額療養費」という制度を知った。医療費の自己負担には月ごとの限度額があり、それを超えた分は申請すればあとで戻ってくるという。医療費の見通しが立って、少し安心できた。

 「先生、薬を2カ月分まとめて処方していただけませんか」

 それまでは2週間分ずつもらっていた。薬をずっとのみ続けていて、自己負担限度額は月約4万円。毎月この金額を負担するより、2カ月に1回の方が負担は半減する。

 一方、職場の理解は、退職を求められてから1年たっても変わらなかった。頑張って通勤してきたが、不眠にも悩まされるようになった。

 再就職を見据え新しい勉強をしようと心理カウンセラー講座を申し込んでいた。夫から「薬代はおれが働くから心配しなくてもいい。もう辞めてもいいよ」と言われ、退職を決めた。

 学ぶうちに、もっと実務に役立つ勉強をしたいと、産業カウンセリングの講座も受け始め、7カ月間通った。今でも忘れられない講師の言葉がある。「相手の奥にある思い、心の叫びをじっくり感じなさい」。これまで、自分も他の人の思いを聞けていなかったと反省した。

 会社で機械設計の仕事をしていた夫も一緒に講座に通った。夫は海外での仕事も多く、お互い話す時間も少なくなっていた。一緒に勉強するうち相手をより理解できるようになった。

[朝日新聞 2011年5月26日号 生活面「患者を生きる」No.1577記事]
がんと就労 高額療養費:2 「薬代を、稼がなければ」
経理担当の正社員として働いていた関東地方に住む女性(45)は、慢性骨髄性白血病と診断された直後、人事担当者から呼び出された。

 窓がない椅子二つだけの狭い面談室。向かい合った人事担当者が「何の病気なのか」と聞いてきた。病名を答えると、担当者は淡々とした口調で話した。

 「病気の治療で入退院を繰り返します。休みがちになるでしょう。他の人に迷惑がかかることになりますから、辞めていただけませんか」

 虫垂炎が疑われ、2週間ほど検査入院したときから目をつけられていたらしい。

 実は病名を告知されたばかりで、自分でもまだよく理解できていなかった。だが「薬をのんでいれば普通の人と同じように仕事ができます」と反論した。

 さらに、入院の必要はなく土曜日に通院すること、同僚には迷惑をかけないことを説明したが、聞き入れられなかった。

 担当者との話し合いは幾度にも及んだ。正社員からパート勤務への降格も提案されたが、応じないままでいると、2カ月間の自宅待機を求められた。

 休職の間に、治療を本格的に始めることにした。

 慢性骨髄性白血病の治療法には、骨髄移植などがある。だが2001年にグリベックという薬が登場し、治療法は一変した。薬をのみ続けることで異常な細胞が減り、白血球が正常化する。従来の薬と比べると、強い副作用が出ることは少ない。

 ところが大学病院で薬を処方され、会計で渡された請求書を見て驚いた。2週間分の薬代や検査代だけで窓口負担が1万円を超えるはずはないのに、7万3530円とある。一瞬、けたが間違っていると思った。医師からは、薬代についての説明は全くなかったからだ。

 思わず窓口の人に確かめたが、金額に間違いはなかった。現金の持ち合わせがなく、クレジットカードで支払った。

 グリベックは当時の薬価で、1カ月の薬代が約40万円に上った。公的医療保険の自己負担の割合が3割の場合、支払いは薬代だけで約12万円に上る。

 「やはり、辞められない。薬代を、稼がなければ」

 勤め先の要求をのむわけにはいかないと、心に決めた。

[朝日新聞 2011年5月25日号 生活面「患者を生きる」No.1576記事]
がん共生時代 働く(番外編) 「必要とされる」が支え
 2月15〜22日に連載した「がん共生時代 働く」(全6回)では、がんの治療や後遺症に悩みつつ、職場復帰や再就職を果たした人を取り上げた。「番外編」として、再発し緩和ケアを受けながら、働き続けている女性を紹介したい。
 都内の金属加工会社で働く事務の女性(51)は2009年秋、直腸がんが肺に転移したことがわかった。
 02年8月に発症し、その後何度か直腸やリンパ節に再発が見つかった。社員30人の会社で、勤めて十数年。事務のほか、広報、営業と何役も担ってきた。「何も心配しないで」と、社長は快く休職させてくれ、その間は派遣社員で手当てしてくれた。女性は治療が終わる度、職場に戻ることができた。
 しかし、肺に転移が見つかった今回は、手術はできず、抗がん剤で進行を抑えるしかない。「これまではいずれ回復する見込みがある休職でしたが、今度はそうじゃない。働き続けられるのか落ち込みました」
 2週に1回の抗がん剤で、保険の高額療養費制度を使っても毎月4万数千円かかる。長年にわたる闘病で、貯金も減り、仕事は必要だった。だが、働きたいのは生活のためだけではなかった。
 独身で一人暮らし。18歳で故郷の秋田から就職にため単身上京し、誰にも頼らずに生きてきた。
 「私にとって、仕事は人や社会とつながる大切なもの。自分が必要とされ、それに応えることができるという自負や精神的な支えを失いたくない」
 抗がん剤治療後1週間は体調が悪くなり、外出もできない。どうすれば働けるか。昨年夏、傷病手当が切れる直前、会社と話し合った。いったん退職手続きをしたうえで、パートとして働くことも提案された。退職金で金銭的な負担を減らすための配慮だ。しかし、女性は正社員でなくなる不安を感じ、悩んだ。
 ちょうどその時、緩和ケアを受けている東京臨海病院の主治医、桜井則男さん(48)から、社会保険労務士らによる就労支援事業(厚生労働省のモデル事業)に、患者として参加してはどうかと勧められた。
 「在宅勤務や自分にできる働き方を、自ら提案したらどうか」など、女性は社労士や桜井さんからアドバイスを受けた。会社と改めて相談し、昨年9月から、毎月4日程度出社して働くことになった。
 給与は下がったが、同僚も「出社日に合わせて仕事を用意したよ」と協力的だ。自宅でできる仕事があれば持ち帰る。女性は「できる限り働きたい」と喜ぶ。
 桜井さんは緩和ケア医として、働くことがかなわず、社会からの孤立感に苦しむ患者の姿を数多く見てきた。「がんが進行した後でも働き続けられる仕組みを社会全体で考えていくべきだ」と話している。(岩永直子)

[読売新聞 2011年3月11日号 医療ルネサンスNo.5038記事]
がんと就労 高額療養費:1 流産に続き、白血病告知
関東地方に住む女性(45)は毎日、「1錠2749円」の薬を4錠、欠かさず飲んでいる。慢性骨髄性白血病と診断されてから6年。女性にとって、進行を止めてくれる命の薬だ。

 病気が見つかった当時は、大手企業の正社員として10年近く、経理を担当していた。簿記の資格をいかし、現金の出し入れや顧客への請求額の計算を担当。同僚の信頼も厚かった。

 病気の発見は、流産がきっかけだった。結婚して13年。七つ年上の夫とともに、待ち望んでいた初めての妊娠だった。

 流産した直後、おなかの痛みと微熱があって病院に行ったら、血液検査で、白血球の数が異常に多いことがわかった。

 腹痛はおさまり、特に体の不調はなかった。異常になる原因は思い当たらない。虫垂炎を疑われた。2週間入院して精密検査したものの、結局、原因はわからなかった。

 入院中、勤め先の人事担当者が病院に電話をかけてきた。「なぜ入院したのか説明しなさい」と、問い詰められた。

 決算が近づき、忙しい時期ではあった。だが「なぜ、そこまで」と恐怖を感じた。思い返せば、病気になって辞めさせられた同僚が何人もいた。

 血液内科で詳しく検査してもらうため、大学病院を受診した。骨髄に針を刺して骨髄液を取り出し、異常な細胞がないかどうかを調べてもらった。

 結果が出たのは、3週間後の土曜日。夫と2人で診察室に入ると、医師が淡々と言った。「残念な病名です。慢性骨髄性白血病です」

 慢性骨髄性白血病は、骨髄で作られる白血球が増え続ける病気だ。病気の初期は目立った症状はなく、進行も遅い。急性期になると、命にかかわるが、幸い、まだ深刻な段階ではなく、薬で十分に悪化を防げるという。

 医師が治療方法を説明し始めると、夫が途中から泣き出した。女性の目からも大粒の涙がこぼれ落ちた。どうやって自宅まで戻ったのか、全く覚えていない。流産に続くがんの告知。つらいことが重なった。

 ショックもさめやらない週明け。事務所に行くと、人事担当者から突然、面談室に呼び出された。(浅井文和)

[朝日新聞 2011年5月24日号 生活面「患者を生きる」No.1575記事]
がん共生時代 ブログの力(5)「主」亡き後も大勢に希望
 ブログの主の死から半年たった今も、がん闘病のジャンルで人気1位の座を守るブログがある。「若年性乳がんになっちゃった!ペコの闘病日記」だ。
 「ここからです、ここから!ここから、ペコの奇跡の物語年を皆様にお見せできればと思います」
 札幌市の藤谷ペコさん(筆名)がブログでこう書いたのは2008年12月。がんが心臓にも転移し、余命半年と告げられた直後だった。宣言通り、新たに投与した抗がん剤が効果を見せたものの、いつ心臓がとまってもおかしくない。医師は反対したが、夫(40)と香港旅行を決行し、その後も海外旅行を繰り返した。
 「妻の生きる力になったのは、がんであっても毎日を楽しむ気持ちと、『怒り』でした」と夫は語る。
 結婚1年目の07年3月、乳がんと診断された。34歳の時だ。母親を卵巣がんで亡くし、乳がん検診を毎年受けていたが、すでにリンパ節に転移していた。
 全摘手術直前に始めたブログで、若い世代で見落としの可能性が高い乳がん検診の問題を何度も訴えた。
 手術から8か月後の08年7月、骨とリンパ節に再発。ホルモン療法や、分子標的薬という新しい薬が効かない乳がんのため、抗がん剤で命をつなぐしかない。保険で使える抗がん剤はすべて試したが、次々と効かなくなっていった。
 脳や甲状腺にも転移が広がった10年秋にはテレビ出演し、海外で広く使われている薬が日本では使えない「ドラッグ・ラグ」の解決を訴えた。「日本でなければもっと治療できるのに!」と何度も悔しがった。
 その番組でペコさんを知った乳がん闘病中のまつこさん(40)(筆名、北海道在住)はブログを見て驚いた。
 「こんなに具合が悪いのに旅行に行っちゃうの?何でこんなに前向きなの?」
 昨年末に再発がわかったまつこさんも、抗がん剤が命綱になる同じタイプの乳がんだ。「薬がなくなり体が弱っても、ペコさんの気持ちは決して弱くならなかった。励まされました」
 今年1月、「ペコの奇跡の物語が終わりました」と夫がブログで報告した。読者の声350件以上が寄せられ、38歳の死を悼んだ。
 まつこさんはその後も度々ブログを訪れる。ペコさんが臨床試験でしか使えなかった抗がん剤が、保険で使えるようになったニュースもコメントで入れた。
 「少しでも思いを継ぎたいから」と、4月には自身のブログを開設、ドラッグ・ラグやがん検診について発信を始めた。ブログが、人から人へ生きる希望をつないでいる。(岩永直子)

[読売新聞 医療ルネサンスNo.5103記事] 

●若年性乳がんになっちゃった! ペコの闘病日記 http://pecochan.at.webry.info/
がん共生時代 ブログの力(4)家族も心の内吐き出す
 ブログは、がん患者だけでなく、患者の家族の支えになることもある。
 川崎市に住む清水浩司さん(39)と同じ年の睦さんは、2008年3月に結婚した。翌月妊娠が分かり喜びに包まれたが、5か月後、妻にリンパ節にまで転移した直腸がんが見つかった。
 3週間後に帝王切開で長男を出産し、抗がん剤と放射線治療に入った。その手術前日。夫婦で始めたのが、浩司さん発案のブログ「がんフーフー日記」だった。
 友人たちに日々の状況を伝えられるし、同じ経験をしている誰かの参考になるかもしれない。何より、浩司さん自身が一つ残らず記録したいと思った。「絶対忘れちゃいけないことが目の前で起きている」。そんな感覚が常にあった。
 息子へのあふれる愛情、妻の実家のある福島県いわき市で、友人らが内緒で用意してくれた手作りの結婚式。輝きが増す日々をブログに刻む間も病状は進み、書き手は夫だけになった。
 仕事と看護で疲れ、むずかる息子を窓の外に放り出したくなった夜のこと。死の恐れに沈む妻に、かける言葉が見つからないこと。
 病状が悪化した昨年5月には、看護する側の葛藤もありのままにつづった。
 個室を勧められたのに、費用を考えて妻に切り出せなかった。今後の治療をいわき市に移した場合、自分の雑誌編集の職や育児はどうするのかを相談した看護師から、仕事を辞めるという選択肢を提案され、迷った。妻のために何でもしてあげたいのに、決心できない自分を責めた。
 自分に失望するのは、もういやだ。しかし、どこまで捧げれば許されるのだろう?(ブログより)
 「後で友人から、妻が読んで落ち込んでいたと聞きました。それでも書かずにはいられなかった。つらい時は書くことで衝撃を和らげ、その時々をしのいできた」と浩司さんは言う。
 転院した妻を追っていわき市に行く。そう決めて辞表を出した直後の昨年7月、妻は38歳でこの世を去った。その後もブログは続けた。死の実感がわかなかったからだ。震災直後には、ブログや電話で福島の友人に安否を問いかけた。いつの間にか、友達思いだった妻のように行動していた。
 それまでのブログをまとめ、今年4月、「川崎フーフ」の筆名で「がんフーフー日記」(小学館)を出版。後書きにはこう書いた。
彼女の死は愛する人の中で発酵し、芽吹き、新たなカタチとなって生まれ変わり生きつづけようとしています。物語は終わりません。
 今後の育児、本から生まれた新たな出会い、そのすべてに妻がいる。当分ブログはやめられそうにない。

[読売新聞 医療ルネサンスNo.5102記事] 

●がんフーフー日記 http://ameblo.jp/gan22/
がん共生時代 ブログの力(3)被災患者に確かな情報
 テレビで被災地の映像が流れる度、千葉県に住む乳がん治療中の女性(40)は胸が痛んだ。
 「被災地にいるがん患者のためになにかできたら」
 4月中旬、被災地の患者に送るかつらや帽子の提供を呼びかけるブログを読み、これだ、と思った。自分も抗がん剤の副作用で髪が抜け、かつらを使っている。使わずにしまっていた別のかつらを急いで発送した。
 ブログを運営するのは、がん患者6団体のネットワーク「J−CAN」(事務局・東京)。普段は、抗がん剤の承認遅れなど、共通して抱える問題の解決を目指して活動している。
 ブログをでは、治療中の患者が気をつけることや、受け入れ可能な医療機関、放射線被曝の影響など、被災地の患者に役立つ情報を掲載する。かつらなど物資を被災地に送るプロジェクトも、その一つだった。
 女性は昨秋、左の乳房の全摘手術を受け、現在抗がん剤治療中だ。震災当日、都内の会社から帰宅できず、体育館に1泊。寒い中、大勢の人と雑魚寝し、被災した患者への思いが募った。
 「病気で体調が万全でないのに、こんな状況が続いたらどんなにつらいか」
 ブログには、かつらなしで避難所で暮らす患者のことが書かれていた。見た目を気にしながら過ごすつらさはよく分かる。「私も『命が助かったんだから見た目はどうでもいいじゃない』とよく言われますが、心はそんなに単純じゃない。患者だからこそ分かる痛みもあるから、直接届く支援がしたかった」と話す。
 その後、プロジェクトの独自のブログが開設され、受け取った患者の喜びの声も読んだ。「ブログのおかげで、距離は離れていてもつながることができた」と女性は喜ぶ。
 J−CANには当初からホームページがある。なぜ別にブログを作ったのか。
 震災直後、医師らはネット上で被災患者へのアドバイスをバラバラに発信していた。根拠のない医療情報もすでに出回っていた。それに気づいた卵巣がん患者会代表でJ−CAN事務局の片木美穂さん(37)らは、「確かな情報を集約して提供したい」と考えた。
 ホームページだと更新作業に時間と手間がかかる。更新が簡単なブログの方が緊急時には便利なのだ。片木さんらは、震災翌日には突貫工事でブログを開設。おかげで、全国のメンバーが、信頼できる詳しい情報を次々に更新できた。
 被災地では閲覧できない人も多い、との批判もあったが、「支援者が正しい情報を得る道具にもなる」と片木さん。この情報で転院先が見つかった患者が何人もいる。14日現在、掲載情報は91本に上っている。

[読売新聞 医療ルネサンスNo.5101記事]

●『One world プロジェクト』ブログ http://oneworldpro.jugem.jp/
●J-CAN http://jcan.e-ryouiku.net/
がん共生時代 ブログの力(2)家族で喜び・不安を共有
5月の新緑がまぶしい東京都内の公園。バーベキューを楽しむ家族や友人約20人の輪の中心で、千葉県柏市の「マミー」こと中村美由紀さん(54)がビール片手に豪快に笑っていた。
 「家族で楽しむこんな時間が免疫力を上げるのよ」
 2008年7月、末期の卵巣がんと診断された。家族皆でカラオケに出かけ、「闘うぞー!」と替え歌で大合唱して励まし合った。
 ブログ「マミーとその家族が綴る癌闘病日記」を始めたのはその直後。美由紀さんが「生きたあかしを残したい」と解説を相談し、おいの佐藤慶臣さん(34)がブログの管理人を引き受けた。
 夫の宏之さん(58)、一人娘の真生さん(27)も「家族皆で書いちゃうか」と盛り上がり、「マミー編」「ファミリー編」の2本立ての闘病ブログが誕生した。
 横隔膜や肝臓に転移したがんは、切除できなかった。抗がん剤も効かなくなり、09年6月から無治療を選んだ。何度も落ち込んだが、明るく前向きな「マミーらしさ」は失われなかった。
 抗がん剤の副作用で髪が抜けた時は、慶臣さん美由紀さんの頭に目を描いて遊んだ様子の写真や、かつらを吹っ飛ばして坊主頭でおどける動画も公開した。
 昨年は24時間テレビの中で特別に企画された「仮装大賞」に家族全員で出場。結婚した真生さんには昨年11月、長女が生まれ、皆で喜びをつづり合った。読者からの応援コメントも増え、家族皆で励まされた。
 一方、その間も病状は進み、美由紀さんが痛みやつらさを訴える日も増えた。ブログは、普段は明るく過ごす家族が、面と向かって言えない本音や不安を伝えあう場にもなった。
 「マミーがたまに、『マミーが死んだら…』って話してくる。ちゃんと聞いてあげなきゃいけないんだけど、目をそらしてしまう。怖いんだ」(真生さん)。
 「分かってるよ。マイがマミーが逝ってしまうのが怖いこと。伝えたいことは『楽しんで!子育ても、夫婦関係も』。笑顔を見せていれば、きっとなんでもうまくいく。乗り越えられる!」(美由紀さん)。
 最近、美由紀さんは夫がブログに書いた文も読んだ。「頑張るしかない、マミーが一番頑張ってるからな。俺らも、頑張らないと」。口べたであまり感情を表に出さない夫の本心を知って、うれしかった。
 「妻は家族の中心で必要な存在です。いなくなると想像するだけで怖くて、真剣な話題は避けちゃう。でも、文章だと書けることもあるんです」と宏之さん。
 喜びも不安も共有する家族のブログが、家族のブログが、家族の絆をますます深めていく。

[読売新聞 医療ルネサンスNo.5100記事]

●マミーとその家族が綴るガン闘病日記 http://www.mummys-life.com/
がん共生時代 ブログの力(1)患者つながり仲間の輪
 「よお、元気だった?」
 仲間と再会の握手を交わしながら、夕暮れのトラックをにぎやかに1周する。肺がん闘病中の三浦秀昭さん(55)(横浜市在住)は、今年も仲間と歩ける喜びをかみしめていた。
 5月14日、茨城県つくば市の公園で約600年が集まった「リレー・フォー・ライフ(RFL、命のリレー)」。がん患者が家族や支援者と歩いて連帯感を強め、がん対策に使う寄付金を集める。米国生まれのこのイベントを初めて日本で開催したのが、三浦さんだ。
 大手信販会社の社員だった三浦さんが肺がんと診断されたのは、、2003年4月。新規事業を開拓する「戦略事業部」のリーダーになったばかりだった。
 抗がん剤と放射線治療を受けて復職を果たしたが、転移のために再び入院。2年後に仕事を辞め、自宅で抜け殻のようになっていた時、闘病の支えとなった患者のブログを思い出した。
 一般的にブログは、個人的な身辺雑記をつづる「インターネット上の日記」だが、患者たちのブログは新薬の必要性を訴えたり、禁煙運動に取り組んだり。患者自身が医療の環境を変えようと働きかける姿にいつも鼓舞されてきた。
「自分にも、まだできることがあるんじゃないか」
 05年4月、以前の職場名にがん戦略の意味を込め、ブログ「戦略事業部の挑戦」を開設。翌月、がん患者の集会で紹介された米国のRFLに感動し、日本での開催をブログで呼びかけた。
 その思いに揺さぶられ、ともに国内開催の実現に奔走したのが、川崎市の中尾秀樹さん(57)夫妻だ。がんが進行していた妻の浩子さんは寝たきり状態だったが、「どうしても参加したい」とリハビリに励み、実行委員にもなった。
 「2人とも『がんでも、内にこもらず表に出てつながろう』という三浦さんのメッセージに共感したのです。特にキャリアウーマンだった妻は、がんになっても社会に貢献できることに希望を感じたのでしょう」。中尾さんは振り返る。
 06年9月、つくば市で国内初の開催が実現した。当日、妻はトラックの1周を歩き切った。自信を得たのか、その後一時復職もしたが、よく年春、息を引き取った。中尾さんはその後もRFLに参加し続け全国に仲間ができた。
 「この命のつながりを大事にすることで、妻の命をつないでいる気がします」
 三浦さんは最近、新たな計画をブログで発信した。がん患者によるがん患者のための株式会社の設立だ。今後はどれほど仲間が集まるか。「戦略事業部」の挑戦は続く。
(このシリーズは全5回)


[読売新聞 医療ルネサンスNo.5099記事]

●戦略事業部の挑戦  http://plaza.rakuten.co.jp/senryaku/
「がんと就労」働きたい(4)
 肺がんの胸椎(きょうつい)への転移がわかった千葉県の男性(54)は、抗がん剤と放射線治療を受けるため、1カ月ほど入院した。2008年10月には退院したが、暖かくなる翌年3月まで、自宅で療養した。

 職場に復帰すると、会社は他社と合併し、名前も変わっていた。職場の顔ぶれも一部変わっていた。それでも復帰当初は、あまり違和感を感じなかった。

 しかし企業風土の違いが、徐々に明らかになってきた。元の会社は風通しがいい、家族的な雰囲気だったが、合併した他社は「売ってなんぼ」の世界。同僚間の競争も激しかった。

 予想していたリストラの波も、思っていたより早く来た。合併から4カ月後には、早期退職者の募集が始まった。

 男性は当初、会社に残るつもりでいた。治療費だけで年間100万円近くかかり、生命保険料の支払いも月8万円近くに上る。大学生の長男(21)を抱え、パートで働く妻(53)の手取り13万円の給料だけでは、とても暮らしていけない。

 しかし退職金が上積みされ、早期退職に応じれば約2800万円が手に入ることを知って心が揺れた。「体が資本。これ以上、仕事でストレスを抱えたくなかった」

 会社は早期退職支援のあっせん会社も紹介してくれるという。支店長を歴任した自分のキャリアがあれば、再就職先もすぐ決まると思った。「会社にしがみつくべきだ」と助言してくれた同僚もいたが、妻とも話し合い、退職を決めた。

 転勤続きで、ずっと社宅暮らしだった。退職すれば、社宅も出なければならない。こつこつとためてきた住宅財形と退職金の一部を取り崩し、1350万円で築10年の庭付き中古住宅を買った。結婚以来、初めての一戸建てに、妻と息子は喜んだ。

 サラリーマン人生最後の日。職場で短く別れのあいさつをし、花束を受け取った。合併後、つきあいの日が浅い同僚も多く、拍子抜けするほどあっさりとしたものだった。

 自宅に帰る途中、妻と息子から相次いで携帯にメールが入った。「長い間、お疲れ様でした」。帰宅後、近くの居酒屋に3人で行き、これからの門出を祝いビールで乾杯した。


[朝日新聞2011年5月17日紙面「患者を生きる」より]
「がんと就労」働きたい(3)
 肺がんの胸腔鏡手術から5カ月後。千葉県の男性(54)は、職場復帰した。地域統括部の副部長から部付の部長代理に降格され、仕事の内容も軽くなった。しかし本調子に戻るまでには、1年近くが必要だった。

 抗がん剤を飲みながら、3カ月に1度はCT検査を受け、仕事を続けた。

 ようやく体力が戻り、無理なく仕事をこなせるようになった2007年秋。人事部の担当者から呼び出された。

 「審査部にあいているポストがあります。異動する気はありますか」

 現在の職場は、全国の支店を統括する営業の最前線で、気苦労も絶えなかった。審査部の業務は、各支店からあがって来る顧客の財務情報を確認する仕事。営業ほどきつくはない。

 自分のように支店長を経験した「古参兵」が集まる部署で、居心地も悪くなさそうだった。ただ、主査への降格が条件だった。900万円の年収が、500万円程度に下がるという。

 それでも、仕事のストレスでがんが再発する方が怖かった。職場にもこれ以上、迷惑をかけられない。納得して異動を受け入れた。「給料がもらえるだけで、ありがたいと思った」。以前のように、バリバリ働きたいという気力も失せていた。

 手術から2年たった08年春、肩甲骨付近に痛みを感じた。大学病院の主治医に告げると、整形外科を受診するよう言われた。X線検査では、異常は見つからなかった。

 しかし痛みは治まらない。毎月撮影を続けていると、数カ月後、X線にうっすらとかげが写った。恐れていた、胸椎への転移だった。

 放射線と抗がん剤治療を受けるため、再び入院することになった。年下の部長に告げると「仕事のことは考えないで下さい」と、快く送り出してくれた。

 今度の入院期間は、1カ月間近くにわたった。抗がん剤タキソテールの副作用で、二日酔いのようなムカムカが続き、味覚障害も起きた。

 そのころ、会社は同業他社との合併に向けた話し合いの真っ最中だった。「新しい会社の名前が決まったぞ」。入院中、同僚がメールで教えてくれた。


「がんと就労」働きたい(4)に続く

[朝日新聞2011年5月15日紙面「患者を生きる」より]
「がんと就労」働きたい(2)
千葉県に住む男性(54)は2006年2月、人間ドックの受診をきっかけに、左肺上部に腺がんが見つかった。

 大学病院で告知を受けた瞬間、頭が真っ白になった。「なぜ自分が」。治療方針を説明されても全く頭に入らなかった。会社に戻るため、バスに乗ったところまでは覚えているが、途中の景色の記憶は全くない。

 職場に戻ると同時に、部長に声をかけた。「どうやら、肺がんらしいんです」。驚いた部長は「すぐに役員に説明した方がいい」と慌てて呼びに行った。

 ちょうど年度末で、副部長として、統括する10支店の来年度の収支計画や営業予算を決める時期だった。春の人事異動も控え、所属する部署は一年で最も忙しい時期を迎えていた。

 「予算や人事がまだ決まっていません」。心配する男性に、上司は口々に「今は体を治すことに専念して欲しい」「代役を立てるから大丈夫だ」と言葉をかけた。

 早めに帰宅し、自宅で夕飯を用意中の妻(53)に告げた。「肺がんだった」「あら、本当」。妻が動揺を抑えようとしているのが、伝わってきた。

 手術は、2週間後に決まった。気もそぞろで仕事に集中できなかったが、家であれこれ考えるよりはましだと、手術直前まで通勤した。

 胸に小さな穴を開け、胸腔鏡を入れてがんを切る手術法が選ばれた。リンパ節に転移が見つかったが、抗がん剤でたたくことにした。12日間で退院。1カ月ほど自宅で過ごした。

 3月に入り、職場復帰の意向を部長に伝えた。すると「もっとゆっくり休め」という言葉が返ってきた。実のところ、手術後は体力が衰え、もう少し休んでいたかった。ありがたく従うことにした。

 季節は夏に変わり、7月に入り、ようやく職場復帰できた。上司の計らいで、週3日、短時間労働の慣らし勤務から始めた。通勤に片道1時間40分かかる身には、朝夕のラッシュを避けられ助かった。仕事の内容も、データ入力など負荷が少ないものを任された。

 復帰から1カ月後。役職が、副部長から部付の部長代理に降格された。同僚が、自分の代わりに副部長に就任した。


「がんと就労」働きたい(3)に続く

[朝日新聞2011年5月14日紙面「患者を生きる」より]
「がんと就労」働きたい(1)
午前7時半に起床。ゴミ出しをして、天気がいいと家の周りを30分ほど歩く。自宅に戻り、新聞を読みながらパンと冷蔵庫の残り物で朝食を済ませる。

 そこから1時間ほど、パソコンでハローワークの求人情報を検索する。月給15万円以上、職種は事務職……。希望に合う仕事が見つかっても、なかなか次の行動に移せない。

 「今は気持ちがなえていて。すぐに仕事は見つかると思っていたんだけどね」。これまでに20社以上を受験し、落ちた。

 千葉県に住む男性(54)は2006年2月、肺がんと診断され、手術を受けた。術後も抗がん剤治療を続けながら、仕事と闘病の両立を図ってきた。しかし1年半前、治療に専念するため、約30年間勤めた東証一部上場の会社を退職した。

 妻(53)と、大学4年生の息子(21)の3人家族。失業保険も切れ、貯金を取り崩しながらの生活が続く。

 大学を卒業後、九州の小倉を振り出しに全国各地の支店を回った。30代前半での支店長就任は、同期の間でも早い方だったという。

 「自分で言うのも何だけど、部下の適性を見抜き、育てるのがうまかった。できの悪い社員がいると、『あいつの所に送れ』なんて言われたもんです」

 朝8時過ぎには出社し、仕事が終わると取引先や後輩と飲みに行った。順調に出世を重ね、がんが見つかったときは、本社の地域統括部の副部長の役職にあった。

 「このままいけば、役員の一歩手前ぐらいにはいけるかな」。そんなことを考えていた矢先、人間ドックで、肺に小さなかげが見つかった。

 3日に1箱のペースでたばこを吸ってきたが、大病の経験はなかった。ただ今にして思えば、人間ドックの直前は風邪が1カ月間近く治らなかった。

 半信半疑で会社近くのクリニックを受診すると、「東京都内の大学病院で精密検査を受けるように」と言われた。

 大学病院でCTや肺の組織を調べた。検査結果を見て、年配の医師が申し訳なさそうに告げた。「左肺の上にがんがあります。手術で切りましょう」。肺がんの中で最も多い、腺がんだった。


「がんと就労」働きたい(2)に続く


[朝日新聞2011年5月13日紙面「患者を生きる」より]
「がんと人生」垣添忠雄・4
〜「がんと人生」垣添忠雄・4〜

 妻昭子の病状は、つるべ落としのように悪化していきました。12月に入ると、ベッドから起き上がることもできなくなりました。
 この年の春、私は定年を迎え、名誉総長に退いていました。管理業務から解放されたので、出来る限り病室に行き、背中の床ずれ予防の薬を塗ったり、食事の世話をしたりするのが日課になりました。妻と過ごした病室での日々は、私の人生で最も濃密に妻と対した時間でした。
 年の瀬が迫るにつれ、街は華やかさを増します。夜、病院から独り帰宅するたび、世の中の人がみんな幸福そうに見え、正直とてもつらかったですね。
 病院は12月28日から正月休みに入ります。妻は「どうしても家に帰りたい」と懇願しました。病院で死にたくない、わが家でみとられたいという思いです。もちろん帰れる状態ではありません。私は妻の最後の望みをかなえるため、「点滴から排せつまですべて私がやる」と担当医を説得しました。点滴バッグの中に利尿剤とかビタミン剤をセットする方法、自動注入ポンプの扱いを看護師に習い、28日朝、在宅用の医療器具や医薬品を山のように積み込んだ車で、一緒に帰宅できました。
久しぶりの家です。昭子はこたつに足をおろして天井のしみを眺めたり、庭を見たり……。日常の風景に接することで、生気がよみがえってくるようでした。
 夕飯は福岡から取り寄せた妻好物のアラ鍋を用意しました。抗がん剤で口と食道がひどくただれているのに、「こうでなくちゃ」と何度もつぶやきながら、おいしそうに食べることができたのです。
 「家に連れ帰って本当によかった」と心から思い、かけがえのない晩さんを楽しむことができました。
 しかし、この時がいつも通りの会話ができた最後でした。翌日からは意識がもうろうとしてきて、30日には、無呼吸と過呼吸を繰り返す「チェーンストークス呼吸」が始まりました。
≪チェーンストークス呼吸は無呼吸状態が数秒から数十秒続いた後、血中にたまった炭酸ガスを排出するため呼吸が始まり、次第に大きくなって過呼吸状態を繰り返す。呼吸中枢の機能が落ちた症状として死期が迫った時しばし起こる≫
 大みそかの午後になると、意識がなくなり、さらに呼吸が荒くなってきました。私はがんの専門医であるのに、ただ脇で見守るだけでした。
 その時です。突然、身を起こした昭子は私に向かって目を見開き、私の手をぎゅっと握り締めました。
 「ありがとう」――。
 声にならない声が私にははっきり聞こえ、次の瞬間、妻の手の力がガクッと抜け落ちました。
午後6時15分でした。
 30分後に担当の先生が来られ死亡診断書を書いていただきましたが、2人の意思が通じたと確信できたあの一瞬が、私の中の昭子の死亡時刻と思っています。
 享年78歳でした。

[読売新聞2011年5月16日紙面より]
「がんと人生」垣添忠雄・3
〜「がんと人生」垣添忠雄・3〜

 2007年9月、奥日光などで夏休みを楽しんだ後、妻の昭子は私の勤務していた国立がんセンター中央病院(東京・築地)で検査を受けました。
 その夜、担当医師が私の部屋に訪れ、告げました。
 「再々発したようです」
 肝機能が悪化し、がんの増殖ぶりを示す腫瘍マーカーが急上昇していました。MRI(磁気共鳴画像装置)とPET(陽電子放射断層撮影装置)検査でも多発性の脳転移、肺転移、肝転移、副腎転移がはっきり映し出されました。
≪PETは放射線を出す検査薬を体内に注入して糖質の代謝状態をとらえる。CTやMRIは形状で判断するが、PETは臓器や組織の機能がわかる。1回の検査で、がんの有無、リンパ節転移の様子などを早期に確認しやすい≫
 がんは完治するどころか、全身に転移していたのです。
 「あと数か月の命」―――。
 私は初めて妻の死を意識せざるをえませんでした。そして担当医とともに妻に包み隠さず、話しました。
 昭子は意外なほど冷静でした。一粒の涙も見せず、ただ静かに聞いているばかり。これが私にはどんなにありがたかったことでしょう。何か尋ねられても、妻を納得させるような返答をする自信がありませんでしたから。
 すぐに再入院して、新しい抗がん薬を投与しましたが、ほとんど効かずに副作用ばかり出ました。
特に口内炎や食道炎がひどく、つばを飲み込むのも痛いようでした。
 妻は一切弱音を吐きませんでした。が、ただ一度、「こんなつらい治療を受けているのは、あなたのためなのよ」と言ったことがありました。本当は抗がん剤治療を受けたくないのに元国立がんセンター総長の私の立場を考えての治療選択だったのでしょう。
 私は思わず絶句しましたが、心の中では「かわいそうなことをしたな」と思い、切なくなりました。
 私たちは生涯けんかをしませんでした。でも車の運転の時だけは別でした。運転免許を持つ私がハンドルを握ります。
 私は何より安全を重視する慎重派で、高速道路ではよほどのことがない限り、同じ車線を規定速度内で走るようにします。
 しかし、妻は「前の車、遅いわね。追い越しましょうよ」と、私をけしかけます。せっかちなのです。
 まだ最初のうちは週末ごとに外泊ができました。昭子は「ファッションショー」と称して、親しいアメリカ人夫妻が来日し、会食する時のために注文した2種類の服を広げ、靴から帽子、バッグまで合わせて私に披露しました。
 とても、うれしそうでしたが、私は「死に装束を選んでいるのだな」と感じました。妻は自らの命が燃え尽きようとしていることを悟っていたのです。
 私は妻が気に入った方の銀ネズミ色のパンタロンスーツ、ブラウスなどを一式にまとめて、しまいました。


〜「がんと人生」垣添忠雄・4〜に続く

[読売新聞2011年5月14日紙面より]
「がんと人生」垣添忠雄・2
〜「がんと人生」垣添忠雄・2〜

 妻昭子の右肺のがんは、陽子線治療で消えましたが、それも長続きしませんでした。
半年後の2007年3月、右肺の入り口に当たる肺門部のリンパ節に手にが一つ出てきました。病巣は小さく、いったんは完全に消失したのに、こんなに早く転移が起きるとは…。
 増殖の速さから悪性度の高い「小細胞がん」の疑いが極めて濃くなりました。
≪肺がんは扁平上皮がん、腺がん、小細胞がん、大細胞がんの4種類に大別される。タイプで進行度、悪性度が異なり、抗がん剤の効果に差があることから、治療法が違ってくる≫
 胸に針を刺して組織を検査する肺生検をすると、やはり小細胞がんでした。このがんは文字通り小型の細胞で構成され、転移しやすく、とても厄介です。
 私は心の動揺を隠しながら、「転移は1か所だけだから、抗がん剤と放射線治療で何とかなるよ」と、妻と自分自身を励ましました。
 抗がん剤治療は、何種類かの薬を組み合わせて投与します。月に1度、数日だけ短期入院して、まず小細胞がんの常道である「シスプラチン」と「エトポシド」という2種類の抗がん剤を4回点滴しました。
 特にシスプラチンは、私の専門である泌尿器科系のがんや、婦人科系がんにもよく使われていますが、腎臓などに副作用を起こしやすくもあります。二の腕の静脈に針を固定し、大量の点滴をして腎臓への負担を軽くします。
 その分、点滴時間が長くなって、会を重ねるにつれ、血管がつぶれてしまい、4回目には針を刺すのが難しくなるほどでした。抗がん剤治療には、負担の少ない点滴方法が大切な課題だと再認識した次第です。
 抗がん剤には必ず吐き気や脱毛など副作用が伴います。昭子の場合、前髪はあまり抜けませんでしたが、後ろ髪は、朝起きると枕にいっぱい抜け落ちました。
 患者は気弱になっています。特に女性の場合、脱毛が追い打ちをかけるような衝撃でしょう。妻は割合さばさばした性格なので、はた目には落ち込む様子は感じられませんでした。「ウィッグ」というのかな。かつらを作りましたが、妻は自分に「いずれ治れば、髪の毛は戻る」と言い聞かせていたようです。
 抗がん剤の後、放射線治療を終えたのが7月末。治療結果を待つ間、2人で奥日光に出かけました。中禅寺湖畔のホテルに1週間ほど滞在してハイキングや、カヌー漕ぎをするのが、夏の恒例になっています。「今回も完治できたはず」と、私たちは思い込んでいましたから、割合元気に遊び、気分転換が図られました。
 でも奥日光の最終日でした。湖畔の芝生に座って妻と雑談している時、私は妙な寂しさを覚えました。
 意味のわからない肌寒さとでもいいますか。あれが虫の知らせというものだったのでしょう。


〜「がんと人生」垣添忠雄・3〜に続く

[読売新聞2011年5月12日紙面より]
「がんと人生」垣添忠雄・1
今や、日本人の2人に1人ががんにかかり、3人に1人ががんで亡くなる時代。
国立がんセンターで30余年、がん研究・治療を牽引してきた垣添忠生元総長に肺がんで愛妻を失った痛恨の思いを交えて「がんと人生」を語ってもらった。(編集委員 前野一雄)

<垣添忠雄>1941年(昭和16年)、大阪府生まれ。東大医学部卒。昨年、独立行政法人化された国立がんセンター(現国立がん研究センター)で泌尿器科医長、副院長、院長、総長を歴任。現在、日本対がん協会会長を務める。


〜「がんと人生」垣添忠雄・1〜

 妻の昭子は、昔から体が強い方ではありませんでした。初めて会った時、妻は私が研修医をしていた病院の患者でした。膠原病の初期症状だったようです。
 結婚後も時々熱を出したり、ひどく疲れやすかったり。「レイノー現象」といって、冷水に手を入れると白くなるような症状もよく出ました。膠原病は次第に安定しましたが、ステロイド薬をずっと内服していたので、炎症に弱いなどの問題を抱えていました。
 最初のがんは1995年、甲状腺でした。声がしわがれてきて受けたCT(コンピューター断層撮影法)検査で発見されました。甲状腺の半分と、周りのリンパ節に転移したので、追加の切除をしました。
 2000年には左肺に腺がんが見つかりました。これは病巣をくさび状に取る手術だけで済みました。
 甲状腺と左肺の二つのがんは、どちらも完治したと思います。しかし、その経過観察中の検査で、今度は右肺に異常陰影が映りました。06年3月のことです。
 影の大きさは4ミリ。極めて小さく、悪性かの判断がつかず、様子を見ることにしました。3か月後もあまり変化がなかったのですが、6か月後、少し大きくなってきました。だるま状のいびつな形になって、がん以外に考えられません。
 左肺の手術をしているうえ、ステロイドを長く服用しているので、肺の組織がもろくなっています。さらに肺葉切除となると、肺の容積が減って、呼吸するのに支障が出る心配があります。このため、国立がんセンター東病院(千葉県柏市)で、先進医療である陽子線治療を選びました。
≪陽子線は放射線の一種で、エネルギーを体の深部に集中できる。従来のエックス線治療より副作用が少なく、深いがんの狙い撃ちが可能になった。現在、国内数か所で稼働している。ただし費用は健康保険が適用されない≫
 幸い、この治療が功を奏して、がん病巣は完全に消失しました。「今度のがんも乗り越えた」と喜び合いました。でも、それもつかの間の安心でした。


〜「がんと人生」垣添忠雄・2〜に続く

[読売新聞2011年5月11日紙面より]
『第16回つくばがんサロン』のご案内
下記の日程で『第16回つくばがんサロン』を開催します。
本人、家族が、友人が、がん患者・がん体験者などどなたでも参加できますので、興味のある方は予約の上参加ください。

日時:6月18日(土)14:30〜16:30
会場:有機野菜カフェ『つくばCASA』(学園東大通り沿い、乙戸沼公演北隣)
茨城県土浦市中村西根12-1 TEL 029-843-4312
参加費:500円
内容:DVD鑑賞『希望・信頼・内なる叡智』
   サバイバーの体験談など
定員:20名
申し込み先:このHPの問い合わせ先にアクセスして、氏名と連絡先を送信するか、
      NPO法人緑の風事務所(050-4548-2046:平日9:00〜17:00)にお電話ください。
近藤誠 私がすすめるがん治療(6)
「がんもどき理論」の帰結点

 最後に、(初回治療の後で)転移があるかどうかが未知の「転移不明段階」の対処法について手短に解説します。
 この場合、再発予防と称して、抗がん剤やホルモン剤(以下まとめて「抗がん剤」)による「術後補助療法」がよく行われます。しかしこれは、原理的に無意味でしょう。その理由解説の前提として、「がんもどき」について説明すると、発見されたばかりの癌は、体のどこかに臓器転移があるか、転移がないかのどちらかで、私は前者を「本物のがん」、後者を「がんもどき」と名づけました。
 そして、ある特定の患者の癌が「本物」であるか、「もどき」であるかは、術後でも判明しないのですが、どちらかではあるわけです。そうすると、かりに「本物」であれば、潜んでいる病巣が微小であっても、数千、数万のがん細胞が含まれているので、抗がん剤を投与しても治らない。
 他方その癌が「もどき」であれば、原発病巣は(手術や放射線で)治療しているので、抗がん剤は(叩く対象である転移が存在せず)無意味です。とういうよりも、がん細胞が存在しない人は健康人と同じなので、抗がん剤は(毒性で)命を縮める効果しかない。そこで乳がんを例にとると、手術可能な乳がんの場合、全患者の7割から8割は臓器転移が存在せず「もどき」と考えられ、この人たちは縮命効果だけを被るわけです。
 このように、何人の癌も「本物」と「もどき」のいずれかであることを知れば、治療法判断は(従来よりも)ずっと容易になるはずです。
 ところで「がんもどき理論」の中核は、「もどき」は(原発病巣をも)治療しないで放っておいても臓器転移が生じない、とするところにあります。これは、がんは放っておいたら転移するという社会通念に真っ向から反するので、反発される方(特に医者)が多いようです。
 しかし、この理論の根拠となる臨床データは豊富に存在します。じつは「がんもどき」の存在は専門家たちも認めていますし、公的検討会も認めているのです(拙著『あなたの癌は、がんもどき』<梧桐書院刊参照>)。ただ「がんもどき」を解説するために一冊の本を要したように、データや理屈をここで詳説するのは不可能です。そこで「がんもどき理論」の帰結だけ、数点指摘しておきましょう。それは、
・がん早期発見のための「がん検診」は無意味
・原発病巣を治療した後の、転移発見のための(CT等の)検査は無意味
・無症状なら、検査で発見された癌を放置しても命取りにならない
などです。
 以上を見れば明らかなように、「がんもどき理論」の帰結は、人を(がんという)病から相当程度解放してくれます。術後補助療法ばかりでなく、術後検査を受け続けるかどうか悩まれている方々も、一度この理論をじっくり検討されるとよいでしょう。

[近藤誠・慶応大学医学部講師 文藝春秋 第八十九巻第三号
「近藤誠 私がすすめるがん治療」より]
近藤誠 私がすすめるがん治療(5)
ホルモン剤治療等の是非

 ここで抗がん剤以外の薬物治療について検討することにしましょう。
 まずはホルモン療法で、前立腺がんでは、男性ホルモンが癌の増殖を助けるので、(その動きを抑制するため)ホルモン療法が行われます。抗がん剤と異なり、寿命短縮効果が低い(と思われる)一方、がんの増殖を(ある程度の期間は)抑制することができるので、転移がんへの適応はあると考えます。問題は、具体的方法です。
 この点日本では、ホルモン抑制剤を定期的に皮下注射して、男性ホルモン(が睾丸から分泌されるの)を抑制する方法が一般的です。しかし、薬代が高すぎる。一月当たり2万7千円から4万3千円もするので、その3割負担といっても(長期の生存が見込まれる)患者・家族は経済的に大変です。
 それで私は患者に、睾丸摘出術を勧めています。皮下注射法でも(死ぬまで続けるならば)男性機能は永久に戻らないわけで、それなら睾丸を摘出した方が簡明だし、経済的にも安価です。患者が納得して睾丸摘出を望むのに、もし担当医が皮下注射法に拘泥するなら、製薬会社との(経済的)結びつきが強いと考えて間違いない。
 乳がんの臓器転移も、がん細胞に「ホルモン受容体」という物質がある場合、ホルモン療法が妥当です。ただ具体的方法は問題で、閉経前患者の生理を止める方法について一言します(経口ホルモン剤については、長くなるので省略)。
 現在日本では、(女性ホルモンを分泌する)卵巣の機能を抑える目的で、(前述の)ホルモン抑制剤頻用されています。が、転移がんでは、永久に卵巣機能を抑えようとする場合がほとんどなので、やはり薬代が高くつく。
 そこで私は、卵巣に放射線を照射することを勧めています。1回2グレイで40代であれば3回ほど、30代であれば5回ほど照射し、血中女性ホルモン値が(数ヶ月たっても)下がりきらなければ、追加照射を検討します。これで卵巣機能は、永久に止めることができ、ヨーロッパではよく行われる方法です(なお上述の線量は、ヨーロッパでのそれより少ないので、希に生理が戻る人がいる。その場合、少し照射を追加すればよい)。簡便かつ安価なので、もっと普及していい方法ですが、ここでも(製薬会社との結びつきが強い)外科医や腫瘍内科医が抵抗するでしょう。
 他方、固形がん患者の骨転移に対し、「ゾレドロネート(製品名ゾメタ)」の点滴がよく行われています。「ビスフォスフォネート」系の薬剤で、骨を強化して、骨折等の新たな骨病変出現を防ぐという触れ込みです。
 前提として、以前は同じ目的で「パミドロネート(製品名アレディア)」が使われていました。ゾメタは(アレディアと)同程度の効果があり(Cancer J 2001;7:377等)、アレディアより点滴時間が短くて済むので、ゾメタに切り替わったわけです。それゆえ(ゾメタと比較される)アレディアの効果を確認する必要があります。
 この点乳がんの骨転移患者において、アレディア投与群と、非投与群とを比較した臨床試験があります。新たな骨病変が出現するまでの期間を比べた試験ですが、その成績は、一見しただけで信用できない(グラフ参照。J Clin Oncol 1999;17:846)。
 信用できないという(主な)理由は、3ヶ月付近で2つの曲線が同じように屈折しているからです(グラフ中矢印参照)。がん患者の生存曲線が、素直な指数関数曲線を描くのと同じく、新病変の発現曲線も素直な(滑らかな)曲線を描くはずで、このような屈折は不自然なのです(生存曲線のかたちについては「効かない論文」参照)。この曲線の形から(何らかの)人為的操作が加わったと推認できます。とはいえ屈曲するまでの最初の3ヶ月分のデータは信用できるでしょう。とすると2本の曲線は重なっているので、アレディアに(骨転移に対する)効果はないと考えられ、したがって(アレディアと同等という)ゾメタも、効果はないと考えられます。
 しかし効果がないというのは、新たな骨病変の進行を食い止めようとする場合の話です。ビスフォスフォネート系の薬剤は、骨粗しょう症の患者に長期投与すると、顎骨の壊死や大腿骨の骨折が生じることがあり、害効果は確実にあります。またこれは、骨を弱くしたということなので、そもそも(転移患者の)骨を強化するという能書事態に嘘があるというべきです。
 免疫療法や食事療法についても、問題が多々あります。前者については、そもそも免疫システムが一度(がんに)負けたからこそ、病巣がその大きさになれたわけで、原理的に無理がある。
 他方食事療法は、安価かもしれないが、一面、免疫療法以上に危険です。というのも種々の食事療法は、真面目に実行すると体重が減るものが多い。すると、がんに対する抵抗力が下がってしまい、がんの進行速度が急に早くなることが少なくない。がんにかかったら、おいしいものを一杯食べて、そこそこの体重を保つ必要がある(各種療法の原理的欠陥については後掲拙著で述べた)。

〈近藤誠 私がすすめるがん治療(6)に続く〉

[近藤誠・慶応大学医学部講師 文藝春秋 第八十九巻第三号
「近藤誠 私がすすめるがん治療」より]
近藤誠 私がすすめるがん治療(4)
抗がん剤が効かない理由

 次の検討対象は、「無症状転移がん」です。この場合、症状がないので、客観的には治療の必要性が低くなる。が、そこから問題が生じるのです。というのも、有症状であれば、症状緩和が最優先となり、その場合(前述したように)抗がん剤以外の治療法がいろいろあります。患者・家族としては、何か治療法があれば、一定の満足を得ることができる。
 これに対して無症状の場合、客観的には治療の必要がないことが多い。ところが患者・家族としては、「治療の必要がない」と言われると、耐えられない。それで「何でもいいから治療を」となり、抗がん剤治療に突き進んでいくケースが多いわけです。
 また逆に、患者本人が抗がん剤を受けたくないと思っても、それに反対する人たちが山のようにいる。友人・知人には「抗がん剤って効くそうよ」「世の中の常識じゃないの」と言われ、医者には「抗がん剤は標準治療」「受けないと命を縮める」「受けないのは愚の骨頂」と説教され、家族からは「お願いだから受けて頂戴」懇願されて多勢に無勢、軌道修正を迫られる。
 それゆえ、抗がん剤を避けるには、まず揺るぎない自己を確立する必要があり、その近道は、抗がん剤が効かない理由を心底理解することでしょう(ここで「効かない」というのは、「治らない」もしくは「延命効果がない」という意味)。
 この点抗がん剤で(固形がんが)治らない(つまり、がん細胞が生き残る)最大の原因は、遺伝子にあります。前提として、人間の体の全細胞は元をたどれば1個の受精卵から発生しており、受精卵が有していた2万個以上の遺伝子(のセット)と同じ遺伝子セットを持っている。そしてがん細胞は、正常細胞から分かれたので、遺伝子セットも正常細胞と共通しているのです。
 ところで、がん細胞の遺伝子には変異が認められ、これを強調していくと、がんは特殊だから(薬で)何とかできる、という思考につながりやすい。しかし実際には、変異があるのは全体(2万個以上)から見れば、ごく少数の遺伝子です。かりに多数の遺伝子が変異してしまえば、細胞の構造・機能自体が崩壊するか死滅して、がん細胞として存続できない。換言すれば、がん細胞と正常細胞は、その構造・機能が共通しているのです。つまりがん細胞は、異物でも敵でもなく、自分自身の一部です。
 したがって、がん細胞を殺す抗がん剤は、かならず正常細胞も殺します。その結果が毒性であり、諸臓器に生じる障害です。そして厄介なことに、がん細胞より正常細胞の方が(抗がん剤に対して)脆弱なのです。というのも諸臓器は、細胞の配列や数を定常状態に置かないと、その構造・機能が保てない。正常細胞の何割かが死滅したら、臓器自体が崩壊するか機能不全に陥ります。
 これに対しがん細胞は、細胞がバラバラでも増殖でき、かりに(薬で)99%以上が死滅しても(1個でも残れば)再増殖可能です。それで、がんをやっつける前に、かならず正常臓器がやられてしまう見方を変えると、臓器が(毒性で)機能不全に陥らない程度の(抗がん剤)量しか使えないことが、がん細胞が生き延びることを保障しています。これが、抗がん剤で固形がんが治らない理由です。
 次に延命効果を考えてみましょう。固形がんでも(抗がん剤で)病巣が小さくなることはあります。その場合、病巣が元の大きさに戻るまでの期間分、延命してもよさそうなものですが、臨床試験では、延命効果は認められない。これらをどう整合させるのか。
 一つの可能性は、がん病巣が縮小した患者は延命効果を得ているが、他の患者は毒性による縮命効果を得て、(グループ全体では相殺され)生存期間の延長が認められなくなる、です。別の可能性は、がん病巣が縮小したその患者自身においても、延命効果が(毒性による)縮命効果と相殺され、(何もしない場合と)生存期間は変わらない、です。どちらの可能性が高いのか。理論的には(前述したように)がん細胞と正常細胞は遺伝子セットが共通しているので、抗がん剤に対する感受性も共通している可能性が高い。実際にも、抗がん剤で病巣が縮小した患者は、毒性も強く出る印象があります。
 ところで臓器転移があっても無症状の場合、直ぐには(がんで)死なないことに留意すべきです。生存曲線を描いた場合、無症状グループの生存率は(無症状であるかぎり)100%を推移します。そして転移が引き起こす症状が出てきた段階で、初めて命に危険が迫り、生存曲線だんだん下降し始める。他方で、CT等の精密な検査で(昔よりずっと)小さな病変が発見されるので、転移発見から生存曲線が下降し始めるまでの期間は(以前より)著しく延長している(「リード・タイム・バイアス」<「効かない論文」参照>)ことにも注意すべきです。
 それゆえ、抗がん剤を始めた(無症状)患者が直ぐ亡くなるのは、ほとんど抗がん剤の毒性が原因です。また(リード・タイム・バイアスのため)以前より無症状期間が長くなった分、治療期間も長くなり、毒性が増大することに留意すべきです。

〈近藤誠 私がすすめるがん治療(5)に続く〉

[近藤誠・慶応大学医学部講師 文藝春秋 第八十九巻第三号
「近藤誠 私がすすめるがん治療」より]
近藤誠 私がすすめるがん治療(3)
よき人生のために

 ここでもう一度、抗がん剤治療の問題点を俯瞰しておきましょう。じつは固形がんでも、転移病巣が抗がん剤で縮小・消失することがあります。しかし、一旦消えたとしても、それは検査で発見できない大きさになっただけです(1ミリ大の病巣に百万個のがん細胞が含まれる)。がん細胞は必ず残っていて、他の病気で死なない限り、再増殖してきます。他方で抗がん剤は(分子標的薬を含め)毒性が強く、患者のQOL(クオリティー・オブ・ライフ。生活の質)は必ず下がるし、命を縮めることもある。
 しかし世の中には、手段が尽きても「何かやりたい」患者はあとを絶ちません。最近もこんなケースがありました。
 50代の男性が、大腸がん術後に転移を発症し、抗がん剤の多剤併用法と分子標的薬(アバスチン)を何回も打ったが、痛みが悪化したと転院してこられた。そこで鎮痛剤を工夫し放射線治療を行い、痛みは軽減したのですが、また「薬をやりたい」と言い出された。
 私は、「抗がん剤や分子標的薬は無意味です」「あなたの今の状態なら、抗がん剤さえ打たなければ、半年や一年で命を失うことはない」と説明したのですが、言うことを聞かない。消化器内科の意見も聞きましたが、答えはやはり「無意味です」でした。しかし聞く耳は持たず、抗がん剤を打ってもらえるからと、元の病院に戻りました。
 まもなく病院から連絡がありました。(前と同じ)抗がん剤と分子標的薬を1回打ったあと、痛み、不穏とせん妄が生じ、医者と家族が相談してモルヒネ点滴を始め、転院後一カ月で永眠された、と。本人の精神が混乱した状態にあったことは確かですが、これは自殺行為なのか、殺人行為なのか。本人も一流会社で幹部社員として働いていたのに、どうしてこうも判断を誤るのか。それに多剤併用療法と分子標的薬(アバスチン)は「効かない論文」で解説したように、延命効果が証明されていないか無効であるので、まったく残念な結果になってしまいました。
 結局、よき人生を全うするためには、ある種の諦観が必要だと、つくづく思います。がんにかかったというだけで諦める必要はないけれど、固形がんの臓器転移であれば、腹をくくらなければならない。難しいことではありますが、それができないと、人生の最後に肉体的・精神的に苦しむことは確実ですし、命もおそらく縮みます。
 現実的な対処法に話を戻すと、ありがちな問題の一つに、担当医の無理解や横暴があります。患者・家族が抗がん剤を止めたいと思っても、医者が許してくれないので困っている、というのが典型です。ひどい場合には、「抗がん剤を打たなきゃ診てやらない」とまで言う。医者は抗がん剤神話を信じていたいということでしょうが、患者は神話と心中する必要はないわけで、何らかの対策が必要です。
 その場合、「その言い草は何だ」「患者の苦しみを和らげるのが使命である医者の態度か」「お前なんかに診てもらうのは、こっちの方でお断りだ」とケツをまくることができたら痛快ですが、その後の態勢を固めていないと難しい。そもそも受診拒否は医師法違反なのですが、病院長や理事長に言いつけるのも品がないような気がするし、、再び診てもらえることになっても、シコリは完全に残ります。また医者が、かりに素直に抗がん剤治療を撤回したように見える場合にも、何かにつけて「抗がん剤をやらなかったからだ」「また抗がん剤を始めませんか」とチクチクやられる。神話はどうにも始末が悪いのです。
 そこで医者や病院を変えることを考えましょう。その場合、がん専門病院、大学病院、一般の病院の間を渡り歩くのでは、訪ねた先でまた抗がん剤を勧められかねない。緩和ケア専門外来を訪ねたり、在宅医療を依頼するのが妥当でしょう。
 代えることがかなわぬ場合、最後の手段は演技です。理屈を言えば、角が立つというように、医者は患者・家族から「抗がん剤は効かないそうですね」と事実や理屈を指摘されるのが癪にさわる。しかし、情に訴えかけられるのはオッケーです。
 まず、少し大げさに「点滴は苦しい」「気分が悪い」等々訴えながら「止めたい」と言う。そうすると医者は恐らく、「副作用が弱い、いい経口薬がありますよ」と言うでしょう。それをもらって、飲まないというのが一案です。

〈近藤誠 私がすすめるがん治療(4)に続く〉

[近藤誠・慶応大学医学部講師 文藝春秋 第八十九巻第三号
「近藤誠 私がすすめるがん治療」より]
近藤誠 私がすすめるがん治療(2)
人生観が決める選択肢

 次に肝転移ですが、肝転移で有症状というと、?肝臓の大部分が転移病巣で占拠され、肝機能が低下し、肝不全状態になっている、?同じ理由で肝臓が腫れ、お腹が張って苦しい、?水分が転移病巣から漏れて腹水が溜まって苦しい、等があります。
 いずれも、症状を(安全に)軽減することは困難です。たとえば?肝不全の場合は、肝臓に放射線をかけると、肝臓機能をさらに低下させる可能性があり、危険です(同じ理由で抗がん剤も危険)。また?肝臓の腫れも、肝不全の一歩手前であるはずで、やはり放射線や抗がん剤は危険です。
 ?腹水はどうか。お腹に針を刺して水を何リットルも抜けば、一時的にお腹はへこんで楽になります。しかし腹水は、含まれるタンパク量が多く、血液を抜くのに似ます。それゆえ、腹水を抜けば抜くほど(体内タンパク量が減って)痩せてきて、寿命を縮めることになる。がん性腹膜転移で腹水が溜まる場合も(腹水を抜くと痩せてくるのは)同じです。
 そこで選択肢としては、(ア)腹水を抜かずに我慢する、(イ)腹水が溜まる度に抜いて、寿命が短くなっても楽に生きる、の2つがある。どちらにするかは、患者個人の価値観・人生観によるというしかありません。私の患者でも、前者を選ぶ方もおられれば、後者を選ぶ方も少なくない。ぎりぎりの選択ですががんの場合、こういう厳しい選択を迫られることもあるわけです。
 最後に検討するのは肺転移で、しばしば呼吸困難がきます。その場合(溺れたようになって)苦しいので患者は抗がん剤治療に飛びつきがちです。しかし、ほとんどのケースでは楽にならず、抗がん剤の毒性により、かえって苦しむ。それよりは、酸素吸入をして過ごすのが得策です。さらに苦しくなったら、患者は意思表示して、モルヒネを点滴してもらうと、意識は薄れますが楽になる。安楽死の一種ですが、患者が知っておくべき方法です(家族が勝手に決定するのはよくない)。
 放射線治療が奏功することもあります。転移病巣が太い気管支を圧迫もしくは狭窄して、空気の出入りが困難になっている場合、放射線治療で病巣が縮小すれば、空気が出入りできるようになるわけです。
 これに対し、転移病巣が左右の肺全体に広がっているときは、放射線治療は普通行わない。肺は放射線感受性が高く、障害が発生しやすいからです。しかし私は、一定の場合に放射線治療を行っており、奏功することがあるので、その方法を紹介します(ただし、以下の条件や方法を厳密に守る必要がある)。
 患者の条件ですが、呼吸困難のため寝たきりになり、酸素が必要になったケースは、照射が症状を悪化させる可能性があるので、おそらく不適当です。少し息切れするが歩ける、という段階の、左右の肺に広がる、がん性リンパ管症が最もよい適応だろうと思われます。しかし喫煙歴のある人は、(放射線に対する肺の急性反応が出やすく)対象外と考えたい(こういうケースは、抗がん剤も肺障害を起こしやすく、極めて危険。タバコを吸うのは自由だが、がんの場合、ハンディキャップになる)。
 治療の実際は、肺全体を1回1グレイで5回だけ照射します。以前は10回前後照射していましたが、効果があるケースは少ない線量でも効くことが分かって、総回数(総線量)を減らしました。効果が出るケースでは、すべての照射が終ったあと、呼吸困難は週単位でゆっくり改善していきます。患者が生存を続けて呼吸困難が再度生じてきた時は、(肺の状態によっては)もう1度5グレイ程度照射することが可能です。
 ただし禁忌(やってはいけないこと)があります。肺のように放射線感受性が高い臓器では、全体に照射したあと、抗がん剤治療をすると危険です。これに対し、抗がん剤治療後に放射線をかけるのはそう危険ではないので、順番が肝心です(抗がん剤をやれというのではなく、医学的原理を説明しているだけ。脳と同じように、照射された影響が永く肺に残るためと考えられる)。それで私は全肺照射を相談する際、「将来、抗がん剤を使いたいという気持ちがあるなら、この治療は止めておきましょう」と説明しています。
 肺転移に似て非なるものに「胸水」があります。「肺に水が溜まった」とも表現されますが、肺の中ではなく、肺の外に溜まるのです。つまり肺全体を「胸膜」という薄い膜が覆っていて、この膜は一続きになって胸壁(肋骨)の内側まで覆っています。結果、2枚の胸膜が向かい合った恰好になっていて、その隙間(胸腔)に水が溜まるのです。また胸水は、胸膜に転移した病巣からしみ出てきます。
 胸水の量が増えると(肺活量が減って)息苦しくなるので、治療法としては、胸腔に管を差し入れて、水を抜きます。水が十分抜けたら、胸腔に薬を入れて、2枚の胸膜同士をくっつけることを試みる。うまくくっつけば、胸水は溜まらなくなります。この際用いられる薬は、胸膜の表面を破壊するものなら何でもよく、細胞が壊れた後、傷が修復される過程で、2枚の胸膜が癒着するのです。

〈近藤誠 私がすすめるがん治療(3)に続く〉

[近藤誠・慶応大学医学部講師 文藝春秋 第八十九巻第三号
「近藤誠 私がすすめるがん治療」より]
近藤誠 私がすすめるがん治療(1)
 「文藝春秋」1月号の拙稿「抗がん剤は効かない」(以下「効かない論文」)と、同2月号の対談「『抗がん剤は効かない』のか 患者代表・立花隆、近藤誠に質す」が大きな反響を呼んでいます。 一つは専門家集団からの、「いや、抗がん剤は効く」「(新薬認可申請のための)臨床試験は信用できる」という類の反論です。それらに対しては、「抗がん剤はそれでも効かない」(「週刊文春」1月27日号)で再反論しました。
 他方では、「文藝春秋」編集部にも近年にない多数の問い合わせが殺到したそうで、以下に切羽詰まった(悩める)患者・家族が多いかを示しています。そこで本稿では、患者・家族がどう考え、どう行動したらよいのか、対処法について提言します。ただ抗がん剤に関しては、「では、どのようにしたらよいか」というテーマが一番難しい。患者・家族が置かれた状況は千差万別ですし、そもそも(がんの)種類や進行度もも異なっている。したがって以下で示すのは、対処法の大筋です。
 解説の前提ですが、肺がん、胃がん、大腸がん、乳がん等のいわゆる「固形がん」(腫瘍<塊>をつくる癌)を対象とします(「がん」と「癌」は同義。読みやすさを考えて使い分ける)。抗がん剤で治る(可能性が高い)急性白血病や悪性リンパ腫のような「血液がん」は対象外。また固形がんでも、睾丸のがんや子宮絨毛がんは、やはり抗がん剤で治る(可能性が高い)ので、対象外。ただそれらでも、再発を繰り返す場合には、本稿が参考になると思われます。
 ところで、がんへの対処法は本来、身体に加えられる治療法と、患者・家族の精神的サポートとを統合した内容であることが望ましい。しかし後者は、心理のみならず、家族関係や経済状況等をも考慮する必要があり、その検討・解説は至難です。本稿では主に、治療法について考えていきます。

痛み、苦しみを取る

 さて、固形がん患者の状態は、緊急度の観点から、?がん原発病巣は手術や放射線で治療して今のところ再発が見られないが、臓器転移があるかどうか不明な場合(以下、「転移不明段階」)、?臓器転移の存在は明らかだが、痛み等の症状がない場合(以下、「無症状転移がん」)、?臓器転移のため痛みや呼吸困難の症状が出ている場合(以下、「有症状転移がん」)に分かれます。この順で緊急度が高くなるので、?の有症状転移がんから検討します。
 転移による痛みや苦しみ等の症状がある場合、それらは是非とも取るべきです。体が楽になれば、精神的に安定し、がんに対する抵抗力も回復し、延命につながる。以下では、よく転移が見られる(主要な)臓器について、順に治療法を検討しますが、最初は骨転移です。
 骨転移の痛みは、抗がん剤でも軽減する場合があります。しかし、効果が出るか否かが不確実、というより痛みが取れるのは例外です。その反面、疲労感や気分の悪さ等の「副作用」が出るし、副作用を体感しない場合にも、水面下で毒性が蓄積し、寿命を縮めることが少なくない。したがって、骨転移の痛みを抗がん剤で取ろうとするアイデアは、すっぱり捨て去りましょう。
 痛みの治療は、まず鎮痛剤です。?アセトアミノフェン等の非麻薬系鎮痛剤、?リン酸コデインという軽い麻薬、?モルヒネ等の(コデインより一段階上の)麻薬という3段階があり、効果を見ながら段階を上げていく。痛みが強いケースでは、いきなり第3段階(モルヒネ等)から始めることもある。対処法が適切なら、十中八九以上で痛みが軽減するはずです。
 しかし、日本には、鎮痛剤に詳しくないし熱心でもない医者が大勢いる(特に外科系に多い印象)。それで(私に)紹介されてくる患者のなかには、前医がモルヒネを使用していないとか、使っていても量が十分でなく、痛みが取れていないケースが少なくない。そういう場合、ペインクリニックや緩和ケア外来を訪れた相談するとよいでしょう。
 骨への放射線治療は、鎮痛剤を始めたあとに検討するようにします。順番を逆にすると、放射線の効果が現れるには数日から数週を要するのが普通なので、患者に我慢を強いることになります。
 よくある質問は、「放射線は痛みを取るだけなのか」です。がん細胞を叩くわけではない鎮痛剤と同視されているのでしょうか。しかし、放射線は、がん細胞を(叩いて)殺し、そのためがん病巣が小さくなるので、痛みが軽減します。放射線治療がうまくいけば、モルヒネからも解放されます。
 ところで、放射線の殺細胞効果は高く、抗がん剤の何倍もあります。(後述する)一回線量の三倍量を(一度に)全身にかけたら、骨髄機能がほぼ廃絶し、白血球減少による感染症等で、半数の人が死亡するはずです。
 それだけ強力でも、限られた範囲に照射するので、全身骨髄機能は守られ、患者が死ぬことはない。そのため私は放射線治療中、(白血球等の)骨髄機能を調べる血液検査を原則として行いません。これに対し抗がん剤治療の場合は、血液検査を頻繁にする必要があり、検査していても骨髄機能が(意外に)低下して死亡するケースが出てきます。
 他の副作用を比べると、抗がん剤は全身に廻るので、諸臓器に毒性が蓄積す、何が起こるか予想がつきにくいので非常に危険。抗がん剤は、暴れ馬に乗るロデオに似て、とても制御しにくいのです。これに対し放射線は、限られた範囲に照射するので、そこにある臓器の障害が問題になるだけですし、(臓器ごとに)障害が生じない線量は確立しています(冒険的な治療をしたら話は別)。患者や担当医のために、安全な照射法を解説しましょう。
 放射線治療は、1回に2グレイ(という線量)を毎日、週5回照射するというのが標準です。1回線量を3グレイ以上にすると、総照射回数は少なくてすみますが、難点がある。患者の生存期間が予想以上に延びた場合、障害が発生しやすくなるのです。それゆえ1回3グレイ以上は、ごく狭い範囲を照射する場合等に限られます。
 総線量(換言すれば照射回数)について見ると、骨転移には(1回2グレイで)20回から25回程度(つまり40グレイ〜50グレイ)まで照射するすることが多いと思われます。具体的にその線量までかけるかは、医者によって区々(まちまち)でしょう。この点私は、30グレイとか40グレイとか上限を一応決めて開始し、その線量に到達する前に痛みが取れれば中止することにしています(理屈は省略。2〜3回で終わることもある)。
 照射できる範囲はどうか。前述したように、全身に照射するのは危険なので、骨転移による痛みが全身にあちこちあるケースでは、放射線治療は原則として不適切。しかし、痛んでいるのが、2〜3箇所程度なら、別々に照射できます。合計で全身の3分の1くらいの範囲なら、照射可能です(照射範囲が広い場合には、倦怠感や吐き気等、一時的な副作用が出やすいので一回線量を下げることが多い)。
 次に脳転移の治療法ですが、それには開頭手術と放射線治療があり、使い分けが問題になります。原則は、転移病巣が複数あったら放射線治療です。また病巣が1個に見えても、通常は、検査では発見されない大きさの病巣が潜んでいる。その場合、辛い思いをして手術を受けても、新たな病巣が次々生じてくるのでさらに辛い思いをしなくてはならなくなります。
 ただ脳組織は繊細で、放射線障害もなくはない。余命が一致以上見込まれる患者は、手術で(障害を残さず)取りきれるなら、そちらの方がベターでしょう。この点、原発病巣の治療(初回治療)から何年もたって現れた単発性の脳転移で、(骨や肺等)脳以外の臓器に転移がなければ、別の脳転移が出現する可能性は(通常より)低いといえます。とはいえ、病巣部位によっては、手術による障害が避けられないし、脳外科医の腕前も問題になる。
 脳転移の放射線治療を受けた場合に、注意するべきことがあります。放射線治療の後、抗がん剤治療をすると、重篤な脳障害が生じる可能性が高いのです。脳の血管には「血液・脳関門」という(顕微鏡を見ても分からない)バリアーがあり、有毒物質が脳組織に入り込まないよう、関所の役目を果たしている。しかし、放射線を照射すると、このバリアーが永久に壊れたままになり、抗がん剤が自由に脳組織に流れ込む。それで抗がん剤注射1回だけでも、脳組織が崩壊することが起こりうるのです。このことを知らない医者が多いようなので、患者・家族は気をつけてください。

〈近藤誠 私がすすめるがん治療(2)に続く〉

[近藤誠・慶応大学医学部講師 文藝春秋 第八十九巻第三号
「近藤誠 私がすすめるがん治療」より]
がん患者になったら―お金はどれくらい?仕事復帰は?(4)
がん前提の生活設計を

―――がん保険の関心が高い。
濃沼
 がんは日常の出費も相当な金額になる。外来治療がカバーされていないなどの一方、先進医療の相当高額な自己負担分を特約として取り入れているものもある。

―――先進医療とは。
濃沼
 以前高度先進医療と言われた。効果が定まっておらず高額で、粒子線治療などは自己負担が約300万円。どんながんにも使えるわけではない。

―――本人や家族の心のケアをどうすればいいのいか。
桜井
 がんの治療が始まったときは、大きな海原で一人でオールをこいでいるような気持だった。孤立させないことが大切。「一緒に頑張ろうね」と声をかけてほしい。
福地 そんな親しい間柄でも、伝え合わなければわからないことがある。気遣いのメッセージは言葉だけでなく、そばにいて見守る、黙って肩に手を当てる、などでも伝わることもある。

―――覚えてほしいことは。
濃沼
 がんにかかることが前提の生活設計が大事。
桜井 キャンサーギフトというが、がんになったことで新しく得た贈り物を見つけてほしい。私はたくさんの人に支えられ、人生がとても豊かになった。

[朝日新聞社主催「健康・医療フォーラム」(2011年2月12日開催)に関する朝日新聞2011年2月28日号紙面(コーディネーター=岡崎明子記者)]
がん患者になったら―お金はどれくらい?仕事復帰は?(3)
手術に100万円 還付制度の利用を
 〔福地智巴(ふくちともは)さん=静岡県立静岡がんセンター医療ソーシャルワーカー。
            社会福祉士や臨床心理士、児童指導員の資格も持つ。2005年から現職。〕

 静岡がんセンターの相談室「よろず相談」には全国から電話や対面で年間約1万件の相談がある。治療などの相談だけでなく、病気を家族や知人にどう伝えたらいいか、治療は順調だけど気分がすぐれないといった心の問題もある。
 就労、経済的な負担についての相談が増えており、大体全体の10%強。がんの体験がある方の調査でも、収入や治療費、将来への蓄えの不安は大きな比率を占める。
 がん治療は、全摘出手術では100万円以上かかる。診断までの診察や検査もあるし、化学療法や放射線療法を組み合わせる治療法になると、さらにプラスされる。
 みなさん健康保険に加入されているので、70歳未満ならば3割、70歳以上なら1割負担でいいが、それでもそれなりの金額になる。こうした医療費の負担軽減に活用できる制度がある。
 ひとつが高額療養費制度。一カ月にかかった医療費が自己負担限度額を越えた場合に、払い戻される制度=表。加入している健康保険の窓口で手続きすれば、約3カ月後に払い戻しされ、過去2年までさかのぼれる。
 70歳未満の入院者の場合は、病院の窓口負担を軽減できる自己負担限度額適用認定証という制度が活用できる。支払い区分を証明した認定証を加入している医療保険者に発行してもらう。認定証を病院に提示すると、払い戻されるお金を差し引いた分だけ病院で払えば済む。入院前(入院中も可能な場合がある)に病院に認定証を提示してほしい。
 ほかに医療費控除もある。1年間で、高額療養費の戻り分や民間のがん保険から支給されたお金を差し引いても、10万円以上の出費があった場合に所得控除が受けられる。税務署で申告し、過去5年までさかのぼれる。通院に使ったバスや電車代も医療費控除の対象と認められる。
 ほかに就労、障害、生活資金などの諸制度もあるので、かかっている医療機関や加入している健康保険者の窓口、医療費控除は税務署で相談を。何から手をつけていいかわからないときは、地域にあるがん相談支援センターなどを利用していただければ。

[朝日新聞社主催「健康・医療フォーラム」(2011年2月12日開催)に関する朝日新聞2011年2月28日号紙面(コーディネーター=岡崎明子記者)]
がん患者になったら―お金はどれくらい?仕事復帰は?(2)
がんの治療費は無料にできる
  〔濃沼信夫(こいぬまのぶお)さん=東北大学医学部教授。仏政府給費留学、
        世界保健機関(WHO)本部事務局を経て、国内外の医療経済問題を研究している。〕

 がんの医療費は年々高くなっている。この10年間、医療費全体の伸びが1割なのに、がんの医療費は4割増えた。高齢化に加えて、がん領域は技術革新が激しく、新しい薬や機器がどんどん導入されているためだ。
 たとえば、乳がんの手術後の化学療法として、「ハーセプチン」という薬を外来で週1回注射すると、注射量だけで年間800万円を超える。保健制度があるので患者が窓口で支払うのはこのうち1〜3割だが負担は重い。
 がん患者が実際にどれくらい支払っているのか、家計簿や領収書を見ながら記入してもらう調査をした。支出は外来や入院、病院までの交通費といった直接費用と、健康食品や民間の保険料といった間接費用に分かれる。ハーセプチンを使う患者の場合、直接と間接を合わせて年間平均110万円くらいのお金を支払っていた。
 これに対して、加入している民間保険の保険金が給付されたり、高額療養費という制度が適応されて一定額を超える自己負担金が還付されたりして、平均56万円くらいが戻ってきていた。支出からこの額を差し引いたのが、実際の負担額となる。
 がんが治る病気となりつつあるとともに、療養期間が長くなっている。それにつれて、支払う額も積み上がっていく。治療をして10年くらい生存した場合、定期受診などで患者さんが支払う自己負担額は直接と間接費用を合わせて平均1千万円くらいになる。あとで戻ってくるお金もあるので実際の負担はもっと少ないが、やはり覚悟が必要だ。
 海外を見ると、英国やカナダ、オーストラリアといった国は、薬代などを除き、医療費は原則として無料。フランスもがんについては無料となっている。
 経済的な理由で治療をあきらめた患者もいる。医療の体制を技術進歩に対応できるように変えていくべきだ。現在、すべてのがん患者の窓口での負担は、年間5千億円くらい。この額を国が予算化できれば、がん医療の無料化はできる。国ががんに本当に対応するなら、これくらいの金額はやりくりできるはずだ。
 いまの制度でも、軽い病気にかかる自己負担の割合は少し高めにして、がんなど重い病気の自己負担を軽くする工夫で、対応できる余地はある。

[朝日新聞社主催「健康・医療フォーラム」(2011年2月12日開催)に関する朝日新聞2011年2月28日号紙面(コーディネーター=岡崎明子記者)]
がん患者になったら―お金はどれくらい?仕事復帰は?(1)
治療と仕事の両立あきらめない
  〔桜井なおみさん=NPO法人HOPEプロジェクト理事長。キャンサー・ソリューソンズ社長。
           著書に「がんと一緒に働こう!」(合同出版)など。〕

 7年近く前に乳がんの治療を受けた。一段落して、勤めていた会社に復帰したが、治療と仕事との両立が難しく、結局退社した。
 昨年、約860人のがん患者に調査したら、定期的な収入があった人の67%で収入が減り、年収の減少割合は平均36%だった。
 そのため大半の人が生活を切りつめ、子どもの進路を変更したり、住宅の取得をあきらめたり、結果的に離婚してしまったりする人がいた。これは人間の尊厳にかかわる問題だ。お金のために治療をやめるという、本来あってはならないことも起きている。
 解決に向けて、がん経験者と家族、医療従事者、そして企業のネットワークをつくろうと、活動を始めた。当面の目標が三つある。
 まず、個人。面接のときに病気のことを言った方がいいのかどうか。こうした点は不利にならないよう法で定められている。働く権利について知ってほしい。病気をどのように人に伝えたらいいかを学んで、同じような問題をかかえる仲間の存在を知ってほしい。
 二つ目は企業に変わってほしい。今は2人に1人はがんになり、うち半分は働ける世代。企業は患者をすぐ解雇するより、働き続けてもらった方が経済的に効果があるのではないか。そうしたことを企業と一緒に考えたい。
 三つ目は社会を変えたい。高齢社会を迎えて、働き手をどう確保するか検討する国の雇用戦略は、高齢者や女性への就業支援は考えているが、病気の人をどう生かしていくか、という視点がまったくない。何とかしないと、日本はどんどん傾いていってしまう。
 個人や医療関係者、企業向けに、がん患者が仕事量を調整しながら楽しく働き続けられるようにするための情報を冊子にまとめつつある。個人や企業への助言をたくさんの人に伝えたくて、シンポジウムやラジオ放送を企画したりしている。
 社会に参加し人とつながることは生きる上でとても重要。病気のある人もない人も支え合い、それぞれの生き方を発揮できるようになってほしい。医療保険や法制度も、大切なのはみんなが支え合い、つながることだと思う。

[朝日新聞社主催「健康・医療フォーラム」(2011年2月12日開催)に関する朝日新聞2011年2月28日号紙面(コーディネーター=岡崎明子記者)]
「がん難民」ならないためには
確かな情報源 味方に

 納得のいく治療法が選べなかったり、医師の説明に不満を抱いたり―――。がんの患者の中には、情報や相談できる場を求めて、さまよう人も少なくない。こうした患者は「がん難民」とも呼ばれる。自分や家族ががんになったとき、どこに情報を求めればいいのか。足がかりとなる情報源を探った。

【最善求め2年 なお迷い】
 東京都内に住む男性(42)は、母親(77)が卵巣がんと診断された2年前から、最善の治療法が選択できるよう情報を求め歩いてきた。「常に先を考え、なるべく医師にも会うようにしてきた。それでも、納得のいく医療にたどりつくのは容易ではなかった」
 主治医を選ぶ際は、病院ごとの手術件数が載る雑誌や、がんに関する本を読みあさった。そのうえでセカンドオピニオンを取り、実家に近い総合病院にかかることを決めた。
 卵巣癌は、腹膜や大腸にも広がっていた。術後の抗がん剤治療が始まると、母親は副作用の手足のしびれや食欲不振に悩まされた。体重も5キロ減り、途中で打ち切らざるをえなかった。
 何も治療しないことが不安で、母親は野菜中心の食事療法を試したり、免疫細胞療法を受けようとしたりした。気功や温熱療法も、20万円する「最新検査」も受けた。
 その間、腫瘍マーカーの数値はじりじりと上がり、卵巣がんの再発が疑われた。昨年夏、主治医は母親に2度目の抗がん剤治療を勧めた。副作用はもう嫌だと迷っていたところ、今度は定期検査で膵臓にかげが見つかった。
 慌てて同じ病院の消化器内科に行くと、若い医師はCT画像を見て、「抗がん剤治療をやりましょう」。しかし、男性が自分で調べると、副作用は重いのに、1年生存率は高くない可能性がわかった。 男性はす膵臓がん患者団体の代表に連絡を取り、大学病院の医師を紹介された。その医師は「選択肢は三つ。内視鏡検査、様子を見る、何もしない」。別の病院の医師にも尋ねたが、同じ意見だった。
 精密検査を受けたが、膵臓がんは見つからなかった。しかし、母親はみぞおち付近の痛みがひどく、寝ている時間が長くなった。
 抗がん剤治療を受けるか。受けるなら、卵巣か膵臓か。あるいは緩和医療に切り替えるか。母親は最期の時に備え、自らホスピスに申し込んだ。男性は痛みのコントロールが最優先と考え、自宅で最期を迎えさせたいと考えた。
 男性が在宅医を訪ね歩くと「往診の範囲外」「今いる患者でいっぱい」。相次いで断られたが、なんとか頼みこんだ。緩和医療は死を待つようで抵抗があるという父親も最終的には同意した。現在、母親は在宅医療チームによる痛みのコントロールを受けながら、自宅で過ごしている。
 男性は言う。「僕が若いからいろいろ動けたが、年老いた両親だけでは無理だと思った。それでもがん治療に正解はない。これでよかったのか、今も迷いは消えない」

【病院に図書館やサロン】
 「がん難民をつくらない」を合言葉に、様々な取り組みが広がってきた。国立がん研究センターは昨年7月、「がん対話相談外来」を開設した。事前の予約が必要で、医師だけでなく看護師が同席。2万6250円で患者や家族の相談に乗っている。電話による無料相談(平日午前10〜午後3時、0570・02・3410)も始めた。
 患者向けに「情報室」を設ける病院も増えている。
 東京女子医大病院(新宿区)には「からだ情報館があり、病院を受診していない人も利用できる。病気に関する本や闘病記など約2千冊が置いてあり、「病気や治療法のことを知りたい」といった相談に大学図書館の司書や的看護師ら乗る。日に130人が利用するという。
 司書も医療技術などを1年間、学ぶ。担当の桑原文子さんと中西愛さんは「専門知識のない人に対応するため、医師や看護師相手の図書館よりも大変」と口をそろえる。
 山形県鶴岡市にある鶴岡タウンキャンパスには、慶応大の「からだ館がんステーション」ががる。がんの予防、治療から死生観まで約1500冊がそろう。運営スタッフは地元の主婦ら。本探しを手伝うだけでなく、「治療後はどのような献立がいいのか」「主治医にうまく質問できない」といった相談にも応じている。
 秋山美紀准教授によると、当初はインターネットを使った情報提供を考えていたという。しかし地域住民300人にアンケートすると、「何を信頼していいのかわからない」など否定的な意見が多かった。そこで人を介した形での情報提供を目指した。
 来館したがん患者らが月に1回ほど集まるサロン「にこにこ倶楽部」もその一つ。乳がんの女性(65)は「からだ館のことを、子どもたちが教えてくれた。患者の友だちもできて元気をもらった」と話す。
 医療情報を集めた施設は増える傾向にあり、患者支援団体の「いいなステーション」では、大学の図書館なども含め、全国200施設の情報をウェブサイトにまとめた。和田ちひろ代表は「がんと告知された人は、何がわからないかもわからない状態。本を手にしても、文字を追うだけで怖い。相談室のような処で人の温かみに触れ、気持ちを整理してから適切な情報を集め始めては」と助言する。
 しかし、各病院に設置されている相談施設を利用しない人は多い。標準的ながん治療が受けられる病院として、厚生労働省が指定する全国373カ所のがん診療連携拠点病院には、すべて相談支援センターが設置されている。
 しかし、このセンターが十分機能していないと、指摘されてきた。同省が全国の拠点病院を対象にした調査では、09年6〜7月に2千件を超える相談を受けた病院がある一方、一けた台の病院も10以上あるなど格差が大きかった。
 NPO法人愛媛がんサポートおれんじの会が昨年、愛媛県内のがん診療連携拠点病院に入院中のがん患者512人を対象に行ったアンケートでも、利用したことがある人は1割以下だった。松本陽子理事長は「相談支援センターを窓口に、看護師や臨床心理士など様々な職種につながり、問題の整理ができることも多い。患者が積極的に活用すれば、病院側もより支援体制を充実できる」と話している。

[朝日新聞 2011年2月23日号記事(福島慎吾、岡崎明子)]
がん共生時代 働く(6)「救済」ではなく「人材活用」
 厚生労働省の「がんと就労」研究班主任研究者で独協医大准教授、高橋都さんに話を聞きました。
 ―――がん経験者の就労問題が今なぜ、注目されているのでしょう?
 ここ数年、患者が声を上げたこともあり、社会問題として認識され始めました。医療が進歩し、がんになっても元気に暮らしている人が増えてきたことに背景があります。2人に1人ががんになる時代に、働き盛りででがんになった人の就労をどう支えるかは、人材活用の面から重要な課題となっています。
 ―――現状は、働き続けられない人も多いようです。
 コミュニケーションの問題が大きい。不利な扱いを恐れて、本人が会社や同僚に隠すことも多い。病気は個人情報なので
人事担当者も詳しく尋ねにくく、本人が自身の病状をよく把握していないこともあります。
 「がん=死」という思い込みもいまだに根強い。そのため、しばらくしたら回復するのに、能力が落ちたままだと誤解して配置転換するケースがあります。大切なのは雇用者側と正確な情報を共有することです。
 ―――そのためには何が必要でしょうか。
 職場だけの対応では限界があります。患者の周りに治療スタッフもいて、大企業なら産業医もいます。彼らと連携し、正しい情報の共有をもっと効率的にできないかと考えています。
 例えば、企業側が一番欲しい情報は患者の体調の見通し、治療計画や今後起こりうる副作用などです。ところが、主治医の説明が難解な医学用語ばかりだと患者は内容が理解できず、会社にも正確に伝えることができません。そんな時、産業医や産業保健師・看護師は
主治医と患者、企業をつなぐ「翻訳者」になれます。研究班は、患者、治療スタッフ、そして企業の人事、産業保健スタッフ向けに対応マニュアルの作成を進めています。
 ―――会社側の配慮が行き過ぎると、周囲の社員が不公平感を抱くという指摘もあります。
 業務にしわ寄せが来る同僚にも納得できる説明が必要です。がん患者への就労支援には「救済」というより、「人材活用」という視点が必要です。がんになったも働ける社員を活用しないのは、企業にとってむしろ損失ではないでしょうか。
 ―――本人が会社に働きかけても思ったような配慮が受けられない場合があります。
 英米ではがん患者も「障害者差別禁止法」の対象とされ、職場で必要な配慮をすることが義務付けられています。日本にはこうした法律がありません。就業規則に定められていなければ、企業は配慮する責任はない。休職規定など復職支援制度が十分でない中小企業、非正社員は不利な状況に置かれがちです。
 全患者の働く権利を守る法整備の検討は、今後の課題です。

〔独協医大准教授 高橋都さん=2000年、東大大学院医学系研究科修了。がん診断後の性や就労などを考える「がんサバイバーシップ」研究の第一人者。〕

[読売新聞 2011年2月20日号 医療ルネサンスNo.5025記事]
がん共生時代 働く(5)悲しい経験を生かす
 がん体験をむしろ積極的に仕事に生かす働きもある。
 「私も使っていますが、自分に合わせて大きさを調整できるので便利ですよ」
 都内で開かれた乳がん患者の集まり。下着メーカー「KEA工房」社員の赤坂友紀さん(32)は、術後の乳房の形を整える補正パッドに、手際よくサイズ調整の綿を入れて見せた。自身も2007年6月に乳がんを発症した。当時は大手住宅メーカーの設計士だったが、09年12月、今の仕事に転職した。
 温存手術なら、ほとんど形は変わらなと思っていた。だが手術5日後、病院内の風呂の鏡で初めて胸の傷跡を見て、がく然とした。形が大きくゆがんでいる。体も洗えぬまま病室に戻り、ベッドの中で号泣した。
 退院したのは8月の熱い盛り。薄着をしたいのに、医療用下着は胸の部分にへこみが目立つ。通院治療が続いたが、カーディガンが手放せなかった。
 「自分が欲しい下着を、自分で作れないだろうか」
 09年5月に退社。「同じ悩みを持つ人をケアしたい」と志望書に書き、今の会社に営業職として採用された。周囲が反対する中、夫だけが転職を後押ししてくれた。
 病院への営業が主な仕事で、患者に他社のものも含めた商品を紹介する。皮膚に直接着けるためずれない人工乳房、傷跡を気にせず温泉を楽しめる入浴着。すべて自分で試し、開発部門に改良提案することもある。
 最初はいぶかしげな患者に「私もがん経験者です」と伝えると表情が和らぐ。試着室で喪失感を訴え、一緒に泣いた女性は「あなたに会えて良かった」と話し、新しい下着を着けて笑顔で帰っていった。
 「がんになって良かったなんて言えない。でもなってしまったならこの経験をプラスに転換したい」。赤坂さんは今、天職に出会ったと感じている。
 がん患者400人を対象にした調査によると、就労を希望するがん患者の約4割が「病気の経験を生かしたい」と希望していた。
 その意欲を高く買う雇用主も生まれている。
 企業や病院の研究データの管理を請け負うNPO法人「日本臨床研究支援ユニット」はがん経験者を積極的に採用する。「仕事に真摯に取り組み、医療知識も豊富」というのが理由だ。
 血液・小児研究支援部門の責任者佐藤恒さん(43)は10年前、急性骨髄性白血病を骨髄移植で克服した。血液疾患への理解は深い。病院に問い合わせるにもスムーズに対応する。
 今扱っているのは、骨髄移植で拒絶反応を抑える薬の治験だ。これまで何人もの仲間が移植で亡くなったのを見てきた。「がん体験を生かすことは、生かされたものの使命です」と語る。

[読売新聞 2011年2月19日号 医療ルネサンスNo.5024記事]
がん共生時代 働く(4)患者自ら職場に説明
 がんになっても働き続けるためには、患者自身にも、職場に理解を求める努力が必要だ。
 関東地方の金融機関で働く50歳代の女性は2年前、肺がんと診断された。手術は成功。しかし、死への恐怖や独身で病を抱えながら生活する不安で、休んでる間にうつ状態になった。
 半年ぶりの復職前に産業医や人事担当者と面談した。これまでの治療内容に加え、手術であばら骨を一部切除したため重いものを持てないこと、心が不安定になり、精神科にかかったことも説明した。「接客業務は精神的に負担が大きい」と伝え、配置転換してもらった。
 がん経験者は、手術による機能障害や抗がん剤の副作用、倦怠感など不調を抱えることが多く、復職にあたって職場の配慮が必要な人も少なくないたd、それを引き出すためには、現在の体調や治療・通院の見通し、今後考えられ得る副作用など、本人による的確な説明が欠かせない。直接負担をかける同僚への気遣いも重要なポイントとなる。
 復職初日、女性は上司や同僚一人一人にあいさつして回り、重い荷物が持てず迷惑をかけることなどを伝え、協力を求めた。体調を危惧しながら働き始めたが、同僚らの手助けで乗り切ることができた。
 「最初は当然気をつかってもらえるものと思っていましたが、見た目は健康な人と変らないため、そのうち皆忘れてしまう。同僚たちに説明し、理解を求めていくのは自分の責任です」と話す。
 病気になるまで手にしたこともなかった就業規則も熟読した。がんは業務外の「私傷病」であり、その休職規定や勤務上の配慮などは法律で定めていない。会社の就業規則が、病後の働き方を左右するからだ。
 女性の会社の場合、病気休暇規定があった。しかし、復職後どのくらい働けば再度規定を利用できるのかがあいまいだった。労働組合に問い合わせて確認した。
 厚生労働省の「がんと就労」研究班や就労支援に取り組む患者団体は、復職者が把握しておくべき情報のチェックリストや会社とのコミュニケーションの手引書を作る予定だ。

[読売新聞 2011年2月18日号 医療ルネサンスNo.5023記事]
がん共生時代 働く(3)欠かせぬ通院 求職の壁
 がんになると就労の継続はもちろん、新たに職を求めることも難しくなる。
 千葉県に住む成田美樹子さん(50)は7年前に大腸がんの手術を受け、ストーマ(人工肛門)を付けた。夫とは手術後に離婚。抗がん剤や検査などに毎月約5万円の医療費がかかった。貯金もわずかになった1年後、就職活動を始めた。
 発症まで続けた酪農の手伝いは重労働で、術後の体にはきつい。ストーマを付けて身体障害者手帳が交付されたため、ハローワークで生涯者雇用枠の求人を探した。しかし、住んでいる地方にこの枠の求人は少なかった。一般枠では「月2回通院が必要だ」と伝えただけで面接にもこぎ着けられない。地元の大手ホームセンター店は、病名を聞いたとたん、「そういう人は雇ったことがないから……」と拒否反応を示した。
 がんの場合、手術で後遺症を抱えていても、ストーマを付けるなどしない限り、ほとんどが障害者手帳の交付対象外。多くは健康な人と同じ土俵で求職活動をしなければならないが、がんに対する理解が浅いこともあり、がん患者の採用に消極的な企業は少なくない。
 手帳が交付されていても苦戦した成田さんがたどり着いたのが、障害者やがん患者の就職を仲介する会社「テスコ・プレミアムサーチ」(東京都)だった。
 同社社長の石井京子さん(56)も実は大腸がん経験者だ。大手通信会社の管理職として働いていたが、手術後、やりがいを求めて障害者雇用枠専門の人材紹介会社に転職した。職探しに苦労する仲間の姿を見て3年前、今の会社を設立。がんや難病、発達障害など障害者手帳を持てない患者の就労相談も受けつける。
 石井さんは、「がん患者の職探しで大事なのは患者が自身の能力を評価し直すことだ」と明言する。
 「経験なしでOKなら、若くて健康な人を採るのは当たり前。がん経験者だからこそ、専門資格やパソコンの技術、経理、総務の経験など企業にアピールできる能力があるかシビアに点検しなければ」
 成田さんの履歴書には当初、事務職の経験がほとんど書かれていなかった。数年前に公益法人で会計を担当し、エクセルを使いこなしていたことを聞き出し、それを強調したものに履歴書を書きなおした体調への配慮も了解してもらい、大手証券会社の障害者雇用枠で採用された。
 不利になるのを恐れて採用の際、がん経験を伝えるかどうか迷う人も多い。社会保険労務士の近藤明美さんは、「必ずしも病名を伝える必要はない。しかし、通院で休むことなどが必要な場合、配慮してほしいことを事前に伝えた方がよい」と勧める。

[読売新聞 2011年2月17日号 医療ルネサンスNo.5022記事]
がん共生時代 働く(2)時短制度 復職を後押し
 全国に社員2300人を抱えるカード会社「クレディセゾン」(本社・東京)。がんなどの病気やけがで休む社員の復職支援に力を入れ、注目を集めている。
 2009年春、同社の40歳代女性は乳がんを発症した。営業社員として役員も一目置く活躍ぶりだったが、抗がん剤治療が一段落するまで約1年間休職した。
 復職前、産業医と面談し、手術の傷痕、腕が痛む後遺症などに対し、職場がどう配慮すれば働きやすいかしっかり話し合った。女性は外回りの仕事から内勤に移り、一定期間、1日の勤務時間を1〜2時間短縮する「短時間勤務制度」を利用することが決まった。
 同社は08年9月、育児・介護目的に限っていた短時間勤務制度の対象を、がんやうつなどの病気、けがにも広げていた。
 女性は出・退社を1時間ずつずらして通勤ラッシュを避け、体をいたわりながら仕事のリズムを取り戻した。3カ月後には通常勤務に復帰した。
 こうした復職支援の強化に取り組んできた同社人事部長、武田雅子さん(42)は、「人材は企業にとって大切な財産です。本人に働き続ける意欲があるならば、企業が配慮するのは当然のこと」と語る。
 武田さん自身も、営業推進部の課長と人材開発課長を兼務していた04年春、乳がんになった。採用や新人研修で忙しい時期でもあり、治療で3週間休職しただけで復帰した。周囲の支えもあり、放射線治療やホルモン療法を続けながら働いた。
 武田さんは08年3月、人事部長昇進し、短時間勤務制度など復職支援の整備に取り組んだ。
 新たに産業医の寺井美佐栄さん(32)を常勤で招き、会社の実態を理解して働いてもらうため、社員と同じフロアに机を並べてもらった。
 「業務内容、人間関係など、社員の置かれた状況がよく見えるので、より具体的な話し合いができますね」と寺井さん。がんの場合は、必ず主治医と連絡を取り、治療内容を確認する。ここの実情に即した配慮を提案できるようになり、復職のトラブルも格段に減った。
 ただ、支援強化の一方で、武田さんは「成果が見込めなければ会社も配慮できないし、普段からの働きぶりや職場での人間関係が自分自身に返ってくる」と社員の自覚も促す。
 産業医大助教の立石清一郎さんの産業医調査では、短時間勤務や慣らし出勤の制度をがん患者にも適用する企業は増えている。だが、こうした制度がうまく機能するかどうかは、病気になる前の、職場での人間関係が左右することが指摘されている。

[読売新聞 2011年2月16日号 医療ルネサンスNo.5021記事]
がん共生時代 働く(1)治療と両立 支援の輪
 東京・御茶ノ水のビルの一室で毎月開かれているがん経験者の就労相談会「じょぶ」。1月18日の夜、会社員、介護士、フリーライターら職種も様々な男女11人が輪になって悩みを語り合った。社会保険労務士や産業カウンセラーが専門的なアドバイスもする。助言者もがん経験者だ。
 法律関連の事務所で働く契約社員の女性(30)はこの日が初参加。乳がんの手術で1か月間休み、復職して通常業務をこなせるようになったころ、勤務先の人事担当者に契約打ち切りを通告された。
 休業中の所得を一部補償する休職制度は正社員だけが対象だった。そのため女性は有給休暇を使いきった後は欠勤扱いにされた。人事担当者は欠勤が重なったのが契約打ち切りの理由としたうえで「あなたの病気は今後がわからないでしょう?」と冷たく言い放った。
 「抗がん剤治療で一番苦しい時も乗り切ったのに、今なぜクビを切られるのか」
「じょぶ」では「業務をこなせるかどうかで判断すべきだ」「契約内容を調べ、人事担当者とのやり取りを記録したらいい」と具体的なアドバイスをもらった。
 後日、女性は上司や同僚の支援も受けて、契約打ち切りを撤回させた。「人事と最後まで交渉する力をもらった」と感謝する。
 この相談会を主催するのは、がん経験者の就労支援に取り組むNPO法人「HOPEプロジェクト」だ。理事長の桜井なおみさん(44)も37歳の時に乳がんを患い、勤務先の設計事務所で暗に退職を勧められた。通院のため、有給や夏休みをすべて使い、ほとんど休めなかった。早めに帰宅する桜井さんは同僚の冷たい視線を感じた。結局、辞めざるをえなかった。
 がん治療と仕事はどうしたら両立できるのか―――。
 退職後、がん患者約400人に就労実態について調査した。就労継続を希望する3人に1人は転職していた。約1割が解雇・依願退職に追い込まれ、約4割が収入減に陥っていた。「治療のための休職制度が必要」「職場で、病気への理解や配慮がほしい」。患者の願いは共通していた。桜井さんはNPO法人で、解決策作りに乗り出した。
 昨年、がん経験者が仲間と共に働き続けるための知恵を詰め込んだハンドブック「がんと一緒に働こう!」(合同出版)を出版。がん経験者が対象の職業紹介サイトを作り、企業の人事担当者向けの研修も開始した。
 「がんを経験しても自立して働ける仕組みを作る必要がある。経験者が声を上げて、社会を変えていかなければ」。来月、がんの就労問題に取り組む全国組織を設立する。活動の輪は広がっている。
  (このシリーズは全6回)

[読売新聞 2011年2月15日号 医療ルネサンスNo.5020記事]
「抗がん剤は効かない」のか(8)
【がんと抗がん剤の未来】

立花 結局、僕が本の中で繰り返し書いたのは、がんのことはまだ分からない、ということなんです。本当にわからない病気の中でみんな手探り状態でいろんなことをやって、いろんなことを言っている。

近藤 がんの基礎学問はずいぶん進歩してきて、どういうレセプター(受容体)があって、細胞内でどういう情報が流れてというメカニズムについては、かなり詳しく分かるようになりました。しかし、それを臨床につなげる方法論というのは全然、未熟なのです。
 それでも、立花さんが今度の本で紹介されたように、がんは決してエイリアンでも敵でもなくて、自分自身であって、自分の生命現象のある種の必然としてできているもので、それを叩こうというのは無理がある。この一点だけ押さえるだけでも、ずいぶん自分ががんになった時の考え方が変わるんじゃないかと思うんですね。

立花 そうですね。
 最後に近藤さんは今後の抗がん剤の可能性についてはどうお考えですか。

近藤 旧来の殺細胞毒としての抗がん剤は、ほぼ先行きはないでしょう。これは、がん細胞も正常細胞も無差別に攻撃しますから、正常組織が先にやられて、なかなかがんを死滅させるに至らない。近年新たに認可された抗がん剤は、ほとんどが分子標的薬で、製薬会社も殺細胞毒としての抗がん剤の開発は、あまり力を入れていないと思います。
 分子標的薬については、がん細胞の中での分子の働きがどうなっているのか、まだ完全にはつかめていないわけで、そこがわかってくるにしたがって、新たなアイディア、新たな物質が開発されて、うまく働く、つまり効く抗がん剤が生まれてくる可能性はあると思います。
 しかし、少なくともこれまでの固形がんに対する分子標的薬は副作用も強く、うまく働いているとは言いがたい。すべて落第と言わざるを得ないと思います。

立花 今、がん研究は、とにかく「がんゲノム計画」をやって、全体像を把握しないと、ある薬を開発したところで、それが副作用としてどのくらいの影響を持つかとかわからないんだ、という方向に動いています。そして、その研究はすごいレベルまできているのだけれども、将来解明されるべき全体像からすると、まだほんの一部でしかない。時間軸で考えると、あと何十年か、あるいはもしかしたら百年しないとがんの世界は征服できないのかもしれない。
 ですから、これからもがんの正体がよくわからないうちに、世界のがん患者の大半は一生を終えなければならないわけです。結局、患者はそのタイムラグ中に起きる不都合な現象をすべて引き受けなくてはならない、そういう混沌状況の中にいるのです。我々はそういう不条理な世界の中に生きているのだということをまずは理解していないといけないですね。
 人間の生のすべてが不条理といえば不条理の中にあるのだから、それも仕方ないのかなと思いますがね。

[近藤誠・慶応大学医学部講師 文藝春秋 第八十九巻第二号
「抗がん剤は効かない」のか 患者代表・立花隆、近藤誠に質す より]
「抗がん剤は効かない」のか(7)
【無治療という選択肢】

立花 近藤さんは『「がんと闘うな」論争集』の中で、市川平三郎・国立がんセンター名誉院長と、こういう問題について話をしていましたね。
 市川さんは、「医学の世界というのは、結局、最初の人が全員、試行錯誤してやったんだ」と。冒険家がいるからこそ、その先が開けてくると。胃がんで胃の全摘手術をしたり、乳がんでハルステッド法という皮一枚しか残さない全摘手術をしたり。これらは、その時代の医学としてはそれなりの意味があったと主張する人は今でもいます。
 近藤さんが時として非良心的な金儲け主義のように批判する医学研究者に対しても、市川さんは、「でも、それは、みんなその治療法がその患者にとっていい結果になると思ってやっている」という意味の反論をされている。僕は、それはそうだろうな、と思うんです。

近藤 私も決して、そういう手術をする医者のすべてが医療費のためにやっているとは思いませんよ。それは、目の前の患者によかれと思ってやっているのでしょう。しかし、よかれと思ってやっているということと、歴史的あるいは客観的に見て、その手術や治療法が妥当か、ということは別問題なんです。
 また、今、行われている手術や治療法の中にもずいぶんまだ改良すべき点があって、そこを変えたらどうでしょう、と提案しているわけです。

立花 その流れで言うと、近藤さんは検診の有用性についても疑問を呈してきました。でも、その検診で早期がんが発見されて、それなりの治療を受けてよくなったという患者は確かにいるわけです。
 僕は検診じゃないですけど、東大に新たに老人ドッグというものができたというので、取材で受けにいったらそこでがんを見つけてもらったんです。僕の場合は、もしかしたら、先生のおっしゃる所の「がんもどき」の部類で、あのまま放っておいてもよかったのかもしれないですけどね。

近藤 たしかに検査でがんが見つかって、それを手術して、それで長生きしているという人はたくさんいます。ただ問題は、データを解析すると、検査で見つけないで、手術もしないでいても、やっぱりそういう人たちは長生きしただろう、という推定ができるのです。つまり、発見と手術というのは寿命の上では影響をもたらさなかったということが、データ的には妥当な考え方なんです。

立花 国民経済的にとか、医療システム全体を考えるような視点では、今近藤さんが言われたような、検診をやるのは意味ないとか、そういう議論を展開できるでしょう。でも、ここの患者にとっては、いろんな検診で自分に何かが見つかったとしたら、見つからなくても同じことだったとは、とても思えないし、治療を受けずに放っておくことは難しいと思いますよ。

近藤 見つかっちゃったら、それはまた話が別でしょう。恐怖が先に立って、治療を受けないという判断は難しい。だからこそ、無症状のときに検診やドッグという、がん発見のための検査を受けるかどうかが肝心になります。

立花 先生のところでは、無治療でウォッチするだけ、みたいなオプションがあって、それを選択する患者が結構いらっしゃいますよね。

近藤 そうです。取るべき症状がない限りは、どういうがんでも、転移があっても、基本的にウォッチ・アンド・ウエイトですね。何か症状が出るまで様子を見ようというのは必ずオプションに入れていて、実際そういう選択をする人も多いですね。
 例えば胃がんとか肺がんで、治療の選択肢が抗がん剤しかないということになると、「じゃ、様子を見ます」という人が、僕の患者ではむしろ多数派ですね。

立花 実は筑紫さんの先輩で、彼がアメリカ特派員だったとき支局長だった人がいて、この人は筑紫さんよりずっと前にがんになったのですが、抗がん剤的な治療を一切やらない選択をした。それでも平気でゴルフなんかしていました。
 その人は、筑紫さんが末期になったときにも、まだ元気にされていたから、そういう選択肢もあるのかなと思いました。

近藤 その通りだと思います。


〈「抗がん剤は効かない」のか(8)に続く〉

[近藤誠・慶応大学医学部講師 文藝春秋 第八十九巻第二号
「抗がん剤は効かない」のか 患者代表・立花隆、近藤誠に質す より]
「抗がん剤は効かない」のか(6)
【キュアか、ケアか】

立花 それほど高額の抗がん剤を使っても、結局「無駄な闘い」の方向に行ってしまう場合もある。そういう状況の中でものすごく難しいのは、患者本人に対して、「それは無駄な闘いである」と周囲の人が言えるかどうか。がんはどうしてもある段階までいくと、これ以上の積極治療は無意味というか、事実上もう手がないというところにきます。実際は躊躇して、みんなそれを告げないわけです。患者の家族にアンケートを取ると、この言葉は一番家族を絶望に叩き落とすことになるから、その一言だけは言わないようにしようという答えが返ってきます。
 かつてはある程度ははっきり言うというポリシーの医療機関もありました。しかし、そうすると、その段階から今度は患者が「がん難民」になって、あとはいわゆる代替療法の世界に走ってしまうといった流れもあるわけですよ。

近藤 そうですね。

立花 最後の真実を、どの時点で、誰にどう言うのかがものすごく難しい。『がん診療レジデントマニュアル』(医学書院)でも、最新の五版では、あくまでも本人が中心であるという方向に、書き方が微妙に変わっています。
 先日、看護学の本を読んでいたら、その中に事例集があって、本人中心の流れに沿って家族にきちんと言う前に本人に直接「あなたの予後はこういう感じです」とうことを言ってしまうというケースが紹介されていました。それを聞いた途端、患者の家族がめちゃくちゃ怒って、「もうこんな病院は信用できないっ!」と言って、患者を引き揚げるような修羅場になってしまう。
 このマニュアルが絶対に注意しなくてはいけないこととしてあげているのが、家族に対して、「当院としても、もうできることは何もありません」という、その一言だけは絶対言ってはいけないということなんです。

近藤 同感です。どういう患者さんでも、どういう状況でも、医者や看護師が提供できることというのは、いくらでもあるんです。治らない場合でも、苦痛があれば、それを取ってあげましょうとか、苦痛がなければ、今後どういう風に生活していくかをアドバイスするとか、あるいは、何かがあれば私のところにまたいらっしゃいと言ってあげるとか。そういう態度で、その患者の今後の責任を持つことはできるはずです。「何もできません」というのは、やっぱりまずいと思います。

立花 キュア(治療)か、ケア(介護)かの問題で、かつて医学はキュアがあくまでも絶対的な目的みたいな感じが常にありました。それが今は、特にがん医療においては、ケアというか、最後のサポートケアというか、いわゆる緩和ケアががん医療の非常に大きな部分になっている。

近藤 そこにも今の医療体制がかかえる問題があります。
 私が研修医になった頃は、放射線科に入院している方のほぼ全部が末期がんの患者でした。そして、その方々を亡くなるまで面倒を見ることができた。それが、いつの頃からか役割分担になってしまって、大学病院は10日とか2週間で退院させるような目標を立てて、あまり長く入院させておけなくなってきたのです。
 その一方で、ホスピスのような緩和ケア体制ができてきた。私自身は最後まで診てあげたいけれど、これはやはり緩和ケア病棟とか、在宅医療とか、そういうところにお任せしたほうが、はるかに患者さんの満足度が高いだろうなあと思うと、「こちらの外来に通ってくるよりも、緩和ケア病棟や在宅ケアにお任せした方がいいと思います」と患者さんに言わなくてはならないときが来るんですね。
 これは非常に辛い。というのも、通院してくることができる患者さんは、余命はあと1年や2年はあるだろうと思っているわけです。しかし、そろそろホスピスに入る準備をしないといけないですよ、と言わなくてはいけないわけですから。そうしないと、緩和ケア病棟に入る前の面接が受けられなくて、待機リストにも載らず、急変した時に入れなくなるケースが出てくるからです。

立花 今の主な医療機関というのは、がんの患者さんをとことん診るというか、看取るところまでやりますという体制になっていないわけですね。

近藤 もうできなくなっているんです。

立花 つい先日、山口建さんという、静岡がんセンターの総長と対談したのですが、彼は最期まで看取るような病院を作ったわけです。そういう患者が去年1年間だけで千人。普通の病院では絶対できないですね。

近藤 はい。

立花 普通の病院は、どこかで患者さんを追い出す。で、追い出されると、ほんとに何だか訳が分からない代替医療の世界に行って、山のようなお金を注ぎ込む、そういう世界へ相当部分の人が行っちゃう。
 山口さんとも、抗がん剤が効くか、効かないかという話をひとしきりやったのですが、近藤先生が効かない抗がん剤として非難するクレスチンの話も出た。そのクレスチンを、山口さんは、「最後に、何も手がなくなったときに効かないと分かっていても僕は使う」と。それには、静岡がんセンターの若い医師も、「そんなものは使ってはいけません」とものすごく怒るそうです。でも、もう何も効くものがなくなった患者にとっては、医者が何かをしてやるということ自体が大事だと。今、クオリティ・オブ・ライフのことしかみんな言わないけれども、クオリティ・オブ・デスというのが大切なんだ、とね。それはそれで、僕は、一つの考え方だと思うんです。

近藤 うーん……。一つの考え方ではあるけれど、そのあたりに行くと、なかなか難しいですね。

立花 難しいです。

近藤 経済的なことを言えば、民間療法で目の玉が飛び出るほど高いお金を使わせるよりは、クレスチンみたいなもののほうが、まだいいかなという面は確かにありますが……。

〈「抗がん剤は効かない」のか(7)に続く〉

[近藤誠・慶応大学医学部講師 文藝春秋 第八十九巻第二号
「抗がん剤は効かない」のか 患者代表・立花隆、近藤誠に質す より]
「抗がん剤は効かない」のか(5)
【抗がん剤で縮む命】

立花 たしかに抗がん剤の延命効果というのは、あったとしても微々たるものという状況はありますね。また、延命効果よりも縮命効果というか、抗がん剤を使ったために命を縮めた人っていうのが少なからずいるはずですよね。

近藤 そうです。

立花 そのことは、相当の数のお医者さんが知っていて、内心忸怩たるものがあるにもかかわらず、やっぱり口に出しては言わない。
 つい最近の事例では、梨本勝さんという芸能レポーターが昨年八月に肺がんで亡くなりました。僕は、ジャーナリズムの世界に入ったその日から彼を知っていて、ものすごく長いつきあいなんです。彼がテレビ出演してがんにかかったとカミングアウトしたので、携帯に電話をかけたら、「いやあ、ほんとにがんにかかっちゃったんですよ」とか、すごい元気いっぱいな感じでした。ところが、彼が死んだのは、わずか二カ月後でした。

近藤 あまりに早かった。

立花 彼がどれほど悪い状態で発見されて、どういう進行だったのか、正直言って、僕が正確につかんでいるわけではありません。ただ、携帯で言葉を交わした時の状況と、それからの死に至る過程のあまりの早さ。あれはどう考えても、抗がん剤で命を縮めたとしか思えない。また、筑紫哲也さんも、抗がん剤で命を縮めたんじゃないか、と思えてならないんです。
 白血球、血小板が急降下して肺炎を起こしかかり、「抗がん剤ってやつはがんをやっつけるつもりで、健康な細胞もじゅうたん爆撃で全部叩いてしまうんです。こんなバカげた薬ありませんよ」と激しい不満を持っていました。がんと闘う道を選択した人が、却って命を縮めているケースが、結構世の中にあるような気がするんですね。

近藤 本を書くために調べたんですが、梨本さんは抗がん剤治療の数回目で突然、亡くなっています。

立花 そうなんです。

近藤 肺がんで転移があっても、そういう急な亡くなり方は、まずしない。それらの点から、私も梨本さんは抗がん剤で亡くなったんだな、という風に見ています。ネットに書かれていた体力のなくなり方は、がんで体力を失っていくスピードじゃないと思います。

立花 抗がん剤の最大の害は、胃腸の粘膜を集中的に叩くというか、それをボロボロにする。腸の粘膜は、人間の免疫力の一番大切なところで、広げると四百平方メートルもありますからね(笑)。

近藤 最近の分子標的薬も毒性が強いですが、従来の抗がん剤とは違った形で出ることがある。従来の抗がん剤ですと、腎臓や心臓がやられたり、あるいは神経障害や肺障害も多かった。ところが、最近の分子標的薬は、皮膚障害や腸の障害が多く、それがクオリティ・オブ・ライフを非常に下げている。
 立花さんの番組の戸塚さんも、指の皮膚がぼろぼろになっていて、見ていてすごくかわいそうな状態でした。分子標的薬は、がん細胞に関わる特定の分子を狙うんですけれども、標的となる分子は正常細胞にもいっぱい分布しているので、毒性が出るわけです。

立花 とくに粘膜部分の分子を標的にするものは、副作用もすごい。粘膜は毎日、次から次へと細胞が新しくならないと働かない。非常に細胞分裂が活発なところです。そこをやられたら、それは大変なことになる……。
 旧来の殺細胞薬的な抗がん剤も毒性がすごい。看護師さんのために抗がん剤に関する注意書きを記した小冊子を読むと、抗がん剤を調合する時は、吸い込まないような空間でやりなさいと書いてある。

近藤 かつてはどこでもそうでしたが、慶応大学病院でも看護師がオープンな空間で抗がん剤を調合していた時代がありました。今はさすがにやらなくなって、薬剤師が隔離された空間で、完全防護でやってます。

立花 あまり知られてはいませんが、投与された患者が体外に排泄するもの一切に抗がん剤の毒がでる。患者のオシッコや大便にも出ますから、看護する人は、排泄物が手についたら、すぐ洗い流さなければなりません。
 これも最近出版された本ですが、こんなことが書いてありました。抗がん剤を投与した男性の精液にも毒が出る。だから、恋人の男性が抗がん剤治療をしている時に、絶対にフェラチオをしちゃいけません、まして、飲んだりしたら、とんでもないことになると。女性の体内に射精すると、毒が粘膜を経由して吸収される危険もあります。

近藤 そんな抗がん剤ですから、認可する時には、時間がある程度かかってもいいから、きちっと有効性を確かめてほしい。それに、抗がん剤が認可されると、一人あたり何十万円、何百万円という金額を負担しなくてはならなくなる。その大部分は保険でまかなわれて、結局、国民が負担するわけです。また自己負担分も高額ですから、負担しきれなくなる患者さんも出てくる。そして泣く泣く「じゃあ、もう薬の使用を断念する」みたいな気持ちを抱くのでは、あまりにかわいそうです。
 だからこそ、もっとしっかりした試験、あるいは審査をしてほしいと思うんですね。本当にどの分子標的薬を見ても、こんなことで認可していいのか、と思うものがほとんどです。

〈「抗がん剤は効かない」のか(6)に続く〉

[近藤誠・慶応大学医学部講師 文藝春秋 第八十九巻第二号
「抗がん剤は効かない」のか 患者代表・立花隆、近藤誠に質す より]
「抗がん剤は効かない」のか(4)
【臨床試験が危機の時代】

立花 先月号の「抗がん剤は効かない」で、死亡した患者を生きているものとして扱った実例があると指摘していますが、それはやっぱりとんでもないことだと思う。
 ただ、対象患者にできる限りのサポーティブ・ケアをやると、その群は自然に長生きすることがあって、データに影響が出るとも指摘していました。確かに薬の認可に関わるデータを取るのが目的ということであればサポーティブ・ケアのやりすぎはデータの純粋性に問題を起こすかもしれないけれども、臨床現場においては、一生懸命その患者を生かすためにありとあらゆることをやるべきだし、それをやったとしても、ある意味でやむを得ないと思うのです。
 作為をやる連中が製薬会社とコネクションを持って、経済的な支援を受け、意図的に新しい薬を認可させているとも指摘していますが、現場の医者たちは、自分たちが開発に携わっている新薬で何とか患者たちを生かそうと一生懸命になっています。それが結果として経済的利益につながっても、一概に悪意とは断定できないように思う。ものすごく微妙な一線の問題です。

近藤 一生懸命やっていることについては同感ですが、そういう臨床試験の場で対照群となる従来の治療群も同じようにやるべきではありませんか。新薬群だけ一生懸命やって、対照群は相対的に手を抜くということがあるとしたら。
 この点、かつて丸山雅一癌研究会付属病院内科部長(当時)が、抗がん剤の比較試験に関し、「(外国での)ベスト・サポーティブ・ケアの内容をよく調べると、本当に何もしないんですよ」「だから日本で考えるベスト・サポーティブ・ケアとはかなり違った状態のグループが比較対象となっていることを理解すべきですね」と語っていたのが参考になります。
 それから、薬が認可されるときの、臨床試験における「差」というのはごくごくわずかなもので、その差自体は作為によって簡単に左右される。医者が患者の利益よりも、製薬会社から入る経済的利益を優先するという「利益相反状況」は、人の命に関わることですから、やはり見逃してはいけない。

立花 ただ、現実問題として研究者たちが、製薬会社から研究費を一切もらいませんということは、ほとんどあり得ないという状況がすでにありますよね。製薬会社と無関係の研究者だけでは、臨床試験もできないというのが現実ではありませんか。

近藤 そういう意味で、今は臨床試験の危機の時代です。それは製薬会社があまりに潤沢な資金を提供するからなんですね。以前、アメリカではNIH(国立衛生研究所)が資金を出して臨床試験をやって信頼性も高かった。ところが、今は患者一人あたりに国から担当医に出る報奨金が二千ドル程度なのに対し、製薬会社は八千ドルも払う。それで、みんな製薬会社に流れてしまう。
 ただし、そういった臨床試験の諸問題は克服可能という主張や論文もあります、そういうところに期待したいですね。

立花 抗がん剤が効くかどうかに話を戻すと、僕は、先ほど出てきた「議事録」を読んで、抗がん剤ってもっと効かないのかと思っていたら、案外効いているんじゃないかとも思ったんです。
 臨床の現場では、抗がん剤を使うに際して、第一のコース、第二のコースみたいな感じで、まずこれをやって、次これをやって、という標準コースがいくつか作られています。それで、「議事録」では、たとえば、審議会の部会長は、「最近では大腸がんの患者さんでもセカンドライン(第二のコース:編集部注)以降の化学療法が効いて、大分長生きするようになりましたので、臨床試験の場合でも、乳癌と同じでなかなか亡くならない、つまり、イベントが起こりません」などと発言しています。

近藤 昔に比べて長生きしているというのは、おそらく錯覚です。「抗がん剤は効かない」にも書きましたが、抗がん剤で長生きするというのは、データ的には認められていない。多数の臨床試験を積み重ねてきても、結局、証明されていないのです。
 長生きしているように見えるのは、リード・タイム・バイアスと言って、昔に比べるとより小さなときに転移を見つけられるようになり、転移がんの発見時期が十カ月とか二十カ月とか前倒しになった、その分だけ長生きしているように見えているだけ。今の専門家たちは、それを抗がん剤の効果という風にすり替えているのです。

〈「抗がん剤は効かない」のか(5)に続く〉

[近藤誠・慶応大学医学部講師 文藝春秋 第八十九巻第二号
「抗がん剤は効かない」のか 患者代表・立花隆、近藤誠に質す より]
早期乳がんのリンパ節切除 生存率向上せず
 乳がんの手術で広く行われているわきの下のリンパ節の切除は、がんの早期の患者では再発防止や生存率の向上につながらないことが、米ジョン・ウェインがん研究所などの研究でわかった。乳がんの治療法見直しにつながる可能性がある。9日付の米医師会雑誌に発表した。
 乳がんの手術では、がんが最初に転移されるとされるわきの下のリンパ節1〜2個の検査でがん細胞が見つかった場合、残りのリンパ節を予防的に切除することが多い。がんがさらに転移するのを防ぐためだが、術後にむくみが起きたり、腕や肩が動かしにくくなったりといった後遺症が起きやすい。
 研究チームは、腫瘍が小さい早期の乳がんの温存手術後に、最初の1〜2個のリンパ節の検査でがん細胞が見つかった患者891人を、残りのリンパ節も切除するグループと切除しないグループに分け、約6年間追跡した。両グループとも術後に放射線の標準治療を受けた。
 その結果、両グループで、5年後の生存率や再発率に統計的に意味のある差はなかった。9日付米紙ニューヨーク・タイムズは「世界の乳がん治療への影響は大きい」とする専門家の意見を紹介した。【ワシントン=勝田敏彦】

[朝日新聞 2011年2月10日号社会面記事]
腫瘍マーカーの数値
 60歳代の女性。人間ドックでCA19-9という腫瘍マーカーの検査をしています。4年前から、45、40、51、53と少しずつ上がっています。血糖値が少し高い以外、体に異常はないそうで、医師からも「たぶん大丈夫」と言われています。精密検査をしなくていいのでしょうか。   (埼玉県・K)

〔回答:国立がん研究センター中央病院乳腺科・腫瘍内科医長 勝俣範之さん〕

 Q 腫瘍マーカーとは?
 A 血液中を流れている、腫瘍(がん)細胞が作り出している物質で、がんの勢いを反映しています。様々ながんのマーカーがありますが、CA19-9は、胃がんやすい臓がんなど、消化器系のがんのマーカーとして知られています。
 Q 数値が上がっているようですが。
 A 検査キットによっても異なりますが、CA19-9の正常値は30台だと言われています。相談者の数字は高めとは言えますが、重要なことは、腫瘍マーカーの数値だけで「がんである」と診断することはできないということです。
 Q どんな時に使う。
 A 腫瘍マーカーは、すでにがんになった方、がんが疑われた方のためのものであり、がんの診断に使う場合、画像診断などの補助検査として使います。実際には、手術後に経過をフォローして再発を見つけたり、抗がん剤への反応や効果を見たりするために使います。その場合も、腫瘍マーカーだけで効果を判定できるがんは限られており、多くの場合は精密検査が必要です。
 Q 検診には使えないのですか。
 A 腫瘍マーカーは、がんがない場合も反応する「偽陽性」を示すことが多い検査です。中にはCA19-9の値が数百あっても、がんがない人もいます。腫瘍マーカーでがんの早期発見ができればすばらしいのですが、臨床現場では検診的に使えるものは今のところありません。
 Q どうしたらよいでしょうか。
 A 検診などで腫瘍マーカー検査を行うところも増えているようですが、結果の数字を見て心配になる方も増えているように感じます。もし気になるなら、内視鏡やバリウム、CTなどの検査を受けられてもよいかもしれません。

[朝日新聞 2011年2月10日号 生活面「どうしました」記事]
「抗がん剤は効かない」のか(3)
【効果が立証されれば異存はない】

立花 ただ、この堀内委員も近藤さんももっぱらOSを問題にしますね。たしかにグラフを読むと、生存期間は延びていない。しかし、ここの患者にとっては、PFSつまり、目の前の状況が悪くならないことがものすごく大きな意味を持っている。

近藤 それはわかります。
 ただし、薬の認可の指標として、OSのほうがごまかしにくいという利点があります。PFSでがんが増悪したかどうかというのは、医者の主観によって結構左右される。いいデータを作ろう思ってやると、わりに簡単に作れてしまう。ある患者さんを、実は「進行している」と判断しなきゃいけないのに、「進行していない」というふうにすると、いつまでもPFSの曲線は落ちてこないわけですから。

立花 データに手を加えるという話はあとでするとして、患者にとってPFSの成績がいい薬の意味がどこにあるか考えてみましょう。
 戸塚洋二さん(東京大学特別名誉教授。2008年没)のケースですが、彼はこういう分子標的薬を次から次へやった。それも、自分の命はそんなに持たないということがはっきりわかっていて、最先端の治療を受け続けたのです。重粒子線なんかもわりと早く試そうとした。自分を実験標本化するトライアル精神で、その報告をブログに延々と書き続けました。
 その中で、分子標的薬は確かに効く、と書いているんですよ。患者の実感として、苦しみが軽減されたと。戸塚さんの場合も、OSだけで考えたら意味がないことになるかもしれない。けれども、患者の病態というのは常に変化していて、苦しみが軽減されていい状態になったというのなら、僕は意味があるんじゃないかと思います。
 だから、抗がん剤の全否定というのはちょっと行き過ぎじゃないか、という気がするのです。
 完全に無増悪が立証されているものなら、延命効果はなくてもそれは存在価値がある。普通、抗がん剤は一定のものを死ぬまで使いつづけることはないのであって、効かなくなったら、すぐに次のものに乗りかえ乗りかえしていくのだから、PFSがいいものなら、つなぎの薬として十分役に立つ。

近藤 立証されていれば、もちろん価値はあります。しかし、それが本当に臨床試験で立証されたものなのかどうかを問題にしているのです。
 また、PFSの問題として、増悪を抑えているのに、なぜOSがよくならないのかが分からない。がんが再発も進行もしていないのに、寿命が延びないというのは矛盾しています。
 さらに、「自分には効いた」という個人的な感想を積み重ねていっても、薬を認可するかどうかの判断基準にはならない。そこには客観的な指標が必要で、その場合、一番頼りになるのが結局生き死になんです。
 ところが、PFSは、検査間隔が違ってしまうと、結論が簡単に変ってしまう欠陥があるのです。前掲図?に戻って説明しますが、(1)結腸・直腸がんの病巣が増大したかどうかは、CT等の検査をしないとわからない、(2)増大と判断されると、PFS曲線は判定された人数分(その検査日のところで)垂直に下降する、(3)試験に参加すると8週間後に一斉に検査する取り決めがあった、というのが前提です。
 ところが、図?のPFS曲線は8週付近で、垂直ではなく階段状に下降しています。これは、各患者の検査日が数週にわたりマチマチだからです。ことにPFS群では、検査がより早期に前倒しして行われている。その結果、2本の曲線は離れて見え、「有意差」が検出されました。仮に取り決め通り、厳格に8週目での検査を心がければ、どちらの曲線もその時点で垂直に下降して(相当部分が)重なり、有意差は消失するはずです。これがPFSのトリックの一つです。

〈「抗がん剤は効かない」のか(4)に続く〉

[近藤誠・慶応大学医学部講師 文藝春秋 第八十九巻第二号
「抗がん剤は効かない」のか 患者代表・立花隆、近藤誠に質す より]
「抗がん剤は効かない」のか(2)
【寿命が延びない新薬】

立花 今回の議論の材料として近藤さんが見つけてきた、昨年3月に認可されたばかりの新しい分子標的薬「ベクティビックス」ですが、認可の際の「審議結果報告書(以下、報告書)」と「新議会議事録(以下、議事録)」は非常に興味深い。分子標的薬の認可のどこが問題なのか、典型的な事例と言えますね。

近藤 これは「治癒切除不能な進行・再発の結腸・直腸がん」というのが認められた適応症です。

立花 僕がまずびっくりしたのは、今こういう資料が簡単に取れるということです。

近藤 「報告書」は新薬の第一次審査をする医薬品医療機器総合機構(以下、機構)という独立行政法人のホームページから、「議事録」は、認可を決める厚生労働省のホームページから、それぞれダウンロードできます。」

立花 ネット社会はやっぱりすごい。どちらも専門用語だらけで一般の人が読むのは大変です。」

近藤 肝心なのは治療効果に関するところで、結局、認可の決め手というのは臨床試験の解釈なんです。
 臨床試験は、第I相試験で毒性、第?相試験でがんの縮小率の程度、第?相試験で寿命の延びを見ますが、従来、認可されるには第?相試験の結果が良いことが前提でした。がんが小さくなっても寿命が延びないという例がたくさんあったので、「寿命が延びることを示しなさい」というのが認可の原則だった。寿命が延びているかどうかを見るのに使われるのが、「全生存率(OS=オーバーオール・サバイバル)という指標です。これは患者が、ある時点で生きているかどうかの統計です。
 一方、最近重視されるようになった指標に「無増悪生存率(PFS=プログレッション・フリー・サバイバル)」というものがあります。こちらは、患者のがんが増悪、つまり増大したり転移したりしないで生きているかどうかを見るものです。PFSが50%ということは、半分の患者でがんが増悪したか死亡したことを表します。
 そこで、「報告書」を見てください。「PFSのKaplan-Meire曲線」(図1)は、ベクティビックスを使った「本薬群」が、使わない「BSC(ベスト・サポーティブ・ケア=最善の支援ケア)群」より成績がよくなっています。『議事録』を読むと、これが認可の決め手になっていることがわかります。
 ところが、「OSのKaplan-Meire曲線」(図2)を見ると、本薬群とBSC群はほぼ重なっている。つまり、使っても使わなくても、寿命は変わらないのです。

立花 僕もこのグラフを見て驚きました。

近藤 「報告書」にも、「各群のPFSに有意差は認められたが、OSに有意差は認められなかった」と記されています。

立花 「議事録」を読むと、審議会の席で堀内龍也という部会長代理の委員が、「高い有用性があるということでした。これは無増悪生存期間(PFS:編集部注)についてですよね。ですから、全体の生存期間は変わらないですよね。本来、抗がん剤というのは、生存期間がどのくらい延長するかを、主要評価項目にすべきではないかと思いますが」と発言して、PFSだけでの認可に疑問を呈している。

近藤 それでも結局認可されています。

立花 「議事録」にはこんな場面も出てくる。この薬の作用するメカニズムに関わると思われるEGFR(上皮細胞増殖因子受容体)という物質について、これまた堀内委員と機構側が、検査方法などを議論を繰り広げるが、なかなかかみ合わない。そこに、この審議会の部会長が割って入って、「禅問答のようですが、よろしいですか」と言う(笑)。

近藤 異論が出ると、それに対して禅問答をしかけてうやむやにしてしまう。残りの部会委員もたいした文句を言わないで、最後は全員、異議なしで終わる、という構造になっています。
 さらに、医薬品の副作用などの情報を記してある添付文書には、PFSのグラフは載せてありますが、都合が悪いからでしょう、OSのグラフは載せてないんです。

立花 「議事録」にも、OSが載っていないのは妥当なのか、という議論がありましたね。

近藤 抗がん剤も含めて、医療用薬品の添付文書は、機構のホームページの「副作用情報」に入ると、一般名からでも販売名からできて、ダウンロードが可能です。こうしたものを、患者・家族も読んでみてはと思います。

立花 それにしてもどうして自ら禅問答などと言ってしまうような議論で認可してしまうのでしょうか。

近藤 それは、審査に当たる人たちを見れば、なんとなくわかりますよ。まず、機構の審査にかかわった外部専門家は、腫瘍内科医(抗がん剤治療医)等、がん新薬臨床試験の当事者になる人たちが大半を占めている。また前出の部会長は、厚生労働省とのつながりの深い国立がんセンター出身のがん専門家です。そういう構図の中では、製薬会社のために新薬を認可したい官僚の意図に誰も逆らえないし逆らうつもりもない、ということでしょう。

〈「抗がん剤は効かない」のか(3)に続く〉

[近藤誠・慶応大学医学部講師 文藝春秋 第八十九巻第二号
「抗がん剤は効かない」のか 患者代表・立花隆、近藤誠に質す より]
「抗がん剤は効かない」のか(1)
 先月号(『文藝春秋 第八十九巻第一号』)の近藤誠氏による戦慄レポート「抗がん剤は効かない」が大きな話題を呼んでいる。氏はここで抗がん剤の多くは効き目がないばかりか、かえって命を縮める危険があることを指摘。また、がん治療に関する氏の「最終見解」を『あなたの癌は、がんもどき』(梧桐書院)として出版した。
 この論文に関心を持ったのが立花隆氏。立花氏自身、2007年に膀胱がんが見つかり、現在も治療中のがん患者の一人である。『文藝春秋』08年4月号から7月号にかけて「僕はがんを手術した」を連載し、09年にはNHKスペシャル「立花隆 思案ドキュメント がん 生と死の謎に挑む」で、がん発生のメカニズムと治療効果について遺伝子レベルで検証を行った。これらの成果は『がん 生と死の謎に挑む』(文藝春秋)として発表されたばかりだ。
 抗がん剤は効くのか、効かないのか、効かないならば患者はどうしたらよいのか。ジャーナリスト、そして患者、双方の視点から立花氏が近藤氏に鋭く切り込んだ。

立花 僕はこの本(『がん 生と死の謎に挑む』)の中で、近藤さんは必ずしも抗がん剤を否定しているわけじゃない、と書いたんです。かつては近藤さんも抗がん剤を治療に使われていましたからね。CHOP療法という多剤併用療法の日本における先駆者でもあった。ところが、最近著(『あなたの癌は、がんもどき』)は、ほとんど抗がん剤を全面否定しているかのように読める。近藤さんの最終見解は、全面否定なんですか?

近藤 誤解がないように言っておきますと、急性白血病や悪性リンパ腫などの「血液のがん」の大部分と、固形がん(塊〔腫瘍〕を作るがん)の中の子宮のじゅう毛がんと睾丸のがん、そして子供のがんなどでは、抗がん剤が第一に選ばれるべき治療法です。
 しかし、これらを除くがんなどは、抗がん剤ではまず治らない。それが最終見解です。
 治らなくても寿命が延びればいいのではないか、という考え方も当然あります。これに対しては、寿命は延びない、あるいは寿命が延びたという証拠はない、という言い方ができると思います。」

立花 たしかに旧来の抗がん剤、いわゆる殺細胞剤は、第一次世界大戦で使用されたイペリットという毒ガスに由来するものが最初で、基本的に毒そのものみたいな薬ですからね。
 一方、今は、分子標的薬という、新しいタイプの薬が登場してきた。旧来の殺細胞的な薬の副作用については、ある程度知れ渡っていますから、今回は分子標的薬を話題にしませんか。

近藤 それでけっこうです。

〈「抗がん剤は効かない」のか(2)に続く〉

[近藤誠・慶応大学医学部講師 文藝春秋 第八十九巻第二号
「抗がん剤は効かない」のか 患者代表・立花隆、近藤誠に質す より]
抗がん剤は効かない(8)
【標準治療を無効に】 

 思えば、新薬開発に関する学術世界の慣行は、一般社会の常識とかけ離れています。一般社会では、利益相反状況にある人の話は、眉に唾して聞け、鵜呑みにするな、というものでしょう。ところが学術世界では、「私は経済的つながりがあります」と申告しておけば、その論文は丸ごと信じろ、と言うがごときです。
 この点、一般社会の常識を体現した我が民法によれば、契約や相続において、利益相反状況にある代理人や親権者の行為は無効とされます(108条、826条等)。しかもこれは、お金のやり取りに関するルールです。命や健康のやり取りにかかわる薬でのルールは、もっと厳しくあるべきです。そこで、一般社会の最低限のルールに従って、利益相反状況がある論文は無効にすることを提案します。
 もしこの提案が実現すれば、固形がん用の新しい抗がん剤や分子標的薬の開発のための試験論文で、少なくともここ20年間に発表されたもののほとんどは無効になるはずです。現在標準とされている、がん薬物治療の根拠は相当部分が消滅します。しかし、それで困るのは製薬会社と専門家だけ。患者・家族は誰も困らない。現在標準とされている治療法は、その程度の実力しかないのです。むしろ無効とした方が、患者・家族の肉体的、経済的な負担が大きく減じ、福音になると思われます。


[近藤誠・慶応大学医学部講師 文藝春秋 第八十九巻第一号「抗がん剤は効かない」より]
抗がん剤は効かない(7)
【薬剤の生む莫大な利益】

 最後に、転移性大腸がんの分子標的薬であるベバシズマブ(製品名アバスチン)を検討します。アバスチンは、抗がん剤との併用が義務付けられ、ハーセプチンやイレッサのような単独使用は認可されていない。単独使用の試験で、種々の固形がんを持つ25名のうち、アバスチン単独では、1人としてがん腫瘤が縮小しなかったからでしょう(J Clin Oncol 2001;19:843)。単独で(低率とはいえ)腫瘤縮小効果が見られるハーセプチンやイレッサと比べると、出発点において劣っています。
 その後製薬会社は、抗がん剤と併用する臨床試験を行いました。試験結果は延命効果があったとされ、アバスチンは抗がん剤との併用を条件として認可された。認可に決定的影響を与えた試験成績を図6に示します(N Engl J Med 2004;350:2335)。抗がん剤単独群に比べ、アバスチン併用群で(生存期間)中央値が、4.7か月延長しており、これが認可の決め手となりました。
 しかし、この中央値の延長は信用できない。併用群の生存曲線は上方に凸の奇妙な形で、人為的操作の介在を推認させるからです。そのうえ、著者(複数いる)の利益相反状況があまりに酷い(後述)。データを操作したくなる状況がありました。その後2010年に、興味深い論文が現れました。やはり抗がん剤単独群と、アバスチン併用群を比較した臨床試験ですが、2本の生存曲線はピッタリ重なっている。というよりも、アバスチン併用群の方がむしろ悪い(図7。Oncology 2010;78:376)。これは製薬会社とは関係がない臨床医たちが自主的に行った試験らしく、利益相反状況がないとこうなる、という見本でしょう。アバスチンも認可自体を取り消すべきです。
なぜ専門家である研究者たちは、抗がん剤や分子標的薬の臨床試験データを人為的に操作するのか。その背後にある利益相反状況とはどのようなものか確認しておきましょう。
 利益相反状況の前提として、薬剤費が高額です(以下の金額は、通常体格の患者を想定しており、体格がよいと薬量が増えて、より高額になる)。たとえば(転移性大腸がんの)フォルフォックス・フォーは、1コースが18万円、月に2度受けると36万円になる。
 分子標的薬も同様に高価です。本稿に登場したものを見ると、イレッサは1錠が6500円なので、4週間で18万円。ハーセプチンは、3週に1回の注射が17万円。アバスチンは月に30万円から58万円ですが、前述のように抗がん剤との併用が義務づけられており、フォルフォックス・フォーと併用すると合計で、66万円から94万円にもなる。どれも何カ月も続けるので、保険適用があるとはいえ、患者・家族(そして社会)の負担は膨大です。
 他方で製薬会社は、莫大な利益を得ている。イレッサ、ハーセプチン、グリベックの2008年度の売上高(推計)は、それぞれ140億円、240億円、400億円でした。アバスチンは認可された直後の2007年度は35億円でしたが、2008年には200億円と増え、現在も急増中と思われます。
 製薬会社がこうした利益を収められるか否かは、その薬が認可されるかどうかにかかっており、許可さえされれば、それは同時に標準治療のお墨付きを得たも同然で、莫大な売り上げが約束されている。そして認可されるかどうかは、臨床試験の生存曲線次第なのです。生存曲線と認可との間に、こうした関係がある場合、生存曲線をより良好に見せかけるために、製薬会社がどういう行動に出るか、想像に難くないでしょう。
 したがって、論文内容が歪められないよう、データ解析をする研究者(論文著者)が公正・中立に行動することが一層求められるわけですが、期待しがたい。論文著者の多くは臨床医で、がん治療に携わっており、抗がん剤や分子標的薬が有効となれば、自分の患者が増えて、経済的に潤う関係があるのです。
 そのうえ、製薬会社との経済的癒着が酷い。近時、主要医学雑誌は、著者の製薬会社との経済的結びつきを自己申告させ、当該論文に記載させるようになりました。しかし、米国での調査を見ると、人工関節を扱う整形外科医に関するものですが、正直に自己申告しない医者が3割程度います(N Engl J Med 2009;361:1466)。
 この調査では、ここの医者が企業からもらった金額も明らかになりました。コンサルタント料等の名目で、2007年の1年間にもらった金額は平均で15万ドル、最高は700万ドルでした。これは、莫大な利益を生む人工関節にかかわる研究です。
 日本には同様の調査はないのですが、新聞報道で、内科的疾患の診療指針を作成する医師たちに、製薬会社から億単位の寄付金が流れていることが明らかになりました(2008年3月30日付読売新聞)。抗がん剤関係は報道されていませんが、大同小異でしょう。製薬会社からこのようなお金をもらえば、生身の人間である論文著者が、製薬会社の利益を図ることは十分考えられます。しかも、すべてのデータを操作する必要はないのです。
 この点(前述の)クレスチン論文は、被験者が260人の試験ですが、17人分のデータを操作しただけで、「意味がある差」が誕生しました。どういう臨床試験でも、5〜10%のデータを操作すれば、(生存期間)中央値に「意味がある差」が出る可能性が高いのです。換言すると、研究者の一部が不正行為をするだけで、全体の結論が変ってしまう。
 では実際の利益相反状況を見てみましょう。アバスチン論文(図6の論文)の自己申告欄を見ると、15人いる共同著者のうち、製薬会社との経済的つながりがないと申告している者は2人だけ。残り13人のうち6人は、コンサルタント料等をもらっており、他の7人は何かと思えば、製薬会社の社員でした。製薬会社の社員や、コンサルタントをしている者が論文著者になるのでは、学生が自分の試験答案を採点するのと、どう違いがあるのでしょうか。

〈抗がん剤は効かない(8)に続く〉

[近藤誠・慶応大学医学部講師 文藝春秋 第八十九巻第一号「抗がん剤は効かない」より]
抗がん剤は効かない(6)
【示された「寿命短縮効果」】 

次に、分子標的薬について概観しておきましょう。
 分子標的薬(または分子標的治療薬)とは、細胞を構成する特定の分子の働きを妨げることにより、治療目的を達しようとする薬です。がんばかりでなく、リウマチなど良性疾患にも用いられ、特定の分子にピッタリ(いわば隙間なく)抱きつけるよう、薬の形状を設計して合成します。がん治療目的では、乳がん用のハーセプチンを初め、血液がんや固形がん向けに何種類も認可されている。
 中で最も成功したのは、慢性骨髄性白血病に対するイマニチブ(製品名グリベック)でしょう。血中の白血病細胞が消失し、その状態が長く続くので、ほとんどの人に延命効果があるはずです。他方で、毒性が少ない(ゼロではない)ので、慢性骨髄性白血病の治療薬として理想的と考えられました(ただし高価なのが大欠点)。
 固形がんでも、分子標的薬は肺がん、大腸がん、乳がん等の治療目的で登場し、認可されています。しかし治療効果はどれもパッとしない。この点、転移性乳がんの臨床試験では、抗がん剤のみに比べ、ハーセプチンを併用すると、(生存期間中)中央値が若干延長したといいますが、生存曲線の形は奇妙で、人為的操作が介在したと推認できる(N Engl Med 2001;344:783)。
 この薬には、もっと明白なインチキもあります。国内で行われた(認可申請用の)臨床試験では、被験者(転移性乳がん患者)18人中、腫瘍が完全に消失したもの(著効)が1人、少し小さくなった者が1人という、見方によっては惨憺たる成績です。それでも認可されたについては、著効ケースが大きく影響したことでしょう。ところが認可後しばらくして、内部事情に通じた者が、ある公開の集会(私も出席)で、「そのケースは肺の転移病巣は確かに消失したが、別の部位に新病変が出現・増大していた」と告白しました。前述した判定基準によれば「進行」なので、ハーセプチンの転移性乳がんへの使用も、認可自体が取り消されるべきです。付言すれば、術後補助療法での使用も認可されていますが、転移性乳がんに治療効果があることを前提としているので、この認可も(エスワンとともに)取り消されるべきです。
 毒性が問題となった分子標的薬に、進行期(非小細胞型)肺がん治療用のゲフィチニブがあります(製品名イレッサ)。日本で世界に先駆け認可されたのですが、販売するとすぐ、多くの患者が(主として)肺合併症で死亡し、社会問題化しました。その後に公表された(複数の)臨床試験結果でも、イレッサに生存期間の延長効果は認められず、(無治療に比べ)寿命短縮効果を示した結果もありました(J Clin Oncol 2008;26:2450)。やはり認可を取り消すべき薬です。
 もっとも、肺がん細胞中の特定遺伝子が変異している患者では、イレッサは有効だ、(生存期間)中央値は抗がん剤のそれと同等だという主張もあります(N Engle J Med 2010;362:2380)。しかしこれが真実としても、(前述したように無治療と比べて延命効果がない)抗がん剤と比べてのことなので、イレッサに格別の意味が生じるわけではないでしょう(イレッサの臨床試験結果の分析は「正しい治療と薬の情報」2010年8−9月号に詳しい)。
 このように固形がんの分子的標的薬は、認可されていても、その効力はないに等しい。では、なぜ慢性骨髄性白血病と固形がんとで、分子標的薬の効果に違いがあるのか。標的となる分子の由来・性質に違いがあるからです。前提として、がん細胞は正常細胞から分かれたので、正常細胞が持つ2万個以上と言われる遺伝子は、がん細胞も保有している点が重要です。がん細胞は、それら遺伝子を設計図として、各遺伝子に対応したタンパクを生成しているのですが、これらタンパクは、遺伝子セットが(正常細胞とがん細胞とで)共通である以上、正常細胞にも存在します。
 そうすると、分子標的薬は正常組織中の分子も攻撃してしまい、それが毒性となって表れるのです。他方、それらの分子は、細胞のがん化や、がん細胞の維持・存続に必須とはいえない。がん細胞の成長にとって補助的な役割を果たしているに過ぎないのです。したがって、その機能を阻害しても、がん細胞を死滅させるには至らない。
 これに対し、慢性骨髄性白血病は、正常骨髄細胞中に存在する2つの遺伝子が合体し、これを設計図として新たなタンパクが生成され、それが引き金となって、白血球のがん化が進行します。つまり新タンパクは、細胞のがん化や、がん細胞の維持・存続に必要不可欠です。グリベックの新タンパクに対する攻撃は、(白血病の)原因療法ともいえます。他方、新タンパクは正常細胞中に存在しないので、存在しないものは攻撃できず、毒性が少ないわけです。

〈抗がん剤は効かない(7)に続く〉

[近藤誠・慶応大学医学部講師 文藝春秋 第八十九巻第一号「抗がん剤は効かない」より]
がん共生時代 私の物語(6)
【作家 団 鬼六さん(下)〜「生」の悦楽 とことんまで】

 食道がんがわかった作家の団鬼六さん(79)。手術を断り、抗がん剤と放射線による治療を順天堂大病院(東京都文京区)で受けた。
 2010年2月下旬、約1カ月ぶりに退院。通院による放射線治療も3月半ばに終わった。5月に受けた内視鏡検査とCT(コンピューター断層撮影法)では、食道を塞いでいたがんは、見えなくなっていた。
 妻の安紀子さんは「十数年前に脳梗塞を起こし、次に腎不全で人工透析。今回はだめだろうと思っていたけど、生命力が強い人ですよ」と話す。
 人工透析は、4年前から週3回、1日おきに受けている。クリニックから帰ってきた後は、脱力感で何もできず、愛犬アリスと一緒にソファで寝てしまう。
 「でも、次の日はケロリとしている。だから通常の人の半分しか、自由な時間がないわけね。透析は最初は嫌だったけど、最近、半分でも生きられるんならいいと思えるようになりました」と、団さん。
 がんが見つかってから一時断っていた原稿の依頼も、再び受けるようになった。
 「働く意欲がかえって湧いてきましたよ。今しょっちゅう注文が来てね。対談の仕事もできるだけやるようにしてますわ」
 がんにも良いところがある、と団さんは言う。「脳卒中とか心臓病だと死ぬのは突然。がんは、告知を受けても、すぐに死ぬことはない。僕の場合は、放射線で治療して、あと1年はあると思うんだけどね。家族に言い残すことは言い残して、お別れの原稿も書いておこうと思いますよ」
 生まれて初めて日記をつけようと2011年用の日記帳を買った。
 「20代、30代だったら、何十年も生きるんだから、何もたいしたことを考えないよ。でも、これからは、今までの人生が凝縮されてると思うんです」
 久しぶりにドンチャン騒ぎをやりたいと、昨年の暮れには東京・銀座のキャバレーを貸し切り、11月に出版したエッセー集、「死んでたまるか」の出版記念兼忘年会を開催。酒もたばこもやめたなか、友人や仕事仲間と、華やかな歌や踊りのショーを楽しんだ。
 「1年を遊び尽くそうと思っています」と団さん。会の最後に、赤い衣装のダンサーに囲まれ、写真に納まった。
 入院中の昨年2月に出版した自伝的小説のタイトルは「悦楽王」。「生」をとことんまで味わうつもりだ。

[読売新聞 2011年1月12日号 医療ルネサンスNo.4997記事]
がん共生時代 私の物語(5)
【作家 団 鬼六さん(上)〜「食える」 生きる意欲再び】

 「好きなモノが食べられなくなって、もう生きていても仕方がないと。そう思いましたね」
 「花と蛇」などの作品で知られる作家の団鬼六さん(79)は、がんが見つかった当時の気持ちをそう振り返る。
 2010年の正月に、餅を詰まらせたのが始まり。じきに食べ物がのどを通らない状態になった。
 体重が7キログラム落ちたところで、がんを疑った。通院中のクリニックで食道のエックス線写真を撮影。1月中旬、順天堂大病院(東京都文京区)食道・胃外科教授の梶山美明さんに診てもらった。即座に食道がんですと告げられた。
 「がんなら、家族だけ別室に呼ばれると思っていたのに。妻と娘も一緒の席で、『大きながんです、手術でとらなきゃだめ』と言われてね。がっかりですよ」
 手術は、食道をすべて切除し、胃をつり上げてのどでつなぐ。リンパ節もできる限り取り除く。8時間程度の大手術になるという。
 「ゾォーッとしちゃってね、そんな手術は受けられません、と話したわけよ」と団さん。自宅に帰り、もう一度考えたが、気持ちは変わらなかった。
 かつて、医者が勧める人工透析を「死んでもいい」と拒否したことがある。「周りの説得で75歳で始めましたが、嫌で仕方なかった。なのに、ここで『がん』かと。神に『生きるのはもういいだろ』といわれている、と思いましたよ」
 しかし、なんの治療も受けないのも落ち着かない。本を読み、放射線治療を知った。「生存率が手術ほど高くないと言われたが、結構です、と。もうこの年では、痛くない人生がいいですよ」
 1月下旬、同病院に入院。週5日、4週間にわたり、放射線治療を行った。並行して週1回、少量の抗がん剤治療も受けた。
 入院中、銀座のホステスが見舞いに来た。「がん」だと告げると、「切ったら治るんでしょ」と返された。
 「向こうも気の毒そうな顔ぐらいすればいいのに。がん告知でびっくりしていたのは自分だけ。もう、がんで驚く時代はないんだね」
 治療前は流動食や点滴栄養を取っていたが、治療を重ねるにつれ口から少しずつ食事ができるようになった。
 「それで、ようやく生きようっていう意欲がでてきたわけでね。単純なもんです。週3回は食べていた好物のウナギが、のどを通らなかったからねえ。最近はバンバン食える。楽しいものですね、モノが食えるっていうのは」

[読売新聞 2011年1月11日号 医療ルネサンスNo.4996記事]
抗がん剤は効かない(5)
【実証された「利益相反状況」】 

以上は、臓器転移がある固形がんについての話です。抗がん剤の別の使い方として、補助療法があります。治癒を目的とした手術や放射線治療の前または後に、臓器転移(出現)防止のため抗がん剤を投与する方法で、多くの固形がんで標準治療とされている。しかしそうなったのは、前述した(生存曲線を良好に見せかける)トリックが存在するからです。従来延命効果がないとされてきた胃がんを例に検討しましょう。
 胃がん術後の補助療法を標準治療の座に押し上げたのは、日本で行われた臨床試験です。術後の患者を二分して、片方はそれ以上治療せず、他方はエスワン(別名ティーエスワン)という(日本で開発された)経口抗がん剤を投与した。結果、図5のように、エスワン投与群の生存曲線が良好で、「意味がある差」も検出されました(N Engl J Med 2007;357:1810)。しかしこの試験結果は、額面通りに受け取れない。
 第一に、研究者と製薬会社との経済的結びつきがあります。研究者が製薬会社から、寄付金など経済的利益を得ていると、研究者が(本来守るべき)公衆の利益に反し、製薬会社の利益を図って行動する危険がある。これを「利益相反状況」といい、実際にもこの臨床試験に携わった専門家や臨床医らは、製薬会社から経済的利益を得ており、論文結果を信用する基礎に欠けます。
 第二に、生存曲線の形が奇妙です。図5を見ると、エスワン投与群の生存曲線は、緩やかですが上方に向かって凸であり、指数関数曲線になっていない。この形は前述したように、人為的操作なくしては出現しない。利益相反状況がなせる技でしょう。この点米国でも、利益相反状況がある研究者たちの(抗がん剤)効果判定は客観性に欠け、製薬会社に有利な判定になることが実証されています(Eur J Cancer 2009;45:268)。
 そもそもエスワンは、認可されるべきでなかった。エスワンは当初、(手術が不適当な)進行胃がんの治療用に認可されました。1998年の日本癌治療学会総会で、(認可申請のために行われた)臨床試験の報告集会(公開)がありました(私も出席)。報告内容の大要は、?51人にエスワンを投与したところ、25人で(がん腫瘤の)縮小が見られた、?縮小ケースのほとんどは、腫瘤が少し小さくなっただけ、?腫瘤が検査で検出されなくなった(完全反応もしくは著効という)のが一人、でした。
 会場のスクリーンに著効ケースのエスワン投与前後のCT所見が映し出されると、肝転移は(投与後のCTで)確かに消失していました。ところが、胃の近傍にあるリンパ節が(投与後のCTでは)著しく増大していたのです。新病変(リンパ節転移)の出現です。抗がん剤の効果判定基準では、既存病変が縮小・消失しても、新病変が出現した場合、「進行」ないし「増悪」と判定します。結局、臨床試験の目玉となるべき著効ケースは嘘だったわけで、これでは他のケースの判定も疑わしくなる。
 公演終了後の質疑応答時に私は、リンパ節が増大したことを指摘しました。演者の答えは「あれは血管だ」でした。しかし血管が新たに生じるはずはなく、学会が市販した講演ビデオで確認すると、やはり腫大リンパ節でした。その後の成り行きはというと、製薬会社は、申請データを訂正することもなく、エスワンは認可されました。判定をねじ曲げた実例は、エスワン以外にも存在します(後述)。
 このように抗がん剤世界の出来事は、真面目に生きてこられた方々にとって、驚き、あきれることばかりでしょう。ではあっても、ご自身ががん告知を受け、医者から「抗がん剤」と言われると、拒むことは難しい。医者の言いなりにならないためには、医者に対抗できるだけの理論武装が必要です。それには、がんの本質に遡って考える必要があります。
 この点理論的にも実際にも、がんは本物のがん(臓器転移がある)と、がんもどき(臓器転移がない)に分けられます。ある患者に生じた(固形)がんは、どういう進行度でも、本物のがんか、がんもどきかのどちらかで、中間的性格のものは存在しない。そして、本物のがんなら臓器転移があるので、抗がん剤は無意味で有害。がんもどきなら、臓器転移がないので、抗がん剤は不必要かつ有害。このことに得心できれば、がんへの対処は簡明になります(一般の方々が本物のがんとがんもどきの関係を心から納得できるよう、『あなたの癌は、がんもどき』〔梧桐書院〕という本を最近上梓しました。がん検診、手術、放射線、抗がん剤、術後不定期検査、免疫療法、食事療法等の要・不要を読者自身で判断できるようになるはずです。本稿との関連では、転移性乳がんに抗がん剤が無意味・有害なことや、免疫製剤で死亡率が上昇したこと等についても解説)。

〈抗がん剤は効かない(6)に続く〉

[近藤誠・慶応大学医学部講師 文藝春秋 第八十九巻第一号「抗がん剤は効かない」より]
がん共生時代 私の物語(4)
【タレント 原 千晶さん(下)〜闘病支えた彼 元気の源】

 2度目の子宮のがんが見つかったタレントの原千晶さん(36)は2010年1月、子宮と周囲のリンパ節をとる手術を受けた。
 手術は5時間かかった。麻酔から目覚めて病室に戻り、横たわったまま目で探すと、母の多恵子さん(60)の隣で、彼(37)の笑顔が見えた。安心して、また眠った。
 出演ドラマのプロデューサーだった彼とは、07年頃から交際を始めた。周囲には伏せていた病気のことも打ち明けられた。2度目のがんが見つかったのは、同棲を始め、結婚話も出るようになったころだった。
 がん専門病院を受診した時、診察室で進行がんの可能性を告げられて廊下に出ると、彼が立ったまま待っていた。「だめだー。がんみたい」。彼に言うと、涙が止まらなくなった。その夜からは手をつないで寝るようになった。人のぬくもりがなければ耐えられない気分だった。
 手術が迫り、覚悟を決めて切り出した。「手術すると子供は産めなくなるよね。それでも私といることはどうなの」
 「よくちーちゃんは『自分は子供を産まない運命だった』と言うよね。だけどそれは、僕自身の運命でもあったんだよ」。彼の言葉に2人の心が寄り添った。
 卵巣は両方とも温存できたが、リンパ節の一つに転移が見つかった。再発予防のために、1月から5月にかけ計6回の抗がん剤治療を受けた。
 しびれや下痢、不眠、発熱などの副作用が襲った。入院中、彼は毎日病院に通い、背中や足をさすってくれた。髪もごっそり抜けたが、彼にバリカンを買ってきてもらい、「今しかできないね」と、五分刈りファッションを楽しんだ。
 抗がん剤治療中、通販番組の出演依頼が舞い込んだ。ヘアメークの仕事をしている友人に毎回カツラや付けまつげを丁寧にセットしてもらい月2回の収録に臨んだ。「私、カメラの前でしゃべることができている。仕事ができている!」。収録の度に、力がわいた。
 10月10日、婚姻届を提出。がん告白会見は、結婚報告会見でもあった。10月からは、テレビの昼番組にもレギュラー出演している。
 現在も腹部にリンパ液がたまる後遺症に悩まされ、再発の不安もある。月1回の検査は欠かせない。
 でも負ける気はしない。
 「この人のために元気でいようという存在がいることは、とても大きいです」

[読売新聞 2011年1月10日号 医療ルネサンスNo.4995記事]
がん共生時代 私の物語(3)
【タレント 原 千晶さん(上)〜「子宮全摘」迫られる決断】

 「子宮のがんを患い、2度の手術を体験しました。
 2010年11月、タレントの原千晶さん(36)は、東京・赤坂のテレビ局内に設けられた会見場でカメラのフラッシュを浴びながら、真っすぐ前を向き、はっきりとした口調で話し始めた。6年間のがんの闘病を頭に浮かべながら。
 原さんは、芸能界への登竜門として知られたクラリオンガールに20歳で選ばれ、抜群のスタイルと明るいキャラクターで、グラビアやドラマ、バラエティー番組に活躍。だが30歳が近付くにつれ、行き詰まりを感じるようになった。
 「芸能人としても、女性としても中途半端で私は何一つ手にしていない」。人間関係が嫌になり、一時活動休止もした。
 下腹の痛みとみたこともない黄茶色のありものが襲ったのはそんな折。検査の結果は、初期の子宮頸がん。「私ががん?」。信じられない思いを抱えたまま、05年2月、頸部の一部を取り除く「円錐切除」手術を受けた。ところが子宮は温存できたと喜んだのもつかの間、1週間後の説明で、主治医はこう切り出した。
 「残念ですが、悪性度が高いので、子宮全摘の再手術を勧めます」
 一瞬、頭が真っ白になり、叫びながら泣き崩れた。
 「私、子供が産めなくなるってことですか?」
 がんの宣告を受けた時よりも、強いショックだった。
 「どうせ手術するなら、手術前と後の体を写真に撮ってもらおう」「いや、悪いところは全部取ったんだから切らなくても大丈夫じゃないの」。前向きになったり、弱気になったり。気持ちは揺れ動いた。
 手術予定日の前日、主治医に手術を断る電話をした。運命から逃げ出したい一心だった。原さんの気持ちをくみ取ってくれた主治医は、月1回必ず検診を受けることを条件に、手術は見合わせ経過観察を続けることになった。
 2年間はきちんと通った。だが、体調は良く、仕事も忙しい。「もう完全に治ったんだ」。07年1月を最後に病院から足が遠のいた。
 仕事も恋愛も順調な日々。ところが09年12月、再び下腹部を激痛が襲った。実は夏ごろから月経血が増えるなど異常を感じていたが、不吉な予感を自分で必死に打ち消していた。
 診察の結果は、やはり、がん。5年前のがんの再発ではなく、新たながんが子宮頸部と奥の内膜(体部)の2カ所に見つかった。死の恐怖が急に迫ってきた。「生きなきゃいけない」という気持ちで頭がいっぱいになった。

[読売新聞 2011年1月7日号 医療ルネサンスNo.4994記事]
がん共生時代 私の物語(2)
【俳優 菅原文太さん(下)〜もらった時間 「農」に注ぐ】

 膀胱がんが見つかり、膀胱の全摘手術を勧められた俳優の菅原文太さん(77)。セカンドオピニオン(第二の医師の意見)で話を聞いた東大病院放射線科・準教授の中川恵一さんから、抗がん剤と放射線治療で膀胱を温存できる可能性があるの説明を受けた。
 妻の文子さんは、「セカンドオピニオンを申し出るのは、最初の医師のタイプによっては言い出しにくい場合もあるかもしれないけど、特に大きな病気の場合は大切だと思う」と語る。
 紹介されたのは、茨城県つくば市の筑波大病院。診察した泌尿器科教授(現・東大先端科学技術センター特任教授)の赤座英之さんは「全摘手術が標準的な方法ですが、菅原さんは腫瘍が一つで大きさが3センチ以下であり、抗がん剤と放射線の治療でも手術と同程度の治療成績が期待できます。大丈夫。やってみましょう」と話した。
 2007年4月に入院。足の付け根の動脈から管を差し込んで抗がん剤を入れる治療を3週おきに3回行うとともに、並行して放射線治療も開始。週5回、計23回受けた段階で改めて内視鏡検査をしたが、幸いがんは見つからなかった。特殊な放射線である陽子線治療に加え、3ヶ月近い入院治療を終えた。
 抗がん剤の副作用はほとんどなかったおかげで、入院中もラジオなどの仕事に出かけた。「当時は『おはよう』って何食わぬ顔していた。『実はがんだったんだよ』とラジオで話したのは、治療が終わってから1年半くらいしてから」
 山梨県に農園を開いたのは、がんを告白してから8ヶ月後の09年10月。がんになる前から、農薬や化学肥料を使わない農業をしたい思いがあり、土地を探していたが、「いざ決断したのは、死ぬかもしれないと言われた大病を経験したことが関係しているかもなぁ」。
 現在、体の調子はいい。「若い連中と畑に出て、半日くらい体を動かすと、スキッとするよ。体は使うようにできてるから」
 収穫物は東京・築地市場にも出荷。飲食店やホテルへの販売のめども立ってきた。従業員の生活もある。「趣味」の農業ではない。「隠居するつもりはない。成長期にある子どもたちには、特にいい食べ物を食べさせたいよな。俺も治療のおかげで人生に時間をもらったから、大げさなことは言わないけど、安全な農産物の生産をほかの農業者と協力してやっていきたい」
 菅原文太さんの「戦い」は続いているのだ。

[読売新聞 2011年1月6日号 医療ルネサンスNo.4993記事]
がん共生時代 私の物語(1)
【俳優 菅原文太さん(上)〜膀胱温存願い第二の意見】 

「ほら、きれいだろう。うまそうだ」
 サラダ用の若葉を摘み、無造作に口に入れた。昨年11月下旬の穏やかな1日。手に取った鮮やかな緑を眺める目元が優しく緩む。
 「仁義なき戦い」「トラック野郎」などの映画で主演を務め、数々の賞に輝いた俳優の菅原文太さん(77)。現在、山梨県北西部の北杜市に2009年10月に作った農園と、東京の自宅を行き来する生活を送っている。南に富士山、北に八ヶ岳、西に甲斐駒ケ岳を望む絶景の地に、農園はある。
 「空気がきれいで、水がきれいなところで労働したら、たいがいの病気は治るよ。そう思わないか」
 そう話す菅原さんは、07年に初めての大病を患った。膀胱がんだった。
 最初の自覚症状は、新幹線のトイレで、小便の途中で便器に落ちた血の固まり。すぐに友人の泌尿器科医に診てもらった。尿道からカメラが付いた管を入れ、膀胱内を見る内視鏡検査を受けたところ、粘膜の一部が赤くただれていた。よくない兆候だった。
 膀胱がんは、おできのような小さな突起物が粘膜にできるタイプが7割を占める。このタイプの多くは、がんが粘膜内にとどまり、尿道から差し入れた内視鏡で見ながら腫瘍を削り取る手術で済む。
 しかし、突起物とは違う形をしている3割近くの膀胱がんは、筋肉や隣接する前立腺に広がる危険性を持つ。菅原さんは、このタイプだった。
 紹介された東京都内の病院で、内視鏡で見える腫瘍を電気メスで、できるだけ削り取る手術を受けた。しかし、がんは、膀胱の粘膜を越え、筋肉の層に達していた。
 泌尿器科の医師は、がん細胞がまだ潜んでいる可能性があるのを理由に、膀胱を全部切除することを勧めた。このケースでは一般的な治療法だ。手術後の排尿は、おなかに開けた排出口(ストーマ)から体外につけた袋にためる、人工膀胱が必要になるという。
 「切らないと、命は半年から1年だと言われ、もう仕方がないと思った。それ以外に選択肢がないんだったら」と、菅原さんは振り返る。
 しかしそこで妻の文子さんが、治療の選択に際して別の医師にも意見を求める「セカンドオピニオン」を聞きたいと申し出た。医師も「納得いくまでセカンドオピニオンを取った方がいい」と快く応じてくれた。
 友人で医師の鎌田實さん(長野・諏訪中央病院名誉院長)を通じて、東大病院放射線科準教授の中川恵一さんを紹介された。07年3月、中川さんを訪ねた菅原さんは「(膀胱を)切りたくない」と、率直な気持ちを訴えた。中川さんから出た答えは、膀胱温存療法。抗がん剤と放射線治療を併用し、膀胱に残っているかもしれないがん細胞を殺す方法だった。
 (このシリーズは全6回)

《治療法選ぶ行動起こそう》
 菅原文太さんの相談に乗った中川恵一さんに聞いた。
 東大病院に来た時の菅原さんは、思い詰めた様子でした。「切りたくない」という気持ちが強く伝わってきたので、「手術を受けるにしても、十分な情報を集めたうえで決めた方が納得できるのでは」と話し、温存療法に取り組む筑波大病院(茨城県つくば市)を紹介しました。今の元気な姿を見て、よかったと思います。
 胃や腸などを除く多くのがんで、放射線治療は手術と同等の治療効果が期待できます。臓器を温存でき、体への負担が軽いなどの利点があります。しかし、がん治療の現場で、手術と放射線両方の長所・短所が十分に説明されているかといえば、必ずしもそうとは言えません。セカンドオピニオンを聞くことをお勧めします。
 日本では、アメリカのように腫瘍内科医からの治療全般の選択肢を聞く仕組みがありません。患者が自ら動き、治療法を選ぶ行動を起こさなくてはいけません。情報を集めて、納得できる治療を受けてほしいと思います。

[読売新聞 2011年1月5日号 医療ルネサンスNo.4992記事]
抗がん剤は効かない(4)
【リード・タイム・バイアス】
 
以上のことは、抗がん剤が標準治療とされている他の固形がんにも当てはまります。臓器転移がある胃がん、前立腺がん、乳がんと等で抗がん剤が標準治療とされているのは、同じようなテクニックやカラクリがあるからです。ただ転移性大腸がんでは、カラクリの様相は多少異なります。
 転移性大腸がん、無治療と比べた臨床試験は存在しないのですが、専門家たちも抗がん剤に延命効果はないと考えてきました。抗がん剤による(がん)腫瘍の縮小が、まれにしか見られなかったからでしょう。もし抗がん剤に延命効果があるなら、その前提として、腫瘍縮小効果が不可欠です(縮小しなければ延命効果がある、というわけではなく、腫瘍縮小効果が顕著な転移性乳がんでも、延命効果が認められない。毒性のゆえでしょう。後掲新刊書参照)。
 ところが近年、専門家たちは「抗がん剤の進歩によって寿命が延びた」と主張しています。転移性大腸がんは、(生存期間)中央値が90年代に12カ月前後だったのが、その後の新薬導入に伴い、20カ月前後に延びているというのです。
 しかしこの主張は、重要な事実を無視しています。検査法が格段に進歩し、発見される転移病巣がだんだん小さくなってきたという事実です。
 大腸がんでは、肝転移が一番肝心で、その帰趨が寿命を決めます。ところが70年代前半、今日のような検査法は不存在で肝転移を発見するには触診が頼りでした。直径が10センチにもなって発見される肝転移はざらで、その場合、(生存期間)中央値は6カ月前後でした。
 しかしその後、CT(コンピュータ断層撮影)、エコー(超音波検査)、MRI(磁気共鳴撮影)、PET(ポジトロン断層撮影)などが次々と開発・導入され、今では1センチ程度でも発見可能です。他方、固形がん肝転移の増大速度は意外とゆっくりで、1センチの転移病巣が8センチになるのに18カ月もかかる計算です(拙著『がん治療総決算』文春文庫参照)。
 とすると、今日発見された肝転移は、治療しないで放置しても、昔発見された大きさに育つまでの期間分、長生きしたように見え、中央値は延長することになる。これを「リード・タイム・バイアス」(先行期間による偏り)といいます。転移性大腸がんで抗がん剤に延命効果があったとの主張は、すべてこのバイアスで説明できます。実例を見てみましょう。
 前述した戸塚さんが受けたフォルフォックス・フォーという(新規抗がん剤を含んだ)多剤併用療法は、臨床試験結果が2000年に発表され、(生存期間)中央値は16.2カ月(J Clin Oncol 2000;18:2938)。以後、臨床試験は、フォルックス・フォーと比較される形で行われています。
 その一つ、同じ著者らによる別の臨床試験では、フォルックス・フォーで治療された転移性大腸がんの(生存期間)中央値は19.6カ月(同2008;26:2006)。試験実施時期が8年違うと、治療法は同じでも、(その間にも検査法が進歩して、より小さな転移が見つかるため)生存期間が3.4カ月改善して見えるわけです。
 専門家たちは当然、リード・タイム・バイアスに気づいています(もし気づいていなければ、専門家としての資格・能力がない)。気づいて一般公衆に説かないのは、抗がん剤を(根拠なく)標準治療に押し上げようという底意があるからとしか考えられない。その結果、一般人が誤解する。臨床医も、騙されていた方が心地よく(真実に気づくと、患者に勧める治療がなくなる)、医療機関の収入も増えるので、かりに気づいても異議を唱えない。

〈抗がん剤は効かない(5)に続く〉

[近藤誠・慶応大学医学部講師 文藝春秋 第八十九巻第一号「抗がん剤は効かない」より]
がんとともに(4) リハビリ できること維持
 病院のリハビリ器具の手すりにつかまり、行ったり来たり。東京都在住の乳がん患者C子さん(64)は今月、歩行訓練に励んでいた。痛みが出ずに安定して歩くことが目標だ。
 C子さんの右胸に乳がんが見つかったのは2004年3月。09年3月には背骨への転移が見つかった。がんが神経を圧迫するなどし、背中には激痛が走り、手にはしびれが出た。
 翌月から昭和大病院(東京都品川区)に通院。抗がん剤と放射線の治療を受け、貼るタイプの医療用麻薬、フェンタニルや、非ステロイド系消炎鎮痛薬の飲み薬などで痛みを和らげた。
 鎮痛薬を使えばある程度、痛みは抑えられる。だが、C子さんは台所に立って食事を作ったり、自分でトイレに行ったりと、自立した生活を送り続けることを望んでいた。そこで今年11月、痛みが強くなった放射線治療などを受けるために入院した際、理学療法士の指導によるリハビリを始めた。
 同病院緩和ケアセンター長の樋口比登実さん、「体を動かさないと筋力が衰えたり関節が硬くなったりし、体を動かす時に新たな痛みがでる。リハビリを行えば、こうした痛みを予防できます」と説明する。
 ベッドに腰掛け、足首に1キロ程度のおもりをつけて膝を曲げたり伸ばしたり、両足首に1本のゴムを巻き、自宅の玄関でつまずかないよう、踏み台を利用した歩行訓練も行った。
 「筋肉がついたような気がします」とC子さん。手すりにつかまれば、しっかりと歩けるようになった。
 リハビリでは、がんによる痛みを少なくする動き方を覚えることも大切だ。例えば、ベッドから立ち上がる時、両手をマットにつき、お尻を上に浮かせ、次に片手ずつ膝に乗せて状態を起こす、といった動き方だ。
 ただし、決して無理はせず、がんの進行度や体の状態に合わせて行う。ベッドから起きられない場合は、ベッド上で肩回しや、足に力を入れて蹴る動作、膝や股関節を動かすなど、できる範囲での運動でよい。
 C子さんのように骨転移をしていれば、骨がもろく折れやすいため、コルセットやつえ、歩行器などを使い、転倒や骨折を防ぐ。
 「がん患者のリハビリは、高すぎる目標を立てず、今できることを維持するつもりで少しずつ行うことが大切です」と樋口さん。自分なりのゴールを目指し、医療用麻薬の使用とリハビリで、がんの痛みと上手に付き合いたい。

[読売新聞 2010年12月24日号 医療ルネサンスNo.4991記事]
がんとともに(3) 薬の量合わず 副作用次々
 痛みを取り除く医療用麻薬は、使い方によっては副作用が強くなり、生活の質を落としてしまう。
 埼玉県の主婦B子さん(63)は2008年7月、右胸のしこりから、近くの病院で乳がんと診断された。
 がんは背骨に転移しており、腰のあたりに激しい痛みがあった。埼玉県立がんセンター(同県伊奈町)に入院、放射線治療を受けたが痛みは消えず、退院後も医療用麻薬のオキシコドンの錠剤を飲んだ。
 医療用麻薬は、吐き気や便秘、眠気などの副作用を伴う。B子さんも10月、吐き気が出たため、吐き気止めの薬を飲んだ。ところが今度はじっとしていられない、周りをキョロキョロ見る、といった症状が表れ、夜も眠れなくなった。
 医療用麻薬の副作用の吐き気止めとして主に使われるのは、脳の神経に左右する抗精神病薬。この薬には、じっとしていられない「アカシジア」という症状や、筋肉のこわばりや手の震えが起こる「パーキンソン症候群」の副作用がある。
 その後もB子さんは強い痛みを訴え、内科の主治医はオキシコドンを増量。すると眠気が強くなり、再び吐き気も出たため、09年5月、同センターに再入院。吐き気止めも飲み続けており、アカシジアの症状も消えていなかった。
 緩和ケア科長の余宮きのみさんがじっくり話を聞くと、激しく痛むのは体を動かす時だけで、安静時に痛みはなかった。また、医療用麻薬の副作用で便秘にもなっていた。
 余宮さんはオキシコドンの量を減らし、吐き気止めは中止した。やがてB子さんは落ち着きを取り戻し退院。その後も抗がん剤治療などで入退院を繰り返しつつ、少量のオキシコドンで痛みを抑えている。
 医療用麻薬による吐き気は通常1〜2週間で止まるため、吐き気止めはこの間だけ飲めばいい。だが実際は、予防的に漫然と処方され、診断が難しいこともあって、アカシジアなどが見逃されていることも多い。
 今年5月に公表された吐き気止めの適正使用の指針では、「医療用麻薬を使う際、吐き気止めを予防的に投与する科学的根拠は乏しい」と指摘した。
 「吐き気がなかなか止まらない場合、便秘が原因の場合も多い」と余宮さん。医療用麻薬で腸の動きが鈍くなって便秘になり、これに反応した脳の神経が吐き気を起こす。B子さんも便秘薬で便秘が改善、吐き気も治まった。
 余宮さんは「どのような時にどれくらい痛みがあるのか正確に把握し、医療用麻薬のの使用量を調整することが大切」と訴える。

[読売新聞 2010年12月23日号 医療ルネサンスNo.4990記事]
がんとともに(2) 鎮痛薬 組み合わせて効果
 埼玉県草加市の会社員男性Aさん(57)は、今まで仕事一筋。定年後は、家族でドライブを楽しみたいと考えていた。
 だが、今年夏、体がだるく、体重が15キロも減った。右脇腹に重苦しい痛みもあり、近くの病院で肝臓がんの疑いを指摘された。
 9月、インターネットで調べた東京都立駒込病院(文京区)を受診。CT(コンピューター断層撮影法)検査などを受け、やはり肝臓がんと診断された。しかも、あちこちのリンパ節に転移しているという。
 「ショックでしたが、受け入れるしかありませんでした」とAさん。入院し、抗がん剤治療を始めた。腹部の痛みはがんによるもので、「非ステロイド系消炎鎮痛薬」の錠剤を飲んだ。
 入退院を繰り返したが、11月、自宅で腹部にキリキリと刺すような激しい痛みが出たため、同病院に緊急入院。非ステロイド系消炎鎮痛薬に加え、今度は医療用麻薬も使い始めた。
 医療用麻薬には、モルヒネ、オキシコドン、フェンタニルなどがあり、いずれも脳や脊髄の中枢神経に働き、痛みを感じにくくする。飲み薬や注射(点滴)薬、貼り薬があり、効き方や副作用の特徴も様々だ。
 Aさんは当初、オキシコドンの錠剤を飲んだが、副作用の吐き気や眠気が強く、フェンタニルの貼り薬に変更した。副作用が出にくく、効き目はゆっくりで、3日間、持続する。一時的に激しく痛む「突出痛」が出た時は、速効性があるオキシコドンの粉薬を服用した。
 Aさんは今月10日に退院。「痛みは消えないが、薬で抑えられるのはありがたい。今後は車で家族と旅行に出かけ、楽しい思い出をたくさん作りたい」と話す。
 世界保健機関(WHO)は、痛みの強さを3段階に分け、強さに応じてどの鎮痛薬を使うのか、治療法の目安を定めている。医療用麻薬より効き目が弱い非ステロイド系消炎鎮痛薬から始め、痛みが強くなったら弱めの医療用麻薬を、さらに痛みが増したら強めの医療用麻薬を追加する。
 ただ、医療用麻薬は、がんが末梢神経を傷つけて起こす痛みには効きにくく、その場合は、抗うつ薬や抗けいれん薬などの「鎮痛補助薬」も併用する。Aさんも補助薬を服用した。
 同病院緩和ケア科医長の田中桂子さんは「複数の鎮痛薬を併用すると、よりよい鎮痛効果を期待できる。医師や看護師に痛みの状態を遠慮せずにしっかり伝え、最良の組み合わせを考えてもらうことが重要です」と話す。

[読売新聞 2010年12月22日号 医療ルネサンスNo.4989記事]
がんとともに(1) 医療用麻薬 生活の質維持
 「いたたたたっ。ぎっくり腰かしら」
 東京都文京区の主婦、玉木由貴子さん(62)は今年2月、部屋の模様替えのため、夫の信昭さん(72)とベッドを動かしていた時、突然腰に激痛が走った。
 身動きができなくなり、3月、順天堂大病院(同区)整形外科を受診。だが、痛みは悪化し、医師にがんの疑いを指摘された。
 血液検査などを受けると、血液がんの「多発性骨髄腫」と診断された。背骨の一部が、がんによって圧迫骨折しており、神経の一部が圧迫されていたのが激痛の原因だった。
 がんの進み具合は、3段階のうち中間ぐらい。5月に入院し、抗がん剤治療を始めた。しかし痛みは消えず、看病する信昭さんに「(心配かけて)ごめんなさい」と謝った。
 同病院で33年間、医療事務の仕事をしていた由貴子さんは、病院を訪れる患者に笑顔を絶やさなかった。聴覚障害の患者とも会話ができるよう、手話も覚えた。
 「激痛で笑顔が見せられないようでは、妻らしく生きられないと思いました」と信昭さん。そこで入院3日目から使用を勧められたのが、医療用麻薬だ。
 モルヒネに代表される医療用麻薬は、脳や脊髄の中枢神経に働き、がん細胞による痛みを感じにくくする。由貴子さんが使ったのは、すぐに効く粉薬と、効果の長い、貼るタイプの医療用麻薬。その前から服用していた「非ステロイド性消炎鎮痛薬」も併用した。
 最初の抗がん剤治療が終わり、7月に退院。抗がん剤の効果も出て痛みが和らぎ、医療用麻薬など鎮痛剤の服用はやめた。「体の状態が良くなったら、病院で手話のボランティアをしてみたい」と意欲も見せる。
 同病院緩和ケアセンター室長の奥野滋子さんは「がんの初期であっても積極的に医療用麻薬を使って痛みを止めることが大切。生活の質を落とさず、がん治療に積極的に取り組むことにもつながる」と説明する。
 だが、「医療用麻薬は末期がんに使う薬だ」「使用すると死につながる」といった誤解は多い。2005〜07年の医療用麻薬の国内消費量は、米国の20分の1、英国の3割程度と極端に少ない。
がんの痛み治療の現場を紹介する。
 (このシリーズは全4回)

[読売新聞 2010年12月21日号 医療ルネサンスNo.4988記事]
抗がん剤は効かない(3)
【暴かれたインチキ】
 
人為的操作は具体的には、死亡した患者を生きていると扱う(インチキ)テクニックです。その実際例を示しましょう。
 80年代に年間数百億円を売り上げていた免疫製剤クレスチン(抗がん剤に分類)に効果がないことが社会問題化し、厚生省(当時)によって適用範囲が著しく制限された後の話です。「ランセット」という有名医学雑誌に胃がん術後にクレスチンを使うと生存率が向上するという日本発の論文が載ったのです(図3.Lancet 1994;343:1122)。それが本当ならクレスチンは息を吹き返します。
 しかし図3には問題があります。各生存曲線のところどころに立っている縦棒は、「打ち切りケース」といって、経過観察期間の短い患者が、縦棒の時点で生存していることを意味し、(それ以降も生きているという前提で)観察を打ち切ったことを意味しています。しかし論文には「被験者(患者)全員を最低5年間は観察した」とありました。とすれば、5年以内に縦棒が立つはずがないのに、図3には何本もの縦棒がある。生存曲線を作成する際、人為的操作が介在した証拠です。
 そこで私は「ランセット」に手紙を送り、そのことを指摘しました。編集部は、論文著者らに照会し、著者らは「ランセット」に訂正声明を出しました。(Lancet 1994;344:274)。胃がん以外の理由で死亡した患者を、生きていると扱ったというのです(これ自体論文作成ルール違反)。そして計算しなおすと、最初の論文で報じた「意味がある差」は消失したと。訂正以降、クレスチン論文は見向きもされなくなりました。
 なお付言すると、図3に見るように、データに人為的操作が加わった場合も、生存曲線が下方に凸のままであることも少なくない。しかし、上方に凸になった場合には、人為的操作の介入が推認できるのです。生存曲線に「意味がある差」が認められるか否かで、年間売上高が左右される点も重要です。
 別の形の操作は、一方のグループにだけ身体的・精神的症状ケアを熱心に行うことによっても可能です。この点、進行期肺がん患者を二群に分け、身体的・精神的症状ケアを片方だけに手厚く行った臨床試験では、ケア・グループの(生存期間)中央値が三ヵ月程度延びている(N Engl Med 2010;363:733)。この結果から推すと、新薬の臨床試験で、抗がん剤グループにだけ手厚いケアを行えば、中央値が数カ月程度かさ上げされるはずです。
 もっとも、手厚いケアにより生存期間が延びた場合も、生存曲線は下方に凸になるはずです。その臨床試験ではそうなっています。これに対し抗がん剤の延命効果を主張する図2では、抗がん剤グループの生存曲線は上方に凸になっているので、クレスチン論文同様のテクニックが介在していると推認できます。
 進行期がんに関する他の臨床試験は、抗がん剤に延命効果を認めるものも、認めないものもあり、結論がまちまちです。が、延命効果なしとするものは、どれも素直な指数関数曲線を示している。被験者(患者)数が最大規模の試験もその一つです(図4。Br J Cancer 2000;83:447)。この図では、抗がん剤群と無治療群の生存曲線がピッタリ重なっており、抗がん剤は無意味との結論しか出しようがない。
 延命効果がないのに、標準治療に格上げされるカラクリを紹介しましょう。
 米国から出版されている、高名ながん教科書があります。その進行期肺がんの項は、結論として、「多くの医者が抗がん剤を標準治療と考えている」と述べています(Lippincott刊『Cancer』7th ed,2005,794)。
 前述のように、臨床試験結果がまちまちで、延命効果がないとする試験結果の方が信頼できるのに、いかにしてこの結論が導かれたのか。同教科書は、九つの臨床試験を挙げ、(生存期間)中央値を比較しているのですが、一つの試験だけ中央値を紹介していない。前掲図4の試験結果です。紹介しなかった意図は、容易に想像できるでしょう。
 もっとも、仮に図4の試験が存在しなかったとしても、残り八試験の結果はまちまちなので、やはり上記結論は導けない。では教科書はどうしたか。メタアナリシスを利用しました。
 メタアナリシスというのは、複数の試験結果を総合分析して、(標準治療に関する)結論を導く研究方法で、分析結果は論文として発表されます。総合分析というと立派に聞こえますが、分析する研究者が違うと、同じ(複数の)試験結果を分析しても異なった結論になることがよくあり、結論は必ずしも信用できない。「(複数ある)メタアナリシスのメタアナリシスが必要だ」と茶化される所以です。
 教科書は(別々の研究者グループによって行われた)四件の(メタアナリシスの)結論のみを掲載しています。その中で最も積極的な結論は、「(これら試験結果は)進行期(非小細胞型)肺がん患者に抗がん剤を勧めるべきことを示唆する」です(Lancet 1993;342:19)。
 試験結果がまちまちなのにこの結論を導き出すのは問題ですが、言い回しが慎重な点には注意すべきです。ところが教科書は、(この慎重な言い回しを)「(抗がん剤患者に)提供されるべき」と断定的に言い換えている。これがメタアナリシスを利用して無効な抗がん剤を標準治療に格上げするカラクリ(の一つ)です。
 ここには、抗がん剤治療の専門家たちによる、上方の操作ないし隠蔽があります。巧妙に行われているので、一般医療機関の臨床医は、それに気づかない。気づくためには、本稿で行ったように、自分で原論文を収集し、内容を吟味する必要がある。しかしその作業は(私の経験からして)数日を要し、一般臨床医がそのような手間をかけるはずがない。
 圧倒的多数の臨床医は、内科診療や外科診療の片手間に抗がん剤治療をしているので、教科書すら読まずに抗がん剤治療をする者が大勢います。抗がん剤を標準治療に格上げすることを狙う専門家は(製薬会社とタイアップして)、製薬会社が配る(抗がん剤の)パンフレットに、「抗がん剤を使うべき」「抗がん剤が標準治療」等と書いておきさえすれば、一般臨床医は(専門家が嘘をつくとは想像できず)信じこんでしまうのです。

〈抗がん剤は効かない(4)に続く〉

[近藤誠・慶応大学医学部講師 文藝春秋 第八十九巻第一号「抗がん剤は効かない」より]
がん検診(2)最先端機器で早期発見
 より早い時期のがんを見つけるには最先端機器を使った個人検診が効果的といわれる。人間ドックのように自分で申し込む、費用は数万円から10万円以上かかる。ただ、見つかりにくいがんもあり、医療機関によって検診結果のばらつきも多い。個人検診のメリットとデメリットを正しく知っておこう。

 都内の建設会社に勤める寺嶋さん(62)は、50歳代後半からほぼ2年おきに、日本医科大学検診医療センターで陽電子放射断層撮影装置(PET)とコンピュータ^断層撮影装置(CT)を組み合わせたがん検診を受けている。1回十数万円かかるが、家族をがんで失った経験もある寺嶋さんは「がんがなければ安心。あったとしても早期の段階で見つけて対処したい」と受診の動機を話す。
 同センターでは、検診後、何ら問題がなくても大学病院でがん治療に携わる専門の医師に詳しく説明を聞くことが可能。がんの疑いがあれば、大学病院での精密検査を紹介する。寺嶋さんは「フォロー体制もしっかりしているかどうかで施設を選んだ」と満足そうだ。

◇5ミリメートルでも特定

 がんの検診に利用される最先端機器の代表がPET。特殊な検査薬を注射し、体のどこにどの程度分布するかを撮影してがんの有無を調べる。1回2〜3時間で全身の検査ができる。
 同センターの石原圭一センター長は「PETだと約5ミリメートルのがんまで見つかる。受診者の1〜2%が精密検査対象になる」という。
 PETは苦手な部位もある。検査薬が過度に集まりやすい脳や、腎臓などの泌尿器、胃などのがんは見つかりにくい。
 自治体などが実施する集団検診と、人間ドックのような個人検診では使う機器が違う。検査法が全国でほぼ統一されている集団検診に対して、個人検診のメニューや機器は医療機関が独自に設定している。
 例えば肺がん用には集団検診ではX線レントゲンを使うのが一般的だが、個人検診ではCTを使うことが多い。胃がん用も集団検診では使わない内視鏡を使う施設が増えている。
 癌研有明病院健診センターの平井康夫所長は「個人検診は、できるだけ早期のがんや、がんになる手前のものを見つけるのが目的」と話す。早期で見つければ、体への負担が少ない手術など最小限の治療で済ませられる可能性が高いからだ。
 同センターで胃がんなどの内視鏡検査を担当する土田知宏副所長によると、内視鏡検査では医師が直接、胃の表面を見るため、5ミリメートル以下の微小がんまで発見でき、一般に発見率は0.3%前後という。X線レントゲン検査では1センチメートルのがんでも見えないことがある。
 内視鏡検査では検査中に組織の細胞の一部を採取し調べることも可能。一度の検査で「がんらしきものがあっても良性か悪性か確定でき」(土田副所長)何度も受診する必要がない。
 体の周りをらせん状にX線をあて四方八方から撮影するヘリカルCTを使った検査も増えている。「5ミリメートル程度のがんでも発見できる」(金沢医科大学の佐川元保教授)。集団検診で使う胸部X線レントゲン検査で見つかるのは一般に2センチメートル以上。2センチメートルでも早期がんのことも多いが、中には1センチメートル以下でも周囲のリンパ節などに転移のある進行がんの人も10〜20%いる。
 大きさだけで進行度は判定できないが、佐川教授は「CTを受けると、がんが小さいうちに発見・治療できる可能性が高くなるのは確かだ」という。

◇費用の高さ難点

 最先端検診にもデメリットはいくつかある。
 まず費用が高い。どんなに高額でも「すべてのがんを見つける万能な検診はなく、限界がある」(平井所長)。
 さらに個人検診の場合、検診の質や受診間隔などがわかりにくい。集団検診のように厚生労働省の指針に沿った標準的なメニューもない。
 施設選びのポイントとして平井所長は「十分に訓練を受けた医師や技師がいるかが重要」と指摘する。食道や胃の内視鏡検査でも、熟練した医師でないと、見落とす確率は上がる。
 医師の熟練度などを見分けるのは容易ではない。地域のがん治療の拠点病院や、がん治療を多く手掛ける大学病院などに併設している検診施設で受けるのが一つの目安だ。


[日本経済新聞 2010年12月19日号より]
がん検診(1)自治体実施なら安価
 がんを克服するには早期に見つけるのが近道とされる。ただ、日本のがん検診の仕組みは複雑で、海外に比べて受診率は決して高くない。がん検診を効果的に生かすにはどうすればよいか。まず、初めて受ける人のために、自治体が実施するがん検診を紹介しよう。

◇無料から数千円まで

 12月上旬の早朝。東京都東村山市在住の田中明子さん(66、仮名)は、東村山市役所で初めて胃がんと大腸がんの検診を受けた。大腸がん検診といっても自宅で採取してきた2日分の便を担当に渡すだけ。胃がん検診は大型の検診車内で、可動式の台に乗ってエックス線撮影をする。5分程度で済んだ。
 田中さんは勤めていた会社でがん検診を受けたことがあるが、退職してから、市で実施していることを市報で知った。2つの検診で払った費用は1500円。「安く受けられてよい。検診を受けてがんでないことがわかると安心できる」と話す。
 がん検診は、市区町村や企業の健康保険組合が実施する集団検診と、人間ドックなどで個人が希望して医療機関で受ける個人検診に大きく分かれる。
 集団検診では、厚生労働省の指針に従って、肺がん、大腸がん、胃がん、子宮頸(けい)がん、乳がんの5つのがんを見つけられる検診をひととおり受けられる。市区町村の公費助成などがあるため、1種類あたり無料から数千円程度と比較的安い。20歳代でも受診できる子宮頸がんをのぞき、主に40歳以上が対象。肺がん、大腸がん、胃がんは毎年、子宮頸がんと乳がんは1年ごとに実施するケースが多いが、市区町村によって異なる。
 市区町村の集団検診を受けるには、どうすればよいか。役所に問い合わせるのが確実で、市区町村ののホームページの「健康」などの項目に掲載されていることも多い。郵送などで個人に検診の案内が届く市区町村もあるが、日本がん協会の調べでは全体の2割にとどまっている。
 申し込むと、主に指定の医療機関で受診する。巡回している検診車で受けることもある。平日が多く、複数の検診を同時に受けても半日くらいで済む。
 結果は約1ヶ月で手元に届く。少しでもがんの疑いのある場合は、より精度の高い精密検査を受けるよう通知される。精密検査は自分で医療機関に予約を入れて受けに行く。ただ、通知をしても面倒がって精密検査に行かない人もいる。東京都がん検診センターでは「がんの疑いが強い場合は集団検査を受けたその場で、精密検査の予約をするよう声をかけている。」(小林剛所長)。
 一方、個人検診では集団検診よりも精密で最先端の検診が受けられるが、全額自費なので1種類でも数万円かかる。がん検診を実施している医療機関に自分で申し込む。

◇受診率2割どまり

 安価な集団検診だが、市区町村での受診率は2割にとどまる。がん検診の意識が低かったり仕事のため受ける時間がなかったりといった、受信者側の問題もあるが、小林所長は「がん検診のシステムが一貫していない点が課題」と指摘する。
 市区町村の財政事情や役所の担当者の力の入れようで、受診方法や費用負担、受診率が異なる。日本対がん協会の調べでは、がん検診の案内を個別に通知したり、送迎、休日実施など、受けやすい環境整備をしたりして工夫をしていた。
 日本対がん協会の塩見知司・事務局長は「財政状態によって十分実施できない市区町村のもある。住んでいるところで、がん検診の受けやすさが変わってしまう」と説明する。個別の通知を実施している市区町村では、一般会計予算のうちがん検診が占める比率は1.84%と、個別通知をしていないところの0.39%と比べて予算に大きな開きがある。財政状態がよくない市区町村では、実施回数と受診者数を予算の範囲内に限定することもあるという。
 国はがんの受診率50%への引き上げを目ざし、普及、啓発活動をしているが、財政と人材の面で難しいのが現状だ。ただ「国の財政支援がないと、多くの市区町村の予算では十分受け入れられないだろう」と塩見事務局長。小林所長は「検診担当を希望する医師はまだまだ少ない。エックス線などの臨床検査技師を育てるのも時間がかかる」と話している。


[日本経済新聞 2010年12月12日号より]
抗がん剤は効かない(2)
【つまり誰も治らない】
 
まずは国民がん死亡トップの肺がんで、その中でも多数を占める、腺がん、扁平上皮がん等の「非小細胞型」肺がんを取り上げます。肺がんの進行度(病期)は0〜4期に分類され、1期から3期はさらにA期とB期に細分されます。そのうち3B期と4期が「進行期肺がん」で、抗がん剤が標準治療とされている。しかし、治療成績は大変不良です。
 図1は代表的な治療成績で、患者を四つのグループに分け、異なる(抗がん剤の)組み合わせ(多剤併用療法という)で治療している(N Engl J Med 2002;346:92)。抗がん剤を違えても、生存曲線がピッタリ重なるのが印象的です。各曲線は(生存率が)数%のところで終わっていますが、観察期間をもう少し延長すると、横軸と交わるでしょう(つまり誰も治らない)。
 どう治療しても生存曲線が重なることから、無治療でも同じなのではないか、という疑問がわきます。しかし専門家たちは、延命効果があるという。それが本当か分析する前提として、(生存期間)中央値が重要です。患者たちが亡くなるまでの期間(生存期間)を短い方から並べ、真中に位置する人の生存期間で、生存率が五〇%になるまでの期間に対応します(図1の中央値は八ヵ月)。治らないがんでは、中央値を比較して、治療法の優劣を判定するのです。
 さて、進行期(非小細胞型)肺がんでは、無治療と抗がん剤治療を比べた臨床試験が何件もあります。そのうち結果が最も良好だった試験は、患者を三グループに分け、一グループは無治療、他の二グループは別々の多剤併用療法で治療している。分析を単純化するため、抗がん剤治療群は、より成績が良好だった多剤併用療法の生存曲線を示します(図2。J Clin Oncol 1988;6:633)。中央値は四ヵ月対八ヵ月で、抗がん剤の延命効果は計算上「意味がある差」と判定されている。
 しかし、図2の(抗がん剤群の)生存曲線には欠陥があります。前提として、治らない患者たちの生存曲線は、図1のように漸減し、左下方に向かって凸形になることが重要です。(この形を指数関数曲線という)。このルールに例外はなく(Cancer 1986;57:925)、もし指数関数曲線と違った形を示すなら、何らかの人為的操作が加わったと考えられます。
 そこで図2を見ると、無治療群の生存曲線は、ほぼルール通りですが、抗がん剤群は、矢印のところから屈折し、ゆるやかですが右上方に向かって凸形を示している。この形は指数関数曲線と違っており、人為的操作なしには生じ得ないのです。

〈抗がん剤は効かない(3)に続く〉

[近藤誠・慶応大学医学部講師 文藝春秋 第八十九巻第一号「抗がん剤は効かない」より]


抗がん剤は効かない(1)
 がんには抗がん剤、転移がんの標準治療は抗がん剤、という社会通念があります。それゆえ、近年がんにかかられた方や再発した方の多くが、治療経過のどこかで抗がん剤治療を受けていることでしょう。
 この点確かに、急性白血病や悪性リンパ腫など「血液がん」の多くは、抗がん剤が第一に選ばれるべき治療法で、標準治療といえます。しかし、肺がんや胃がんのように、がんが固まり(腫瘤)を作る「固形がん」では、抗がん剤はたいした効力がない。それなのに、どういう経緯で標準治療になったのか。固形がんについて検討します。
 じつは九〇年代には専門家たちも、抗がん剤がこれら(成人の)固形がんの進行を遅らせられない(延命効果がない)ことを認めていました。(拙著『僕が進めるがん治療』文春文庫参照)。抗がん剤が標準治療の座に格上げされたのはその後で、ここ十数年の出来事です。しかしこの間、使われる抗がん剤の種類・内容に大きな変化はなかった(分子標的薬については後述)。変ったのは専門家たちの言い様で、「抗がん剤に延命効果がある」「抗がん剤が標準治療」と声高に主張するようになったのです。
 その結果、一般大衆はもちろん、相当の知識人や学者でも、抗がん剤が標準治療と思い込む。将来のノーベル賞候補と言われ、他の臓器へ転移した大腸がん(以下、転移性大腸がん)のため、二〇〇八年に逝去された戸塚洋二さんも、「あと三ヵ月 死への準備日記」(本誌二〇〇八年九月号)の中で、抗がん剤を次々受けたことに対し、格別疑問を呈しておられない。
 しかし、です。固形がんで抗がん剤を標準治療とするのは間違いです。抗がん剤には患者を延命させる力はないのです。
 なぜそう言い切れるのか。抗がん剤の臨床試験結果が教えてくれます。臨床試験は、延命効果を確認する最終手段ですが、試験結果では、抗がん剤に延命効果は認められない。専門家たちは、臨床試験結果とは逆の結論を、社会に向かって主張しているのです。読者がこのことを理解するには、臨床試験結果と正面から向き合う必要があります。
 本稿では、臨床試験の最重要結果である「生存曲線」を呈示・分析しつつ、専門家たちが仕掛けたカラクリを暴いていきます。紙幅の関係上、男女ともに罹患する、しかも発生頻度の高い肺がん、胃がん、結腸がんについて分析します。なお、誤解がないように付言すると、固形がんの中でも、睾丸のがんと子宮じゅう毛がんだけは、抗がん剤に延命効果どころか治す力まである(理由は不明)。

〈抗がん剤は効かない(2)に続く〉


[近藤誠・慶応大学医学部講師 文藝春秋 第八十九巻第一号「抗がん剤は効かない」より]

がん患者のこころの痛み
【一時的なショックや動揺は自然な反応 専門職など周囲の支援で苦しみを軽減】

 治るケースも増えてきたがんだが、いまだ死を連想させる病気である事に変わりはない。人生設計を揺るがす一大事の中で、患者や家族は多くの不安を抱えることになる。しかし身体面の治療ばかりが重視され、こころの痛みにはほとんど目が向けられていないのが現状だ。

 都内の食糞会社に勤める津田雄三さん(仮名・51歳)は、昨年4月の定期検診で右肺に影が見つかった。 総合病院で精密検査を受けた結果、初期の肺がんであることが判明。担当医からはがんの告知と同時に「手術をすればたぶん治るでしょう」と言われたものの、津田さんの頭の中は真っ白になり、どうやって家に帰ったかも覚えていない。
 それからは「本当に治るのか」「前と変わらない生活ができるのか」といった疑問が次々にわき上がってきたが、担当医はいつも忙しそうで尋ねることができない。さらに仕事や成人していない子供たちの将来などにも不安が募り、次第に落ち込んでいった。
 その後、がんの手術は成功。術後の経過も問題なく、2週間後に退院したが、食欲は戻らず、眠れない日々が続く。
 そんなとき、インターネットで情報を集めていた妻から、国立がんセンター中央病院(現・国立がん研究センター中央病院)にがん患者のこころのケアをしている精神腫瘍科があることを聞き、受診してみることに。副科長の清水研医師に診てもらったところ、うつ病になっていることが分かった。

◇20~30%はうつ病や適応障害に

 がん患者の精神面をサポートする精神腫瘍医(サイコオンコロジスト)の清水医師はこう話す。
 「がんになればたいていの人は落ち込むし、中にはうつ病になる人もいます。がんが死を連想させる病気である以上、こうした反応は当然のこと。自分が弱いせいではありません」
 ほとんどの人はがんであることを告げられたとたん大きなショックを受け、数日間は「何かの間違いだ」と否認しようとしたり、「何でおれが」と怒りを感じたり絶望したりと、葛藤する。
 そこを抜けると不安や落ち込みが強くなり、不眠、食欲不振、集中できない、仕事が手につかないなど、いつも通りの生活を送れない状態が続く。清水医師はこう話す。
 「落ち込んでいるとがんが悪化するのではと心配する人もいますが、精神状態とがんの進行は関係がないことが分かっています。2週間くらい経つと、大半の人は現実を受け止め、『情報を集めて治療に専念しよう』などと前向きに考えられるようになります」
 なお、これは告知のケースだが、告知に限らず「治療がうまくいかない」「再発した」などの悪いニュースを聞くたびに患者は落ち込むことになる。その場合も気分の上下を繰り返しながら何とか現実に順応し、乗り越えていくという。
 一方で津田さんのように落ち込みが長引き、「うつ病」(強い気持ちの落ち込み・抑うつ)や「適応障害」(うつ病よりは軽症だが、不安や抑うつが強い状態)といった、「こころの病気」になってしまう人も多い。がん患者の中でうつ病を発症している人は約5%、適応障害も合わせると20~30%もの人が苦しんでいる。清水医師は言う。
 「うつ病はカウンセリングや抗うつ剤の服用などの専門的な治療をすることで改善が望めます。逆に精神面の治療をしないと、本当は治る状態なのにがんの治療をしなくなるなど、数々の悪影響が出る。最悪の場合、自分を追い込んで自殺にいたることもあります」
 津田さんは抗うつ剤の服用を続けながら、週に1回清水医師のカウンセリングを受けた。徐々に熟睡できるようになり、食欲も回復。半年後には復職し、元気に働いている。
 しかし津田さんのように適切なケアを受けられるケースはほとんどない。
 「こころの病気になっていることに本人は気づきにくい。がんばらなくてはと思い込んで、悩みを他人に伝えようとしない人も少なくありません」(清水医師)
 そこで国立がん研究センターでは、自分でストレスチェックができる方法を開発した。質問は「気持ちのつらさ」と「日常生活への支障」の程度を問う二つだけ。前者が4以上で、なおかつ公社が3以上の人は、ストレスをため込んでいる可能性が高い。
 同院では患者にセルフチェックをしてもらい、該当者には精神腫瘍科への受診を呼び掛ける取り組みを始めている。また「一日中気分がふさぎこむ」「好きだったことに興味が持てなくなっている」「食欲がない」「不眠」といった症状がおおむね2週間以上続いている場合も注意が必要だという。
 気になる症状がある場合には、精神腫瘍医に診てもらうのが理想だが、その数は非常に少ない。清水医師はこう助言する。
 「地域のがん拠点病院にある相談支援センターで、近隣医療機関の精神腫瘍医、もしくはガン患者をよく診ている精神科医を紹介してもらってください」
 なお、日本サイコオンコロジー学会は登録精神腫瘍医制度を実施し、この秋から専門医をホームページなどで公表していく予定だ。

 ◇患者の悩みを一つでも解消する

 東京都医科歯科大学病院心身医療科科長の松島英介医師は、2008~09年に全国のがん患者や家族に対して「医療にそのようなサポートを求めているか」を探るインターネット調査を実施。回答には「うつ病までいかない状態でも、精神的な支援がほしい」という意見が目立った。松島医師はこう話す。
 「患者さんやご家族は、まず主治医に対してちょっとした気遣いや励ましを求めているのだと思います。窓口になるのは、やはり主治医。当院では『主治医ひとりでかかえきれないことは、みんなで分担して患者さんとご家族を支えましょう』と話しています」
 都内在住の主婦、遠藤聡子さん(仮名・40歳)は、今年の初めに乳がんであることが分かり、東京医科歯科大学病院で右乳房の全摘術を受けた。手術は無事に終了。がんがやや進行していたため、そのまま入院して抗がん剤治療を受けることになっていた。
 病室の遠藤さんは、昼間、夫や4歳の一人娘が見舞いに来ると楽しそうに過ごしている。ところが、夜になると一転して落ち込み、消灯時間が過ぎてもベッドに腰掛けたまま。「眠れていないのではないか」と心配した主治医にすすめられ、松島医師の外来を受診した。
 松島医師の前に座った遠藤さんは、「抗がん剤治療の副作用がその程度か」「乳房は本当に再建できるのか」と、次々不安を訴えた。最大の悩みは、娘に病気をどのように説明すればいいのかということ。
 「退院してから娘とお風呂に入ったときに、乳房がなくなった体を見せるべきなのかわかりません」
 と言って泣き出した。
 松島医師は遠藤さんの話にじっくり耳を傾ける一方で、主治医と相談しながら院内のさまざまな専門職に支援を依頼。遠藤さんは薬剤師から抗がん剤について詳しい説明を受け、看護師からは脱毛時のカツラなどの情報を教えてもらった。また乳房の債権に関する疑問は、形成外科医の話を聞くことで解消できた。さらに臨床心理士が「治療で乳房がなくなったことをわかりやすく説明した絵本があります。それをお嬢さんに見せて説明してみませんか」と助言すると、遠藤さんはほっとしていたという。
 松島医師はこう話す。
 「遠藤さんの悩みをすべて解決できたわけではありませんが、大事なのは問題を一つでも解決しようとすること。支援するのは医療者でも家族でもいいのです。たとえ解決できなかったとしても、『誰かが自分のために何かしてくれている』と感じられただけで、患者さんの苦しみは軽くなるのです」

[週刊朝日 2010年10月1日号より 記事・熊谷わこ]
ラジオ放送(がん統合医療シンポジウム)
本年9月30日に開催された第2回がん統合医療シンポジウム(がんとともに健やかに生きる)第2部の模様が下記のとおり放送されます。興味のある方は、お聞きになってください。

日時:平成22年11月29日(月)20時〜21時
放送局:FMラジオつくば(842MHz)
内容:「がん代替補完療法の現状と課題」(埼玉医科大学国際医療センター講師 大野智先生)
 
「抗がん剤 高騰への備えは?」
 日本ではすでに死因の第1位で、身近な病気となった、がん。このがんの治療費が高額になっている。とりわけ抗がん剤の高騰が目立つ。医療技術の高度化に伴い、最近開発されたものの中には1ヶ月の薬代が数十万円という例も珍しくない。高額化する薬剤費にわれわれはどう対応していけばいいのだろうか。

 茨城県に暮らす皆川さん(64)は7年前、血液がんの一種「慢性骨髄性白血病」と診断された。自覚症状など何もなく、人間ドックで突如見つかった。不安と絶望感でいっぱいの皆川さんに主治医は、「よく効く飲み薬ができたので、これで治していきましょう」と語りかけた。
 最初は「グリベッグ」という薬。吐き気などの副作用はあったものの、検査数値はぐんぐん改善した。今年3月からは新しく出た「スプリセル」という薬に変更。副作用も少なく、精密検査でも正常な状態まで回復した。薬は飲み続けなければならないが、今は町内会や患者会の活動で充実した日々を過ごしている。

 問題は重い医療費負担。グリベッグは1ヶ月の薬代が30万円強。スプリセルに至っては50万円を超える。皆川さんが加入している国民健康保険など公的医療保険では、かかった医療費の3割(70歳以上などは1割)を患者が負担する。3ヶ月分のスプリセルを受け取るとき、皆川さんが支払う額は50万以上にもなる。
 ただし、公的医療保険には患者負担の上限を定めている「高額療養費制度」がある。これによって一般的な所得の人であれば1カ月に支払う負担額は8万円程度に抑えられる。さらに皆川さんのように医療費が継続してかかる場合は、上限が4万4400円まで下がる。申請すれば、上限額を超えて支払った分は3ヶ月ほど後に還付される仕組みだ。
 皆川さんは「当座の3割負担分を用意するのは大変で、年金生活の身に4万円以上の負担もきついが、公的保険があったおかげで高い薬も使えて命がある。本当に感謝している」と語る。
 血液のがんに限らず、抗がん剤の高額化が顕著だ。特にここ数年増え始めた「分子標的薬」はその傾向がはっきりしている。分子生物学を駆使して開発される薬で、グリベッグもスプリセルも分子標的薬だ。1錠や注射1回で何千円、何万円もするものが相次いでおり、1カ月当たりの薬代が100万を超すこともある。(表)
 こうした状況は医療現場に影響を与えている。「お金がないから治療が受けられない」という患者が出てきているのだ。卵巣がん体験者の会スマイリーでは、「高額療養費制度があっても収入が少ないので払えない、当座の3割負担を工面できない、といった相談が増えている」(片木美穂代表)。
 岩手医科大学付属病院(盛岡市)でも「ここ1、2年がんの医療費に関する相談が目立つ」(医療福祉相談室の斎藤俊哉室長)という。相談室にはがん関連の相談が月70件ほどあるが、その8割が費用に関するものだ。

[日本経済新聞 2010年11月14日号より抜粋]
「がん患者のこころの痛み」
 治るケースも増えてきたがんだが、いまだ死を連想させる病気であることに変わりはない。人生設計を揺るがす一大事の中で、患者や家族は多くの不安を抱えることになる。しかし身体面の治療ばかりが重視され、こころの痛みにはほとんど目が向けられていないのが現状だ。

 都内の食品会社に勤める津田雄三さん(仮名・51歳)は、昨年4月の定期検診で右肺に影が見つかった。総合病院で精密検査を受けた結果、初期の肺がんであることが判明。担当医からはがん告知と同時に「手術をすればたぶん治るでしょう」と言われたものの、津田さんの頭の中は真っ白になり、どうやって家に帰ったのかも覚えていない。
 それからは「本当に治るのか」「前と変わらない生活ができるのか」といった疑問が次々にわき上がってきたが、担当医はいつも忙しそうで尋ねることができない。さらに、仕事や成人していない子どもたちの将来などにも不安が募り、次第に落ち込んでいった。
 その後、がんの手術は成功。術後の経過も問題なく、2週間後に退院したが、食欲は戻らず、眠れない日々が続く。
 そんな時、インターネットで情報を集めていた妻から、国立がんセンター中央病院(現・国立がん研究センター中央病院)にがん患者のこころのケアをしている精神腫瘍科があることを聞き、受診してみることに。副科長の清水研医師に診てもらったところ、うつ病になっていることがわかった。

 がん患者の精神面をサポートする精神腫瘍医(サイコオンコロジスト)の清水研医師はこう話す。
「がんになれば大抵の人は落ち込むし、なかにはうつ病になる人もいます。がんが死を連想させる病気である以上、こうした反応は当然のこと。自分が弱いせいではありません」
 ほとんどの人はがんであることを告げられたとたん大きなショックを受け、数日間は「何かの間違いだ」と否認しようとしたり、「何でおれが」と怒りを感じたり、絶望したりと、葛藤する。
 そこを抜けると不安や落ち込みが強くなり、不眠、食欲不振、集中できない、仕事が手につかないなど、いつもどおりの生活を送れない状態が続く。清水医師はこう話す。
「落ち込んでいるとがんが悪化するのではと心配する人もいますが、精神状態とがんの進行は関係がないことが分かっています。2週間くらいたつと、大半の人は現実を受け止め、『情報を集めて治療に専念しよう』などと前向きに考えられるようになります」
 なお、これは告知のケースだが、告知に限らず「治療がうまくいかない」「再発した」などの悪いニュースを聞くたびに患者は落ち込むことになる。その場合も、気分の上下を繰り返しながら何とか現実に順応し、乗り越えていくという。
 一方で津田さんのように落ち込みが長引き、「うつ病」(強い気持ちの落ち込み・抑うつ)や「適応障害」(うつ病よりは軽症だが、不安や抑うつが強い状態)といった、「こころの病気」になってしまう人も多い。がん患者の中でうつ病を発症している人は約5%、適応障害も合わせると20〜30%もの人が苦しんでいる。清水医師は言う。
「うつ病はカウンセリングや抗うつ剤の服用などの専門的な治療をすることで改善が望めます。逆に精神面の治療をしないと、本当は治る状態なのにがんの治療をしなくなるなど、数々の悪影響が出る。最悪の場合、自分を追い込んで、自殺にいたることもあります」
 津田さんは抗うつ剤の服用を続けながら、週に1回清水医師のカウンセリングを受けた。徐々に熟睡できるようになり、食欲も回復。半年後には復職し、元気に働いている。
 しかし、津田さんのように適切なケアを受けられるケースはほとんどない。
「こころの病気になっていることに本人は気づきにくい。がんばらなくてはと思い込んで、悩みを他人に伝えようとしない人も少なくありません」(清水医師)
 そこで国立がん研究センターでは、自分でストレスチェックできる方法を開発した。質問は「気持ちのつらさ」と「日常生活への支障」の程度を問う二つだけ。前者が4以上で、なおかつ後者が3以上の人は、ストレスをためこんでいる可能性が高い。
 同院では、患者にセルフチェックをしてもらい、該当者には精神腫瘍科への受診を呼びかける取り組みを始めている。また「一日中気分がふさぎこむ」「好きだったことに興味が持てなくなる」「食欲がない」「不眠」といった症状がおおむね2週間以上続いている場合も、注意が必要だという。
 気になる症状がある場合には、精神腫瘍いに診てもらうのが理想だが、その数は非常に少ない。清水医師はこう助言する。
「地域のがん拠点病院にある相談支援センターで、近隣医療機関の精神腫瘍医、もしくはがん患者をよく診ている精神科医を紹介してもらってください」
 なお、日本サイコオンコロジー学会は登録精神腫瘍医制度を実施し、この秋から専門医をホームページなどで公表していく予定だ。

 東京医科歯科大学病院心身医療科科長の松島英介医師は、2008〜09年に全国のがん患者や家族に対して「医療にどのようなサポートを求めているか」を探るインターネット調査を実施。回答には「うつ病までいかない状態でも、精神的な支援がほしい」という意見が目立った。松島医師はこう話す。
「患者さんやご家族はまず主治医に対してちょっとした気遣いや励ましを求めているのだと思います。窓口になるのはやはり主治医。当院では『主治医ひとりでかかえきれないことは、みんなで分担して患者さんとご家族を支えましょう』と話しています」
 都内在住の主婦、遠藤聡子さん(仮名・40歳)は、今年の初めに乳がんであることがわかり、東京医科歯科大学病院で右乳房の全摘術を受けた。手術無事に終了。がんがやや進行していたため、そのまま入院して抗がん剤治療を受けることになっていた。
 病室の遠藤さんは、昼間、夫や4歳の一人娘が見舞いに来ると楽しそうに過ごしている。ところが、夜になると一転して落ち込み、消灯時間が過ぎてもベッドに腰掛けたまま。「眠れていないのではないか」と心配した主治医にすすめられ、松島医師の外来を受診した。
 松島医師の前に座った遠藤さんは、「抗がん剤治療の副作用はどの程度か」「乳房は本当に再建できるのか」と、次々不安を訴えた。最大の悩みは、娘に病気をどのように説明すればいいのかということ。
「退院してから娘とお風呂に入ったときに、乳房がなくなった体を見せるべきなのかわかりません」
と言って泣き出した。
 松島医師は遠藤さんの話にじっくり耳を傾ける一方で、主治医と相談しながら院内のさまざまな専門職に支援を依頼。遠藤さんは薬剤師から抗がん剤について詳しい説明を受け、看護師からは脱毛時のカツラなどの情報を教えてもらった。また、乳房の再建に関する疑問は、形成外科医の話を聞くことで解消できた。さらに、臨床心理士が「治療で乳房がなくなったことをわかりやすく説明した絵本があります。それをお嬢さんに見せて説明してみませんか」と助言すると、遠藤さんはほっとしていたという。
 松島医師はこう話す。
「遠藤さんの悩みをすべて解決できたわけではありませんが、大事なのは問題を一つでも解決しようとすること。支援するのは医療者でも家族でもいいのです。たとえ解決できなかったとしても『誰かが自分のために何かしてくれている』と感じられただけで、患者さんの苦しみは軽くなるのです」

[週刊朝日2010年10月1日号「知って得する!新・名医の最新治療Vol.150」より]
「告知のしかたや態度、医師も努力が必要」
 告知率があがり、がんの情報が公開される流れのなか、ストレスを抱える患者、そして情報を伝える側の医師はどう行動すればいいのか。
 1995年に国立がんセンター(当時)で精神腫瘍科を立ち上げ、がん患者の抑うつ対策プログラムにかかわってきた内富庸介医師(現・岡山大大学院教授)に聞いた。

「告知のしかたや態度、医師も努力が必要」
 内富庸介(岡山大学大学院精神神経病態学講座教授)

 がんであるという悪い知らせを聞いたときから、患者さんの苦しみは始まります。時間の経過とともに乗り越えていく人がいる一方で、うつ病を発症する人も多い。年間3万件を超える自殺の原因はトップが健康問題で、その中にはがんの患者さんが多数含まれていることは明らかです。告知後半年から1年は危険な時期で、とくに容貌や「話す」「食べる」といった機能が損なわれやすい頭頸部のがんや、治りにくいがんの人は自殺率が高いことがわかっています。
 つらい状況を上手に乗り越えていくには、身近な人に気持ちを打ち明け、支援者になってもらうこと。そして主治医などの力を借りながら情報を整理することです。正確な情報が得られれば「不要な不安」を減らして希望のある見通しを持つことができますし、治療や今後の生き方を選択しやすくなるでしょう。
 また、がん告知をはじめとする、人生の計画を根底から覆すような悪い知らせが、お粗末な状況で伝えられているというのも大問題です。カーテン一枚で隔てられた外来の診察室で、忙しそうな医師に短時間で機械的に伝えられれば、誰だって不安になるでしょう。
 そこで、06年に当時私が在籍していた国立がんセンターが中心になって「悪いニュースを伝えるときの手順」をまとめました。患者のショックを和らげるために医師はどんな環境でどんな態度、伝え方を心がけるべきなのか、日本の病院の実情や日本人の考え方に沿った方法になっていると思います。
 現在はがん告知の機会が多い外科医など、たくさんの医療者に実践してもらうべく、全国で実習を含めた講習会を開いています。
 悪い知らせを上手に伝えるというのは、こころのケアの第一歩。医師の伝え方一つで患者さんのこころに深い傷を残すこともあるし、安心と希望をもたらすこともできます。課題は山積みですが、医療も少しずつ患者さんのこころの痛みに向き合う努力を始めています。

[週刊朝日2010年10月1日号「名医のセカンドオピニオン」より]
「主治医に会えない不安を病気になって初めて知る」
「主治医に会えない不安を病気になって初めて知る」

 がん治療医◇加藤大基

 仰向けに寝ていると、胸のあたりに妙な圧迫感を感じる。定期健診のつもりで胸部レントゲンを撮ったら、左の胸に1cmほどの丸い影が映っていました。最初は何かの間違いではないか、自分のではなく他人のフィルムなのではないか、などと疑ったりもしましたが、再度撮っても同じ影があり、「これは大変だ」と。そこで、以前勤めていた東大病院で精査をしました。
 その結果、肺以外への転移はないとわかり、左胸の下葉切除とリンパ節郭清という大掛かりな手術を受けました。診断は肺がんのステージ?A。術後の抗がん剤や放射線治療の効果が証明されていないため、手術だけで終わりました。
 手術から4年。今のところ再発はありません。あと1年で、一応再発の心配がないとされる5年が経ちますが、今でも検査の直前直後は非常に不安です。術後半年間くらいは「すぐ再発するのでは」とうだうだ考えたり、肺がんの?Aの情報だけをかき集めたりしていました。でも結局はだれが再発するか、どんな名医にもわからない。がんで死ななくても人は必ず死ぬのだから、いくら考えても仕方がない。時間の徒労だと割り切るようになりました。

 《この病気になってから人生の速度が速まった》
 ただ、「人生の終焉は意外に早いのかもしれない」という焦りのようなものはあります。2007年に結婚し、2歳になる子どもがいますが、がんになってから人生の速度が速くなったことは確かです。
 患者になってみて、意外と「がん」という言葉に抵抗感があることに驚きました。がんは「不治の病」を連想させるだけでなく、「社会のがん」といったように、ネガティブイメージが付きまとう。そういう言葉を自分に使うのは抵抗があり、人に自分の病気について話すときは「この病気」や「adenocarcinoma(腺がん)」などと言っていました。
 こういう病気になると、やっぱり孤独感が強まる。医療者が顔を見せるだけでも、患者の気持ちが落ち着くことに気づきました。回診時に患者が検査などでいないとき、医者はカルテや看護記録を見て、「今日は元気そうだから、まあいいか」と思いがちです。でも自分が入院してみて、たまたま回診時にベッドにおらず、一日主治医に会えないと何となく不安で。難しい話をしなくても直接会って声をかけ、「気にかけている」という姿勢を患者に伝えることが重要だと実感しました。
 ひとくくりにがんといっても、場所や進行度はさまざまで、治療法も千差万別。自分が患者になって、患者の気持ちがわかるようになったというより、「少ししかわかっていない」ことを自覚し、治療に臨むようになりました。

〈かとう・だいき○1971年生まれ。東京大学医学部卒。東大病院、国立国際医療センターなどを経て、帝京大学医学部付属病院に勤務。〉

[週刊東洋経済10月30日号「特集がん完全解明」より]

我慢強いがん患者の心 「表現」で解放してほしい
「我慢強いがん患者の心 『表現』で解放してほしい」

 写真家◇荒 多恵子

 手術から6年、今でも右脇から胸にかけて痛みがあります。
混雑する時間帯の電車は避け、荷物も左に持つ。パッと見は元気な人に見えるから、自分で自分を守るクセがつきました。
 乳がんがわかる少し前、右の乳頭が引っ張られる感じで、変な鈍痛がありました。その数年前に乳腺症で患部の近くを切り、1年に1回は検査をしていて。痛みを感じた当初は「そのときのしこりかな」と不安をかき消していたけど、やっぱりおかしい。もしがんなら命にかかわるからと、毎年受けていた検査をいつもより早めに受けました。
 すぐに主治医から「たぶん間違いない」と告げられました。取り除かなければ死に至る。だから、手術は受けるとしても、あとはどう切るか。乳頭の真後ろにがんがあって「乳頭は残せない」と言われ、納得できずに「セカンドオピニオンを受けたい」と申し出ました。手術を決意するまでは、とにかく自分を納得させるのが大変で。ネットで「セカンドオピニオン」というものを知り、3カ所の病院を回りました。最終的には検査を受けた病院で、再発の危険性が低い右乳房全摘術を受けました。
 手術の結果、リンパ節への転移はなく、ホルモン治療が始まりました。リュープロレリンの注射を術後5年間受け、さらにタモキシフェンを毎日1回、今も飲み続けています。腕が少ししか上がらず、2年間はリハビリで通院しました。

 《写真を撮ることで自分と向き合えた》
 手術の直後は、生還できたという喜びがあったけれど、治療が始まってからは副作用のうつ症状に苦しみました。お風呂の鏡で、傷があらわになる。「なぜこんなことになってしまったのか」と自分を追い詰め、お風呂の中でよく泣いていました。
 写真をたくさん撮るようになったのはその頃です。写真は1995年から趣味で撮っていて、がんが判明した頃はちょうど自分が感じたものを撮って個展を開きたいと考えていました。写真で今の自分を残しておけば、後から「これが一番の底だ」と確認できる。それに写真を撮るには、搾りや露出をどうするかなど、対象を客観的に見ることが必要になる。つらいときでも自分と向き合えたのは写真のおかげ。つらい気持ちを形にすることで、自分の中にあるマイナスのものを外に出すことができたんです。
 がん患者とその家族を対象とした絵画・写真コンテスト「リリー・オンコロジー・オン・キャンバス」(日本イーライリリー主催)の広報大使を引き受けたのは、患者を救う道しるべになると思ったから。がん患者って我慢強いと思います。治療でつらくても周囲に心配をかけまいと、弱音は吐かない。家族もどこまで踏み込んでいいかわからない。患者は自分で自分の心を開放していかないと、精神的に追い詰められてしまう。そんなとき、「表現」をすることが心の解放につながると思っています。

〈あら・たえこ○1963年東京生まれ。2000年日本写真家協会展銅賞受賞。以後写真家として活動。来年2月熱海市起雲閣で個展開催予定。〉

[週刊東洋経済10月30日号「特集がん完全解明」より]
 
主ながんの治療費
(3割負担の場合・概算)
【疾患名】 【治療・検査名】 【概算】
脳腫瘍 開頭術 50〜60万円
脳腫瘍 定位放射線治療 20〜25万円
肺がん 肺切除術 30〜40万円
肺がん 放射線治療 25〜30万円
食道がん 食道切除術※ 55〜60万円
胃がん 内視鏡治療(ESD) 7〜8万円
胃がん 胃全摘手術 40〜50万円
結腸がん 内視鏡治療 8〜10万円
結腸がん 開腹手術 30〜35万円
結腸がん 腹腔鏡手術 30〜35万円
直腸がん 内視鏡治療 10〜13万円
直腸がん 直腸切除術 45〜60万円
直腸がん 腹腔鏡手術 30万円
肝がん ラジオ波焼灼術 4万5千円
肝がん 肝切除術 30〜40万円
乳がん 乳房温存術 25〜35万円
乳がん 乳房全摘術 25〜35万円
子宮頸がん 子宮円錐切除術 6万円
子宮頸がん 子宮全摘術 30〜35万円
子宮頸がん 化学放射線療法 50万円
子宮頸がん 密封小線源治療 4万5千円
子宮体がん 子宮部分切除 25〜30万円
子宮体がん 子宮全摘術 30〜40万円
卵巣がん 卵巣腫瘍摘出術 20〜25万円
前立腺がん 開腹手術 25〜40万円
前立腺がん 密封小線源治療 35〜40万円

※…食道再建を伴うもの

[週刊文春 2010年10月28日号より]

スピリチュアルケア講演会の献立紹介
10月16日(土)の14時半から有機野菜カフェ『つくばCASA』において『スピリチュアルケア講演会』を開催しました。当日はがん患者・体験者を中心に24名の方が参加し、石川由香先生のお話を聞きました。先生の不思議な体験をもとに、『生きることの意義』『病気の意味』『死ぬことの意味』のついてそれぞれの方が色々な気づきを得ることができた充実した時間を共有することができました。当日は、自家製の軽食とハーブティーを皆さんにお出ししました。

<ゲルソン療法実践者の方向けのメニュー>
 全粒粉のスコーン(有機カボチャと栗、豆乳、天然ココナツオイル入り)メープルシロップがけ
 タンポポコーヒー(ブラック)

<一般の方向けのメニュー>
 全粒粉のスコーン(有機カボチャと栗、牛乳、バター入り)メープルシロップがけ
 タンポポコーヒー(カフェオレ)


好評だったので、レシピを紹介します。

<スコーン>
 (1)ふるいにかけた全粒粉の小麦(薄力粉でも可)200gとベーキングパウダー大さじ1杯を
    ボールに移し、冷蔵庫で冷やしておく。
 (2)(1)に冷やして固め1cm角に切ったココナツオイル(無塩バターでも可)100gを加え、
    カード(プラスチック製の薄い板、フォーク代用でも可)で粉をまぶしながら
    ココナツオイルをつぶしていく。
 (3)ココナツオイルの粒があずきくらいの大きさになったら、指の腹でかるくこすり合わせて
    つぶし、粉チーズのようなさらさらの状態にする。
 (4)ボールにラップをかけて冷蔵庫で30分ほど置く。
 (5)生地に冷やした豆乳(牛乳でも可)50mlを少しずつ加え、カードで切るようにして混ぜ合わ    せる。
 (6)予め蒸して裏ごしし、冷やしておいたカボチャと茹でて5mm角に切った栗を加え、残りの
    豆乳(30ml〜50ml)を加えてカードで切るようにひとまとめにする。
 (7)親指のつけ根のふくらんだ部分を生地にギュッと押し付けるようにして、生地が滑らかに
    なるまで、4〜5回こね、球状にまとめる。
 (8)打ち粉をふったまな板に(7)の生地を乗せ、打ち粉をふってめん棒で厚さ1.5cmくらい
    にのばす。
 (9)コップの口に打ち粉をまぶし、生地に押しつけて丸く型を抜く。余った生地はひとまとめ
    にし、同じ要領でめん棒でのばして、コップで抜く。計8〜10個用意する。
    (この段階ですぐ焼かないで、冷凍庫に保存して後日焼くことも可能)
(10)オーブンの中段にクッキングシートを敷いた天板をいれ、200℃に予熱しておき、その上
    に型抜いた生地を置き、200℃15分焼く。温かいうちにいただく。

<タンポポコーヒー>
 (1)生活の木(ハーブメーカー)で購入した『ダンディライオン』(西洋タンポポの干した根)
    をフライパンでコーヒー豆と同じくらい褐色になるまで煎る
 (2)お茶パックに入れて少量の水とともに煮出す。
 (3)そのままか、同量の温めた牛乳を加えてカップに移して飲む

 *タンポポの根は、利尿作用や胆汁分泌促進作用があり、デトックスに適しています!
本音で語り合える『がん患者サロン』(新聞記事)
 病院の待合室で患者同士話していると、再発の不安や医療への疑問が口をついて出る。膀胱と腎臓のひとつを摘出した島根県益田市の納賀良一さん(73)は、そんな経験から「がん患者が語り合える場があれば」と思った。
 「がん患者サロン」と名付けて、地元の新聞で呼びかけると、20人ほどが集まった。参加した患者は順に再発や転移の不安を訴えた。その中で、暗い顔をした50歳代の男性は、「白血病でいつ死ぬかわからない。骨髄移植のドナーも見つからない」と言って泣き出した。たまっていた思いをはき出したためか、この男性は会の終わりに、すっきりした表情で「みんなでがんばりましょう」と口にした。
 「患者同士話をするだけで、こんなに明るい気持ちが切り替わるのか」と納賀さんは驚き、サロンの意義を確信した。2005年に月1回で始めたサロンは、翌年には、市の福祉センターから益田赤十字病院に場所を移し、「ほっとサロン益田」として毎週開かれるようになった。
 このころから、島根県内各地でがん患者による新しい患者支援の場として「がん患者サロン」が続々と誕生し、現在は25か所になった。開催頻度は週1回から月1、2回までさまざまだ。
 出雲市の島根大病院など二つのサロンにかかわる小林貴美子さん(61)は、卵巣、大腸、乳がんを乗り越えた。「がん患者の心境はがん患者にならないとわかりません。家族がいても、孤立感を感じることがありますが、サロンには同じ病気を抱える仲間がいます。ほっとできます。」という。話し合うことで情報も得られる。
 サロンが広がる中で、運営上のルールも自然に整ってきた。名前や病状は必ずしも尋ねないし、自分を語らなくても人の話を聞くだけでもかまわない。
 益田のサロンに通う佐々木孝子さん(59)は膀胱がんの夫を一昨年亡くした。
 「家では当たり障りのないことしか言わないのに、サロンでは『がんはしかたがないが、一家の大黒柱が家族を支えられないのがつらい』なんて本音が出るので、夫の気持ちが知りたくて一緒に参加していました」と言う。今も遺族の思いを語るために、サロンにやってくる。
 島根県では、06年に全国で初めて「がん対策推進条例」ができ、行政や医療機関が患者の動きを後押しする。こうした、「島根モデル」の患者サロンは全国に広がり始めている。

<讀賣新聞2010年9月9日号より>
スピリチュアルケア講演会のご案内
<スピリチュアルケアについて>

あなたが、がんの治療中であったり、治療が終わった後社会や家庭に復帰して、再発がないかを病院で定期的にチェックしているとしたら、心のどこかでいつも「こわい」「つらい」「くやしい」「無念だ」など後ろ向きの感情がつきまとっている(進行がんの方は渦巻いている)のではないでしょうか? それらの感情は、健康に生きるために最も大切な「心の平安」と「心の豊かさ」の妨げになります。それらの感情を掘り下げてみると、
  
感情 深層心理
こわい 死んだら何も残らない。死ぬ時はきっと苦しい。
つらい 死んだら大切な家族にもう会えないんじゃないか。
くやしい 自分だけなぜこんな苦しい目に会わなければいけないのか。
無念だ 自分はもっと生きてやり残したいことがあるのに。
   
などの心の深いところに根付いている不健全な気持ち(深層心理)が大きく影響していることがわかります。「スピリチュアルケア」は「健全な死生観」を育むことによってこれらの気持ちを和らげたり、癒したり、解消して心の平安を取り戻すことができます。また、「生まれてきた意味」「生きている意味」「死ぬことの意味」を理解することにより、たとえがんであっても前向きな気持ちで心豊かな生活を送ることができるようになります。

本講演会は、スピリチュアルケアの理解を深めるために、横浜より石川由香先生にお出でいただき
企画しました。どなたでも参加できますので、本HPの「お問合せ」メールを利用して予約ください。

<講演会について>

日時:平成22年10月16日(土)14:30〜16:30
   場所:つくばCASA(10月のつくばがんサロンの中でお話いただきます)
   演者: 石川由香さん
参加費:500円
     
<演者の経歴>
昭和39年生まれ(46才)、横浜市在住。会社勤務後17年前に結婚し育児に専念。グリーンハイツ歯科(東京目黒)の田中  先生の下でキネシソロジー(運動機能学)を勉強し、子育てが終わった6年前に自宅で開業。ロミロミマッサージ(ハワイの伝統的オイルマッサージ)やリンパティックケア、ストレッチ、ツボ押しなどを組み合わせた施術をしている。
3年前より、感性が向上して患者さんの過去生が見えるようになり、施術の傍らで、人間関係や仕事、子育てなどの悩みを抱えている人にカウンセリングをして、本人や家族などの過去生の観点からアドバイスして、気づきや癒しを与えている。
がん統合医療シンポジウム新聞に掲載されました
9月20日に開催された『第2回がん統合医療シンポジウム』の模様が9月26日の常陽新聞に掲載されました。実際の記事は下記をクリックしてご覧ください(講師の写真の名前が新聞社のミスで入れ替わっています)。
第2回がん統合医療シンポジウムのご報告
昨日9月20日(祝)14時よりつくば国際会議場中ホール300において『第2回がん統合医療シンポジウム〜がんとともに健やかに生きる〜』が開催されました。当日は、県外(*)も含め全国から216名の方が参加されました。第1部の『栄養と心のケアの取り組み』と第2部『がん補完代替医療の現状と課題』の講演と質疑応答を含め予定時間を超えた17時過ぎに盛況のうちに閉会となりました。当日は、常陽新聞、ラヂオつくば、つくばケーブルテレビ(ACCS)から取材を受けましたので、後日その模様はそれぞれのメディアで報道される予定です。

(*)東京都、神奈川県、長野県、岐阜県、福岡県、宮城県、埼玉県、栃木県、千葉県

参加できない方、ラジオかDVDでどうぞ
9月20日開催の『第2回がん統合医療シンポジウム〜がんとともに健やかに生きる〜』は、当日にラヂオつくばで収録され、後日放送されます。また、会場にテレビカメラが入り、講演の模様が録画されます。後日DVD化して、希望される方に頒布いたします。当日参加できない方も後日お楽しみください。

シンポジウムいよいよ明後日です
「第2回がん統合医療シンポジウム〜がんとともに健やかに生きる〜」の開催が明後日となりました。
事務所は明日から休みになりますので、電話での予約は今日中にお願いします。なお、まだ席は若干残っていますので、当日に予約なしでいらっしゃっても参加いただけると思います。
関東各県から参加される皆さまもどうぞお気をつけてお出でください。
第2回がん統合医療シンポジウムポスター掲載
9月20日(祝)開催の『第2回がん統合医療シンポジウム』のポスターを掲載します。

シンポジウム参加者へのサポート
9月20日(祝)に開催される『第2回がん統合医療シンポジウム』に参加いただくがん患者・体験者とその家族の皆さんには、講演の聴講以外に下記のサポートが受けられるよう準備中です。積極的にご利用おいただき、今後の治療・療養にお役立ていただければ幸いです。

(1)厚生労働省助成金事業「がんの代替医療の科学的検証」班編集の『がんの補完代替医療ガイドブック』の最新版を全員に差し上げます。
(2)当日『ラポールの会(がん体験者とその家族の会)』に入会できます(年会費1800円)。
(3)当日『つくばがんサロン』の参加予約ができます。
(4)当日『がん健康相談(無料)』の予約ができます(12家族限定)。
(5)当日『がん友メーリングリスト』参加申込みができます。
   (今後会員間でがんと健康の様々な情報を共有していきます)

FMラヂオつくばに生出演します
9月13日(月)にFMラヂオつくばに生出演して、NPOの活動内容やシンポジウムについてお話をさせていただくことになりました。お時間のある方は是非聞いてください。

日時:9月13日(月)11:30〜11:45
ラジオ:FMラヂオつくば(842MHz)
番組名:パーソナルインタビュー

がん統合医療シンポジウムラジオでも紹介されます!
9月20日(敬老の日)に開催される第2回がん統合医療シンポジウムが『茨城放送』『ラヂオつくば』でも紹介されることになりました。



がん統合医療シンポジウム申込み200名になりました!
9月20日の『第2回がん統合医療シンポジウム〜がんとともに健やかに生きる〜』の開催まであと2週間となりました。おかげさまで予約申込みは順調で本日で200名となりました。これから、朝日新聞や茨城新聞でも紹介されますので、予約数が急増することが予想されます。定員の300名になりましたら予約を打ち切りますので、参加をご希望の方はお早めにお申込みください。よろしくお願いします。



がん統合医療シンポジウム申込み60名です
9月20日に開催予定の「第2回がん統合医療シンポジウム〜がんとともに健やかに生きる〜」の申し込み者は現在のところ60名です。9月初旬には地元新聞や朝日新聞で紹介され、申込者が増えることが予想されますので、参加をご希望の方は早目にお申込みください。

<申込み方法>

 電話:050-1417-5964(NPO緑の風事務所)
 FAX:029-843-3061
メール:本ホームページの『お問合せ』
いずれかで、氏名と連絡先(電話番号)をお知らせください。

「がん統合医療シンポジウム」が新聞で紹介されました
9月20日開催予定の「第2回がん統合医療シンポジウム(がんとともに健やかに生きる)」が8月18日発行の「健康産業新聞」と8月22日発行の「常陽新聞」に紹介されました。これから、「常陽ウィークリー」(9月3日)、「常陽リビング」(9月4日)、朝日新聞マリオン茨城版(9月7日)と順次紹介される予定です。

第2回がん統合医療シンポジウム「がんとともに健やかに生きる」
9月20日につくば国際会議場において「第2回がん統合医療シンポジウム」を開催します。今年の後援者である埼玉医大国際医療センターの大野智先生は、厚生労働省助成金事業「がんの代替医療の科学的検証に関する研究」斑の中心メンバーとして活躍されている先生です。現在日本で取り組まれている「がんの補完代替医療」の最前線についてわかりやすくお話いただけます。
興味のある方は、下記の申込み先で予約してください。

日時:9月20日(敬老の日)13時半開場、14時〜16時半

会場:つくば国際会議場 3階中ホール300

定員:300名(予約先着順)

参加費:1,000円

申込み:HPの問合せに氏名と電話番号を記入し送信又はNPO(050-1417-5964)に直接電話下さい

内容:今や日本人の2人に1人はがんになり、3人に1人はがんで死亡する時代です。がんを不治の病として後ろ向きに捉えるのではなく、自分の生活習慣や生き方・考え方をもう1度見直し、家族とともに健康に生きるきっかけにするという前向きな姿勢で、自然治癒力を高めながら治療に取り組むことが重要です。本シンポジウムは、自然治癒力を高めることを目的としたがん発症・再発の予防法や3大療法を補完する治療法についてわかりやすくお話します。

第1部 栄養と心のケアを中心とした取り組み
    (野本篤志 NPO法人緑の風ヘルスサポートジャパン代表理事 薬学博士)

第2部 がん補完代替療法の現状と課題
    (大野智 埼玉医科大学国際医療センター専任講師 医学博士)

主催:NPO法人緑の風ヘルスサポートジャパン

共催:ラポールの会(がん体験者とその家族の会)

後援:NPO法人がんコントロール協会(アメリカ癌コントロール協会日本支部)
   NPO法人統合医療と健康を考える会
   健康産業新聞
   茨城新聞
   常陽新聞
   常陽リビング
   つくばコミュニティ放送株式会社(ラヂオつくば)
   筑波大学大学院人間総合科学科宗像恒次教室(がんSAT療法の研究)

SAT療法学びませんか?(?)
8月度の「つくばがんサロン」では、前回に引き続きSAT療法を紹介します。SAT療法は、筑波大学宗像恒次教授が開発した、がん患者のための心理療法です。宗像先生は、常陽リビング5月24日号の表紙でもにも紹介されました。

常陽リビングの記事を見たい方はここ
をクリックしてください。

当日は、公認カウンセラーの先生に来ていただいてSAT療法についてわかりやすくお話いただけます。興味のある方は、このHPの問合せまたは、ラポールの会事務局(059−1417-5964)までお電話ください。

 日時:8月21日(土)午後2時半〜午後4時半
 会場:つくばCASA(土浦市中村西12-1 東大通り沿い乙戸沼公園北隣)
 内容:SAT療法の紹介
    フリートークなど
 参加費:500円(ハーブティー、ゲルソン軽食付)
 問い合わせ先:ラポールの会(050-1417-5964)
「SAT療法勉強会」の報告
昨日は21名の方に参加いただいて「つくばがんサロン」でSAT療法の勉強会を
開催できました。公認カウンセラーの山口先生から「自分の気質チェックリスト」
「苦手相手のチェックリスト」「ヒューマンリレーションスキルシート」を使って
自分の気質(考え方のくせ)の確認や苦手な相手といかにストレスを減らして
付き合うかなどを学びました。また、2名の方が、個別カウンセリングの予約を
されました。
次回は8月21日(土)14時半から同じくつくばCASAにて第2回目の
「SAT療法を学ぼう!」を開催します。更に多くの方にSAT療法を知って
いただきたいと考えています。参加希望の方トップページ『お問合せ』
にて予約ご予約ください。
SAT療法を学びませんか?
7月度の「つくばがんサロン」は、SAT療法を紹介します。SAT療法は、筑波大学宗像恒次教授が開発した、がん患者のための心理療法です。宗像先生は、常陽リビング5月24日号の表紙でもにも紹介されました。

常陽リビングの記事を見たい方はここ
をクリックしてください。

当日は、公認カウンセラーの先生に来ていただいてSAT療法についてわかりやすくお話いただけます。興味のある方は、このHPの問合せまたは、ラポールの会事務局(059−1417-5964)までお電話ください。

 日時:7月17日(土)午後2時半〜午後4時半
 会場:つくばCASA(土浦市中村西12-1 東大通り沿い乙戸沼公園北隣)
 内容:SAT療法の紹介
    フリートークなど
 参加費:500円(ハーブティー、ゲルソン軽食付)
 問い合わせ先:ラポールの会(050-1417-5964)

「健全な死生観」を学びませんか?
下記のとおり6月度の「つくばがんサロン」を開催します。今月のテーマは「死生観」です。健全な死生観を持つことは、がん患者が心の平静を保ち、前向きに治療に取り組んでいくためにとても重要です。どなたでも参加できますので是非ご参加ください。

 日時:6月26日(土)午後2時半〜午後4時半
 会場:つくばCASA(土浦市中村西12-1 東大通り沿い乙戸沼公園北隣)
 内容:がん心理療法のDVD鑑賞(死生観)
    フリートークなど
 参加費:500円(ハーブティー、ゲルソン軽食付)
 問い合わせ先:ラポールの会(050-1417-5964)

<参考>毎日新聞連載記事より

Dr.中川のがんから死生をみつめる:/57 「多死社会」に向けて
 私が医師になって、四半世紀がたちました。しかし、この間、がん治療のあり方に根本的な変化は見られません。新しい薬物や技術が次々と開発されていますから、延命は可能になりましたが、たとえば、転移したがんが完治する可能性は、今も昔も変わらずに乏しいと言わざるを得ません。

 むしろ、変わったのは、医師と患者の関係や告知のあり方です。昔は「お医者さまにお任せします」でしたが、今は「患者さまが決めてください」です。また、以前は、「がん」という病名すら告げませんでしたが、今は「治療法はもうありません。余命は3カ月です」などと告知されるようになりました。日本人が望む「ピンピンコロリ」ではなく、「ゆるやかで、余命まで予測される死」に、日本人は直面することになったのです。

 年間の死亡数は、現在の約115万人から、今後30年で、180万人に達します。日本はこれから「多死社会」を迎えるのです。その一方、日本人はますます死から遠ざかっていると言えます。核家族化や病院死が進み「死の予習」は難しくなりました。また、世界的にはまだ「死に支え」となっている宗教の力に頼れる人は、日本人には多くはありません。私たちは「素手」で、「新しい死」に立ち向かわなければならなくなりました。現代の日本人は、「死の恐怖のフロントランナー」だと言えるでしょう。

 しかし、私たちにもできることがあります。それは、恐怖の対象である死を知ることです。今日、新著「死を忘れた日本人」(朝日出版社、1575円)が全国の書店に並びます。宇宙と私たちはどうつながっているのか、時間とは何か、なぜ人生は短いと感じるのか、なぜ私たちに寿命があるのか、なぜ人間だけが死を恐れるのか。この本では、この連載で取り上げてきた、死にまつわるさまざまな問題を考えています。

 もちろん、「死を知る」ことだけで、死の恐怖がなくなるわけではありません。しかし、幽霊が「枯れ尾花」に見えてくることもあるはずです。この本が、「多死社会」に向ける私たち日本人の羅針盤になればと思います。(中川恵一・東京大付属病院准教授、緩和ケア診療部長)
5月度つくばがんサロンのご案内
下記のとおり5月度の「つくばがんサロン」を開催します。どなたでも参加できますので是非ご連絡ください。

 日時:5月15日(土)午後2時半〜午後4時半
 会場:つくばCASA(土浦市中村西12-1 東大通り沿い乙戸沼公園北隣)
 内容:がん心理療法のDVD鑑賞(ストレスと病気の恩恵)
    フリートークなど
 参加費:500円(ハーブティー、ゲルソン軽食付)
 問い合わせ先:ラポールの会(050-1417-5964)

つくばがんサロンのご紹介
2月20日(土)に開催された『第4回つくばがんサロン』についてご紹介します。
当日はがん患者、がん体験者やその家族・遺族ら14名が参加し、がん心理療法(イメージ療法)のDVDを鑑賞した後で、主宰者手製の軽食とハーブティー(添付資料)を楽しみながら、思い思いに話しをしました。一人の参加者の方から、感想をいただきましたので、本人了解のもと掲載させていただきます。まだ参加されていない方にも様子がわかっていただけると思います。
次回は3月20日(土)14時半より、土浦市中村(乙戸沼公園北隣)レストランナチュールにて開催されます。あなたもよろしかったらご参加ください。

<つくばがんサロンに参加して>
 土曜日はつくばがんサロンに参加できて良かったです。自己治癒力について再確認できました。やっていることの意味を確認できる場があること、有難いといつも思っています。同じ仲間がいて話ができ、楽しかったです。頑張ろうと自然に思えました。
 野本さんの『ありがとうの話』はとても良かったです。私はお風呂の中で一日の出来事を思い出して「ありがとう」を言っています。気持ちも楽になり、顔も穏やかな表情になり、全てを優しさで包み込めるような気持ちにまでなります。また、言葉の波動についても勉強になりました。毎日マッサージしているのですが、土曜日からは「ありがとう」と自分の体に言いながらやっています。今まで酷使していたのに自分の体にありがとうもなかったことが不思議です。
 これからはできる限り参加したいと思っています。Sさんから電話もあり、友達ができて嬉しいです。Sさんに出会えたこともとても心強く思えます。土曜日はとても気分良く帰ってきました。ラポールの会に感謝しています。とても嬉しかったのでメールしました。
 
 
『ラポールの会日帰り温泉ツアー』が新聞で紹介されました!
1月24日(日)に開催されたラポールの会主催『第1回日帰り温泉ツアー』が2月1日の常陽新聞で取り上げられました(添付の記事参照)。第2回、第3回をそれぞれ、2月28日(日)と3月28日(日)に予定しています。がん患者、がん体験者の方は、ラポール会員以外でも参加可能です。興味のある方は、ご連絡ください(050−1417−5964ラポールの会または、090−4548−2046野本午後3時以降)。
『仲間と集うがん体験者サロン』が新聞で紹介されました!
ラポールの会で主宰している『仲間と集うがん体験者サロン』が常陽新聞12月25日号で大きく紹介されました。下記に記事を掲載しますのでご覧ください。
なお、1月は下記のとおり開催します。参加希望者は、電話(090-4548-2046 野本:午後3時以降)
または、このホームページの『お問合せ』よりお申込みください。

日時:1月16日(土)午後2時半〜午後4時半
会場:カフェナチュール(旧レストランナチュール:土浦市中村西12−1)
内容:がん心理療法のDVD視聴とお茶と軽食を摂りながらフリートークなど
1月のメニュー:豆乳ブラマンジェの黒蜜かけ、ゲルソンパン、インフルエンザ予防ハーブティー
会費:500円
参加資格:だれでも参加可能
参加人数:20名(予約制)
『12月度がん体験者サロン』取材受けます
12月19日(土)に開催される『仲間と集うがん体験者サロン』が地元紙の常陽新聞の取材を受けることになりました。掲載されましたら、お知らせします。
FMラジオつくば2時間特別スペシャル!!
12月13日(日)に開催された『がん克服のための統合医療セミナー(2)治療・療養編』が下記のとおり、FMラジオつくばにおいて2時間スペシャルで放送されます。当日参加できなかった、がん患者・がん体験者とその家族の方は、下記のテキストをご覧になりながら是非聴講ください。

 日時:12月23日(祝)午後2時〜午後4時
 放送局:FMラジオつくば(842MHz)
 講師:野本篤志(薬学博士、NPO緑の風ヘルスサポートジャパン代表理事、
がん体験者とその家族の会;ラポールの会代表)

『12月度がん体験者サロン』予約締め切りました
12月19日(土)の14時半〜16時半に、ベジ&カフェ ナチュールで開催される『12月度がん体験者サロン』は、申込者が定員20名になりましたので締め切らせていただきます。
これ以降は、キャンセル待ちとなります。ご了承ください。
がん克服のための統合医療セミナー(2)報告
12月13日(日)の午後2時半より茨城県南生涯学習センター(土浦市)においてがん克服のための統合医療セミナー(2)治療・療養編を開催しました。今回は36名の方に聴講いただきました。また、FMラジオつくばの収録もありました(放送予定が決まり次第ご案内します)。会の終了後に1名の方が新たにラポールの会へ入会いただきました。

アンケート回答者数24名(聴講者36名)

(1)性別  男:9名  女:15名

(2)年齢  30台:3名 40台:2名 50台:3名 60台:11名 70台:4名 80台:1名

(3)セミナーをどこで知ったか?(複数回答可)
     知人:1名 常陽リビング:13名 嵐の湯つくば店:1名 
     フランドルのポスター:1名 NPOホームページ:1名 その他:1名
     11月22日の統合医療セミナーinつくば:3名

(4)だれと来たか?
     本人のみ:20名 友人・知人と:1名 家族と:3名 

(5)セミナーの感想
     とてもよい:19名 よい:5名 ふつう:0名 やや悪い:0名 悪い:0名
 

(6)セミナーの印象(複数回答可)
     ためになった:16名 分かりやすかった:7名 面白かった:2名 
     やや難しかった:1名 難しかった:0名 

(7)セミナーの時間
     普通:22名 やや短い:1名 短い:0名 やや長い:1名 長い:0名 

 

<自由意見・感想>

・がんに対する正しい知識を得ることができたと思います。また、考え方も大変参考になりました。ありがとうございました。

・がんに関する本を随分読みましたが、本当の先生のご説明は目と耳から入る理解であったので、本を読む以上に頭に入りました。たくさんのデータや印刷物ありがとうございます。患者の主人によく読んでもらいます。


・今年1月末予期せぬ告知3月初子宮全摘を体験しました。以前は病気について知る関心もなくおりました。告知からの私には無知からどのように向かい、今後の生活の処し方を星野先生の講演から続けて野本先生の講演、そして筑波大、筑波学院大、国際会議場と今年の野本先生のセミナーを受けることにより、“がん”という病気、そしてその処し方を知る手立てを知りました。先生の“生の声”に“生のお姿”に接し、映像にはない力強さ、信頼感を感じ、ありがたく思っております。このような機会を得られたこと幸いです。ありがとうございました。

・手術後じぶんの体をいたわるつもりですが、更に心身両面からいたわっていこうという思いを強くしました。食事や心の持ち方に気をつけたいと思います。

・統合医療については、全体で把握することが難しかったのですが、今回の説明は具体的でわかりやすく、よく理解できました。このようなセミナーをこれからも多く作っていただき、がん患者家族が学習できる場を設けてほしいと思います。

・良い講座にお誘いいただいてありがとうございました。改めて考える良い機会になりました。このところマイナスな感情の方に向かっていたと思います。また、参加させていただきます。

・がん治療について希望がわいてきました。自分の心の偏りを変えるのは大変だと思います。

・新しい情報がいろいろ得られてよかったです。

・本日はありがとうございました。とても参考になりました。今後の経過観察もあり、一度ご相談したいと思います。

・いろいろな情報をありがとうございました。

・大変勉強になりました。




がん克服のための統合医療セミナー(2)開催案内
日本では、3人に1人ががんで死亡すると言われ、がん死亡者数は年々増え続けています。早期発見・早期治療により、がんを克服することは可能ですが、進行がんや末期がんを克服することはまだまだ難しいのが現状です。
欧米では近年、現行の通常医療(がんを外から直接たたく)と代替療法(内在する自然治癒力を高め免疫力でがんを防ぐ)の長所を組み合わせ患者一人ひとりに最適な予防・治療を行う統合医療を臨床に取り入れることで大きな成果を上げています。本セミナーでは、統合医療コーディネーターが下記のような疑問に答えながら、最新の3大療法、3大療法を補完する代替療法、自宅で自己治癒力を高める自助療法などをわかりやすくお話しします。

病院でがんの治療中に自分でできることはないの?
体に負担の少ない三大療法はあるの?
三大療法以外の治療法にはどんなものがあるの?
がん悪液質や骨転移を防ぐにはどうしたらいいの?
統合医療で実際によくなった人はいるの?
グループカウンセリングってどこでやっているの?




日時:平成21年12月13日(日)午後2時〜4時
場所:茨城県南生涯学習センター 中講座室2
     (JR土浦駅前ウララビル6F) 
入場:無料 (ただしテキスト代500円)
 定員:60名(予約先着順)
 講師:野本篤志(薬学博士、がん体験者とその家族の会代表、NPO緑の風代表理事)。 

主催/NPO緑の風。申込み029-843-3091(事務局)またはホームページ


『がん統合医療セミナーinつくば』開催報告
11月22日(日)午後1時半より、つくば国際会議場において、九州大学大学院白畑實隆教授と西本クリニック(和歌山の統合医療施設)西本真司院長をお招きして『がん統合医療セミナーinつくば』を開催しました。当日は、がん患者やその関係者60名が参加し、熱心に講演を聴いていました(この模様は後日ラジオつくばにて放送の予定です)。
以下は参加者の感想です。


・三大療法に限界があるのは明白ですが、代わりの手段がなく、相変わらず化学療法で患者を苦しめているのが現状です。西洋医学一辺倒ではなく、あらゆる方面(漢方医学、食事療法など)で有効手段を考える段階に来ていると思います。講演の中に出てきた安保先生などは医学部教授であって尊敬に値します。西本先生の医学への取り組む姿勢に感じ入りました。また、白畑先生の話も大変参考になりました。

・父が食道がんになりました。治療が始まり食欲もなくなり、ただ見守るだけの私はどうしたらいいのか分かりませんでした。お話をうかがい、「気持ち」や「心」が大切なんだと感じました。一番辛いのは本人なので、私が落ち込んでいてはダメだと思います。フコイダンも是非試してみたいです。

・西本先生のお話、わかりやすくとても有意義でした。これまでの自分自身の生活体験や食生活を見直す機会を与えてくださり、ありがとうございます。
白畑先生のお話。フコイダンの医療への応用の件は特に感銘を受けました。私自身4年前悪性リンパ腫をわずらい、現在は元気にしていますが、フコイダンを知り、これからの精神的なケアに大いに役立ちそうです。汎宇宙的な先生の考え方にも感激!大きなエネルギーをいただきました。

・私は被爆者であり、三年前に乳がんになり、全部摘りました。また、後従靭帯骨化症という難病を持っております。これから前向きに生きようと今日はしっかり勉強をさせていただきました。毎日水素水を飲んでおります。もっと楽しい人生を歩むために心を安らかに持ち、ストレスを全部食べてしまって流すことを学びました。ありがとうございました。現在**才ですが、まだまだ人生を楽しもうと考えました。

・今日からすぐに実行したいと思うことがたくさんありました。何をする上でも心のあり方が最も大切だということを再確認させていただきました。

・本日はありがとうございました。大変勉強になりました。フコイダンを知ったのは1年半前です。がん細胞に直接働き、アポトーシスする作用に大変驚きました。母が薬3年前乳がんで片方切除したことがあり、私も毎年乳がん、子宮がん検診を受けています。子育て、仕事等日々のストレス、疲れを感じることもあり、健康維持として1年前より母といっしょにフコイダンを飲んでいます。母はぜんそくの症状が改善され、ステロイド系の薬を使用せず済むようになり、季節の変わり目に出ていた口内炎も出なくなりました。私も風邪をひくことなく、子供がインフルエンザにかかって同じ部屋で数日過ごしてもうつることなくすみました。フコイダンはすばらしいと思います。私もこれから飲み続けます。

・本日はありがとうございました。去年の夏より三和の還元水とフコイダンを飲み始めました。病院で治らないと言われていた胸膜炎(悪性)が良くなり、仕事を始められるくらいになりました(ホスピス行きと言われていました)。とても恵まれた環境の中で病気と戦い、元気になりつつあります。

『がん統合医療セミナーinつくば』はキャンセル待ちになりました
11月22日につくば国際会議場で開催予定の『がん統合医療セミナーinつくば』は、当初定員50名のところ希望者多数のためレイアウトを見直して60名にしましたが、更に参加希望者が増えたため、再度レイアウトを見直し、76名席(聴講者68名、スタッフ6名、講師2名)に変更しました。本日76名に達したため、明日以降に参加を希望される方は、キャンセル待ちとなりますのでご了承ください。なお、すでに予約された方の中で他の用事ができて当日参加できなくなった方がいらっしゃいましたら、キャンセル待ちの方にお譲りしたいと思いますので、速やかに029-843-3091までご連絡ください。よろしくお願いします。
「がん統合医療50の知恵」(その2)がんになる人の食事・ならない人の食事
前回「人はなぜがんになるのか?」では、がんにならないためには、?活性酸素を発生するものや?免疫力を低下させるものを摂らない、近づけないこと。?活性酸素を消去するやもの(習慣)や?免疫力を上げるもの(習慣)を積極的に摂ることが大切だということをお話しました。

特に日常生活の中で毎日の食事がとても大切です。がんを予防したりかかったがんを克服するため、食事療法に取り組むことが何よりの基本です。今回はより具体的に、「がんにかかった人」と「がんが治った人」がそれぞれどんな食事をしていたかについてお話しましょう。


<がんにかかった人の食事>
 下の表に示したのは、がんにかかった患者さんが好んで食べていたものをお茶の水クリニックの森下先生が調べた結果です。がんの種類によらず、動物性の脂肪・蛋白質、精製した食品、化学調味料が好きな人が発症していることがわかります。これらの食べ物は直接的あるいは間接的に活性酸素を発生させたり、免疫力を低下させ、がんの発生を促すようです。事実、がんの食事療法で知られている「ゲルソン療法」では、これらの食べ物の摂取を禁止しているのは興味深いことです。

 
胃がん(51例) 乳がん(34例) 子宮がん(14例) 肺がん(12例)
肉   83% 76%       86%       76%
卵   86      83       80       66
牛乳   80      70       63       66
白米  100      96      100      100
白砂糖   90      90      100       96
化学調味料  83      93       86       80


  <がんが治った人の食事>
    逆に「自然退行」と言って、まったく治療をしないのに腫瘍が自然に消失してしまう例がまれにありますが、カナダの統計学者フォスター博士の調査で200人の自然退行を経験した人のうちの約9割(175人)が食事の改善を行っていたそうです。その内訳はが約8割の人が白砂糖と精製した塩を、約7割の人が動物性の脂肪とや精白した小麦粉を禁止していたそうです。また、8割以上の人が、ブロッコリー、カリフラワー、玉ねぎ、豆類、人参、芽キャベツ、カボチャなどの野菜を、7割以上の人が、りんご、西洋なし、あんず、マスクメロン、ぶどう、トマトなどの野菜や全穀シリアルをよく食べていたそうです。
 また、これは日本の例ですが、NPO法人がんの患者学研究所主催の「千人集会」に招待された「がんが治った人」124名のうち、約8割の人が「玄米菜食」を実践していたそうです。
定員オーバー!『がん統合医療セミナーinつくば』
11月22日につくば国際会議場で開催予定の『がん統合医療セミナーinつくば』ですが、参加希望者が11月10日現在ですでに54名定員の50名を超えました。できるだけ多くの方に聞いていただきたいため、会場レイアウトを急遽見直した結果定員を60名までに拡充できました。あと残り6名ですので、参加希望の方はできるだけ早くお申込みください。なお、60名を超えた後は、キャンセル待ちとさせていただきますのでご了解ください。
『がん統合医療セミナーinつくば』の講師紹介
11月22日開催の『がん統合医療セミナーinつくば』で講演していただく講師お二人をご紹介します。


【九州大学大学院 白畑實隆教授】

1978年九州大学大学院農学研究科食料化学工学専攻博士課程修了。農学博士。1987年米国オレゴン州立大学の生化学生物物理学科に訪問助教授として留学。1989年から九州大学助教授。1995年から九州大学大学院農学研究科遺伝子資源工学専攻細胞制御工学教室教授、2003年から九州大学大学院システム生命科学府生命工学講座教授併任。日本動物細胞工学会会長歴任、同評議員、日本農芸化学会西日本支部評議員、日本栄養・食糧学会評議員及び西日本支部評議員、欧州動物細胞工学会学会賞選考委員、国際学術雑誌Cytotechnology共同編集者、国際学術雑誌Science and Engineering Ethics編集委員


研究活動:主として、抗アレルギー・免疫増強・抗酸化・抗生活習慣病効果をもつ機能水及び機能性食品、体外免役法による抗原特異的ヒトモノクローナル抗体の作成とその機能改変、機能性細胞を用いたアレルギー検定系の開発、動物細胞の老化・不死化・ガン化機構の解析、ガン細胞の正常化機構解析、プロモーター活性化による動物細胞の組換えタンパク質高生産性細胞株の樹立法の開発、無血清・無タンパク高密度培養法の開発を行っている。
最近では特に、電解還元水及び天然還元水の抗酸化作用と種々の疾病に及ぼす改善効果、フコイダンの抗腫瘍効果、発酵乳ケフィアの抗酸化作用・DNA修復促進作用・抗糖尿病作用・抗メタボリック症作用、機能性細胞を用いたアレルギー検定系の開発、ガン細胞の正常化機構解析に関する研究に力を注いでいる。

教育活動:大学院では、システム生命科学府システム生命科学専攻生命工学講座の細胞制御工学基礎及び食品機能工学特論を講義し、同名の演習と特別実験を担当している。また、生物資源環境科学研究科遺伝子資源工学専攻の細胞制御工学の講義も併せて行っている。さらに、これまで、東京大学、鹿児島大学、琉球大学、中部大学等の学部及び大学院で非常勤講師を務めている。


【西本クリニック 西本真司院長】

1961年11月3日、和歌山生まれ。16歳の時より発声法、自律訓練法に興味を持つ。1989年、近畿大学医学部卒業。在学中に東洋医学的な、心も含んだ医学に関心が芽生え、麻酔科医の父親の影響もあって『痛みの医学』を志し、熊本大学医学部麻酔科に所属することとなる。研修に励む中、難病といわれる潰瘍性大腸炎に自ら罹ってしまう。自分自身で数々の治療を試みるも、症状は改善せず。30歳の誕生日に氣功を利用した治療法に出会い、その治療のおかげで潰瘍性大腸炎は改善する。そのことから「氣」や「気功」の研究を始めるに至る。 

1992年3月、下田で行われていた医療氣功師養成講座の合宿に参加し、多くのことを学び、氣功療法士の資格を取得。日本ペインクリニック学会、臨床麻酔学会などの全国規模の学会での発表、20回以上の、気功に関する研究発表、気に関する講演を行う。 

病院勤務の中で、気功治療、ペインクリニック、癌患者さんの疼痛治療、手術の麻酔などの激務のため、再び、日に最高36回の下痢、血便、腹痛に見舞われ、一ヶ月で23kgも痩せ、臨死体験をする。その時も、ある治療法(波動エネルギー療法)と出会い、自らの症状を改善させることに成功する。その後、その波動エネルギー療法の研究に入り、自らの持つ難病患者さんの集中治療、そしてのべ130名に及ぶ脳波、気流測定データの集積を行う。それに並行して、東京電機大学、町好雄先生(ユリゲラー氏、林厚省氏などの生体、生理反応研究の第一人者)と共に、気の研究を行い、北京での国際的な気功学会で報告を行う。また、前東京女子医科大学教授(現、医工学治療学会会長)阿岸鉄三氏と共に、外氣功後のサーモグラフィー等を研究し、その学会のシンポジウム『気功と医工学』(2002・2)「ゲージ場治療器などの報告」の座長も務める。2001年9月には、日本催眠学会でシンポジストとして外気功等と自律神経の関連についての論文報告を行う。2002年11月に、ホリスティックな医療に関する論文に対し、日本ホリスティック医学協会より、特別賞を受賞する。 

ホリスティック医学協会会長でもある帯津良一先生の病院での「救急医学」の講演や「笑いのワーク」の実践も行ってきた経歴を持ち、『笑い』を医学的に解明する仕事を行っている。 

『生きがい三部作』との出会いにより、自らの難病、臨死体験の意味を知り、“ブレイクスルー思考”を患者さんと共に行うことを、自らの生きがいとしている。健康、気、難病等に関する書籍1000冊以上を、無料で貸し出し、心の成長を共にはかるBookセラピーも行っている。(『生きがい三部作』『ブレイクスルー思考』『愛の論理』は、常に貸し出し中のことが多く、クリニックにあることは少ない。) 

現在、和歌山にてホリスティックな医療を目指すクリニックを開設し6年目を迎える。週4回、健康気功教室を開き、太極気功十八式を内気功として行う。東洋的な治療としては、漢方薬、ハリ、外氣功、ハンドヒーリング、クリスタルヒーリング、脊椎の歪みを整える生体制御技術、QX(クオンタム・ゼイロイド)、ホメオパシー、食事療法、リフレクソロジー、音楽療法など様々な治療を、多くのセラピストの協力のもと、患者さん一人一人のニーズに合わせ、別施設(東洋医学研究所・ホリスティックハーモニー)にて行っている。

がん克服のための統合医療セミナー(1 )ラジオにて放送中!
8月29日に開催されたがん克服のための統合医療セミナー(1)の様子がラジオの1時間の特別番組として毎週放送されています。セミナーに参加できなかった方、参加してもう1度聞いてみたい方、是非お聞きください。
詳しい番組表は、トップページもリンク集「FMラジオつくば」をクリックしてみてください。

 ラジオ局:FMラジオつくば(842MHz)
 曜日:毎週金曜日
 放送時間:18:00〜19:00
進行ガンでもあきらめない!がん統合医療セミナー in つくば
11月22日(日)に福岡より九州大学の白畑實隆教授を、和歌山より西本クリニックの西本真司院長をお迎えして、がん統合医療セミナーをつくば国際会議場にて下記のとおり開催することになりました。参加無料です。今がんと闘っている皆さんとその家族の方々にとって、がん克服のためのヒントが沢山得られると確信しております。是非ご参加いただけるようお願い申し上げます。

<講演1 九州大学大学院 白畑實隆教授>
  補完代替医療で注目される海藻由来酵素消化低分子フコイダン
   〜 抗腫瘍効果を中心に 〜

<講演2 西本クリニック 西本真司院長>
  5年生存達成者から学んだガン療法の鍵
   〜 臨床データから診る統合医療の取組み 〜 


日時:平成21年11月22日(日) 13:00 開場 13:30 開演 16:30 終了予定
会場:つくば国際会議場 303会議室 つくばエクスプレスつくば駅より徒歩10分
〒305-0032茨城県つくば市竹園2丁目20−3 電話 029-861-0001 <当日連絡先>090-4548-2046
定員:50名(予約先着順)
参加費:無料(どなたでも参加いただけます)
主催:NPO法人緑の風ヘルスサポートジャパン 
共催:NPO法人統合医療と健康を考える会、FMラジオつくば、がん体験者とその家族の会(ラポールの会)
問合せ先: TEL 029-843-3091 FAX 092-843-3061 HP http://npo-midorinokaze.com/(NPO緑の風)

※ 予約希望の方は、下記の申込み用紙を打ち出してFAXしてください




がんサバイバーのためのSAT療法講演会開催報告
9月12日(日)の午後1時半より筑波大学においてがんサバイバーのためのSAT療法講演会を開催しました。当日は110名の方に聴講いただき(スタッフを含め120名)、FMラジオつくばやつくばケーブルテレビの収録もありました。参加された皆さんはみな真剣で質疑応答も多数あり、充実した講演会になりました。。
当日の様子はアンケートにてお伝えします。

アンケート回答者数64名(聴講者110名)

(1)性別  男:16名  女:47名  無記名:1名

(2)年齢  20代:4名 30代:8名 40代:20名 50代:14名 
       60代:13名 70代:4名 80代:1名

(3)がんとの関係
     患者本人:21名 元患者:3名 患者遺族:1名 身内が患者か体験者:20名 
     知人友人が患者か体験者:10名 その他:13名 無記名:3名

(4)どこで知ったか?
     常陽リビング:20名  知人:15名 常陽ウィークリー:5名 セミナー:5名 
     ゲルソンランチの会:4名 がん患者の会:3名 ラポール通信:2名 公民館:1名
     フランドル:1名 その他:7名
     
(5)だれと来たか?
     本人のみ:27名 家族と:21名 友人・知人と:5名 その他:1名  

(6)セミナーの感想
     とてもよい:39名 よい:21名 ふつう:2名 やや悪い:1名 悪い:0名 無記名:1 

(6)セミナーの印象(複数回答可)
     ためになった:35名 分かりやすかった:13名 面白かった36名 
     やや難しかった:21名 難しかった:1名

(7)セミナーの時間
     普通:50名 やや短い:5名 短い:2名 やや長い:4名 長い:10名 無記入:2名


<自由意見・感想>

・家庭で予防、対策、治療ができる方法があるようで、目から鱗だった。全て家庭や日々の生活の積み重ねによって生じているのだということを再確認した思いだった。

・心理療法が効くのか気休めじゃないかと思っていましたが、細胞レベルで仕組みを解説していただいて納得できました。面白かったです。

・がんになってから、また手術後も緊張したり怖いと感じると倒れてしまう癖がついていました。精神的な部分が大きいと医師はおっしゃっていましたが、自分では緊張しているとは全く感じていないので、どのように対処していいか分かりません。現在はがんの事を忘れてしまうほど普通の生活をしているのに、がんが転移する夢を見たりします。今日の講演会を聴いて、ネガティブに考えることは良くないと知りました。きっと自分は気付いていない感情の部分があるかもと思いました。心理療法は、集団で行われる場合が多いのですが、私はあまり集団が好きではなくて困っています。たぶん苦手意識を持つこと自体が考え方を悪くさせるのかもしれませんが・・・

・私の父は肺がん(天国にいます)、母は乳がんと子宮がん(お蔭さまで元気に過ごしています)、そして義理の母も卵巣がんになってしまいました。生活の中でがんとは切っても切れない毎日を過ごしていましたが、SAT療法のお話を聞けてとてもためになりました。家族の大切さ!を改めて考え、今後実行していこうと思います。ありがとうございました。感謝!

・がん細胞のことなどよく理解できてたいへんためになりました。

・がんの告知を受け、7月に化学療法が終わったばかりです。是非SAT療法を体験してみたいと思っています。もう少しこの講演を早く聞きたかったと思っています。

・西洋医学(手術・放射線・抗がん剤)に限界を感じ、これではがんも様々な生活習慣病も治らないと思っています。他人任せから、病気は自己責任と考え、自分の今までの生活の歪みが病気を作り出したと認識し、自らの力で治す覚悟でないと治らないですね。自己免疫力を高める中で、心の問題が半分以上だと聞いていましたので、今回興味を持ち参加しました。これまで学んだことの科学的な裏づけも得られ大変有意義でした。

・目から鱗の話でした。自分ががんになったのは、さもありなん。夫はがんにはならないだろう、子供をがんにしてはいけない・・・と思いました。

・たいへん興味あるお話でした。自己イメージ法は自宅でゆっくりやらせていただきます。

・わかりやすく、たいへん面白かった(同様の感想3件)

・野本さんの話も宗像先生の話もとても胸にしみました。

・伝えたいことを時間内に話すために仕方がなかったのかもしれないが、内容が多く、やや難しいのに、テンポが速かったように思います(同様の感想5件)
がん克服のための統合医療セミナー(2)開催案内
「がん克服のための統合医療セミナー」「治療・療養編」を10月3日(土)の午後2時半から4時半まで県南学習生涯センター(土浦駅前ウララ内5階)の小講座室1にて開催します。最新の3大療法、3大療法を補完する代替療法、自宅で自己治癒力を高める自助療法などをわかりやすく解説します。
講師は野本篤志(薬学博士、がん体験者とその家族の会代表、NPO緑の風代表理事)。 参加無料(テキスト代500円) 定員先着50名

主催/NPO緑の風。申込み029-843-3091(事務局)またはホームページ

ター子さん  2009-09-27 16:20:05
是非お聞きしたい内容です。
楽しみにしています!
いつもありがとうございます。
参加者110名!SAT療法講演会速報
本日(9月12日)筑波大学D棟にてがん克服のためのSAT療法講演会が開催されました。生憎の雨にもかかわらず、110名の参加があり、13時より15時15分までの講演を聞いた後、30分の休憩をはさんで15時45分より16時までワークを熱心に取り組みました。10/11と11/7に行われるがん患者とがん体験者向けの実践療法(仲間SAT)も定員10名を超える17名の応募がありました(宗像先生のご厚意で全員が参加できることになりました)。また、アンケートも64名分回収できましたので、解析が終了次第ご報告致します。また、講演に様子は、ケーブルテレビ(ACCS)ならびにFMラジオつくばでも放映・放送されます。予定が決まり次第このホームページにてご連絡いたします。

がんサバイバーのためのSAT療法講演会−いよいよ本日開催!
がんサバイバーのためのSAT療法講演会(講師:筑波大学大学院 宗像恒次教授)の講演会はいよいよ本日開催となりました。現在までのところ、予約受付と前売りチケット購入者の合計で100名を超えました。地元メディアは、新たに常陽新聞の取材が加わりました。まだ席に余裕がございますので本日(当日)の参加も受付けます。ご参加を予定されている皆さま、気をつけてご来場ください。
SAT療法講演会地元メディアで放映・放送されます
9月12日開催予定の「がんサバイバーのためのSAT療法講演会」は現在予約が80名を超えました。当日は、つくば放送協会・FMつくばラジオのスタッフが録画・録音・取材に来ることになりました。SAT療法は、がん患者のみならずうつ病患者に対しても有効であることがわかっています。うつ症状でお悩みの方の参加もお待ちしています。

がん克服のための統合医療セミナー(1 )放送開始しました!
8月29日に開催されたがん克服のための統合医療セミナー(1)の様子がラジオの1時間の特別番組として毎週放送されます。セミナーに参加できなかった方、参加してもう1度聞いてみたい方、是非お聞きください。

 ラジオ局:FMラジオつくば(842MHz)
 曜日:9月中は毎週金曜日
 放送時間:18:00〜19:00

がん克服のための統合医療セミナー(1)報告
8月29日(土)の午後2時半より茨城県南生涯学習センター(土浦市)においてがん克服のための統合医療セミナー(1)発症・再発予防編を開催しました。当日は35℃を超える残暑にもかかわらず、39名の方に聴講いただきました(スタッフを含め43名)。また、FMラジオつくばの収録もありました(9月は毎週金曜18時より放送予定)。会の終了後に4名の方が新たにラポールの会へ入会いただきました。次回は10月3日(土)です。ご期待ください。


アンケート回答者数25名(聴講者39名)

(1)性別  男:6名  女:18名 無記名:1名

(2)年齢  30台:1名 40台:4名 50台:4名 60台:11名 70台:4名 80台:1名

(3)セミナーをどこで知ったか?(複数回答可)
     ラポール通信:2名 知人:1名 常陽リビング:10名 常陽ウィークリー:7名 
     フランドルのポスター:1名 NPOホームページ:1名 公民館:1名
     その他セミナー:2名

(4)だれと来たか?
     本人のみ:19名 友人・知人と:2名 家族と:4名 

(5)セミナーの感想
     とてもよい:13名 よい:11名 ふつう:1名 やや悪い:1名 悪い:0名
無記名:1名 

(6)セミナーの印象(複数回答可)
     ためになった:11名 分かりやすかった:16名 面白かった:3名 
     やや難しかった:1名 難しかった:0名 無記名:1名

(7)セミナーの時間
     普通:21名 やや短い:0名 短い:1名 やや長い:2名 長い:0名 未記入:1名

 

<自由意見・感想>

・最後にサイモントン博士の言葉がありましたが、全ての言葉にうなづいていました。私はとりあえず、前向き状態の精神になる様な心を持ちたく、興味のある嵐の湯に行きたいと思っております。野本先生のお母様に対する心の中からの優しさがびんびん、ひしひしと伝わって、亡き父母にろくな愛情、優しさを与えられなかった自分が後ろめたく感じます。今後は重度の障害者である3才年下の実妹と、同居の姉(父母にできなかった御礼として)私のできる範囲でお返ししたいと思います。姉は18年前に乳がん手術をしておりますので、特にこの講座に興味を覚えます。又、セミナーに参加します。ありがとうございました。


・ラポールの会を知り、今回セミナーに参加しました。いろろな本を読み、食事療法をしてきましたが、今日のセミナーを聞き、自分でやってきたことのチェックができました。足りなかったことを見直しながら生活していきたいと思います。

・このような実践力を伴った力のある先生のお話を直接伺うことができたこと感謝しています。野本先生ありがとうございました。


・大変参考になりました。ありがとうございました。

・抗がん剤を実際に使っている人、使わなかった人の体験談を聞きたいです。

・始めて参加しましたが、とてもわかりやすくてためになりました。今後も是非参加したいと思いますのでよろしくお願いします。

・術後2年になります。今後再発しないことを望みながら日々を送っています。興味深くお話を聞かせていただきました。ありがとうございました。

・リンパ療法を受けさせたいと思いました。ゲルソン療法はなかなか実行できませんでしたが、本日の講義でもう少し頑張ってみたいと思います。全体的にとても有意義な時間でした。ありがとうございました。

・私が動きやすいのは平日の午前中です。平日にもセミナーがあれば助かるなと思いました。

・これから食事は、健康な方も野菜を多くし、肉類を少なくするのを声を大にしなければならないのではと思います。

がんに打ち克つ心を育む−SAT療法講演会−
<はじめに>
早期がんのほとんどが治療によって克服できるようになった今でも、進行性がん患者の多くは副作用に耐えながら治療を受け、がん死亡率は日本人全体の約3割と高い状態が続いているのが現状です。そのため、「がんは死ぬ病気」と考えている人も多く、一旦がんになると死への恐怖に怯えてしまいます。しかしこの恐怖心ががんをさらに治り難くしていることはご存じでしたか?そうなんです、がんはフィジカルよりもメンタル面が原因で起こる病気なのです。              最新のがん心理療法であるSAT療法によって、仕事中心の生活から心底愉しいと思える生活に、これまでの生き方を大きく変え、家族や仲間と気持が交流できるようになると、免疫防衛力や遺伝子防衛力が働き、がん抑制遺伝子が働いてがんは自然退縮することがわかってきました。この講演会では、SAT療法の開発者で日本におけるがん心理療法の第1人者である筑波大学大学院宗像恒次教授をお迎えし、「がんと心の関係」や「SAT療法」についてわかりやすくお話いただきます。

<概要>
 日時 : 平成21年9月12日(土) 午後1時〜3時半
 場所 : 筑波大学総合研究棟1階D116室
 講師 : 宗像恒次教授 (筑波大学大学院人間総合科学科) 
 定員 : 150名(予約先着順)
 参加費 : 1,000円 (テキスト代と資料代)
 主催 : NPO緑の風ヘルスサポートジャパン
 共催 : 筑波大学大学院人間総合科学科宗像研究室、
     ラポールの会(がん体験者とその家族の会)、日本保健医療行動科学会東京支部
 協賛 : NPO法人ヘルスカウンセリング学会、FMラジオつくば(84.2MHz)、
ゲルソン療法を実践するランチの会
 後援 : つくば市、つくば市教育委員会


<講師プロフィール>
  1948年大阪府豊中市生まれ。筑波大学大学院教授
(人間総合科学研究科ヒューマン・ケア科学専攻分野)、保健学博士
(東京大学大学院医学研究科)、NPO法人ヘルスカウンセリング学会会長。
米国カリフォルニア大学神経精神医学科研究員、米国ハーバード大学
医学部社会医学科客員研究員、世界保健機関(WHO)エイズ世界対策
局顧問および薬物依存局顧問、国立精神・神経センター精神保健研究
所研究室長等を歴任する。
主な著書に、『燃え尽き症候群』(金剛出版)、『医療・健康心理学』(福村
出版)、『ストレス解消学』(小学館ライブラリー)、『最新行動科学からみた
健康と病気』(メヂカルフレンド社)、『SATカウンセリング技法』(広英社)、
『生活習慣病とヘルスカウンセリング』(日総研)、『カウンセリング医療と
健康』(金子書房)、『がん、うつ病から家族を救う愛の療法』(主婦と生活
社)、『健康遺伝子が目覚めるがんのSAT療法』(春秋社)他多数


予約:下記の(1)か(2)の方法でご予約ください。
(1)トップページの「お問合せ」ボタンを押し、出た画面の「お問合せ種別」は「セミナーについて」を選択、「お名前」と「メールアドレス」を記入し、「お問合せ内容」には「8月29日セミナー参加希望」と記入。「送信する」のボタンを押してください。
(2)050-1417−5964へお電話ください。
「がんと栄養」セミナーの模様が再再放送されます!
去る5月24日(日)に嵐の湯つくば店で開催された「第2回嵐の湯健康セミナー」の模様が6月26日に続き下記のとおり再再放送されます。興味のある方は是非お聞きください。

放送日:7月10日(金)18時〜19時
放送局:FMラジオつくば(周波数84.2MHz)
放送内容:がんと栄養
 がんを含む生活習慣病の主な原因として、不必要な栄養素の過剰摂取と必要な栄養素の欠乏があることがアメリカの国家的な調査から明らかになっています。本セミナーでは、がんを予防する食生活の改善に焦点を当てます。また、身近な食材(砂糖、塩、油など)に潜む食のリスクや玄米、大豆、ニンニク、 アマニなど生活習慣病予防に適した食材についても解説します。
講師:野本篤志(NPO緑の風代表理事、薬学博士、がん体験者とその家族の会代表、がん統合医療コーディネーター)
「がんと栄養」セミナーの模様が再放送されます!
去る5月24日(日)に嵐の湯つくば店で開催された「第2回嵐の湯健康セミナー」の模様が6月26日に続き下記のとおり再放送されます。興味のある方は是非お聞きください。

放送日:7月3日(金)18時〜19時
放送局:FMラジオつくば(周波数84.2MHz)
放送内容:がんと栄養
 がんを含む生活習慣病の主な原因として、不必要な栄養素の過剰摂取と必要な栄養素の欠乏があることがアメリカの国家的な調査から明らかになっています。本セミナーでは、がんを予防する食生活の改善に焦点を当てます。また、身近な食材(砂糖、塩、油など)に潜む食のリスクや玄米、大豆、ニンニク、 アマニなど生活習慣病予防に適した食材についても解説します。
講師:野本篤志(NPO緑の風代表理事、薬学博士、がん体験者とその家族の会代表、がん統合医療コーディネーター)
「星野仁彦医師講演会」のお知らせ
来る7月20日(月曜・海の日)に星野式ゲルソン療法の提唱者である星野仁彦医師の講演会がつくばで開催されます。当NPOも共催団体として参加します。興味のある方は、添付のちらしをご覧ください。また、参加を希望される方は、添付のFAX申込み用紙にてお申込みください。
がんに効く食材多数試食できる無料セミナー近日開催!
下記のとおり、JR常磐線ひたちのうしく駅前「嵐の湯つくば店」にて「第2回嵐の湯健康セミナー」を開催します。テーマはずばり「がんと栄養」!当日は、がんに有効な食材「抗がん成分を特殊な方法で発現させた玄米」「菊芋豆乳」「アマニ粉末+マヌカハニー+ゲルソンパン」が試食できます。参加は無料
(ただし当日嵐の湯に入浴可能な方)。食事を変えてがんを克服したい方、是非参加ください。

日時:5月24日(日)10:00〜12:00

場所:嵐の湯つくば店(JRひたちのうしく駅西口出て徒歩1分)

講師:野本篤志(NPO緑の風常務理事、薬学博士、ラポールの会代表)
   金子保広(ホリゲイ農園代表)

内容:精製塩やトランス脂肪酸など身近に潜む食のリスクや玄米、大豆、にんにく、アマニ油、菊芋
   など、がんの予防に有効な食材についてわかりやすく解説します。
   最近新たにわかってきた菊芋の効能についてもお話します。

定員:25名(先着順)

予約受付 電話 029-871-4500 E-mail info@kawada-labo.com

問合せ このHPから問合せ可能
「がん統合医療50の知恵」(その1)人はなぜがんになるのか?
これからがん統合医療についての知識・情報・経験を50回に分けてできるだけわかりやすくお話していきたいと思います。

第1回目は「人はなぜがんになるのか?」です。なぜ最初にこの話題を選んだか?というと、このことをきちんと理解して初めてあなたに必要で的確な予防法・治療法をあなたが選ぶことができるからです。

がん細胞が正常細胞ともっとも異なるところは、がん細胞は死なずに無限に細胞分裂を繰り返すところです。これは、遺伝子に傷がついて異常な遺伝子に変わってしまうためです。遺伝子を傷つける主な犯人は活性酸素だと言われています。遺伝子が傷つくとがんの芽に変わりますが、普通のヒトでもこのがんの芽は1日に3000から5000個もできると言われています。通常この段階で体の中をパトロールしている免疫細胞が見つけて消去してくれますが、免疫力が落ちていたり免疫細胞が処理しきれないくらいがんの芽ができると長い時間をかけて腫瘍へと成長します。


以上のことからわかるのは、がんにならないためには、(1)活性酸素を発生するものを摂らない、近づけないこと (2)活性酸素を消去するもの(習慣)を積極的に摂ること (3)免疫細胞を低下させるものを摂らない、近づけない (4)免疫力を上げるもの(習慣)を積極的に摂ることが大切です。ところが、現代社会では、(1)(3)は身の回りにいくらでもあり、知らないうちにがんになりやすい体内環境をつくっているのです。逆に(2)(4)は、自分から積極的に見つけ努力して身につけていく必要があります。詳しくは健康生活習慣セミナーでお話していきますので是非ご参加ください。


東洋の思想では、「病気は恩恵である」と言われています。私たちの本質は生まれながらにして健康な存在であり、健康に生きて健康に死んでいくのが自然の摂理です。
もし、あなたが、その摂理から大きく離れてしまったとしたら、がんは、あなたに「あなたの本質にもどりなさい。心身を酷使するのはやめてもっと心身をいたわりなさい。もっと健康に生きなさい。」というメッセージを送っているのかもしれません。
今の私たちは、大量生産、大量流通、大量消費、大量廃棄の恩恵を受けていつでもどこでも便利でおいしいものを口にすることができます。そのために知らず知らずに体に負担のかかる添加物が大量に入った加工食品や抗生物質や農薬づけの肉や野菜を中心とした栄養の偏った食品を毎日「好きなものを好きなだけ」食べ、テレビやファミコン、インターネットを中心とした物や情報の氾濫した言わば「気持ちよいが、自然からかけ離れ、不健全で心身をすり減らす」社会生活を送っています。


もしあなたががんにかかっているあるいはかかったことがあるのなら、がんの声に耳を傾けてみてください。そして、心も体も健康に一生を過ごすために「体に必要なものを必要なだけ」食べて「自然に寄り添った、心地よく、心豊かな」生活を送ることを心がけてみてはいかがでしょうか?


新聞記事「抗がん剤開発」
3月11日の讀賣新聞に「抗がん剤開発」と題して下記の記事が掲載されましたのでご紹介いたします。現在通常医療で行われている抗がん剤治療の問題点をわかりやすく(そしてかなり辛辣に)解説している、とても示唆に富む記事です。是非一読ください。

 「抗がん剤開発」前田 浩(熊本大学名誉教授,崇城大学薬学部教授。専門はがん治療、がん予防学) 

近年、がん医療に画期的と評される新薬が登場している。その代表が、がん細胞に特有の分子を標的と定めて攻撃する「分子標的薬」だ。がんだけをたたく切れ味の良さは「カミソリ」と期待され、実際、慢性骨髄白血病などでは、著しい効果を発揮している。

しかし、肺がんや大腸がんなど、患者の多い進行がんに対する最後の砦としての治療成績は芳しくない。大発生した際のイナゴのような頑強さで、がん細胞にある薬の標的分子を次々と変異して、薬の攻撃をはぐらかしていると見られる。そのため分子標的薬の多くは、単独では効果が低く、他の抗がん剤と併用療法が勧められている。その併用療法の場合、抗がん剤を使わない患者に比べ効果はあるが、一般的には5年間でせいぜい2〜6ヶ月の延命(延命率数%)というのが現状だ。

分子標的薬の価格にも問題がある。多くは、1ヶ月の患者負担が、併用薬も含め数十万円。高額医療費制度の適用を受けて、自己負担を軽減させても、高額な薬代を前にためらう人も多い。

それでも、わらにすがる思いで患者がこの新治療薬にかける気持ちは痛いほどわかる。しかし、抗がん剤治療に取り組む友人の医師は、「進行がんの患者に、効くとはっきり言えない分子標的薬のことを説明する時に、実情を知っているだけに重い気持ちになる」と告白する。

急速に進む少子高齢化の進展で、先進国は高騰する医療費とその財政負担にあえいでおり、治療の有効性や患者の満足度と費用を適正に評価し、医療政策に反映することが求められる。

英国では、国立健康医療評価研究所(NICE)が、この客観的な評価機能を担っていて、保健薬価の収載にも影響力を持つ。実際分子標的薬の中には、保険適用が見送られた薬もある。高額な薬価の設定をした製薬会社に対し、公正取引委員会が調査に乗り出したこともある。

その英国で、延命率を数%延ばすことのできる新薬を使った場合、どのくらいの薬価(医療費)なら保険適用を認めるべきかが今、議論となっている。昨年8月の英医学誌ランセットによると、NICEは、その算出に「QOL(生活の質)を重視した生存年」(QALY)という概念を用いて、1つの基準として一人当たり年間3万ポンド(約420万円)という数値を提示した。分子標的薬の医療費については、この基準をはるかに上回ることを問題視している。
 
高い薬価は、製薬会社にとっては新薬開発のインセンティブ(動機付け)になるが、患者や家族、国民にとっては大きな負担だ。その意味で、日本でも抗がん剤の薬効と価格のバランスを公正に評価する第三者機関の設立が必要な時期に来ている。抗がん剤に付随する副作用、QOLの損失も考えなくてはならない。確かに分子標的薬が福音となった患者もいる。しかしがん医療全体を俯瞰(ふかん)してみると、抗がん剤療法の患者満足度は低すぎると言わざるを得ない。

抗がん剤の開発、承認に当たってタブーは禁物。公正に費用対効果を検討し、何を重視するかの開発思想を議論することが重要だ。患者満足度も大事な要素になってくる。抗がん剤間発は、今、パラダイムシフトの時を迎えている。
「がん患者のための統合医療セミナー」放送されます
1月と2月の2回にわたり開催された「がん患者のための統合医療セミナー」の模様がFMラジオつくば(842MHz)で4回にわたり放送されます。「自分の健康は自分で守る」「自分の健康は自分で取り戻す」をキーワードに、3大療法以外の予防・治療法についても詳細に解説しますので、興味のある方は是非聞いてみてください。

 3月10日(火)20:00〜21:00
第1回 発症・再発・転移予防編(前半):講師 野本篤志 (NPO緑の風常務理事、薬学博士)
 3月11日(水)20:00〜21:00
第2回 発症・再発・転移予防編(後半):体験談 矢澤容子 (ゲルソン療法を実践するランチの会代表)
 3月12日(木)20:00〜21:00
第1回 治療・療養編(前半):講師 野本篤志 (NPO緑の風常務理事、薬学博士)
 3月13日(金)20:00〜21:00
第1回 治療・療養編(後半):体験談 黒澤重治 (ラポールの会 会員)
今日の新聞に載りました!
2月21日(土)亀城プラザで開催された「がん患者のための統合医療セミナー(2)治療・療養編」の記事が本日(2月26日)常陽新聞朝刊の第4面「街角の話題」で6段にわたって掲載されました。
見出しは、
 自分の力で健康を取り戻そう ―がん統合医療セミナーで体験者語る―
です。興味のある方は、図書館等でご覧ください。

<<記事全文>>

「がん患者のための統合医療セミナー治療・療養編」が21日、土浦市中央の亀城プラザで開催された。自助努力で容態が良くなった、がん患者の体験談などに約30人が聞き入った。NPO法人緑の風主催。
 土浦市の黒澤重治さん(63)が、一昨年すい臓頭部に発症したがんとのつきあいを「癌(がん)とともに生きる」と題し、経過や取り組んだ療法などのついて語った。手術による切除が危険なことから放射線治療や抗がん剤投与を受け、一方で海草のぬめり成分からなる「低分子フコイダン」摂取や減塩の玄米菜食、野菜ジュース摂取などの食生活を継続。体温を上げることや、ストレスをため込まぬようウォーキングや山歩き、およびそれらの大会支援を積極的に行っていることなどを報告した。
 納豆2分の1や梅干4分の1、生野菜や黒ゴマなどを少量ずつ多種の食品からなる朝のメニューの具体的な紹介、起床前から始まる腹筋運動などの体力づくりも詳細に語り、「さまざまな療法を試して、自分に合う方法を見つけることが大事。体が動かなくなる脳こうそくなどに比べれば、がんは痛みさえなければ自分でなんとかする力がわいてくる」と締めくくった。
 また同法人常務理事で薬学博士の野本篤志さんが、日本でのがん死亡率の推移や米国との比較、戦後食生活の変化と罹患(りかん)率との関係などから、現在の食生活ががんや心臓病、脳卒中などの病気をひきおこしていること、現代医学が「栄養」を軽視していることなどを指摘。手術・抗がん剤・放射線療法でがんに臨む西洋医学と、栄養などで自然治癒力を高める代替療法とを組み合わせた「がんの統合療法」について説明した。その上で「主治医は自分自身」であり、「がんになりにくい体内環境に変え」、「がんの発するメッセージを聞いて」がんを克服しようと呼びかけた。
(赤嶺容子)
がん患者のための統合医療セミナー(2)報告
2月21日(土)の午後2時より土浦亀城プラザにおいてがん患者のための統合医療セミナー(2)治療・療養編を開催しました。当日は31名の方に聴講いただき(スタッフを含め35名)、FMラジオつくばの収録と常陽新聞の取材もありました。参加された皆さんはみな真剣で質疑応答も多数あり、予定の2時間を30分以上超過したものの時間を感じさせない充実したセミナーになりました。。
当日の様子はアンケートにてお伝えします。
特に(8)興味深かった治療・療養法は皆さまの参考になると思いますので是非ご覧ください。

アンケート回答者数20名(聴講者31名)

(1)性別  男:5名  女:15名

(2)年齢  30台:2名 40台:1名 50台:7名 60台:3名 70台:6名 80台:1名

(3)セミナーをどこで知ったか?(複数回答可)
     ラポール通信:7名 知人:6名 常陽リビング:4名 常陽ウィークリー:3名 
     フランドルのポスター:2名 その他:3名

(4)だれと来たか?
     本人のみ:12名 友人・知人と:7名 家族と:1名 

(5)セミナーの感想
     とてもよい:12名 よい:6名 ふつう:2名 やや悪い:0名 悪い:0名 

(6)セミナーの印象(複数回答可)
     ためになった:13名 分かりやすかった:8名 面白かった:5名 
     やや難しかった:1名 難しかった:0名

(7)セミナーの時間
     普通:18名 やや短い:2名 短い:0名 やや長い:0名 長い:0名 未記入:0名

(8)興味深かった治療、療養法
     第1位 自己癒し療法(サイモントン療法・SAT療法):13名 
     第2位 天然温泉薬石浴(嵐の湯):12名 
     第3位 自然の恵み活用法(低分子フコイダン):9名
     第4位 ゲルソン療法(がん患者のための食事療法):8名 
     第5位 免疫細胞療法:4名
     第6位 全身温熱療法:3名 
         分子標的剤:3名 
第8位 ピンポイント放射線療法:2名
     第9位 高濃度ビタミンC療法:1名 
         局所温熱療法:1名 
インスリン強化療法:1名
      内視鏡術:1名 
番外  自家ワクチン療法:0名
休眠療法:0名 

<自由意見・感想>

・まだまだ1人で考えている人多いと思います。時々伝えて頂ければ有難いと思います。
 身内に支えになれ、うれしいです。ありがとうございます。

・ストレスをためない生活をすることを今までも心がけていました。そうすることがよいと思うのは自分だけと思っていましたが、これからも実行していこうと思います。 これといった病気をしたことがないのです。

・ジュース、スープ類はとるようにしています。水分が多い成果、夜半頃から尿意が始まり1時間おきに朝まで5〜6回も起きます。ジュースを減らすか、食事の中で果実・野菜を多く摂るべきか考えてしまいます。

・貴重なお話を拝聴させていただき有難うございます。
食が命を救う−ゲルソン療法体験記
去る1月25日(日)につくば市小野川公民会で開催した「がん患者のための統合医療セミナー1(発症・再発・転移予防編)」において「ゲルソン療法を実践するランチの会」代表の矢澤容子さんが、自らの体験をお話されました。その時の資料をご本人の了解のもと、ここに公開します。現在がんと闘っている一人でも多くの方に勇気と希望を与えることができれば幸いです。
本日放送!「がんから身を守る生活習慣について」
本日(09.01.30)の14時から14時55分までFMラジオつくば(843MHz)で1月11日に「第1回嵐の湯健康セミナー」で収録された「がんから身を守る生活習慣について」が放送されます。お時間のある方は是非お聞きください。
がん患者のための統合医療セミナー(1 )報告
1月25日(日)の午前10時より小野川公民館大会議室においてがん患者のための統合医療セミナー(1)発症・再発・転移予防編を開催しました。当日は35名の方に聴講いただき(スタッフを含め40名)、FMラジオつくばの収録もありました。当日の様子はアンケートにてお伝えします。
がん患者さん、がん体験者とその家族の方、是非2月21日の「治療・療養編」にもご参加ください。
お待ちしております!

アンケート回答者数29名(聴講者35名)

(1)性別  男:9名  女:20名

(2)年齢  30台:3名 40台:8名 50台:5名 60台:4名 70台:8名 80台:1名

(3)セミナーをどこで知ったか?(複数回答可)
     知人:12名 常陽リビング:11名 ラポール通信:7名 NPOホームページ:3名
     常陽ウィークリー:3名 フランドルのポスター:1名

(4)だれと来たか?
     本人のみ:15名 友人・知人と:7名 家族と:6名 親戚と:1名 会員同士:1名

(5)セミナーの感想
     とてもよい:20名 よい:8名 ふつう:0名 やや悪い:0名 悪い:0名 無記入:1名

(6)セミナーの印象(複数回答可)
     分かりやすかった:19名 ためになった:18名 面白かった:4名 
     やや難しかった:1名 難しかった:0名

(7)セミナーの時間
     普通:23名 やや短い:3名 短い:1名 やや長い:1名 長い:0名 未記入:1名

(8)興味深かったもの
     ゲルソン療法体験談:23名 有機人参ジュース試飲:16名 ゲルソンパン試食:9名
     ハーブティー試飲:8名 植物ミネラル試飲:6名

<自由意見・感想>

・いろいろといいお話を聞かせてもらい本当に良かったです。がんを克服するにはやはり自分しか
 ないと実感しました。またセミナーを繰り返し勉強させていただきたいと思います。

・改めてゲルソン療法をしっかりやりたいと思いました!自分のため家族のため食事が大切だと
思い引き続き頑張っていきます!!

・今後当セミナーに数多く参加し、会の趣旨、目的を充分理解し、自身のために努力したいと
 思います。本日はどうもありがとうございました。

・また新しい情報をいただきました。感謝。自分なりに試してみます。

・仕事のない日はまた参加したいと思っています。いつもとても勉強になっています。
 ありがとうございました。

・矢澤様のお話に涙が出ました。私の両親ガンで亡くなっております。他人ごとではありません。
 是非長生きしてください。

・今、乳がんの術後、抗がん治療中です。ゲルソン療法に興味がありましが、100%できるか
 自信がありません。少しずつ近づけていけたらと思います。家族にも話していきたいと思います。

・ゲルソン療法については、前に本で読んでいた。こんなに身近で勉強できるなんて幸せです。
     
     
 
ゲルソン療法料理講習会の写真届きました!
昨年12月20日に開催したゲルソン療法料理講習会の写真が届きました。
下記のアンケート結果・レシピと合わせてご覧ください。
今年は6月と12月の2回開催する予定です。
ゲルソン療法レシピ公開します!
昨年(平成20年)12月20日に開催した「ゲルソン料理講習会」で実際に参加していた方に調理・試食いただいたレシピを公開します。当日は25名の参加者のうち(定員25名)10名がアンケートに回答いただきました。
その結果、お気に入りの料理は、 1位 玄米小豆ごはん(9名) 人参ジュース(9名)の2品でした。以下、
   
  2位 何でも野菜トマト煮(8名)    3位 ベジタブルチョコレートケーキ(6名)
  4位 わかめとサツマイモの汁(4名)  5位 きゅうりとセロリの酢の物(3位)

でした。是非ご自宅卓でチャレンジしてみてください!
感想文集も合わせて掲載いたします。
新春ラジオ放談「これからのがん予防・がん治療」放送します
新年明けましておめでとうございます。
下記のとおり新春ラジオ放談に出演します。
是非聞いてください。

 放送局:FMラジオつくば(84.2MHz)
 放送日:1月3日(土)16:30〜17:00
     1月4日(日)11:30〜12:00
 テーマ:これからのがん予防・がん治療
 出演:野本篤志(NPO緑の風常務理事・ラポールの会代表)
    矢澤容子(ゲルソン療法を実践するランチの会代表)
統合医療最前線(2)

 昨年の7月5日に医療関係者、患者、消費者らを集めて「日本補完代替医療学会サテライトシンポジュウム=ガンの代替医療」が東京で開催されました。国を挙げてがんに取り組んでいくことを掲げた「ガン対策基本法」が制定されましたが、目本のガン予防研究は欧米に比べて著しく遅れているといわれます。社会の高齢化と罹患者の増大が続く中でいかにガンから身を守るかという、意識と吋能性が議論されました。

サプリメントの科学的検証と安全性の評価住吉義光(四国ガンセンター部長)の報告

厚生労働省ガン研究班「わが国におけるがんの代替医療に関する研究」3100人の患者を対象に補完代替医療の利用実態調査が行われ、がん患者の44.6%(1382人)が1種類以上の代替療法を利用していることがわかりました。種類としては健康食品サプリメント(漢方ビタミンを含む)が96.2%と群を抜いて多く、品目別では使用頻度が多いのはアガリスク(60.6%)プロポリス(28.88%)きのこ複合体AHCC(7.4%)、市販漢方薬(7.1%)、鍼、アロマテラピーなどとなっています。日本では6割近い患者が、十分な情報得ずに補完代替医療を利用していることや、患者と医師との間に補完代替医療の利用に関して十分なコミニュケーションが取れていなことも判明しました。一ガン補完代替医療ガイドブック」によると、がん患者によく利用されている5種類のサプリメントについて国内外の科学論文を検索して、科学的根拠が認められているかどうか調べた内容で直接的な治療効果ガンの縮小、延命効果などを証明するような報告は極めて少ないとしていますが、治療効果を証明する報告がないからと言って治療効果がないということではありません。また「ガンが治るというなら」サプリメントでも部分寛解かどのくらい得られるか示すことが必要なのかもしれません、米国では公的資金を使ってその研究が行われていますが、日本ではこうした研究はほとんどなされていません。昨年2月13日厚生労働省がアガリスク抽一出物を用いたあるサプリメント商品に発がん促進作用が判明したと発表する出来事がありました。3社の商品を調べたうちの1社(中国産商品)だけのもので、他の2社の日本産の商品には有害性はみつからず、逆に安全性が厳密な試験によって確認される形になりました。発がん促進が報告されたといっても動物実験のことであり、人聞か食べてがんが促進されるということには決してならないといいます。それなのに「アガリスクに発がん性がある」といったことがセンセーショナルに報道され、マスコミも科学的に整理して物事を伝える訓練ができていなかったとおもいます。厚生労働省のホームページに、この件について風評被害が出ないように正確な理解を求める記述があります。

食品に含まれた抗がん性に期待 I・キャペタノヴィック(米国国立がん研究所)の報告

米国国立ガン研究所(NCI)ガン予防部では「ラビッドブログラム」と呼ばれるガンの予防剤の開発研究が進んでいて、必ずしも科学的成分が分からなくても、有効性と安全性が確認されていれば、そのままガンの予防薬として積極的に利用してい二うという計画です。これをボタニカルドラッグ(植物性医薬品)と呼び、大きな新しい動きが始まっています。このプログラムに採用されているものの中には、日本から採用された「アガリスク茸」から抽出した低分子成分{ISY-16}があり動物実験から免疫調節や細胞増殖を抑えるなどガン予防効果があることが示され、又毒性がなく安全であることが分かってきました。現在NCIのラピッドプログラムのもとに新薬治験許可が申請される見通しだといいます。薬から食品は作れないけれど、食品から薬を作ることができるとして、米国政府は、ダイエタッタリーサプリメントよりも、ボタニカルドラッグを推奨する方向にあります。日本ではサプリメントに「直接的な効果を期待する」のが特徴ですが、欧米ではガンの進行に伴う「痛みや症状の緩和、心理上の不安の軽滅、がん治療に伴う副作用の症状緩和」などを目的とする例が多いということでした。

「がんの克服に向けて私たちに今何ができるか?」

 土浦ロータリークラブ創立50周年記念行事に一環として当NPO常務理事野本篤志が4月17日の例会に招かれ「がんの克服に向けて私たちに今何ができるか?」という演題で講演を行ないました。要旨は下記のリンクで閲覧できます。

 
がんと総合医療
予防医学と未病
ハーブの世界
ラポールの会
セミナー案内
モニター制について
緑の会入り口
 

特定非営利活動法人(NPO法人)緑の風ヘルスサポートジャパン